「ひょうきん者」が末っ子の生きる術だ。
方法論や持論を主張するより、敵を作らないことが、はるかに得すると悟っている。
それは、兄姉によって、どうしようもない力関係を学んでいるからだ。
勝てない相手には気に入られて、ついでに相手の力も利用する方が賢明であり、自分もそうするのだから、他の人もそうしているのだろうし、そうあるべきだと考える。
その結果、相手を笑わせ和ませるのが最良の策となり、「ひょうきん」を身につけ、同時に、力関係、上下関係に従うことが人間に最も大切なことだと信じるようになる。
お笑い界が異常なほど上下関係にうるさいのは、「ひょうきん者」の社会だからだ。
お笑いは、社会風刺はするが社会建設をするわけではない。
長子的な原理主義で、あれこれうるさい方法論を熱弁していると、
「いやーあ、この話になると鼻の穴が倍ふくらみますなあ。鼻くそ大丈夫ですか」などと茶々を入れたり、
「そうだ、その通り!お前もよう聴いとけ」などと、真剣さを薄めてしまう。
確かに場は和むが、真面目な議論や創造はそこで終わる。
弟妹型は、ガチンコの議論より、場の主導権を握ることで、自分自身の売り込みや「利得」に切り替える。
お笑い芸人の政治家
人気投票のような政治制度では、お笑い芸人が政治家になるのは極めて簡単だ。多くの人が、面白くもない話より、目先の「なごみ」を求めるからだ。
しかし、お笑い芸人にまともな政治ができないのは過去が証明している。多くの場合、最後まで人気はあるが、辞めた後にはとんでもない荒野が残っている。人気取りだけで、建設がなかったからだ。
議員など、大勢の中の一人なら良いが、首長の場合、大阪のノック、東京の青島のように、はっきり結果が出る。
今人気の宮崎も冷静に考えれば、CMタレントとして以外、中身は何もない。悪いことをするよりはましだという、究極の選択の結果だ。
芸人でなくとも、弟妹型の小泉純一郎は、いまだに人気があるが、今頃になって国民は、何が行われていたのか、ようやく気づき始めている。
歴史的に、人気先行の政治家で良い政治が行われたことはない。
むしろ、目立たなくとも信頼と尊敬を集める政治家こそが善政のあかしで、支持率や人気に左右されるような政治システムは本来、間違っているのかも知れない。
「カエルの王様」では、神様が最初にくれた丸太の王様に不満を言ったカエル達が、美しい鷺の王様に全部食べられてしまう。
おそらく、良い政治家とは、昼行灯で、いざという時に、先頭に躍り出る大石内蔵助のような型だろう。ちなみに、大石は長男だ。
亀田「四」兄弟
亀田一家も兄弟関係の典型だ。
都合悪いと黙っている中間児の大毅と、日頃は、たいそうな末っ子型の親父が、責任をとれなくなると、長男の興毅が親父に代わって責任を買って出た。
親子が逆であっても、長子と弟妹の関係が表れた例としておもしろい。