相撲古美術

相撲に関する資料の紹介や相撲史の研究の成果を発表していきたいと思います。

小柳殺し

2019年02月22日 | 日記

文久2年の小柳(平助)殺しの歿日にはニ説ある。4月7日に襲われ、9日に絶命した

という説と、同14日に襲われ、16日に絶命したという説である。私が昭和45年

正月に田無市の遍立寺の過去帳で確認した、後者が正しい。小柳は7日(6日目)と

9日(7日目)とも出場して勝利している。15日は場所が開催されているが、14日

深夜の殺害が伝わらず、開催されたようだ。翌16日の9日目にて、場所が休止さ

れている。実は小柳が勝利した7日に、小柳の2才の倅の葬儀が営まれ、土葬され

ている。せっかく強豪陣幕に勝利したのに、相撲のなかった14日に、子供のこと

もあり酒を浴びて、弟子につらく当たり殺害されたのであろうか。

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1 コメント

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九日目も興行あり (相撲史研究者・田中 健)
2019-02-22 08:46:46
 文久二(1862)年春場所、九日目は中入り前
3番、中入後2番の幕内取組が行われており
中止されていません。これは過日、相撲博物館
へ取組順序を照会したので間違いありません。

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