スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

谷津の雑感①&置き換えの可能性

2015-01-09 19:18:26 | NOAH
 谷津嘉章のインタビューには,これまで書いてきたことと関連することが多く含まれています。いくつか紹介しておきます。
 谷津はジャパンプロレスの一員として全日本に参戦。参戦前はそれなりに自信があったそうですが,戦ってみると,それまでのスタイルでは通用しないと痛感したそうです。その理由のひとつに,全日本のマットが新日本より固くて少しだけ広かったというのをあげています。これは実際に戦った選手でないと分からないことでしょう。
 対戦相手としてのジャンボ・鶴田は,相手を見下すところがあったそう。流して嫌々ながら付き合うような試合をする,他面からいえば,相手のよさを引き出そうとする試合はしなかったと語っています。なので鶴田といい試合をするためには,鶴田についていきながら,自分を発揮する技術が必要だったといっています。いわれてみれば三沢も天龍も,対鶴田戦ではそういう試合をしていたように感じました。
 その天龍源一郎は鶴田とは対称的で,プロレスに対して神経質といっていいくらいだったといっています。どうすればファンが喜ぶのかを第一の規準としていて,相手がガンガン攻めていってもとことん受け,攻めに回るとどんな相手でも容赦しなかったとのこと。谷津自身は対戦相手としては鶴田より天龍の方がやりやすく,プロレスの巧みさは鶴田が上で,表現力は天龍が上だったと評価しています。鶴田と天龍が戦っていた時代は,明らかに天龍の方が人気があったと僕は思っていますが,その理由の一端が,この谷津の評価に含まれているのではないでしょうか。
 新日本のブッチャーは,あまり評判はよくなかったけれども,ブッチャーなりに全日本時代のエンターテイメント性のあるスタイルを抑えていて,そこそこやっていたと評価しています。不沈艦は新日本のスタイルをそのまま全日本に持ち込んだけれども,それで成功できたのは,受け止められる選手がいたからだと分析しています。一方,新日本のブロディは,新日本のスタイルに合わせられず,突っ張ってしまったという評価。逆にいえばそれを受け止めてくれる選手がいなかったということでもあるのでしょう。

 実体すなわちモナドはそれ自身のうちにあるけれど神によって考えられるというのは,僕はライプニッツの哲学の正しい理解になっていると考えています。仮に異論が出てもこの考察の上では問題にならないということを明らかにしたので,ここからは,僕の理解が正しい場合に限定して,さらに探求していくことにします。
 まず僕が考えておきたいのは,このようなライプニッツの規定を,スピノザの形而上学に置き換えることが可能であるのか否かということです。というのは,もしもそれを置き換えることが不可能であるということであれば,あとはライプニッツに独自の哲学ないしは形而上学に関わる問題であることになります。再三いっているように,僕はライプニッツの形而上学自体の詳しい考察はしません。それは僕の関心の対象ではないからです。なのでこの場合に僕ができるのは,スピノザの哲学において,第一部定義三がなぜ正しいといえるのかということ,いい換えれば,それ自身のうちにあるとされる実体が,なぜそれ自身によって概念されなければならないのかということを示すことに限られます。ライプニッツにとってスピノザとの対決は,自分が正しいか,スピノザが正しいかという意味をもっていました。僕はスピノザが正しいと考えているわけですが,僕としてはその根拠だけを明らかにできれば十分なのであって,ライプニッツの哲学のどこに誤りが存在するのかを指摘したいのではないのです。
 結論からいってしまいますと,僕はここまで来ると,ライプニッツの形而上学をスピノザの形而上学に置き換えることは不可能となっていると考えています。ですからあとは第一部定義三が正しいという根拠を示せば十分ではあるのですが,なぜ置き換えることが不可能であると僕が考えるのかということについては,説明しておいた方がよいのだろうと思います。というのも,人によってはこれを置き換えることが可能であると判断するのではないかと僕には思えるからです。
 なぜ置き換えることができないのかは,もし置き換えられるとしたらどのように置き換えることができるのかを考えることで分かります。
コメント
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