週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

ユリの王様

2017-07-12 09:57:35 | 寺報記事

今号の寺報の表紙はヤマユリです。
編集後記にも書きましたが、ヤマユリは日本特産の花で、輸出された球根からカサブランカなどの西洋ユリが誕生したそうです。

カラーだとこんな感じです。

 

ヤマユリは花が大きく、豪華な風貌から「ユリの王様」と言われています。
ちなみに「ユリの女王」はカサブランカだそうです。

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夏の寺報は『ONE PIECE』祭

2017-07-09 21:01:03 | 寺報記事

土曜日はお経の会がありました。
参加者のお一人から嬉しいご報告があり、幸せのお裾分けをいただきました。
本当におめでとうございました。


さて、そろそろ最乗寺からの発送物がお手元に届くころかと思います。

  

同封されている夏の寺報ですが、今号は表紙の文も中面のコラムも『ONE PIECE(ワンピース)』で攻めています。
『ONE PIECE』とは集英社から出版されている「週刊少年ジャンプ」という漫画雑誌に20年以上連載されている人気漫画です。

漫画を知らなくても考えさせられる内容だと思いますので、お読みいただけると嬉しいです。
また、中面のコラムでゾロの必殺技についても書いているので、もしお子さんやお孫さんが『ONE PIECE』を読んでいたら、話題のとっかかりにしてみてください。

現在84巻まで発売されていますが、私は44巻のメリー号の場面で必ず泣きます。
あと頂上決戦のラストも何度読んでも泣けます。
そういう漫画です。

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秋の寺報の表紙写真

2016-10-04 10:20:23 | 寺報記事

お知らせばかりが続いてしまい、寺報の表紙写真のカラーバージョンを載せることを忘れていました。

今号はこちらになります。

  

本堂の内陣正面の上部にかかる額です。
親鸞聖人は明治天皇より「見真大師」という諡号を追贈されており、額にはその大師号である「見真」の文字が掲げられています。
西本願寺の御影堂にかかる額の大きさは畳3枚以上もあるということなので、伝灯奉告法要でご参拝の際には、ぜひご覧になってください。  (寺報の編集後記より)


ちなみに、最乗寺の額は畳1枚分の大きさもありません。
こういうものはお堂の大きさに合わせたサイズに作られるので、御影堂がとてつもなく大きいお堂であることが分かりますね。

上部にあると、あまり目に留まらないものですが、同じ浄土真宗のお寺でも額があったりなかったり、文字が見真だったり山号だったりと、お寺によっていろいろ違いがあります。
見るポイントを決めてお参りすると、新たな発見に出遇えるかもしれませんよ。

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寺報の表紙 (天蓋)

2012-09-26 01:11:07 | 寺報記事

寺報の表紙のカラーバージョンです。


      


こうすると、本堂に入られたことのある方なら、きっと一目お分かりになられたと思います。
これは下陣の天井から下がっている「天蓋(てんがい)」です。

全体を写すとこんな感じ。

      

なんだか重そうですよね。
キンキラの鈴がついた飾りは、揺らしたらシャラシャラと美しい音色が鳴り響きそうな印象を与えます。

でもコレ、金属ではなく、木でできています。

一見、そうは見えませんよね。
私も実際に触ってみるまで、金属と思っていましたし。

近くで見ても木には見えないのですが、実際は木を削って作られたお荘厳に金箔が貼られているものです。
なので触れてみると、想像していた重みは全くなく、とても軽くて驚きました。

      

六角形の頂点には、それぞれに鳥がとまっています。

なかなか細部にまで目が行き渡らないので、天蓋の彫刻にまで気が回らないことと思います。
この機会に、本堂に入られた際は、まず阿弥陀さまに手を合わされたあと、上を見上げてみてはいかがでしょうか?

あ、触れるのはダメですよ? (笑)

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生前

2012-09-17 01:13:30 | 寺報記事

         

秋の寺報の締切りが迫ってきました。
過去、どんなことを書いていたのかを見直していると、2年前の秋号に「生前」という言葉についての記事がありました。

というわけで、どうぞ。(笑)


「生前」という語が日常会話に出てくることは稀ですが、例えば「生前はお世話になりました」などは、故人に代わってのお礼を言うときによく使われているので、それほど珍しくはないでしょう。
皆さんもいろんな場面で「生前」という言葉を耳にしたことがあると思います。

辞書によると、「生前」とは亡くなられた方の「生きていた間」のことを指しています。
しかし、「生まれる前」と書くのに、なぜ「生きていた間」という意味になるのか、不思議に思われたことはありませんか?

字のままを普通に考えれば、「生前」とは「この世に産まれる前」のことになってしまいます。
その場合の逆は「生後」であり、生後何ヶ月というように、この語は産まれた後のことを意味しますが、「生前」をこのような対比で考えると、どうしても違和感が残ります。

似たような考え方でもう一つ、「死後」という言葉があります。
これはそのまま「死した後」、つまり「亡くなった後」を指しますが、対比となる「死前」という言葉は存在しません。

けれど、「生きていた間」という意味を表すならば、この「死前」もしくは「生間」という言葉があると、聞く人に違和感を与えることなく伝えることができるのにと、つい思ってしまいます。
しかし、「生前」という言葉には、普段の私たちでは量り知れないほど大いなる意味が込められているのです。

では、その意味を簡単にまとめてみましょう。

人が亡くなることを、「往生する」とも言うことはご存知だと思います。
「往生」とは「往きて生まれる」ということ。
どこに往って生まれるかというと、阿弥陀さまの世界「お浄土」に往生するのです。

私たちは死んだらお墓の下で眠るわけではありません。
どこで亡くなろうと、どこに遺骨が納められようと、私たちは阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ、自分や他人といった個を超えた差別(しゃべつ)のない世界で再び出遇うという、阿弥陀さまのみ教えの中に包まれているのです。

さあ、そろそろ見えてきたのではないでしょうか?
そうです、「生前」とは「お浄土に生まれる前」のこと、つまり今このときを指しているのです。

「生前」は「生後」や「死後」といった言葉との対比で考えるものではなく、この命の行く末が阿弥陀さまのみ教えに照らされ明らかになったところに「生前」という言葉があるのです。

往生するその前に、光輝くこの命が、何の光に照らされて尊く耀いているのかを知ろうとすることで、初めて「生前」の意味を受けとめることができるのではないでしょうか。



……ちゃんとしたことを書いていてビックリ。
あと1週間、頑張ります…。

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