先日、最乗寺の最寄り駅の一つ、横浜市営地下鉄・センター北駅の隣に、新たな商業複合施設「Yothubako(ヨツバコ)」がオープンしました。
その名の通り、四つの箱が互い違いに組み合わさったような、個性的な外観の建物です。
建築中に別の角度から撮った写真がコレ ↓
このときから、何が作られているのか気になっていたので、さっそく中を一通り散策してみました。
すると、なんだか高級感がプンプンするお店ばかり。
日常の買い物をするというよりは、日常に彩りを与える遊び心であったり、ゆとりであったり、「無駄」とも言えるし、「贅沢」とも言えるけど、あることで誰かと私が笑顔になれるような・・・、そういう買い物ができるお店が多く入っていました。
日常を離れて、ちょっとしたお出掛け気分が味わえるうえ、きっと贈り物をするときに活躍しそうな場所になりそうです。
センター北駅には、すでに「あいたい」「都筑阪急・モザイクモール」「ノースポートモール」と3つの大型複合施設が建ち並んでいます。
そして今回の「Yothubako」に加え、どうやら近くにまた一つ大型複合施設が建設予定であるとのこと。
最上階から見えたセンター南駅へと続く線路。
この二駅の間にも、大型施設が幾つも建っていて、これからも増え続けていくのかもしれません。
目まぐるしいほどの急激な発展に驚きを隠せませんが、最乗寺は最乗寺でこれまで通りに安穏な流れを大切にしていきたいと思っています。
女の人って、結婚する前とかは好きな人に会うとき、一生懸命お化粧して、綺麗な格好するけどさ。
結婚しちゃって、お互い年を重ねれば、お化粧もしないで、だらしない格好して、テレビの前でゴロゴロ寝っ転がったりするようになるもんですよね。
でも、たまに二人で良い所にお出掛けするときは、奥さんも気合い入れて、念入りにお化粧したり、着飾ったりしちゃうでしょ。
旦那さんも「お前、綺麗だね」なんて言ってみたりして、奥さんも「あらやだ、あなたもね」なんて返したりして、結婚前の気持ちを思い出したりなんかしてみたりしてね。
けど、帰りの車の中で旦那さんが、「今日楽しかったな」って助手席の奥さんに声を掛けてみると・・・。
奥さんは、服のシワも気にせずに、お化粧も崩れてボロボロの顔のまま、口をパカーって開けて寝てたりする。
さてさて、奥さんは何でそんなみっともない格好のまま寝ていられるか分かりますか?
それはね、旦那さんが車で家まで連れ帰ってくれると信じてるからですよ。
途中で道に捨ててったりしないって信じてるんですよ。
自分を旦那に任せきってるんです。
どんなにみっともない姿をしていても、旦那さんはそのままの自分を、家まで連れてってくれるってね。
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自分の力で救われようと修行しても、私の煩悩はなくなることはありません。
「自分はこれだけやったんだ」
「善いことをしたんだ」
普通の人間は、そんなふうに積み重ねていったものに満足してしまいます。
それは例えば、一生懸命自分を着飾ってお化粧するようなもので、ふとした拍子にボロボロに崩れ落ちてしまいます。
お浄土に往生するために、仏となるために、自分の力で何とかしよういう思いは捨てて、煩悩のまま、みっともない姿のまま、そのまんまの私を阿弥陀さまの大悲におまかせする。
どんな私であろうとも、このようにしか生きられなかった私を、決して見捨ず救いとってみせるという阿弥陀さまの願いに、そのまんまの私をおまかせする。
そして、そんなみっともない自分の姿に気づき、それでも救われてゆく道が開けていることが、どれほどのご勝縁であるかに気づかされたとき、私の元まで届いた阿弥陀さまの願いが「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私の口から溢れ出す。
それが、感謝の思いと共にある浄土真宗のお念仏です。
しかし、旦那さんは阿弥陀さまではないので要注意。
気を抜きすぎると、寝ているまま道に捨てられる可能性もなきにしもあらず。
結婚3年目にして、すでにみっともない姿を日々さらし続けていますが、全体重で寄りかかって、おまかせしていいのかどうか・・・。
まぁ、甘えすぎちゃダメってことでしょうねぇ・・・反省しましょう(笑)
さてさて、長ーい遊具とは・・・。
全長110メートルのローラーコースター。 (すべり台)
さすがに110メートルもあると、滑り出す場所もなかなかの高さです。
普通のすべり台と違い、オシリの当たる面がローラーになっていて、体の重みでローラーが回転することで滑ります。
では、レッツゴー!!
感想は・・・・・・・意外とすべりませんでした。(汗)
速くすべるにはコツがあるらしいのですが、子連れには難しく、推進力はほぼ腕の力という結果に。
でも、これはこれで楽しかったです。
他にも、サイクリングをしたり、乗馬をしたり、牛に近づいたり、ソフトクリームを食べたり。
とっても盛りだくさんに遊びましたが、風邪がなかなか完治しない龍くんを気遣い、実際の滞在時間は3時間ほど。
太陽が出ている暖かい頃合いを選んだので、過ごした時間は短かったですが、十分満喫できました。
この日は家族連れだけではなく、中学校のマラソン大会がされていたり、お散歩する夫婦がいたりと、幅広い年代が過ごしていました。
年老いても互いの手を取り合いながら、共に歩くお二人の姿が素敵です。
私も、その背中に続くような人生を歩めたらいいなぁ。
「酒が人間をダメにするんじゃない。
人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。」
落語家・立川談志師匠の言葉だそうです。
私は下戸ではありませんが、お酒はあまり嗜みません。
しかし、飲み屋で出されるおつまみは大好きなので、飲み会の出席率はとてもよかった私。
食べるばかりだったので、お酒にまつわる自身の失敗談は持ち合わせていないのですが、必然的に誰かの失敗談となる現場に居合わせる機会が多くありました。
「酒に呑まれる」とか「酒の勢い」とか、お酒のせいで人間がダメになっていく経過をよく目にしてきて、やっぱり人前で飲むのは止めようと反面教師にした人は数知れず・・・。
でも、それは本当にお酒のせいなのか?
飲む量を自制できなかった自分というものを、棚に上げてはいないだろうか?
きっと、お酒に限らず、なんにでも当てはまる言い訳なのでしょう。
政治のせい、経済のせい、お金のせい、人のせい・・・。
いつもいつも何かのせいにして、自分を隠してしまえるのは、自分がもともとダメだということの証。
お酒を飲みながら、その本質に気づける人は少ないのでしょうが、その少ない人たちの中心にいたのが、立川談志師匠だったのだと思います。
歯に衣着せぬ物言いに共感と反感を抱きながら、それが「酒の力を借りて」言った言葉ではないということが、何より好感を抱く要因でもありました。
師匠が年末の名人会で披露していた酒飲みの魚屋の噺「芝浜」。
ダメな人間だからこその落語は、人間の本質と向き合い続けた師匠だからこその味がある。
落語の動画を見ながら、「酒は諸悪の基」という自己弁護に走る自身を自制するためのお茶を片手に、そう感じた次第です。