魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

海女と魚

2013年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ブラジル戦を観るために、2時に寝て、3時50分の目覚ましで起きた。
予想通りの敗戦。開始3分で決められた瞬間、思わず、「上手い」と声が出て、目が覚めた。

終了後、目を血走らせて悔しがっていたザッケローニ。
どの選手も、完敗宣言をしていた。
「もう少しやれるかも」と、無責任に期待していた素人よりも、やはり、本気だったようだ。
そんなこんな、ぜんぶ含めて、負けても気持ちの良い試合だった。
スポーツ以外のうっとうしい要素がない、純粋なサッカーだ。

海外に出て、やれているように見える日本選手だが、ブラジル戦を観て、レベルの違いというものが、良く分かったような気がした。
日本選手が海外で活躍できるのも、水準の高い環境の中にいるからだ。

香川がパスを出すと、そこに誰もいなかった。そこだけ観ていると、何やっているんだ香川は・・・そう見える。長友や本田、日本チームには、そんなシーンが幾つかあった。

ブラジルのような、超一流の試合運びになると、日本人の一流レベルの選手も、「いつもの」タイミングで反応し始める。
しかし、他のメンバーはいつものチームメイトではない。
全体の流れの中で、一々、アイコンタクトを取らなくても、当然、そこにいるはず・・・が、いない

野球でも、チームレベルが低いと投手が強くなるように、抜きん出た選手が生まれるかも知れないが、チームの強さは、やはり全体、この場合、サッカー文化の厚さだ。
「個の強さ」は、確かにそうだが、それを言っている内は、まだ文化が薄いと言うことだろう。

個の強さもさることながら、日本チームがようやくベテランになった海女なら、ブラジルの選手はサッカー文化の水を泳ぐ魚だ。
文字通り、息をするようにサッカーをしている。

後半、ネイマールやフッキを早々と引っ込めるブラジルに、日本チームのレベルを告げられたようで、何とも切ない思いがした。
試合が終わると、外は既に明るくなっていた。