泉鏡花については『高野聖』などで名前は知っていてもその小説は読んだことはなく、材木座の妙長寺に滞在し、『星あかり』を執筆したこと位しか知りませんでした。葉山にいけば『草迷宮』が話題となり本を買ってみたのですが、その怪奇趣味と独特のロマンティシズムの文章が苦手で、ちょっと距離をおいていました。そして今回は逗子の大崎公園で泉鏡花の句碑を見つけ、さらに岩殿寺との深いかかわりを知り、少し距離を縮めてみようと思いました。
今回ご紹介するのは、大崎公園のウサギの形をした句碑。泉鏡花は酉年生まれなのですが、その干支から数えて7番目の「向い干支」にちなむものを集めるのが趣味だったようで、わざわざ兎の形にしたそうです。
秋の雲 尾上のすすき 見ゆるなり
逗子市の資料によれば、この句は泉鏡花の代表作で、古くからウサギは波がつきものとされていることから、1990年に海を見渡せる大崎公園に設置したとのことです。
泉鏡花は1902年(明治35年)に胃腸病のため逗子で静養し、その3年後の1905年に逗子に転居し、1909年に東京に戻るまで4年間逗子で暮らしていました。鏡花にとっても思い出深い土地だったのでしょう。1906年には逗子を舞台にした『春昼・春昼後刻』を発表しています。