過去帳筆写の頃は、まだ複写装置も無い頃で、各自が苦心して皆に書き写してくれた。こうして貯まったものを束ねると、本一冊分にもなり、貴重なものとなった。一緒に回った仲間の中には、後で参加していただいた方に、既に故人となられた方や、病魔に襲われた方もおられ、改めて年月の長さを感じられる。3年ほど前に最初の頃のメンバーである竹森・森・小沼の各氏と私の4人で、何10年振りかで再会して、1伯2日で東京の寺院を回った。もう1度会いたいと思っていたが、これは不可能となってしまった。最近、若手で地道に相撲史跡巡りをする人が少ないようである。また、相撲史の本の出版もない。戦前の相撲関係の書籍の値段も、目を覆うばかりである。このごろ某書の誤った文を引いて、発表した方がおられたので連絡したことから、年寄浦風代々を当っている。4代から7代にかけて疑義が生じているので、もう少し資料を当ってまとめたいと思っている。
昭和40年から始まった東京の相撲史跡調査も、年寄代々の研究には過去帳をどうしても見せていただく必要にかられ、連絡を取って昭和44年の正月休みから、まず相撲の本場である両国回向院から始めた。ここには江戸時代からの15冊ほどの過去帳が残っており、みんなで手分けして相撲関係を筆写した。この第一冊は本来なら第九冊に当るもので、恐らく先の八冊は焼失してしまったのだろう。それにしても安政の大地震、関東大震災、日米戦争を潜り抜けてよく15冊が残ったものである。こうして正月休みと旧盆休みを利用して、年寄代々の墓石のある寺院の過去帳を、片っ端から筆写していったのである。46年8月の小生の報告書には、流汗淋漓で浅草本法寺では夜の10時半までかかったとある。それにしても今から振り返ると、考えられないくらい各寺院とも協力していただいた。今では他人が過去帳を見ることは不可能で、当時にやっておいて良かった。その頃には他人の戸籍を見るのも自由で、これも今では個人情報ということで全く不可能となっている。それにしても現在はオレオレ詐欺といい、悪人が増えたものである。(つづく)
相撲史研究には現地調査が欠かせない。これを怠り机上だけで済ませようとすると、某書のように多数の誤りを産むことになる。寺院調査は墓石と過去帳の実見である。今回その1はお墓の調査である。東京の力士墓の調査は、55年前の昭和40年の正月からスタートした。私の23才の時である。その時のメンバーは、京都の竹森・浜田、豊橋の森の各氏と小生であった。その後浜田氏の代わりに大阪の堀本氏、さらにいわき市の小沼氏と変わった。東京の相撲関係の墓石を片っ端から回り、私はその後に関西から、全国の主な力士墓は全部回った。メンバーで「相撲史跡研究会」という名称を創り、昭和48年から『相撲の史跡』を6号まで刊行した。しかしながら50年を経過してみると、回向院の春日野代々をはじめ、全国の相撲関係の墓石が整理された。また最近では各寺院の墓地へ入るだけで、不審者扱いされることもある。これからは各書へ墓石の写真を掲載するのも、遺族の了解を得なければならない時代になった。(つづく)