INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

チラシのオモテ(54)

2009年10月25日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
今から約16年前、平成5年10月1日時点の「筑豊急行」及びその派生系統の時刻表である。
「筑豊特急」、及び、福岡~篠栗を一般道路経由で結ぶ「31番」については記載されておらず、いわば、当時この両者の「中間」に位置していた路線の時刻表といえるだろう。

この時刻表に記載されている系統と、平日(下り)の運行本数は以下の通り。

「天神~呉服町~博多駅~北本町~原町~篠栗~二瀬川~八木山峠~飯塚~後藤寺」(急行)
 …新飯塚行き6本、後藤寺行き12本
「博多駅~福岡空港~北本町~原町~篠栗~八木山バイパス~飯塚~後藤寺」(急行)
 …後藤寺行き14本
「天神~蔵本~〔呉服町ランプ~都市高速~貝塚ランプ〕~松島五丁目~流通センター東~門松~篠栗~二瀬川~八木山峠~飯塚」(31-C急行)
 …二瀬川行き6本、飯塚行き1本

この時刻表の時点から現在に至るまで、「筑豊急行」のルートは見直しが重ねられ、現時点では「博多駅~福岡空港~北本町~原町~篠栗北~八木山バイパス~飯塚~後藤寺」というルートになっており、平日の運行本数は14往復となっている。
結果的には、2番目のルートを「篠栗経由」から「篠栗北経由」に変えただけだが、そこに至るまでにはいろんな変遷があった(←時系列的な記憶があやふやなため、曖昧な書き方ですみません)。

3番目のルートには、「31-C」という行先番号が付いていた。
「C」はもともと、都市高速の貝塚ランプを利用する路線に付くアルファベットであったが、都市高速延伸による出入口の方向の変更に伴い、現在は「松島ランプ」を利用するものに「C」が付いている(現存する路線では「24C」「72C」など)。
「31-C」は、現在の「310番」のプロトタイプともいえそうだ(ちなみに、以前の記事に対するコメントで、「門松」の東行きバス停には「流通センター東」の文字が残っているという情報をいただきました)。
ただ、「31-C」廃止と、「310番」新設の間にはかなりのタイムラグがあった。
同様に、福岡と甘木を国道3号南バイパス経由で結ぶ「急行」の廃止と、現行の「400番」新設の間にもタイムラグがあった。
都市高速道路の延長(粕屋や水城まで)がもたらす速達効果がいかに大きいかということを示しているといえるだろう。
ちなみに、「230番」の廃止と「新宮急行」新設の間にはタイムラグはなかった。

なお、方向幕の時代は、行先番号の数字とアルファベットの間に「-」(ハイフン)があるものとないものが混在しており、表示の統一がとれていなかったのだが、LEDになってからは、「ハイフンなし」で統一されている(今回の記事では、実際の時刻表の記載に合わせて「31-C」と表記した)。

「31-C」が走っていた頃は、「天神~蔵本~妙見~二又瀬~門松~篠栗北~二瀬川」を走る「31-A」という路線もあった。
「31-A」は、「31-C」の「表と裏」を逆にしたようなルートであり、「31番」、そして「30番」や「筑豊急行」も合わせると、現在と比較してかなり贅沢な系統設定が行われていたといえるだろう。
ちなみに、「31-A」は、アルファベットが付いているものの都市高速は一切通らず(「A」は香椎ランプを意味しない)、「92番」から転化した「201A」「204A」(現存せず)や、現存する「39B」などとともに例外的な路線であった。
(つづく)

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8 コメント

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201号バイパスのバス停 (yaku)
2009-10-23 16:20:56
こんにちは
31の派生系統が出たときはちょうど僕は福岡にいませんでした。
手元にある1996年の道路地図には粕屋警察署~篠栗北の間に「和田」「津波黒」のバス停の表記があります。残念ながらこの地図はバス停の位置と名称のみで、路線は書いていません。このバス停には何番系統が停まっていたのでしょうか?
ちなみに、「和田」から福岡方面の次のバス停は「流通センター前」続いて「松島五丁目」です。都市高速は貝塚で終わっています。
ご存知でしたら教えてください。
返信する
Unknown (Tokyo Chikushi)
2009-10-23 17:54:13
空港経由の急行は、このチラシの数年後には、起点が「天神バスセンター」で、途中経由地が八木山峠という時期があったと思います。その時期、天神からバスで空港へ向かうための唯一の手段でした。

大牟田線沿線から、重い帰省の荷物を携えて空港へ向かうのに、昔の天神バスセンターからバスで乗り換えずに行けるのはとても助かりました。
それが、地下鉄の開通と同時に「空港連絡バス」が姿を消し、「福岡駅」のホームから地下鉄ホームまで歩かざるを得なくなり、駅の南への移設とともに歩く距離がさらに長くなり、たいへんな不便を感じるようになりました。地下鉄の空港への延伸は、この意味では大牟田線沿線住民にとって不便を生じたと思いました。
このように感じる大牟田線沿線住民は少ないのでしょうか?

国道3号線のバイパスが都府楼前駅横を通るようになった時(1980年頃だったか)に、ここを乗換駅として空港へ行くバスがあるとよいのに、と思ったものです。そのバスの起点を太宰府とすれば、空港からの太宰府観光の直通ルートにもなるのにとも思ったものです。

短い時期ながら、飯塚からの急行が天神バスセンター発着で空港を経由していた頃、少ない便数に合わせて天神バスセンターから空港まで重い荷物を抱えてよく乗っていたものです。既に現在の「新」バスセンターになっていましたから、今から10年くらい前のことでしょう。
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Unknown (soramame)
2009-10-25 00:06:51
yakuさん、こんにちは。
>「和田」「津波黒」のバス停の表記があります。
これらに停まっていたのは「31-A」です。
福岡都心部から門松交差点まで「31番」のルートで来て、そこから北上して、大隈跨道道からバイパス(現在は201号の本線となっていますが)に入って二瀬川に向かっていました。
また、バイパスの大隈跨道橋から西の部分を通っていたのが「31-C」で、~貝塚ランプ~松島五丁目~流通センター東~(大隈跨道橋)~門松~篠栗方面、というルートでした。

Tokyo Chikushiさん、こんにちは。
>空港経由の急行は、このチラシの数年後には、起点が「天神バスセンター」で、途中経由地が八木山峠という時期があったと思います。その時期、天神からバスで空港へ向かうための唯一の手段でした。
現在のルートになるひとつ前がこのルートだったのではないかと思います。
私も「新」バスセンターからよく急行に乗っていました。
博多駅までは渡辺通一丁目経由でしたね。
>地下鉄の空港への延伸は、この意味では大牟田線沿線住民にとって不便を生じたと思いました。
>このように感じる大牟田線沿線住民は少ないのでしょうか?
>国道3号線のバイパスが都府楼前駅横を通るようになった時(1980年頃だったか)に、ここを乗換駅として空港へ行くバスがあるとよいのに、と思ったものです。そのバスの起点を太宰府とすれば、空港からの太宰府観光の直通ルートにもなるのにとも思ったものです。
私も天神での乗り換えの面倒さなどから、大牟田線の駅から空港に行くバスがあってもよいのでは?と以前から思っていて、大橋駅と空港を結ぶ便について書いたこともありました。
「太宰府~都府楼前駅~空港」というルートはとても良いアイディアだと思います。
電車とバスの切符をセットにして発売したりすれば、それなりの利用は見込めそうな気がします。
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おはよございます。 (ねぇね♪)
2009-10-25 07:25:53
大牟田線沿線住民、再来です(笑)
ただし、古くからの住人ではないのでその頃を知らないのですが。

その路線は、確かにあれば便利、でも諦めているというのが現状でしょうか。一度【大橋~空港】の記事が出た時、相方と妄想路線図と時刻表をエクセルで作って遊びましたね…。
それ以上に地下鉄の天神南駅と天神駅の乗換が酷いのでまぁあれに比べたら我慢するか…と思ってしまうのも有りまして。
43南福岡駅~福岡空港が忘れないでって言ってますよb(・∇・●)
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Unknown (レパード乗り)
2009-10-25 23:36:28
この翌年頃でしょうか?

学生時代ですが、サークルの皆と31で西公園から飯塚BCまで乗りとおした事を思い出しました。
(たしか、31の飯塚直通は1往復だけだったはずです)

当然の事ながら、全区間乗車は自分たちのグループのみでした(笑
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Unknown (soramame)
2009-10-27 12:49:51
ねぇね♪さん、こんにちは。
>その路線は、確かにあれば便利、でも諦めているというのが現状でしょうか。
なるほど、そうなんですね。
期間限定の試行運行などから始めてみる価値はありそうな気もしますが、やはり難しいのでしょうか…。
>43南福岡駅~福岡空港が忘れないでって言ってますよb(・∇・●)
たしかに。
実際のところ、JRや西鉄から43番に乗り換えて、空港から飛行機に乗る人って少しは居るんですかね?
もし私が沿線に住んでいたら好んで利用しそうですが(笑)。

レパード乗りさん、こんにちは。
>学生時代ですが、サークルの皆と31で西公園から飯塚BCまで乗りとおした事を思い出しました。
>(たしか、31の飯塚直通は1往復だけだったはずです)
私も31が1往復の時代に飯塚まで乗ったことがあります。
八木山峠も、今では飯塚~日の浦口の区間便(それも補助金で維持)のみという寂しい状況になってしまいましたね。
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Unknown (Tokyo Chikushi)
2009-10-27 19:35:25
私も、7~8年前、八木山峠経由の飯塚急行に飯塚から空港まで乗ってから飛行機に乗ったことがあります。その後、八木山峠経由のバスが空港や博多駅まで行かなくなったので、よい経験だったと思っています。3月下旬で、ちょうど桜がとてもきれいで印象深いものでした。
でも、バスで八木山峠を越えたのはそれが初めてです。
幼時には、父の運転するクルマでのドライブで何度も通っていました。非舗装の狭いヘアピンカーブを多くのクルマやトラック(勿論バスも)が、砂塵を巻き上げながら、次々に通る道でした。「冷水も怖かばって、こっちも怖かねぇ」などと母がよく言っていました。戦後20年以上も経っているのに、沿道にはまだ戦時の廃工場が怪しい姿を晒していたりして。

バスも、福岡から筑豊方面へ向かう西鉄バスは全て八木山峠を通っていましたから、それは壮観でした。行先は思いつくだけでも、飯塚のほか、直方、大隈、田川(当時の田川営業所のこと)、中津(特急)、大分(特急いでゆ)などが通っていたはずです。
栄枯盛衰を感じます。
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Unknown (soramame)
2009-10-29 00:59:14
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。

たしかに、峠の風景はとても風情がありますよね。
私も桜の時期は、仕事でよく峠を通るのですが、本当にきれいですね。

峠を通っていたバスはバイパス移ったとはいうものの、飯塚、田川行きがメインであり、直方、大隈及び行橋方面に向かうバスは現存せず、そう考えると寂しいですね。
JR九州バスが犬鳴峠を越えている現状は、もはや「奇跡」といえるのかもしれません。
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