(つづき)
両隣りのバス停は「日の丸」と「勝田」という験の良い場所。
センター試験に合わせて取り上げられればよかったのですが。
ここは福岡県糟屋郡宇美町の「原田橋」バス停。
宇美町と福岡市中心部を結ぶ「32番」「34番」の起点のひとつであり、宇美町と太宰府市を結ぶ「4-1番」にとっては通過点。
福岡市方面の乗り場は側道というか旧道上に。
17年ほど前に大増便されたこともあったが、現在はこれくらいのボリューム。
もし国鉄勝田線が廃止になっていなければ、
①鉄道との競争に負け、この区間を走るバスは衰退
②鉄道との競合により、都市高速経由など都心部までのバスが充実
…の、どちらになっていたでしょうか。
通学需要などに対応するため、勝田駅~太宰府地区のバスは増えていたもしれません。
太宰府市方面の乗り場。
「32番」「34番」の折り返し場はここからもう少し先。
かつては宇美営業所から四王寺坂を経由してやってくる「無番」がひとつ先の「日の丸」まで、天神から箱崎駅を経由してやってくる「35番」が二つ先の「只越口」まで運行されていた時代があり、この付近は歴史的にみて「終点」の密度が高い場所といえる。
(つづく)
両隣りのバス停は「日の丸」と「勝田」という験の良い場所。
センター試験に合わせて取り上げられればよかったのですが。
ここは福岡県糟屋郡宇美町の「原田橋」バス停。
宇美町と福岡市中心部を結ぶ「32番」「34番」の起点のひとつであり、宇美町と太宰府市を結ぶ「4-1番」にとっては通過点。
福岡市方面の乗り場は側道というか旧道上に。
17年ほど前に大増便されたこともあったが、現在はこれくらいのボリューム。
もし国鉄勝田線が廃止になっていなければ、
①鉄道との競争に負け、この区間を走るバスは衰退
②鉄道との競合により、都市高速経由など都心部までのバスが充実
…の、どちらになっていたでしょうか。
通学需要などに対応するため、勝田駅~太宰府地区のバスは増えていたもしれません。
太宰府市方面の乗り場。
「32番」「34番」の折り返し場はここからもう少し先。
かつては宇美営業所から四王寺坂を経由してやってくる「無番」がひとつ先の「日の丸」まで、天神から箱崎駅を経由してやってくる「35番」が二つ先の「只越口」まで運行されていた時代があり、この付近は歴史的にみて「終点」の密度が高い場所といえる。
(つづく)
もっとさかのぼって、もし戦後も勝田線が香椎線とともに西鉄に残っていれば…、ということを以前よく考えていました。
(太平洋戦争中に5社合併により成立した西鉄は、戦後もほぼそのまま大手企業として存続したわけですが、そのうち勝田線と香椎線だけは、石炭運搬という国策のため国鉄へと仕分けられてしまいました。)
勝田線を太宰府まで延長して太宰府線とつなぎ、電化複線化し、立派な通勤線となっていたかもしれない、などと考えていました。
でも、実際には、もし西鉄のままであったとしたら、昭和60年代まで生き残れず、もっともっと早期に廃止の憂き目に遭っていた、とみるほうが妥当でしょうね。香椎線の南半分も道連れに。
それにそもそも太宰府と勝田の間に鉄路を通すにはトンネルを掘らなければならず、…やっぱり無理だったでしょう。
香椎線や貝塚線で和白付近を通るたび、まだまだいろんな可能性がありそうなのにもったいないなぁということをよく思います。
>勝田線を太宰府まで延長して太宰府線とつなぎ、電化複線化し、立派な通勤線となっていたかもしれない、などと考えていました。
>でも、実際には、もし西鉄のままであったとしたら、昭和60年代まで生き残れず、もっともっと早期に廃止の憂き目に遭っていた、とみるほうが妥当でしょうね。香椎線の南半分も道連れに。
たしかに。
でも、大野城市の南ヶ丘のように、沿線の宅地開発のビジョンを描く人が居たら残っていたかもしれませんね。
地下鉄空港線を延伸して、博多の森駅を経由して志免、宇美、太宰府(九州国立博物館)方面…ということも考えられたかもしれません。