人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

継続は力なり --500号記念ーー

2020-07-25 08:26:45 | 日記

今回はこのGooブログを2015年9月27日にはじめて1763日目、500号という節目になりましたので、お恥ずかしながら、これまでを振り返ってみました。一言で表現するなら、「継続は力なり」という言葉になります。ブログ経験はもともと2012年2月にOCNの「ブログ人」からスタートしていますので、途中の中断はあったにせよ、8年以上になります。TABITOというブログネームはその時につけていますが、旅人(たびびと)と大伴旅人から、ちょっとおしゃれにTABITOにしました。昨年は令和の元号で大伴旅人が一躍脚光を浴びましたが、・・・これ以上は控えます。

さてGooブログを再開した2015年9月は、リタイヤ後の第2の人生で何をはじめようか思案している時でした。仲間がやっているFacebookで近況報告をする選択肢もありましたが、ひとに紹介できるほどの日常生活を過ごしているわけではないので、これは現役人にまかせました。ではなんでブログをはじめたかというと、ブログに「記憶補助装置」の役割を期待したことです。居住地が鎌倉なので、もともと興味のあった歴史の世界に引きづり込まれました。鎌倉検定の勉強や郷土史家の主催する史跡めぐりに参加しますと、その記録を残したり、気になったテーマについて自分でも調べ、その結果を文章に残したくなります。ワードやエクセルに保存して、ひとり密かに楽しむというのが、ひとに迷惑をかけない真っ当な方法ですが、それではモチベーションは保てません。やはり一人でも誰かが見てくれて、楽しみにしている人がいるなという「スケベ根性」がないと続かないものです。

1回のブログで書く文字数は1000字前後、ちょうどA4用紙1枚程度の文字数です。あとはそのテーマに相応しい写真を1枚載せます。もともと文章を書くのが嫌いではないので、1テーマ1000字位が、自分の考えをまとめ、あとで読み返すにも手頃な分量です。また写真にも拘りがあります。気に入った写真を選ぶのも楽しみの一つです。おおよそ1ブログの作業時間は1~2時間程度。余程でないと下書き保存はしません。文章が落ちてくるのを待ち、一気に仕上げます。ブログ投稿のボタンを押すときが至福の一瞬ですね。

500件ものブログが保存され、スマホでもパソコンでも見たいときにいつでも見れるのがいいですね。落ちてきた文字はすぐに記録しないと一瞬で失われます。500件もの記事が保管されているこのブログは宝で、まさに「継続は力なり」です。

 

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熱海の伊豆山神社

2020-07-18 13:30:28 | 日記

熱海の伊豆山神社

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鎌倉を知る -- 伊豆山神社 ーー

2020-07-17 12:29:37 | 日記

このブログで「鎌倉を知る」シリーズを書くのは4月末を最後に久しぶりです。新型コロナの外出自粛で鎌倉の歴史案内のブログは控えていました。緊急事態宣言の発出が解除され、いよいよ再開かと思っていましたが、生憎の天気でお休み。なかなか思ったようにはいきませんね。昨日は一日雨が降らないという予想でしたので、前から行きたかった熱海の伊豆山神社に出かけました。大船から10時17分発の熱海行に乗り、帰りは熱海15時15分発に乗れましたので、有意義に半日を過ごせました。

伊豆山神社は明治時代以前は、伊豆大権現(伊豆山)、走湯大権現(走湯山)と呼ばれていました。古くは応神天皇、仁徳天皇ころから知られ、中世では、『吾妻鑑』にもたびたにその名前が登場します。最初は治承四年(1180)7月。頼朝が走湯山の覚淵を召し、仏前に素願を表白せしむとあります。山木の館を襲撃し、平家討伐を決断した時です。次は、8月15日。頼朝、日々の勤行を伊豆山の法音尼に代行せしむ。この法音尼は政子の経師(お経を書写する人)で、経典の目録を渡しています。頼朝は信仰心が篤く、毎日の勤行を欠かさなかったと言われていますので、これを代行させるほど信頼していたと思われます。その後、23日の石橋山合戦で頼朝は手痛い敗北を喫し、真鶴海岸から安房の国に脱出しました。一方、頼朝と離れ離れになった政子は、当初伊豆山に匿われ、その後、平家の追手から逃れるために、覚淵の手引きで9月2日に秋戸郷という場所に逃げ隠れました。秋戸郷があった場所は、国道135号線沿いですが、走湯から熱海に行く途中に案内があります。

その後は、源実朝が二所詣で何度も伊豆大権現をお詣りしています。その様子は『吾妻鑑』に記事があり、『金塊和歌集』に歌がのこされていますので、ご存じの方は多いかと思います。

今回の旅では、伊豆山神社の本殿をお詣りし、そのあと、往復1時間15分かけて本宮社を参詣しました。本殿に戻ってからは837段ある階段を一気に下り、海岸にある走湯(そうとう・はしりゆ)の源泉まで行きました。この走湯まで行くことを是非お勧めします。走湯大権現の原点の場所です。洞窟のなかで70度の温泉が大地から吹き上がる様子は、凄まじいエネルギーを感じます。ただし洞窟内は蒸し風呂で長くはいられませんけど。帰りは220段の階段を上って国道に出て、熱海方面に向かい逢初橋(あいぞめ)からバスに乗るか、30分位国道沿いを歩いて駅に戻ります。

 

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源実朝と無著・世親

2020-07-16 20:35:07 | 日記

先日投稿した「無著、世親にせまる」という記事のなかで、奈良の興福寺北円堂の再興事業に実朝は関わっていたかという、なんとも妄想的で、ばかげた考えを載せました。とは言いましても、念のため妄想かどうがを検証するために、『金塊和歌集』(新潮日本古典集成;樋口芳麻呂校注)にあたってみました。建暦年間(1211-1213)ころに詠まれたと思われる和歌にそれらしきものがありました。

  大乗、中道観を作る歌

614 世の中は 鏡に映る 影にあれや あるにもあらず なきにもあらず

この歌の注には、「大乗」的な哲理から「中道観」が生まれることを詠んだ歌、の意とあります。「中道観」は、一切の事象・存在は有でも空でもなく、有空と不即不離の中正絶対であると説く真理であると、書いてありました。前にも紹介した『世親』(講談社学術文庫)には、無著・世親が属した瑜伽行唯識派は、三自性説により非有非無という中道を論理的に説明したとあります。「分別される如くには存在しない。しかし、一切がまったく存在しないというわけではない」との考え方です。まさに実朝の歌そのものです。実朝は中道の考え方を理解したうえに、和歌としてのこした訳です。さらに、  

   懺悔の歌

616 塔を組み 堂をつくるも 人の嘆き 懺悔にまさる 功徳やはある

この歌の注には、堂塔建立の外面的功徳を施して得意がるより、自己の内面に目を向ける方が大切だと、舌鋒鋭く詠んでいると、書いてありました。この歌が作られたのは、興福寺北円堂の再興の時期と重なります。妄想を働かせば、実朝は遠く京都で藤原氏が自分の氏寺を建立し、そこに運慶に作らせた無著・世親の像が納められたと聞いたのかもしれません。歌に込められた思いが実朝の本意だとすれば、近衛家実の事業に批判的だったということになります。

『金塊和歌集』にあった和歌二首。実朝観が変わる歌でした。ますます源実朝という人物を探求したくなりました。早速、本日、二所詣での伊豆山神社に行ってきたところです。

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フーテンの寅さんと善財童子

2020-07-12 10:40:20 | 日記

新型コロナ禍、自宅待機中の初老男の妄想にお付き合いください。実は暇に飽かして仏教関係の本を読み漁っていますと、妄想が広がり、いろんなことを思いつきます。今回は帝釈天について。帝釈天は梵語でサクラ(正確には、シャックロー・デーヴァーナーン・インドラ)と言うとある本に書いてありました。そこで映画『男はつらいよ』に出てくる寅さんの妹さくらのことを思い出しました。映画の舞台は葛飾柴又の帝釈天(柴又 題経寺)。その帝釈天から「さくら」の名前がついたのではないかという妄想です。

世親の『倶舎論』の「世間品」には、宇宙の生成と形態、そこに住む生き物の種類が詳しく述べられています。宇宙は、(虚空)・風輪・水輪・金輪からなり、生き物が住む大地を支えているのが、風輪・水輪・金輪の三つの円輪体で、ヒトが住んでいるのは金輪の上の大地。その大地の中央には須弥山(スメール山)という高い山があります。中腹には持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王が住み、頂上の正方形の広場には三十三天が住み、その主が広場の中央の殊勝殿に住む帝釈天です(『世親』講談社学術文庫より)。トップオブザトップの帝釈天。寅さんの妹「さくら」も見方によれば、帝釈天のような存在かもしれません。

さらに『華厳経』の「入法界品」は、善財童子が五十五所・五十三人の善知識(先生)を順番に訪ねて教えを求める物語です。悩める善財童子が寅さん、善知識が映画で毎回登場するマドンナではないでしょうか。実際に五十三人の善知識といっても、菩薩も居れば童子や童女、長者の婦人など女性もたくさん登場します。その一人一人に謙虚な気持ちで教えを乞うたのち、最後に普賢菩薩のとろで、究極の悟りを完成させます。渥美清さんが演じる『男はつらいよ』シリーズは48話まで撮影されましたが、もしお元気で53話まで続いたらどんな結末になったか。あり得ませんが勝手に妄想するだけで楽しいですね。余談ですが、東海道五十三次の五十三の宿場も華厳の考えによりつくられたとか・・・。

お釈迦様の教え、世親の教えなどは、心のあり方、人間の生き方をとことん突き詰め、道筋をつけようとしたものです。先日、哲学者の小川仁志先生が孤独になって自己存在を考えてみることのの大切さを語っていました。仏教を宗教として語ると信教の自由に反するなどの意見がでてきますが、哲学としてのゴータマ・ブッダや竜樹、世親らの思想にふれるのも良いかもしれません。

 

 

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