老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

毎日新聞労組主催「特捜捜査と検察報道を考える」集い・参加報告

2010-12-19 22:01:15 | マスコミ報道
先に紹介した首記イベント(12月17日開催)に参加しました。

資料によれば、この「つどい」は『毎日新聞社が1977年、経営の悪化で旧社・新社が分離した際、資本の論理から編集権を守るために編集の独立や記者の良心を定めた「編集綱領」を制定。その精神を継承し、ジャーナリズムのあり方、役割について読者と共に考えていきたいと願って、1987年から今日まで毎年、毎日新聞労組主催で開いている』とのことです。

今回の話は、「村木事件」「検察報道」「小沢事件」という3つのテーマで展開。
まずは各パネラーが「村木事件」に関連して;
「通常、検察はネタをストックし、『続報』で悪のイメージを膨らます。また、被疑者の周りを落として、被疑者を追い詰めていく。全面可視化により、こうして作られる冤罪は防げるようになるだろう。」(魚住昭氏・ノンフィクション作家)
「「特捜は『特捜らしい事件をやりたい』というプレッシャが強くて、無理筋でも立件しようとしてしまう。」(江川紹子氏・ジャーナリスト)
「検察は組織の中で自己完結することが至上命題となっていて、捜査内容と結論とに矛盾があっても検証できない。」(郷原信郎氏・名城大教授、弁護士)
と、特捜の持つ体質的な問題を指摘。

次に、検察報道については;
「特捜と、マスコミのひとりよがりの正義感がシンクロして、人権感覚が麻痺してしまう。」「記者は検察から日常的にネタをもらうことから、検察に跪く関係となって、おかしいことをおかしいと報じられなくなっている。」(魚住氏)
「村木さん逮捕の直前に菅家さんの無罪判決があったのに、そこから何も教訓を得ていない報道ぶりだった」「日頃記者会見の場でも、記者は検察の発表に対し質問をしようとしない。」(江川氏)
「検察が描いたシナリオどおり報道すれば、(新聞トップを飾れるなど、)良いことがあるために、『根本に問題がある』と思ってもそうは書かない。」「村木事件の場合、大阪地検はおかしなことになっていると早い段階で明らかになって、ネットなどで世間は知っていたのに、新聞はほとんど報道しなかった。」(郷原氏)
と批判。

これに対し、記者サイドから「村木さん報道では、最初から検察の見立てはおかしいと直感し村木さんを取材、逮捕当日に検察発表と同じ大きさで村木さんサイドの言い分を掲載した。その後も何度か捜査の矛盾を載せてきたが、それは社内的なバトル・困難を乗り越えてのことだった。」「バッジ(=国会議員)、さんずい(=汚職)は、紙面を飾る大きな事件として位置づけられているので、どうしてもネタ元である特捜部に依存してしまう。『おかしい』という素朴な疑問も『隠し玉があるのではないか』という心理が働いて、紙面で言うには勇気が必要。」(玉木達也氏・大阪本社社会部司法キャップ)
との自省を含めたコメントがありました。

「小沢事件」については、時間が押して充分な議論になりませんでしたが;
「検察の政治性が露骨に出てきた事件。『まんじゅうの皮と餡』の餡の部分はシロとなり、他に何かあるはずだと思わせながら何もなかった。これで起訴は常識的に有り得ない。」「マスコミは、検察の情報どっぷりで、かつ『検察』対『金権腐敗』という物語で視点が固定化されてしまっている。検察に病巣があるかもしれないと考える多様な見方が必要。」(魚住氏)
「『どうせゼネコンはどこかで金を盛っている、多少時期がずれてもなんとかなる』と平気で語られるほど検察は劣化している。」「司法クラブが検察の『従軍記者』であることは必ずしも悪いことではないが、問題はOBや遊軍などを含め、全体が検察と一体となることにある。他の立場から客観的におかしいことはおかしいと発信することで、検察の発表とバランスをとることが大事。」(郷原氏)
などの意見が出ました。

それに対し、観客席にいた社会部東京キャップの木戸哲記者から、
「社内でも『小沢事件は無理がある』という意識は出てきている。ただ被告側の反論を書きたくて弁護側に取材しても、「公判で出す」と言って語ってもらえないという問題もある。しかしそれでも記事は変わってきている。問題点を指摘いただくのは当然だが、『良い記事』があった時には応援していただけるとありがたい」との飛び入りコメントが出されました。

今回のゲスト・パネラーは、最近の検察報道に対し厳しい批判を繰り広げている人ばかりで、こうした講師を招くこと自体、新聞社としてなかなか勇気のいることだっただろうと、まずはそのことを評価したいと思いました。

そして、マスコミへの不信感が膨らむばかりの昨今ですが、ジャーナリズムの原点に立ち戻り、良心に従って発信していきたいと日々苦闘している記者さんたちも居ることを再認識し、そういう記事を見分け、評価・応援することで、私たち自身がマスメディアを育てていくことも大事なのではないか、との感想を持ちました。

>●毎日新聞社編集綱領制定記念のつどい
>  「特捜捜査と検察報道を考える」
>・日時 12月17日 17:30開場 18:00~20:30
>・パネリスト 魚住昭+江川紹子+郷原信郎+玉木達也(毎日新聞記者)
>主催: 毎日新聞労働組合/ジャーナリズムを語る会

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子

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2 コメント

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それでも毎日は、他のメディアと同じ・・・ (kappa)
2010-12-24 19:44:05
私はメディアのずるさをよく理解しています。
ようは、
私たちはこんな風に考えている。真実はここにあるのじゃないか?・・・という記事をまったく外れたところに小さく書く。
一面ではセンセーショナルに、大衆を扇動する。

これは金を払って購読する読者に対する・・・裏切りでもあり、また、ガス抜きでもあるが、大衆を扇動するということでは悪魔の姿でもある。

毎日の内部でいかに戦おうが、紙面にそれは出てこない。

マスメディアの実態はそんなもの。

テレビはもっと酷い。
kappaさま (笹井明子)
2010-12-25 11:23:02
始めまして。TB、コメント有難うございます。

 おっしゃるように、毎日を含め今の新聞報道は「大本営発表」を基本としているし、編集や論説など経営に近ければ近いほど既存の殻を破ろうとしていない、とは私も日頃から感じています。
 今回の「つどい」によって毎日新聞自体を擁護する気になったわけでは全くありませんが、現場の記者には、まだまだまっとうな報道精神が燃えてる人もいる、こういう記者さんたちが頑張れるよう、そしてまっとうな記事がもっと前面に出るように応援したい、そうすることは、遠回りでも今の酷い政治・社会状況を変えるひとつの大事なステップではないか、と思った次第です。ナイーブ過ぎますでしょうか?

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