週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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鬼は内

2011-02-03 02:08:23 | 寺報記事

今日は節分です。
ということで、昨年の春に発行した寺報の2面に掲載した記事に、節分に触れたものがあったので、こちらに転載することにします。

お題は【角隠し】です。
では、どうぞ…。


角隠しとは、婚礼の際に和装の花嫁の頭を覆う帯状の布のことです。
皆さまの中には、被られた経験のおありの方もいらっしゃることでしょう。

この角隠しの由来には諸説ありますが、その一つに、むかし浄土真宗のご門徒の女性が報恩講の参詣の際に、髪の生え際を隠すために頭を黒い布で覆ったことを起源とする説があることをご存知でしょうか?
この黒い布を「すみかくし」と言い、この説では「すみ」を漢字で「角」と書くことから、転じて「つのかくし」になったといいます。

さて、「角」と聞いて連想するのは「鬼」ですが、皆さんは2月の節分で豆まきをされましたか?
最近では恵方巻きという太巻きを、その年の良い方角に向かって、かぶりつきながら一気に食べるという一地方の風習が、流行のように全国に広まっているようです。

節分というと、お相撲さんや有名人がお寺で豆をまいている映像をよく見かけます。
それを見て、お寺と節分は関わり深いものだと思われているかのかもしれませんが、実は浄土真宗には福を呼び寄せるための節分という行事はありません。
なぜなら、「鬼は外・福は内」と豆をまく姿は、「都合の悪いもの=鬼」を遠ざけ、「自分に都合のよいもの=福」だけを取り込もうとする、自己中心的な煩悩の現れそのものと考えるからです。

また、浄土真宗のみ教えから鑑みれば、豆をまく相手、すなわち「鬼」とは、どこからともなく現れるのではなくて、他でもない自分の中に鬼はいるというのが道理となります。

浄土真宗の妙香人(=篤信者)で知られる浅原才市さんには、自分の肖像画を見て、「これは私じゃない、角を書き足してくれ」と絵描きさんに強く注文したという逸話が残されているように、自覚無自覚を問わず、誰もが自分の内に浅ましく、醜い感情を抱えています。
それはたとえ自分に豆をまいたとしても、退治できるような代物ではありません。
その私を、そのまま引き受けてくださる阿弥陀さまの大慈の中に包まれているというお念仏の心に触れれば、節分に豆をまかなくても安心して過ごせることでしょう。

その心で見れば、婚礼衣装の角隠しは、通説でいうところの嫉妬や怒りからの角を隠そうとしているのではなく、「私の内には鬼がいる」という自覚から生まれた、恥じらいの意識が形になったものとも考えられるのではないでしょうか?


…という記事でした。
ついでに個人的なこと書きますが、小さい頃に読んだ何かの川柳で、

「朝起きて 鏡の中に 鬼を見た」

というものがありました。
読んだころは、その場面を想像して怖くなったのでしょうが、今では現実となって毎朝鬼というか、異形の相とご対面しています。
特に目が怖い…顔筋の衰えとは恐ろしいものですね…。

ちなみに川柳を詠んだ方は、朝になっても帰ってこない夫への怒りから気づかないうちに歪んていた顔を、顔を洗うために立った洗面所の鏡の中に見た悲しみを詠んだものだったはず。
幸いなことに、私より就寝時間の早い旦那なので、そういう面では心配なさそうです(笑)