昨日は新羽の善教寺さんにて、神奈川組仏教婦人会めぐみ会の研修会がありました。
そして、築地本願寺では、東京教区青年僧侶協議会の研修会もありました。
そんな中、私が向かったのは都筑区役所。
龍くんの3歳児健診です。
受付開始は正午。
健診開始は12時半で、受付終了は1時半。
以前は受付開始前に並んでいたのですが、回数を重ねてくると、受付を早くしても開始時間までの待ち時間も長いことに気づきます。
それならお昼寝させてから行ったほうがいいというわけで、会場に入ったのは受付終了間際で、97番目でした。
流れとしては、保健師さんの問診に始まり、身長・体重・頭囲の測定、内科健診、歯科検診で終了。 (あとは朝に採取した尿を提出)
問診までの待ち時間も30分程度で済み(作戦勝ち!)、結果も全くもって問題なしでした。
それにしても、都筑区は本当に子どもが多い区なんだなと、改めて思いました。
今回の健診は、都筑区で8月の15日~31日の間に生まれた3歳児が対象でした。
そして今日は、107人の子供が健診に訪れていました。
これだけでも十分多いと思いますが、他にもご両親の仕事の都合で来られなかった子供も大勢いることでしょう。
都筑区の平均年齢は30代です。
これは、幼い子供のいる若い世帯が多いということではありますが、同時に70代80代の高齢者も多いということでもあるそうです。
ニュータウンという土地柄、若い世帯が住みやすい街になってきました。
しかし、その影で住みにくいと思う方々も少なくないのかもしれません。
平均年齢が若い地域は、高齢化も一気に進むといいます。
まだまだ発展途上の港北ニュータウン。
その時、住みにくいと思わずにいられる街並みが完成しているかどうか・・・。
この地に骨を埋めることが決定している私を、蚊帳の外に置かずに考えなくちゃいけないんだなと、区役所という場所らしく、真面目なことを思ったりしました。
ちなみに昨日、区役所の真ん中で、万国旗に興奮していた子供が龍くんです(笑)
月曜日は神奈川祖の仏教壮年会の研修会が、弘明寺駅近くの善然寺さんにて行われました。
ご門徒さんと一緒に、住職・副住職も出席。
どうやら今回も、『歎異抄』の後序の講義だったようです。
さて、後序にはこんな文章があります。
「おほよそ聖教には、真実・権化ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にて候へ。かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせたまふまじく候ふ。」
(現代語訳)
およそ、聖教というものには、真実の教説を真実に導くための方便の教説が、混じり合っています。手だて方便の教えは捨てて、真実をとることこそ、親鸞聖人のおすすめになる本意です。用心して、決してお聖教を見誤らないでほしいのです。 (早島鏡正著『歎異抄を読む』より
この箇所を読むと、私は【月をさす指】という言葉を思い出します。
お釈迦さまは、悟りをひらかれた後、すぐにその悟りの内容を、人々に伝えることはしませんでした。
なぜなら、己の悟りをそのまま言葉にすることが不可能であり、言葉にすることによって生じる誤解を恐れ躊躇したと言われています。
言葉の虚構性と多様性。
言葉にすることにより、物事は概念化し固定化し、私達の分別・固執が生じてしまいます。
お釈迦さまは、言葉にすることで、己の悟りが人々の分別や固執に染まるであろうことも悟り、躊躇しました。
真理に到達するためには言葉を用いる他はないのに、言葉の先にある真理を忘れ、言葉にとらわれてしまう私たち。
実際は、悟りや真理を説明した言葉は言葉でしかなく、悟りや真理そのものではないにもかかわらず・・・。
言葉は【月をさす指】。
「月」という真理を知るために、その方向を示すために言葉という「指」がある。
なのに指ばかりを見ていては、月がその目に映ることはない。
指こそ真理だと思い込む。
重要なのは、仏教においては経典もまた真理を説明するための手段であり、真理そのものではなく、そこにある言葉に固執するものではないということです。
ここに、キリスト教の聖書との大きな違いがあります。
「言葉はすべて嘘」というわけではないけれど、「真理ではあり得ない」ということです。
同様に、方便もまた真実に到達するための手だてにすぎず、固執すべきものではありません。
お聖教を見誤らないためにも、まずは何が方便であるのかを見定めることが大切です。
それには僧侶である私自身が、見誤ることのない言葉でお伝えしていかなくてはならないのだと、講義の資料を読みながら思いました。
本堂の前に咲く芙蓉です。
7月から10月にかけて咲く花で、朝に咲いて夕方にはしぼむ一日花。
けれど、長期間に渡って、毎日次々と開花します。
学名はHibiscus mutabilis
Hibiscus=「ハイビスカス」というと、なんとなく南国な感じがしてきますが、芙蓉は中国では蓮の花を意味するので、イメージはがらりと変わりますね。(中国では芙蓉は木芙蓉になります)
ちなみに、mutabilis=「変化しやすい」という意味で、花の特性や、冬に地上に出ている部分が枯れ、春にまた新たな芽を出すという芙蓉の特性が表されています。
さて、芙蓉にまつわる、こんなお話があります。
その昔、中国の五代十国時代の後蜀の第二代君主であった後主・孟昶(もうちょう)は、政治改革を実行し、農業養蚕を推奨、科挙の実施などで国の安定をはかった一方、文学や芸術を好む一面も持っていました。
孟昶は芙蓉の花をとても愛でていたそうで、居城の周囲に巡らせた城壁40里(160km)に渡って芙蓉を植え、数千人の美女たちとその美しさと艶やかさを褒め称えたといいます。
そして、錦で飾られたかのような光景を前に、「これが真の錦城である」と言ったことから、養蚕が盛んだった蜀の成都は「錦城」とも呼ばれるようになったそうです。
随分スケールの大きなお話ですよね。
さすが中国と言いたいところですが、孟昶の前に付く「後主」というのがポイント。
後主とは、諡号や廟号を贈られなかった君主に対する便宜上の呼称の一つです。
孟昶には一応「恭孝」という諡号が贈られているのですが、後世の史家によって後主と称されるようになりました。
なぜかというと、賢帝も晩年には度を越えた贅沢に溺れ、後宮を拡張するなど、国政を省みなかった結果、他国に攻められ、国が滅亡してしまったからです。
芙蓉の花で囲まれた城も、砂上の楼閣のようなものだったのかもしれません。
もしかしたら傾城の魅力を持つ芙蓉。
その魅力で、お参りに来られる方を本堂へと導いてくれているのかも・・・。
龍くんが風邪をひいてしまいました。
『HUNTER×HUNTER』に出てくるコムギ並みに鼻水を垂らしています。(※マンガです)
夜には38度まで熱が上がりましたが、朝には平熱までダウン。
しかし、鼻水と咳は止まりません。
なのに本人は、風邪菌を撒き散らしながら、部屋中を元気に走り回っています。
その菌を体中に浴びたようで、私も喉が痛くなってきました(泣)
子どもから風邪を頂戴するのは、母親の宿命ですよね。
さてさて、そんなこんなで寺報が完成しました。
できた原稿を住職に確認してもらうと、
「なんか時間がなかったんだなってことが分かる感じ」
との感想をいただきました。
違うんです。時間はあったんです。
ただ、どんな文章を書いても、オチが浮かばずに苦しんでいたんです。
私にだって、スランプはあるんですよ、父上。
というわけで、できあがった寺報はさっそく封筒に入れられましたので、近々皆さまのお手元に届くことでしょう。
表紙にはイチョウのお話。
2面には10月の報恩講法要のお知らせと写真。
3面には仏教コラム。
背面には9月・10月・11月・12月の行事スケジュール。
などなど。
隅から隅まで読んでいただけたら嬉しいです。
急に冷え込んできました。
皆さまもどうか風邪を引かないようにお気をつけ下さい。
折れてしまった枝垂桜。
お彼岸のため、お参りに来られる方の邪魔にならないように、住職が夜のうちにチェーンソーで細い枝を裁断しておいたため、台風一過となった翌朝は随分とすっきりした状態になりました。
それでも、折れた部分は痛々しく、台風の猛威のほどが見て取れました。
午後には植木屋さんが来て下さり、雨が降りしきる中、折れた枝の部分を整えてくださいました。
ちょっと寂しくなってしまいましたが、日当たりがよくなった分、また天高く枝を伸ばしていってくれることでしょう。