詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(79)

2024-02-13 22:43:14 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「サントリーニ島讃歌」。

世界に躍り出た初子。

 「初子」には「ういご」のルビがついている。いまも多くの人がつかうことばかどうか、私は知らないが、自分ではつかわないし、聞いた記憶もない。しかし、読めば、意味はわかる。音を聞いてだけでも、たぶん、文脈から意味はわかる。このあとには「海の産んだ子。」という補足的な一行もある。そして、たぶんその補足的な一行があるからこそ、「初子」ということばを中井は選んだのかもしれない。
 つまり、ここでは「わかりにくさ」が選ばれているのだ。わかりにくいことばで読者を立ち止まらせる。そして、いったん立ち止まったあと、簡単なことばで想像力を後押しする。ことばの動きに緩急が生まれる。想像力に緩急が生まれる。そのリズムに合わせて世界が豊かになる。
 中井は、さまざまなことばで「意味」を超える。「意味」よりも、ことばに向き合ったときの「刺戟」を大切にする。


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こころ(精神)は存在するか(11)

2024-02-13 21:45:16 | こころは存在するか

 ベルグソンにかぎらないが、私がベルグソン、あるいは和辻哲郎を正しく理解しているかどうか(私の読み方を他人が正しいと思うかどうか)は、私には問題ではない。私は私の考え(ことば)を整えたいのであって、ベルグソンや和辻をだれかに紹介したいわけではない。私が紹介しなくても、ほかのひとが「正しく」紹介しているだろう。

 「連続」を、ベルグソンは「充足している流出と以降の連続性」と定義したあとで、「充足」を「流れるものを含まない、移行しない」と言い直し、そこから「持続=記憶」と再定義している。このときの「記憶」とは「変化そのものの内的な記憶」である。ここから「内的時間」というものが生まれてくる。
 そのあと、こう書いている。

われわれの内的生の各瞬間には、われわれの身体の、そしてそれと「同時」の回りの全物質の瞬間が、対応している。

 ここに「身体」ということばが出てくるので、私は安心する。私は「身体」ではなく「肉体」ということばの方を好むのだが。
 それから、ベルグソンのことばは、こうつづく。

そのとき、この物質はわれわれの意識した持続性の性質をいくぶん帯びているように見える。われわれはこの持続をだんだん物質世界の全体に広げて行く。というのはこの持続をわれわれの身体の直接の近傍に限るいかなる理由もわれわれは認めないからである。宇宙はわれわれにはただ一つの全体を形成しているように見える。

 ここから私は、「宇宙」に存在するのは「私という肉体」だけ、という考えが生まれる。いや、このベルグソンの考えは、「宇宙」に存在するのは「私という肉体」だけ、という考えを支えてくれると感じる。「意識の持続性」(意識の延長線上/意識のとどく限り)が「宇宙」である。「宇宙」は「意識の持続性」として「一つ」である。
 「肉体」があれば「意識」がある。そして「意識」は「肉体」とは切り離しては存在し得ない。「肉体=意識」ならば「意識=肉体」である。「イコール」とは「即」である。

持続する実在について人はそこに意識を導入することなしには語り得ない

 とベルグソンは書いているが、この持続から「語る」という一連のことばの運動を私は、語るということは意識を持続させることであり、その持続の中に「実在」が出現すると言いなおすのである。
 実存的な時間は知覚された体験であり、それは考えられた時間であるが、考えるということは「ことば」なしにはありえない。「語る」ことは体験を知覚することであり、それは時間を実在させることである。

存在するのはわれわれ各人の持続だけであろう

 とベルグソンは書くのだが、これは私にとっては「存在するのは私の持続だけである」という意味になる。「他人の持続」は「私が想定する持続」にほかならない。それが「他人の持続」と同一であるかどうかは判断のしようがない。
 こんなことはいくら書いても「無意味」かもしれない。
 私は、ほんとうは、こういう抽象的なことではなく、次のことを書きたいのだ。
 ベルグソンは、こう書いている。

意識は、ひからびて空間となった時間に生き生きとした持続を再び吹き入れるのである。

 私は、ここに「吹き入れる」という動詞がつかわれていることに、非常に刺戟を受ける。「吹き入れる」というのは「肉体」の動きである。たとえば、風船に空気を「吹き入れる」。人工呼吸で他人の肺に息を「吹き入れる」。人間の、肉体の動きが、ここにある。何かをするとき、自分以外のものに働きかけるとき、そこには肉体が動く。
 「意識」も「肉体」である。だから、「肉体」の動きをまねするのである。
 ベルグソンは、こうも書いている。

実在するものとしてわれわれに提供されるすべてのものに対して、知覚されるという特性あるいは知覚可能という特性をわれわれが要求するとしても、驚く人はいないであろう。

 「意識」は実在するか。それは「吹き込む」という「肉体」の運動がことばになって表現されるとき、たしかに実在すると、私は言いたい。では、「意識」が肉体」のどこにあるか、という問題があるかもしれない。どこだっていい。脳のなかでも足の裏でもいい。しかし「吹き込む」という比喩がつかわれるとき、それは脳でも足の裏でもなく、たとえば口であり、手の動きであり、肺の動きである。そういう「ことば」と「肉体」の「連続=結合」のなかにある。

 

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