![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/01/36655be759c4ebb7e57bf7e59e0ca348.jpg)
(つづき)
・さようなら「97番」
3月15日までの運行となった「97番」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/4d/a895dcb2cdaa274da8f572a0f9a32978_s.jpg)
現在のルートは「姪浜駅南口~内浜西区役所前~都橋~下山門~中村~拾六町団地~野方」であり、「都橋」までの区間に行きたい人は「1-4番」「507番」、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/a9/0495604d3a5e2967756f995306f6e09d_s.jpg)
「中村」までの区間に行きたい人は「507番」、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/58/38/dbb2b93d88155ec29d296b28cdacebeb_s.jpg)
「中村」から先に行きたい人は「1-5番」に乗ればよいので、「97番」がなくなったからといって、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/57/9b02e8f289ae753dfbfa3126c37a9792_s.jpg)
ここ「姪浜駅南口」から行けなくなる場所がなくなる訳ではない。
ただ、他の路線の本数が増える訳でもないため、明らかに利便性は低下する。
このように“削れるところは削ってしまおう”というのが、今回のダイヤ改正の特徴のひとつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/33/3114914bc6996e157c758bb8f24b135e_s.jpg)
こちらは「97番」が運行を開始した昭和57年当時の時刻表。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/b6/9200cb6bf533cab8b583ee5173d1a1e2_s.jpg)
そしてこちらはそれから5年後、昭和62年当時の時刻表。
西山行き、四箇田団地行き、姪浜(折り返し場)行き、藤崎行き、一本だけの新道経由、拾六町団地への乗り入れ、旧道から新道への乗せ換え、能古渡船場行き、都心まで足を延ばす「1-1番」、橋本駅行き…などなど、今日までいろんな変化を遂げてきた「97番」。
「90番台」の位置づけが、“「1番」「2番」「3番」の補完的役割”から“区役所連絡路線”に変化する中で登場した路線であり、西鉄バスの営業エリア(当時)の西端にへばりつくように走るのも特徴的で、私の好きな路線の一つだった。
また、「97番」の登場により、それまでは「狭義の終点」であった「羽根戸」「藤ケ丘団地」「下山門」の3つのバス停が一気に「狭義の終点」ではなくなったという意味においては、西鉄バス路線のネットワーク化、そして、福岡市の都市化の進展を象徴する路線でもあった。
その「97番」が、“削れるところは削ってしまおう”というポリシーで廃止というのは、これもまた、時代の流れを象徴する出来事といえるのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/20/80b9725394048ebfabcd430b9ae8c47f_s.jpg)
復活の可能性もない訳ではないと思うのだが、とりあえず31年間お疲れさまでした。
・小ネタ3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/33/a0ac54ce4c8ba07b98a756d7aa0606d0_s.jpg)
雨粒の向こう側には「愛宕下」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/e1/ba0421068ca0c8d4dd078e8187db166f_s.jpg)
明治通りの「愛宕下」は、「愛宕神社前」に改称。
でも「前」よりは「下」のほうが、より適切な説明だったような気も。
(つづく)
・さようなら「97番」
3月15日までの運行となった「97番」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/4d/a895dcb2cdaa274da8f572a0f9a32978_s.jpg)
現在のルートは「姪浜駅南口~内浜西区役所前~都橋~下山門~中村~拾六町団地~野方」であり、「都橋」までの区間に行きたい人は「1-4番」「507番」、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/a9/0495604d3a5e2967756f995306f6e09d_s.jpg)
「中村」までの区間に行きたい人は「507番」、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/58/38/dbb2b93d88155ec29d296b28cdacebeb_s.jpg)
「中村」から先に行きたい人は「1-5番」に乗ればよいので、「97番」がなくなったからといって、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/f3/bcce5844f3ac4ecc31ef30091f1b8e9b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/57/9b02e8f289ae753dfbfa3126c37a9792_s.jpg)
ここ「姪浜駅南口」から行けなくなる場所がなくなる訳ではない。
ただ、他の路線の本数が増える訳でもないため、明らかに利便性は低下する。
このように“削れるところは削ってしまおう”というのが、今回のダイヤ改正の特徴のひとつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/33/3114914bc6996e157c758bb8f24b135e_s.jpg)
こちらは「97番」が運行を開始した昭和57年当時の時刻表。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/b6/9200cb6bf533cab8b583ee5173d1a1e2_s.jpg)
そしてこちらはそれから5年後、昭和62年当時の時刻表。
西山行き、四箇田団地行き、姪浜(折り返し場)行き、藤崎行き、一本だけの新道経由、拾六町団地への乗り入れ、旧道から新道への乗せ換え、能古渡船場行き、都心まで足を延ばす「1-1番」、橋本駅行き…などなど、今日までいろんな変化を遂げてきた「97番」。
「90番台」の位置づけが、“「1番」「2番」「3番」の補完的役割”から“区役所連絡路線”に変化する中で登場した路線であり、西鉄バスの営業エリア(当時)の西端にへばりつくように走るのも特徴的で、私の好きな路線の一つだった。
また、「97番」の登場により、それまでは「狭義の終点」であった「羽根戸」「藤ケ丘団地」「下山門」の3つのバス停が一気に「狭義の終点」ではなくなったという意味においては、西鉄バス路線のネットワーク化、そして、福岡市の都市化の進展を象徴する路線でもあった。
その「97番」が、“削れるところは削ってしまおう”というポリシーで廃止というのは、これもまた、時代の流れを象徴する出来事といえるのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/20/80b9725394048ebfabcd430b9ae8c47f_s.jpg)
復活の可能性もない訳ではないと思うのだが、とりあえず31年間お疲れさまでした。
・小ネタ3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/33/a0ac54ce4c8ba07b98a756d7aa0606d0_s.jpg)
雨粒の向こう側には「愛宕下」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/e1/ba0421068ca0c8d4dd078e8187db166f_s.jpg)
明治通りの「愛宕下」は、「愛宕神社前」に改称。
でも「前」よりは「下」のほうが、より適切な説明だったような気も。
(つづく)
個人的には愛宕神社を観光の1スポットにしようとしている狙いもあるような気もします。しかも豊浜団地口バス停は愛宕下バス停より天神地区・博多駅地区からのバスもあるから改称に乗りきったのではないかと・・・・・
まず愛宕下の改称。「ここは愛宕神社です」って言いたいのでしょうけど、あくまでもあれは参道の入口かつ愛宕山の麓であって、神社はバス停から階段を上がった先です。電車時代からある歴史あるバス停ということもありますが、SORAMAME様の仰られるように「愛宕神社の麓にあるから愛宕下」というニュアンスは維持してほしかったです。せめて「愛宕参道口」とした方が無難だったのではないでしょうか。
そして豊浜団地口の改称。周辺は案内する看板らしきものはなかった気がしますし、距離的に遠すぎるのではないかと思います。「豊浜団地入口・愛宕神社入口」とサブネーム程度に抑えるべきではだったのではないかと思います。
愛宕下に関しては福大前のようにすぐに戻しそうな気がしますけど・・・・・・
>97廃止
昨年の9月もここに書きましたが、各営業所人が足りない状態はまだ続いているようです。
ある営業所に3月にとある用で貸切を依頼したのですが「人が足りないこと、諸事情もあり貸切に人が回せませんので3月はお受けできません」とお断りされてしまうほどでしたので・・・・
今回の改正での効率化・廃止・減便の陰には前回同様、このような理由も孕んでいるようです・・・
愛宕神社については、おそらく神社側からの何らかの働きかけがあったのではないかと思います。
何もないのに、そこまで「神社」を入れる義理もないでしょうし。
でも、愛宕下という趣のある名称が変わってしまったのは寂しいですね。
今後、防塁前や修猷館前が改称されないことを願いたいです…。