老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

シンゾーと不愉快な仲間達

2020-11-30 10:54:51 | 自民党政治
今年2020年はコロナで明けてコロナで終わりそうな一年である。

マスク、手洗い、3密回避。国民はコロナの第一波が来て感染者数が増えた頃からとっくにやっている。「国民の気が緩んでいる」「油断しないで、気を緩めるな」。いや、国民はマスクも付けて、自粛もステイホームも健気な程やっている。

その次は「夜の町接待を伴う」深夜営業の店を狙い打ち。自粛警察なるものも現れて、時代が一気に70年以上前に戻ってしまったかのよう。

国会の先生方の気は緩みっぱなし。役にも立たぬ「アベノマスク」を国民に配って260億円もの税金を使い散らし、汚れや虫などが付着していた物も多数あって、回収したり、正体不明な企業が間に入っていたり、戦後最低の疑惑マスクだった。

モリ、カケ、桜は知らぬ存ぜぬ、赤木さんの自死にも再調査なし。

8月に安倍総理突然の辞任。主治医の記者会見もなく不思議な辞任会見だった。更に3か月も経たない内に「素晴らしい特効薬が効いた」そうでヒョコヒョコあっちこっちで会食三昧。オリンピックの名誉何とか会員にも推薦され、元気そう。

密かに3度目の自民党総裁=総理大臣の座を狙っているのではないか?という噂もちらほら。と思っていたら、安倍前総理の秘書が桜の件で事情聴取された。

今回は検察も「秘書が秘書が」という言い訳を許さず、安倍議員をしっかり調べて欲しい。「まさか事情聴取までされたら、いくらなんでも総裁にはなれないだろう」という人がいるが、相手はターミネーターシンゾー。手足を切られても又ウイーンと伸びて復活するだろう。ターミネーターという映画で、悪の手先のロボットが手足を破壊されても液体化した手足がウイーンと伸びて復活したように。

菅総理も、安倍政権の悪政をしっかり継承して、国会では野党に質問されてモゴモゴ。下手に学術会議6名の任命拒否をしたから、その発言は矛盾だらけ。どこぞの誰かに指示されたのか、それとも「目障りな学術会議にガツンと一発くらわせて、総理である俺の力を見せてやる」と手を突っこんだのか。酷く面倒な事になり、今更上げた拳を下げる訳にもいかず、さぞ手が重怠くなっている事だろう。

為政者が何の対策もしないどころか、少ない検査数と愚策なGoToキャンペーンに後押しされて、コロナの陽性者数は毎日凄まじい勢いで更新し続けている。

ターミネーターシンゾーと不愉快な仲間達にとっては、そんな事知っちゃいない、私達の命とくらしは彼等にとっては枯れ葉一枚の重さもないのだろう。

しかし枯れ葉も集まれば何10トンという重さになる。ツイッターデモという手もある。

ぜひ、次の国政選挙で自公とシンゾーの不愉快な仲間達を政権の座から引きずり降ろしましょうよ。そのためには投票日、危険な棄権は止めましょう。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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「もうひとつの日米戦後史」を読む

2020-11-27 20:37:41 | アメリカ
オリバー・ストーン監督と鳩山友紀夫 他2名が本年4月に出版した表題の著書が、従来の「日米戦後史」を大幅に書き換える内容になっており、4人の対談集という本のスタイルであるが、筆者にとって衝撃的だったので、以下内容を「紹介」する。

本書の章立ては第1章から第4章となっており、章ごとに「見出し」を先に述べると、

歳1章は「原爆投下から始まったアメリカ欺瞞大国化の歴史」
後述するが、もし原爆投下のゴーサインを出した大統領がハリー・トルーマンでなかったならば、日本への「原爆投下」はなかった可能性が大であるという。

第2章は「第2次大戦、冷戦…刷り込まれたアメリカの正義」
第2章では、最初の見出しが「大統領でも総理大臣でもない何者かが国を動かしている」となっており、その「何者か」を歴史の闇の中から表に引きずり出すという謂わば、裏技を使ったような衝撃的な展開になっている。対談者は鳩山友紀夫氏と木村朗氏(鹿児島大の教授)である。

先取りして、言ってしまえば、次のような結論になる。
現在アメリカ大統領選挙があったばかりで、次期大統領はバイデン氏、77歳である。しかし、この大統領も、就任次第直ちに「闇の政府」というべき存在によってコントロールされる。つまり、軍産複合体の影の黒幕によって、アメリカの軍事政策に口を出すことは出来ず、軍事政策の転換などは、たとえ大統領であったとしも、完全に不可能だと言うのである。

オバマ大統領がそのいい見本例であり、オバマ政権の時、彼は当初の予想に反して、「軍産複合体」に飲み込まれてしまったという。オバマ氏は広島の慰霊祭に参加したが、その「演説」もトーンダウンが著しいものになっていた。彼に「原爆投下」への「謝罪の言葉」は一切なかったことによく示されている。

大統領であっても、闇の勢力である「影の政府」(ストーン監督はディープ・ステイトと表現している)によって操られている状態は、日本も同じだと言う。日本の「首相も」アメリカの影の政府によって決められているか、就任直後に完全にコントロールされていると言う。

鳩山友紀夫氏は、総理大臣の時、米軍基地の沖縄辺野古への移設に反対の意思であり、国外に基地を移設して欲しい旨を伝えると、アメリカは拒否してきた。そこで今度は、沖縄でも辺野古以外にしてほしいと伝えると(周知のように)首相の座を奪われたという。(これは「影の政府」の仕業だったと鳩山元首相は発言している。)

第3章は「『対米追従』によって隠された日本現代史の真実」となっており、この章も鳩山氏と木村朗教授の対談である。対談の冒頭のみ引用すると、次のように述べている。

見出しは「二面性こそがアメリカという国の本質」となっているが、木村朗氏は、「オリバー監督とカズニック教授(注;アメリカン大学の歴史学教授)に、私はお尋ねしました。アメリカの良心の象徴が憲法9条の精神であり、逆にアメリカの狂気の象徴が原爆投下だったと言えるのではないかと彼らに聞きました。」前者に関してはその通りであるとされて、後者に関しては、カズニック先生は、「アメリカの狂気ととらえるよりも、明確な戦争犯罪としてとらえるべきだ」と指摘された。

第4章では「他国への干渉をつづける『アメリカ例外主義』の時代」となっている。
「アメリカ例外主義」という言葉はオリバー・ストーン監督が他の著書で言及している言葉であるが、「アメリカは他の国々と異なり、私利私欲のためではなく、ひたすら自由と独立の実現を願って人類のために自己犠牲を払っている、だからアメリカは他国と根本的に異なるのだ」という神話が出来上がっていると説明している。

こういう信念は広島、長崎の廃墟やベトナムのジャングルに埋められたと思っている人は多いが、「近年になって再浮上し、歴史を歪めようとする右派の主張の中心に据えられている」(「オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史」所収)ということである。

以上、本書を概観してきたが、最後に第1章のみ要点(ポイント)を絞って、述べる。

第1章では、歴史に「もしも」という仮定の話は定説では「しない」というが、本書によれば、そうではないとする。そして、その理由はこうである。

「原爆投下」の正当性をずっとアメリカ政府が言い続けている。そして、最近になってようやく締結された「核兵器禁止条約」に批准しないばかりか、この条約に批准しようとした国々に「批准はするな」と妨害したアメリカ政府の現状(つまり「核戦略」と「核の抑止力」を今後も強調する立場である)を見れば、「あの時、もしもハリー・トルーマンが大統領ではなく、ルーズベルト大統領の副大統領だったヘンリー・ウォレスが仮定的に「大統領」に選出されていたら、彼の思想や、信条であれば、日本がなんとか終戦工作をソ連などを通じて表明し、ポツダム宣言に「国体の存続」が明記されていたならば、宣言を直ちに「受諾」していた情勢にあり、しかも、日本にはもう戦意が失われていた客観的事情であった戦況を見れば、「原爆投下」の決断はなかった可能性はかなり大きいという。

しかし、すでに「軍産複合体は形成され、(マンハッタン計画は成功裡に完成されていたなど)「影の政府」はもう存在していて、ヘンリー・ウォレスは遠ざけられて、受け身的な「操りやすい」性格のハリー・トルーマンが「例外のように」(ルーズベルトはトルーマンになるとは全く思っていなかったという)浮上してきて、大統領に「なった」という。

そして、「原爆投下」以後、トルーマンは「冷戦構造をあえて」作り出したという。従来の見解では、ソ連とアメリカが覇権を競う「国際紛争」の「対立構造」とされているが、この通説は完全な誤解であると言う。

大体、「第二次世界大戦」に勝利したのは2700万人にの犠牲者を出したソ連であり、ドイツを打ち負かしたのは、アメリカではないという。(Dデイ、ノルマンディー上陸作戦はソ連の勝利後の演出にすぎない)

最後に、「ケネディ暗殺」の謎に本書はかなりの紙面を割いている。オリバー・ストーン監督も描き出したように(映画「J.F.K」)ケネディ暗殺の犯人はオズワルドとなっているが、彼こそ、「スケープゴート」に他ならず、オープンカーの大統領は4発も銃弾を浴びている。4人が発砲している証拠であり、オリバー・ストーンはケネディ暗殺の主犯;黒幕は「影の政府」の仕業だという。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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暗いファッシズム政権の行方 (2)

2020-11-20 15:50:56 | 菅政権

2、所信表明演説の背後に隠されている黒い狙い(新自由主義的排除型社会の構築)

🔶日本を滅亡させる不健全な株価操作

先日朝日新聞の調査報道で株式市場の恐るべき実態が明らかになった。
※公的マネーが大株主 8割 東証1部 4年で倍増、1830社に GPIF・日銀 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/758.html

以前にも指摘したが、7年半にわたる安倍政権の経済政策(アベノミクス)の検証とアベノミクスの大転換なくして、日本経済の復興はない。

同志社大学の浜教授などが「アホノミクス」と酷評した経済政策によって現在の日本の株価がどうなっているかをこの記事は明らかにしている。それによれば、東証一部上場の大手企業株の8割を公的マネーが所有しているそうだ。
※公的マネー⇒国民年金基金と日銀のETF

11月8日、ジョー・バイデンが米大統領に当確したというニュースが流れるや、日本の株式がバブル以来の高値を付けたそうだ。

コロナ下の経済状況を考えれば、株価がバブル以来の高値を付ける条件はない。しかし、株価だけはこの不況下でも上がり続けている。米国も同様。もはや、株式市場がその国の経済状況を判断する指標ではない、という実態がこれ一事でも良く分かる。株式市場は実体経済とは無縁のマネーゲームの戦場であり、現在の株高は如何に株式が操作されているかを如実に示している。

アベノミクスとは、要するにこの株高操作につきる。国民の財産である年金と中央銀行の日銀が、財閥中心の大手企業の株を買い占め、異様な株高を演出している。完全な経済的手品と言って良い。

さらに罪深いのは、この実体経済と無縁の株高操作は、金持ち優遇策の最たるものだ、と言う事である。

企業株式の8割を年金基金と日銀のETFで買い支え、企業業績とかけ離れた株式相場を維持するということは、日本経済の上げ底化であり、国民に日本経済の本当の姿を隠すことになる。

さらにいえば、日本の企業株式を所有している株主(金持ち)は、濡れ手に粟で自らの資産を増やすことができる。

それだけではない。株高になると各企業は役員に特別手当を払う所が多いそうだ。企業経営者の経営努力によって企業業績を上げ、株高になる。そういう経営者に特別手当を払うのなら、納得がいく。

しかし、アベノミクス下の株高はそうではない。株高の要因は、日銀のETFや年金からの投資。それでいて、役員の懐に数億円が黙って転がり込む。文字通り濡れ手に粟。当然、そのおこぼれは大株主にも配当されるという仕組み。

企業実績なしの空中楼閣の株高とその株高に胡坐をかいた企業経営者たちの太った豚どもが、日本沈没に歯止めをかけられるわけがない。その空中楼閣を国民の年金と日銀資金で支えるのだから、損する危険なしの博打を打っているようなもの。人間こんな方法でお金が稼げれば、血を吐く思いで企業革新に取り組もうなどという【エネルギー】は生まれなくなる。

カルロス・ゴーンの強欲ぶりを非難する連中は多いが、それでもカルロス・ゴーンは日産を立て直した実績がある。濡れ手に粟で、億万長者になっている日本経営者の悪党どもとどちらが非難されるべきか。誰にでも分かる理屈である。

🔶露骨なメディア支配

安倍前首相退陣前後からTVの変わりようが激しい。

(1) TV局の編成が大幅に変わった。⇒最大の変更点は、コロナ報道が激減。コロナ問題を主導的にリードした感染症学者、医者などがほとんど姿を消した。(代表者が岡田教授 ※最近、コロナ第三波の拡大により、出演しはじめた)

(2) コメンテーターの顔ぶれに変化⇒多くの局に、橋下徹が出演。彼の異常な出方を見れば、背後にかなり力のある何かが蠢いていると想像できる。(※大阪都構想の背後に、電通とパソナに代表される大企業の目論みがある。維新はその代弁者だと考えてよい)

(3) 内閣支持率などの上げ底が露骨。菅内閣の支持率など酷すぎる。ある人が指摘していたが、ネット上の菅内閣の支持率は0.6%だそうだ。標本数5,000。まあ、ネットでの支持率もある種のバイアスがかかっている場合も多いので、そのまま鵜呑みにはできないが、TVや新聞の支持率60%超えなどは信じられる数字ではない。
⇒ここから言えることは、大衆操作が大っぴらに行われ始めた、と言う事である。いままでなら、多少遠慮気味に行われていた大衆操作(プロパガンダ)が白昼公然と行われ始めたと言う事である。

(4) TV局のプロパガンダ(スピン報道)⇒現在のTV報道を見れば一目瞭然。米国大統領選一色。誰も投票権もないのに朝から晩までよく飽きないものだ。属国が宗主国の大統領選に一喜一憂しているようなものである。

もう一つは、芸能人やスポーツ選手の不祥事を延々と報道する。芸能人が交通事故を起こし、逃げたからといって、執拗に報道する価値があるのか。要するに、大衆の目を他の出来事に引き付けるのが目的。

日本国内の出来事の方がはるかに国民にとって重要。それを何一つ報道しないようにするのがTV局の仕事。典型的【愚民化】報道である。

このように、大手メディアが電通と日本会議などの支配(バックに米支配の影)を隠さなくなりはじめているのが現在の状況。(橋下徹の露出の多さが象徴)

このメディアの後押しを受けて、70%超の上げ底支持率で順風満帆の船出をしたかに見えた菅内閣だが、好事魔多し。日本学術会議の任命拒否問題で「衣の下の鎧」を見せた。この問題で、あっという間に、菅義偉と言う人物の底が割れてしまった。「パンケーキ好きの気の良いおじさん」から「逆らったら何をされるか分からない」という底知れない恐怖を伴った不気味な権力者の顔へと変貌した。

下の記事を読めば、辺見庸が語る「特高顔の恐怖」の意味が分かる。
※菅首相に抵抗し飛ばされた元総務官僚・平嶋彰英がジブリの雑誌で青木理に語った恐怖支配の実態!「あそこまでひどい人はいない」
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_11345/

さらに、初めて国会答弁に臨んだ菅首相は、文字通り「スカスカ」の中身を露呈した。一問一答の論理的に詰めた議論には耐えられない、というお粗末さ。わたしもTVを見ていたが、「支離滅裂」の一言。これが日本の総理だと思うと恥ずかしく情けない。

では彼の目指している社会は何か。というより、彼を担いでいる黒幕たちの狙いは何か。

かって、自民党の派閥闘争が盛んだった時代、「担ぐ神輿は軽くて、パーが良い」というのがあった。要するに、担ぐ人間(黒幕)たちの狙いを唯々諾々と聞いてくれる人間ほど良い。生半可に自分を持っていて、正義感を振り回したり、依怙地なほど自分の信念に忠実な人間は、担ぐのに面倒だ、という意味。

その意味では、菅首相は、かなりやりやすいのではないか。理由は明快。自前の派閥は持っていない。自らの哲学に基づいた強い理想や信念はない。論理的整合性にこだわらない。(※別の言葉で言うと、実務型。さらに言えば、空気を読むことに長けている。⇒こういう人間ほど権力に固執する。権力行使に酔いしれる傾向がある)

これがTV報道の変化の大きな理由だと考える。メディアを使い、虚像を振りまき、スピン報道を多用して、国内政治の問題点を覆い隠す。権力を振るい、他者を支配するのが大好きな首相の感性を満足させるため、これから以降も次々と強権的ファッショ的政策を打ち出すに違いない。菅首相を支える黒幕たちの野望は広がるばかりだろう。(※竹中平蔵ののさばり方を見れば、この先の日本の運命が見える)

🔶新自由主義的排除型社会

辺見康が指摘するように、彼や彼らの目指している社会の形は、英国の社会学者ジャック・ヤング氏がいう【排除型社会】に近いと思われる。(毎日新聞)

【排除型社会】の対極に位置するのが、【包摂社会】。

20世紀後半、先進各国で起きた社会的変容は、農村共同体的社会の絆が急速にほどけた時代である。日本で言うならば、日本各地に工業地域が生まれ、農村から都市への急速な人口移動が起きた。この社会の変化は、当然ながら個人主義と社会的平等意識の高まりを生み出した。その背景にあるのが、市場経済の浸透であり、それに伴う社会生活の変容と国民意識の変化だった。

それに伴い、過去の安定的で同質な【包摂型社会】も変化せざるを得なくなった。日本で言うならば、農村共同体的生活や意識が崩壊し、地縁・血縁社会から、社縁社会へと変貌を遂げ始めた。それと同時に個人主義的発想が高まり、社会的平等意識も大きくなった。

しかし、市場の力が大きくなるにつれ、社会の内部にすこしずつ【差異】が目立ち始めた。政治や公共生活、職場、教室、家族などにじょじょにゆっくりそれでいて確実に浸透し始めた。

過去の安定的で同質な社会(包摂社会)⇒変動と分断を推し進める(排除型社会)へとの変質が始まったのである。

▼【排除進行の三局面】
(1) 労働市場からの経済的排除
(2) 市民社会で進行している【社会的排除】
(3) 刑事司法制度と個人プライバシー保護の両極で広がっている【排除的活動】

ここでは詳細に論じる事はできないが、20世紀後半から始まった【構造変動】はいまだに続いており、世界各国でその功罪が問題になり始めている。

日本でも顕著になったが、正規雇用の労働市場も、非正規雇用の労働市場も根底から変容した。女性の雇用形態も劇的に変化。経済構造に根ざす失業者が大量に生みだされた。コロナ下の現在、その変化がより顕著に目立ち始めている。農村型コミュニティーは崩壊し、多様な文化を包含するコミュニティーが生まれた。

個人主義が社会の隅々まで浸透し、社会のあらゆる領域で制度化され始めた。社会に残存している【包摂型社会】の歴史的制度が、個人主義を背景にした制度へと変更され始めた。

一例を挙げれば、保育所に集まる子供の声がうるさいといって保育所建設に反対する住民がいる。児童相談所を建設すると、周辺の地価が下がると猛反対する連中もいる。子供の泣き声がうるさいと怒鳴り散らす大人もいる。子供は社会の宝と考え、子供の施設は多少迷惑でも受け入れるという考え方が主流だった【包摂型社会】では、考えられない人々の出現である。

このような形での構造的な社会的・文化的変容が深く進行し、その変容が、反社会的行為や犯罪行為に深く結びついているのが現代社会。その為、現代社会は、現に存在している行動規範や基準を巡る論争を余儀なくされる。(
隣人トラブル、ゴミ屋敷など)

▼ 存在論的不安の時代
その意味で、現代社会を【生きる】と言う事は、加速度的に【困難】さが増している。わたしたちの生活は、かってのように「こうしておけば大丈夫」という生活上の安心感は消え失せている。

終身雇用が普通であった時代に比べて、仕事や人間関係が希薄になり、日常生活を営むこと自体が【恐怖】と【不安】に晒されている。(オレオレ詐欺や詐欺的商法の横行。中には家に押し込んでの強盗・尊属殺人の増加)

しかも、非正規雇用の常態化。年金の目減り。介護の不安などなど。物質的・金銭的不安と同時に、生きていること自体が【不安】であるという【存在論的不安】の時代に住んでいる。

🔶現代社会の差異の拡大⇒排除型社会の拡大

しかも、わたしたちの社会が抱え込んでいる【差異】は年々広がるばかり。規則の変容は年中行事。自分の属している集団の規則も複雑になるばかり。(例;電話料金や電気料金など。)だから、これらの規則の意味を論じているTVメディアへの依存度は高まるばかり。メディアで論じられる規範(浮気の功罪など)など、過去どの時代もこれほど細密に論じられた事はない。

現在の社会は、過去のどの時代よりも、【世間様にお詫びをする】という日本独自の風習が幅を利かせている時代。TVワイドショウーの報道の餌食になった政治家・経営者・スポーツ選手・芸能人などの「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げる姿こそ、日本社会の後進性の証明だという認識すらない。日本には、個人の自立を前提にし近代の『社会』という概念がないと言っても良い。

この姿こそ、いわゆる【排除型社会】の一つの典型。本来、芸能人の浮気など誰の迷惑でもない。芸能人の家族と浮気相手の間で解決すればよい。文字通り、個人の問題。しかし、現在は浮気がばれると、芸能の仕事から排除される。CMに出ていたら、イメージを毀損したとして損害賠償を請求される。

昔、「嵐 寛寿郎」という役者がいた。東映時代劇のスターで、「鞍馬天狗」が最大の当たり役だった。彼は他の大御所(片岡千恵蔵、市川歌右衛門など)が悠々自適の老後を送っているのに、最後まで映画に出続けた。理由は単純明快。女性関係が派手だった寛寿郎は、別れた女性(かなりの数)に、別れる度に、全財産を与え、身一つで家を出ていた。それが嵐寛寿郎の美学。彼は女性と別れた後は、無一文。だから、稼がねばならなかった。

わたしがその理由を知ったのは、彼の死後、嵐寛寿郎の評伝を読んだ時だった。撮影所では知らない人がいないくらい有名な話。それでも報道されなかった。

わたしから言わせれば、それで十分。彼の女性遍歴が何であれ、彼の映画人としての評価に何の影響もない。嵐寛寿郎が生きていた時代に比べれば、現代の役者たちはなんと不自由な時代に生きているのかと思う。【排除型社会】の生きにくさが良く分かる。

先日、坂上忍の番組で、西田敏行が委員長をしている日本俳優組合のアンケート調査が紹介されていた。その中で、仕事で悩み自殺を考えた俳優が3割強もいるそうだ。そう言えば、今年に入って、三浦春馬など数人の俳優の自殺が報道されていた。

何度か以前に指摘したが、最近のTV報道は、政治などで政府が批判される問題が浮上するたびに、俳優・スポーツ選手などの有名人のスキャンダル報道を執拗に行い、政治面などの重要な問題をスルーさせる(忘れさせる)いわゆるスピン報道が増えている。その為、彼らのほんの些細な問題を必要以上に執拗に追及し、無理やり謝罪に追い込む傾向がある。これが些細な【差異】を必要以上に大きく浮上させ、社会的【排除】を正当化させている。

自殺した俳優たちの理由は良く分からないが、いつ『社会的排除』の憂き目に遭うかもわからないという場で生きることの【困難】さは、想像を絶する精神的負荷がかかっているのだろう。

🔶排除型社会への対処が「排除」をさらに進行させる

【差異】の拡大と生きる事の【困難】さの増幅は、明らかに都市型社会の特徴であろう。

◎微温的生き方
このような社会を生き抜くためには、わたしたちは、きわめて用心深く、計算高く、世故長けて生きなければならない。できるだけ【困難】な問題は回避し、異質な人々との距離を取るのは常識。他者との関係は、自らの安全を脅かされない限りで行う。この種の用心こそ現代社会を生き抜くための常識と言って良い。

◎しかし、こういう社会では、上記のような微温的生き方(忖度こそ最大の美徳)に満足できない人の存在も無視できなくなる。どうしても、自らの正義(自分自身が道徳的に正しいと確信している)を主張しなければ我慢できない人も出てくる。それは以下のような形で進行する。

道徳主義的主張の過激化⇒他者の否定⇒排除型社会の拡大
物質的に不安定・存在論的不安⇒自分の感情を他者に投影(苛立ちをぶつける)⇒
▼正統化のため、過剰に道徳主義的になる。⇒非難の応酬 (自粛警察的行為)
  ↓
生活保護受給者・シングルマザー・高齢者・ホームレス・アンダークラス・黒人・麻薬常習者など弱い立場にある人々が、非難を浴びせられ、悪魔のように忌み嫌われるようになる。(日本もアメリカも同じ)
コロナ下のエッセンシャル・ワーカー(看護師など)への差別。

わたしの県では、罹患したある女性の家族は、地域から転出(周囲の陰口、陰湿な差別)。罹患した女性は自殺(職場でのいじめと言われている)のような悲劇が生まれている。おそらく、他府県でもあるだろう。第一波の時、東京で見られたような自粛警察の暴走。(戦前の隣組を彷彿とさせる)

ここで見られるのは、些細な【差異】を修復不可能な【差異】として排除する思想。これが社会的に定着すると、典型的な【差別社会】になる。オーウェルの「1984」の世界までの距離はほんのひと飛びである。

🔶菅内閣と黒幕たちの目指す社会

菅内閣の目指す社会は、この【排除型社会】のさらなる拡大に他ならない。

以前、わたしは、新自由主義型社会の実験場としての中南米特にチリやベネズエラ・アルゼンチンの経済政策について書いた。そして、それが如何に米国の武力と一体化した米資本主義の暴力的進出と結びついているかを論じた。
※ベネズエラで進行している米国によるあからさまな政府転覆計画

この新自由主義型資本主義の遅れた実験場と化している日本だが、この首謀者(理論的黒幕)が竹中平蔵。小泉内閣の時、竹中平蔵の下で竹中の政策の実現に汗を流したのが、菅義偉首相。竹中平蔵は菅義偉首相の経済のブレーン。菅内閣でも竹中平蔵は経済ブレーンとして重用されている。

と言う事は、これまでの【新自由主義的】社会のさらなる進展が、菅内閣の目標だろう。

この事は、日本が米資本主義と米国産軍複合体の草刈り場になると言う事を意味する。菅首相や竹中平蔵、橋下徹などが口を開けば、【改革】【改革】と叫んでいるが、これは、米資本が稼ぎやすいように日本の法制度を改革すると言う事を意味している。一言で言えば、【日本売り】政策のオンパレード。今国会で言えば、【種苗法改正法案】などが最たるもの。彼らの言う【改革】とは、日本国民から言えば、【改悪】そのものである。

早速、竹中平蔵は、「ベーシックインカム】の導入を叫んでいる。1人、1ヶ月7万の収入を保証するが、生活保護制度も国民年金も健康保険も廃止。7万円で全てまかなえ、という話である。

東京での生活を考えれば、どうやって生きて行けと言う話。家賃、電気代、水道代、食費、交通費、だけでも、生きてはいけないだろう。それに加えて、病院代は自前。救急車を呼べば、7万円自前で払わされる米国型医療システムの導入を考えているのだろう。

おまけに、東京都知事は国の任命制にするそうだ。全てを国の統治下に置こうというのだろう。地方分権など全否定するつもりなのだろう。明治時代に逆戻りするつもりなのか。要するに、民主主義の選挙などは認めない。戦前型ファッショ社会の再来を望んでいるのだろう。

まあ、パソナのように、非正規労働者の生き血を吸って肥え太っている会社の会長らしく、血も涙もない経済理論。この国で暮らしていかねばならない物言わぬ庶民の事など眼中にない。

ここではっきり見えるのは、1%の支配層と99%の被支配層の明確な分断と政府に抵抗する連中の【排除】だろう。

だから、理性と知性のある学術会議(学者など)が、邪魔で仕方がない。まともな経済政策など何一つ打ち出せないボンクラ経済学者(御用学者)のバカげた政策に乗って、歴史的使命をとっくに終えた周回遅れの「新自由主義」的経済政策をさらに推し進めるつもりだろう。

このままでは、日本は、【排除型社会】のさらなる進展になり、米国型分断社会が到来するに違いない。

もう一度書いておく。【米国の10年後は日本】。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
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東京五輪開催について

2020-11-18 14:01:48 | 社会問題
『菅首相は16日午前、来日中のIOCのバッハ会長と首相官邸で会談した。来年夏に延期された東京五輪・パラリンピックについて、観客を入れた形での開催実現に向け、緊密に連携していくことで一致。バッハ会長は「東京大会を必ず実現し、成功させる」と述べた。
 首相は会談で「人類がウイルスに打ち勝った証しとして、また東日本大震災から復興しつつある姿を世界に発信する復興五輪・パラリンピックとして東京大会の開催を実現する決意だ」と表明。・・・
バッハ会長は「今回開かれる大会はコロナ後の世界で人類の連帯と結束力を表すシンボルとなるものだ」と指摘。・・・
 首相は「東京大会では観客の参加を想定したさまざまな検討を進めている」と説明。バッハ会長は記者団に「スタジアムに観客を入れることに関して確信を持つことができた」と述べた。』
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111600088&g=pol
JIJI.COM 11月16日 

『16日東京都内で行われた「五輪功労章」授章式では、バッハ会長から安倍前首相に最高位の金章が授与され、安倍氏は「東京2020を待ち望み、成功させようと勇んでやまない全ての日本人になりかわる思いで頂戴する」と謝辞を述べた。』
https://mainichi.jp/articles/20201116/k00/00m/050/210000c
毎日新聞11月16日

(※ちなみに、安倍晋三氏の下記ツイッターコメントもどうぞ。)
https://twitter.com/AbeShinzo/status/1328231786883608576

正直、「はあ?」という感想しかない。

ヨーロッパを中心に世界中でコロナ禍が猛威を振るい続け、多くの国々が再びロックダウンに入っている只中で、ワクチン開発成功の話もで始めたとはいえ、安全性、有効性の検証は始まったばかりで、感染終息の具体的見通しが全くない中で、この人たちは、何を根拠に成功の夢物語を語り合い、互いを称え合っているのだろうか。

肝心の日本国内に於いても、北海道を始め、全国各地で、感染の第三波が訪れていると言われている。にも関わらず、「非常事態宣言」を回避し、GoToキャンペーンに突き進み続けているのは、バッハ会長も言及した「横浜スタジアムでの『入場制限緩和』実証実験」同様、日本政府による「オリンピック開催の決意」に依拠した「前進あるのみ」のロードマップと考えれば、納得がいく。

オリンピックという「華やかな祭典」が大好きな彼らは、「フクシマは完全にコントロールされている」とウソをついて招致したように、今また「コロナ感染は完全にコントロールされている」ように取り繕い、バッハ会長はそれを承知で騙されて見せているのだろう。

国内では、コロナ禍に絡んで職を失う人が急増し、就業率の落ち込みが、自殺者数や生活保護利用者数に影響を与えている、という厳粛な分析結果も出ているようだ。
https://twitter.com/ohnishiren/status/1328600055067062273

「日刊ゲンダイ」によれば、先週末実施のANNの世論調査では、五輪開催について「さらに延期」(28%)と「中止」(31%)が計約6割。「来夏開催が良い」(33%)を上回った、という。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/281512/3

最近タイムラインで見かけた「ひらり」さんのコメント、
「今、多くの国民が願っているのは非日常的な祭典よりも、当たり前の日常だと思います。」
https://twitter.com/HiKaRi22222222/status/1328374255185063936

これこそが、私を含む多くの人が共有する、心からの思いではないだろうか。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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選挙人の造反は防げるか?

2020-11-16 10:35:37 | アメリカ
米国大統領選挙でバイデン候補は306人、トランプ大統領は232人の選挙人を獲得したことで、次期大統領はバイデン氏との報道である。

だが正式には、12月に上記の代理人が造反せずに各々立候補者に投票すれば問題ないが、過去にも選挙人の意思で投票して造反者が出たことがあった様である。

その時は州政府が適切な対応をして大事には至らなかった様であるが、今回はかなりの造反者が出てトランプ大統領に票が流れることも予想される。

その様な場合には州政府が事後に選挙人を差し替えることを最高裁も認めている様であるが、州政府が差し替えを申請しなかった場合にどうなるのか曖昧らしい。

両候補の選挙人の差は74名だからトランプ大統領の逆転の可能性は小さいが、仮に233人以上で、トランプ大統領の代理人が1名でも増えて確定されれば、民主主義の危機であり、次期大統領選挙までに現在の選挙制度の見直しが急務となるのではあるまいか。

何にしろ選挙人の投票結果と、いつトランプ大統領がホワイトハウスを明け渡すのか、注目である。エルサレムの嘆きの壁に口づけする人に敗北宣言は神への背信であり、無いのではあるまいか。老兵は死せず、目には目、歯には歯を胸に秘めて、一時的に立ち去るのみの心境ではなかろうか。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
厚顔
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米国大統領選雑感

2020-11-15 14:49:09 | アメリカ
(1)
米国大統領選が一応終わったようだ。世界の民主主義の盟主として振る舞ってきた米国だが、どれだけ古めかしい制度で大統領を選出していたかが良く分かる。特に選挙人を選出するというシステムがいまだに残されている点に驚く。

その選挙人も人口比で選出されていない。だから、東海岸と西海岸の人口密集地帯(民主党の牙城)の州の選挙人と、人口の少ない中西部の農村地帯(共和党の牙城)の選挙人の数の割合が、人口比になっていない。一言で言えば、共和党が有利な選挙制度である。

・・・最も選挙人が多いのはカリフォルニア(55人)、続いてテキサス(38人)、ニューヨーク(29人)、フロリダ(29人)、イリノイ(20人)、ペンシルバニア(20人)だ。しかし人口比で考えると、人口が少なく選挙人も少ない州の方が、選挙人1人が代表する州民の数も少ない。例えばワイオミング州では1人の選挙人が代表する州民は18万人程度なのに対し、テキサスでは70万人強となる。
 
このため、総得票数の多い候補が選挙人数では少なくなり、選挙の結果も敗北、というケースが度々起こる。2000年のジョージ・W・ブッシュ対アル・ゴアでは最終的に最高裁が決定を下す事態となり、総得票数の多かったゴア氏が敗北した。そして4年前の選挙でも、総得票数が多かったヒラリー・クリントンがドナルド・トランプに敗北した・・
 ※選挙人制度はもう古い、改革はありえるのか
 土方細秩子 (ジャーナリスト) https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21201

まあ、大統領選の制度改革は米国人の仕事でわたしがとやかく言う事もない。ただ、米国の民主主義制度には多くの欠陥があり、米国だけが民主主義の盟主面するのはもうやめてほしいものだ。

(2)
🔶大統領選の本質

わたしが今回の大統領選で最も興味があったのは、この選挙の本質をどう見るか、と言う点である。この点に関しては、日本の報道も米国の報道も物足りなかった。

この視点がなかったら、ただの選挙マニアの報道に堕してしまい、同時にトランプ大統領と言う米国の歴史では稀に見る【トリックスター】の本質を見逃してしまう。

わたしは、トランプが勝利した前の米大統領選も、今回の大統領選も、米国社会の経済的要因が最大のものだと考えている。

しばしば引用される1%の支配層と99%の被支配層の【貧富の格差】が根底にあって、それに付随して【人種問題】【差別問題】それと米国建国以来の【リベラリズムとモラル】の相剋が背景にあり、問題を複雑にしている。

GAFAに代表される米国の大企業はグローバリズムを一直線に推進。低賃金と市場を求めて海外進出に邁進した。その結果、現在日本でも同様な事が起きているが、米国内でも中小企業は壊滅状態に追いやられた。国内トップ50人の資産=2兆ドル =下位50%(1億6500万人分)の資産

🔶政策の選択肢

1、金融資本、大企業と軍産複合体中心の政策
2、低所得者に配慮し、特に国民全員への医療保険などを行う政策
3、アメリカファースト(国内工場を優先し、外国製品には高額関税)=トランプの政策

▽選挙結果 ⇒ 「金融資本、大企業と軍産複合体中心の政策」の政策を採るバイデン氏の勝利。

トランプ支持の岩盤層は、南部や中西部の白人層。それも低学歴・低所得の貧困層が中心だと言われている。

白人が人口の大半を占めていた時代は、彼らは幸せだった。明確に白人が人口でも収入でも社会の全ての階層で優位に立っていた。自分たちの社会的不満は、黒人差別をすることでいくらか解消され、その不満が直接国家とか社会に向かう事は少なかった。

しかし、新自由主義的経済(大企業や軍産複合体中心)が浸透し、移民が増加。白人層の人口的優位は崩れ、学歴・能力・社会的ヒエラルヒー・経済的にも白人の上位に立つ有色人種が増加してきた。

産業革命の時代、時代の流れについて行けないイギリスや西欧の労働者たちは、機械の【打ちこわし運動】をした。時代の端境期は、このように「新しいもの」と「滅びゆく者」の争いが起きる。

現在のアメリカの病は、白人の貧困層だけでなく、膨大な移民や有色人種の貧困層を抱え込んでいる点にある。その格差は凄まじく、年々広がりつつある。以下の数値を見れば一目瞭然。
※アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ
http://socius101.com/poverty-and-inequality-of-the-us/

トランプ政権下、メディア的には好景気だと言う事になるが、その内実は、所得格差が広がり続け、【南北戦争後】と同じレベルだと言われている。

※所得格差は「南北戦争後」と同レベル。米国民がトランプ景気を実感できない10の理由
https://www.businessinsider.jp/post-198155

この格差こそ、今回の大統領選の最大の争点。トランプ大統領は、7,200万票を超える票を集めている。これは過去の大統領選での最高得票を超えている。負けたとはいえ、「トランプ的なるもの」の大きな存在感を示した。

🔶トランプ的なるもの

格差の下位に属する人に、上位の人間を攻撃できる「大義」を与えた点にある。

あるTVの若いコメンテーターがうまいことを言っていた。「バイデン氏は学級委員を選挙したようなもの。トランプ氏は、番長を選んだようなものだ。」

まさにその通り。バイデン氏を選択した人は、社会的にも政治的にも危険を避けた無難な選択をしたのである。常識から照らしてみても、あまり文句が出ない選択である。

と言う事は、上記に示した凄まじい【格差】や社会の【病根】に対しても、革命的で破壊的な手法は選ばず、漸進的手法を採ると言う事を示している。結果として、何も変わらないだろう。

ところが、トランプ氏を選ぶと言う事は、社会的にも政治的にも非常識な手法を採るかもしれない。しかし、これまでのような常識的で微温的なやり口ではどうにもならないので、こちらに賭けてみるか、というきわめてリスキーな選択をしたことを意味する。

実は、このような気分に駆られている貧困層は何も白人に限らない。黒人・ヒスパニック・アジア系などあらゆる人種に広がっている。さらに言えば、都市の白人若者層にも広がっている。

カマラ・ハリスのような成功者はごく一部。多くのマイノリティの鬱屈した心情は、微温的・漸進的手法では埋められない。こういう若者たちが、サンダースや民主党リベラル派内の過激派に多数存在する。

これからの米国を考える時、最も重要視しなければならないのは、イデオロギーを超えたこのような人々や若者たちの心情をどう掬い取るかである。

このように、トランプ支持層の心情とサンダース支持者の心情には重なるところが多い。前回の選挙でヒラリーが敗れた最大の要因は、ヒラリーがこのようなサンダース支持の若者たちの心情を汲み取れなかった点にある。

バイデン勝利後も彼は若者たちの心情をどう掬い取るかで悩み続けるだろう。

🔶差別問題(黒人差別を中心)

このように共通する心情を持つ彼ら若者たちを今回の選挙で分けたのは、【BLACK LIVES MATTER】だろう。

わたしに言わせれば、トランプはこの問題で間違った。トランプは差別問題を理念的問題と考え過ぎた。それは、彼が白人であり、貧困とは無縁の家庭で育った成育史にあるだろう。

【差別問題】は、すぐれて『人権の問題』であり、『社会的問題』である。【差別問題】は、人の生死にかかわる問題であり、全ての問題の根源に差別問題が横たわっている。

その意味で差別問題は、被差別者にとっては、日々を生きる「生活の問題」なのである。日常のさりげない一言、さりげない仕草が、差別される人間にとっては、心や体を傷つける鋭い刃になる。針の山を歩くような日常の差別こそ問題の本質。

トランプ大統領は、そこが分かっていなかった。どうせ、民主党支持者が多い黒人層。彼らの味方をするより、世論の袋叩きを浴びている警察官や秩序信奉者を味方につけたほうが選挙に有利だと考えたのであろう。

これが彼の大きな計算違い。深刻な格差社会である米国。「差別」は黒人だけではない。あらゆるマイノリティ、白人の貧困層(都市)、高齢者(医療から見捨てられた)、路上生活者などなど、ありとあらゆるところで「差別」は存在し、顕在化している。彼らにとっても、【BLACK LIVES MATTER】は他人事ではない。

そういう人々に、トランプ大統領の本質が見抜かれたのが敗因の一つだと思う。

🔶コロナ問題

次に、トランプ大統領の最大の誤算は、コロナ問題の対処。

◎コロナ問題を中国問題にすり替え、自己正当化した事。⇒どのパンデミックでも、それが最初に起きた国だけの責任は問えないというのが常識。パンデミックにどう対処するかは、その国の政府の責任というのが常識。⇒大統領の人間性と見識が疑われた。

◎科学者の知見に従わなかった事⇒ファウチ氏との確執は、科学を信頼しないトランプ氏の知的能力に疑いを抱かせる要因になった。

◎米国が世界最大の感染者と世界最大の死者を出していることは事実。おまけに、自分自身やホワイトハウスの住人達にも多数の感染者を出している。

国民の生命財産を守るのが政府の第一義的役割だとすれば、トランプ大統領の責任は重い。同時に、ホワイトハウスのスタッフに感染者を出すと言う事は、【危機管理】に重大な問題が生じる。

トランプ大統領は、これらの問題にきちんと答えていない。彼の危機管理能力や大統領としての資質に重大な疑義を差しはまれても仕方がない。

🔶「リベラリズム」と「モラル」の相剋

◎リベラリズム(自由主義)⇒啓蒙主義思想から導き出された思想。900年になんなんとするヨーロッパ中世を形作っていた思想(王や貴族が強い権力を持っていた社会を秩序付けていた慣習や思想、封建法と教会法などの法体系など)を否定。全ての人間に共有される人間の【共通性】に着目し、個人の権利という概念を重視する思想。米国のリベラリズムを考える時、ルイス・ハーツの『アメリカ自由主義の伝統』が非常に参考になる。
※アメリカ自由主義の伝統: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1

ハーツによれば、米国は入植した欧州人(英国、フランスなど)によって始められたリベラリズムの国である、と言う。

ところが、米国は封建社会の歴史を持っていなかったため、本来は封建思想の対抗思想である【リベラリズム】が、対抗思想がないため、絶対化し、保守化した。それがアメリカの【保守主義】になった。

リベラリズム(自由主義)が絶対化したため、米国では社会主義という考え方は定着しなかった。そのため、【リベラリズム】という保守思想に対峙する左派的政治思想もまた【リベラル】と呼ばれる奇妙な思想状況が生まれている、という。

例えば、イラク戦争を主導したブッシュ・ジュニア大統領の口癖は、『自由』だった。イラク戦争には何も大義がなく、新しい形の侵略戦争だと言われても仕方がないが、それでもブッシュ・ジュニアは最後まで『自由』の戦士を気取っていた。ブッシュ大統領の政治理念が保守的である事は疑いがないが、『自由』の理念だけは手放さない。

この一事を見ても、【リベラリズム】というのものが、米国建国の理念である事が良く分かるし、米国人にとって骨がらみの理念である事が了解できる。その理念が「保守主義」に変異していくことも理解できる。

例えば、民主党は【リベラリズム】の政党であるが、それは米国伝統の【保守主義】と同義だと言う事がなかなか理解できない。何故なら、サンダースやオカシオ・コルテスのような主張も「リベラリズム」と呼ばれているからである。サンダース議員が社会民主主義者を自称するのは、ここを明確にしたいからであろう。

民主党内の難しさは、このような保守主義化した「リベラル」と社会主義的主張を持つ「リベラル」とに分断されている点にある事も理解しておかねばならない。

◎モラル
人は、多かれ少なかれ共同体の中で生きざるを得ない。特に田舎ではそうである。ところが、人が所属する共同体の「モラル」(規範、約束事、掟)を受け入れる事が出来ない場合、きわめて苦しい立場に追いやられる。

例えば、是枝監督の「万引き家族」という映画がある。この場合、家族が所属する共同体では、「万引き」という行為が悪ではない。是枝監督の意図とは離れた地点で論ずるなら、この家族の中で「万引き」を拒否する事はきわめて難しい。「人の物を盗むな!」という倫理観がこの共同体の中では通用しない。

共同体の【モラル】には、そういうものがかなりある。各共同体ごとにこのような個別性の高いモラルがあるのが、米国の州だと考えると分かりやすい。当然ながら、「万引きをして良い」というモラルを認めるのは国家として難しい。これを正当化するためには、国家としての【法規範】による以外ない。

米国の選挙制度の難しさと「州と国」の関係は、上記のようなモラルの難しさを含んでいる。

例えば、あるモラルがその州を覆ってしまえば、少数者はきわめて息苦しくなる。米国の場合、キリスト教的倫理観の押し付けが一番分かりやすい。例えば、堕胎の自由をどう考えるかのような問題。米国の選挙では、この種のモラルをどう考えるかがしばしば争点になる。

日本流に言えば、国が法で決めればそれで終わりだろうが、そう簡単にいかないところが米国。米国という国家が成立したのは、1776年。しかし、東部13州に代表されるように、それ以前に州が独立して存在していた。国家以前から州が存在していたのである。

これが現在に至るまでの米国の選挙の難しさの根底にある。つまり、国家の理念としての【リベラリズム】と各州・各個人の【モラル】との相克が米国の選挙の根底にあるのである。

🔶結語

上記で見たように、トランプ氏の敗北は、様々な要素が絡み合った複合的要因だろう。しかし、彼は7200万票余りを取り、米国民の半数近い支持を得ている。もし、コロナ騒ぎがなかったら、おそらく彼は大統領選に勝利しただろう。

これを逆の視点から言えば、今回の選挙は、バイデン氏が楽勝しなければならなかった。それをこのような接戦に持ち込まれたところに米国の抱え込んでいる困難があると見なければならない。

トランプ大統領のような特異な個性の持ち主が大統領になれた、という所に、現在の米国の抱え込んでいる問題の深さを感得しなければ、大統領選報道を延々と続けた意味がないだろう。

バイデン氏が勝利したと言う事は、【金融資本、大企業と軍産複合体中心の政策】にシフトする事を意味する。そうでなければ、選挙資金でトランプ大統領をはるかに凌駕するはずがない。ウオール街の献金がバイデン氏に集中したのであろう。

と言う事は、バイデン氏の政策が、トランプ以前の政策に先祖がえりをする可能性が高い。

【米国の10年後は日本!】そう揶揄されるくらい日本は米国の後をひたすら追いかけてきた。トランプの存在意義は、そういう世界のモデルとしての米国の姿を徹底的に破壊してきた点にある。

そのトランプにひたすら隷従してきた日本である。それでいて、自国の自主自立を促進してきた形跡もない。これでは、米国民主党や世界各国からの視線が冷たくなるのもやむ負えない。

トランプ大統領の政策は、米国ファースト(米国一国主義)。逆から言えば、他国の独立を促進する政策。米国は、世界の警察官を降りるという政策。米国一国主義の世界秩序から、世界覇権の多極主義を促進する政策である。

この流れをバイデン氏が阻止して、これまでのような「米国一極主義」政策を維持できるか。きわめて微妙な情勢である。何故なら、中国の存在の大きさは、これまでとは比較にならないほど大きくなっている。この流れを本気で止めるつもりなら、戦争以外にない。

世界の混迷はさらに深くなるであろう。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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トランプ大統領の不可解な選挙戦術

2020-11-10 16:26:57 | アメリカ
日本時間の11月8日午前10時半頃、民主党バイデン候補が勝利宣言をした。下記はそれ以前の着手文であるが論点は変わらない。

米国大統領選挙の開票も大詰めを迎え未決着は5州となり、バイデン候補が急迫していると報じられている中、トランプ大統領は郵便投票の在り方にクレームを付けたり、証拠も提示せずに不正な投票や集計があるとの理由で、残りの州で郵便投票の無効を求めて提訴を始めたと報じられている。

かつて大統領選挙で裁判沙汰となった例としては、ブッシュ大統領と民主党のゴア候補が接戦となり、フロリダ州の僅差の投票数の数え直しをゴア候補が提訴したが却下され、ゴア氏は国民の団結を優先して清く引き下がり、オフサイドにしたことが記憶される。

それに比べ今回のトランプ大統領の戦術は異常にみえ、何かに取り憑かれた執念のように見える。

私ごとながら、今年5月に放射線治療のため1ヶ月入院した際、読み物として聖書も持参した。新約聖書は過去に全編読んだが再読し、旧約聖書は今回ヨシュア記まで読めた。そして旧約聖書を読みながら感じたことは、キリスト教も間接的に一神教を聖書で説いているが、ユダヤ教の聖典とされる旧約聖書は直接的に強烈に一神教を説き、この神の教えを信じない者は排除し、敵となる者にはあらゆる災いが降りかかることを預言して、滅ぼすこともいとわない様なことが書いてあったように思う。

そして読みながらふと思い出したのがトランプ大統領とイスラエル、ユダヤ人との親密な関係であった。

・例えばイスラエルの米国大使館をテルアビブから聖地とされるエルサレムへの移転決定を実行したこと。
・イスラエルを訪問した際、エルサレムにあるユダヤ教の聖地とされる嘆きの壁を訪れ、ユダヤ人と同じように壁に口づけをしている姿が報道されたこと。
・パレスチナ自治区のガザ地区へのイスラエルの進出移住は国際法では違法とされているが、トランプ大統領はそれを容認したこと。
・娘婿のクシュナー氏はユダヤ系アメリカ人で、トランプ氏が大統領になってから大統領上級顧問に抜擢され、クシュナー夫人もユダヤ教に改宗したことが報じられたこと、等々である。

以上の様なことから、トランプ大統領は歴代大統領の誰よりもユダヤ教や旧約聖書の教義にシンパシーを抱いている大統領ではないか、と思われたとしても不思議ではないだろう。

そして政策的にはアメリカファースト、白人至上主義を掲げての国連機構、WHOや地球温暖化防止のパリ協定からの脱退、メキシコとの国境壁建設、黒人大統領が策定したオバマケアの排除等。選挙戦術としてはフェイクニュースや極左よばわりでの民主党攻撃、個人的にバイデン候補を誹謗中傷して、政敵には手段を選ばぬ攻撃の数々。また大統領選挙中に共和党寄りの判事を最高裁判事へ任命断行しての大統領選挙結果に対する法廷闘争等々である。

このようなトランプ大統領の排他的な言動から感じるのは、世界や国民がどう思おうが、神がかり的な信念で自説を展開し我が道を行く姿である。そしてそのような言動は、旧約聖書の中で神がモーゼやその後を継いだヨシュアに指示し、二人が異教徒に対してその教えを実践して行く姿に類似して見えるのは誤認であろか。旧約聖書を読んでみて欲しいと思う次第である。

そしてこの手法がグローバル経済の負け組の白人層に熱烈に共感拡散され、またキリスト教右派福音派のトランプ支持層を惹きつけ、アメリカ社会の分断に繋がったように思われる。勿論トランプ大統領から旧約聖書を読んでいるとは語られていないが、旧約聖書に親しんでいるユダヤ系アメリカ人は感づいているのではなかろうか。

11月9日現在でトランプ大統領はまだ敗北を認めていないが、家族の中でも敗北受け入れの賛否が分かれていると報じられている。正に旧約聖書に照らしての議論ではなかろうか。敗北を認めれば熱烈なトランプ支持者(信者)を失望離反させ、去る者は日々に疎しとなり、トランプ大統領のバックボーンの寄り処を想像すると、敗北を認めない初めての元大統領となる可能性もあるのではなかろうか。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
厚顔
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将来を明るくするメッセージと総括・課題

2020-11-10 10:01:17 | 政治
バイデン前副大統領が勝利宣言「分断ではなく結束を」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201108/k10012700691000.html
の翌日、『バイデン氏「国を分断させない、団結させる。団結した州を見る大統領に。この国を、世界が尊敬する国等にする」と 菅義偉に、同じ事が誓えるか 否、今の侭では、きっと出来まい』と書いた。(http://nikoryuu.blog18.fc2.com/blog-entry-4646.html
 
こちら(カマラ・ハリス氏、女の子たちに力強いメッセージ。「私は最初の女性副大統領かもしれませんが、最後ではありません」)も、特にご紹介する。女性に、飢えたる者たちの為に。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5fa74c16c5b6f21920dc7d92

安倍晋三氏が内閣を放り出して、菅内閣となろうとした時、各紙社説は、安倍内閣の総括を促し、後継を選ぶべきだと主張した。さて、安倍晋三は何をしてきたか、記事を一つ紹介しておく。
 
【地球は今…】安倍政権の総括 https://chikyumura.org/2018/07/report201808.html
 〇安倍政権は、いったい何をしてきたのか。世の中はどう変わったのか。 安倍首相が自分たちのためにやってきたことを検証する。(高木善之・落合眞弓)

しかし、残念ながら、安倍内閣(モリカケ疑惑、内閣人事局による行政歪め、最高権力者病、「首相の桜を見る会」私物化、検事総長の乗っ取り未遂)の継承として、反省もなく、菅内閣が登場した。

そして、表面化したのが、日本学術会議・会員の任命拒否問題。従来の取り扱い、明文規定を真向蔑ろにしたもの。時の政権による私物化といえよう。

日本学術会議など、現在および将来の国民の為のものであって、政治(政府)から独立は、その意義を示すもの。政府の目先の利益の為に、政治利用されるべきものに非ず!だ。
 
政令指定都市・大阪市廃止、住民投票否決も画期的だった。どんなものだったか、これを「大阪都構想」と推進者・維新らは騙ったが。これも反省、総括が必要だろう。100億円すった(無駄にした)との話もある。何度も、これを繰り返してはなるまい。
 
将来を明るくするメッセージとして、今回の米国大統領選挙で当選した?副大統領候補、カマラ・ハリス氏のもの(上記)を最後に、改めて、ご紹介する。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5fa74c16c5b6f21920dc7d92
 
特に、現状に満足せず、変えたいと強く望む者、人々に。 改革にも、現状の問題の総括が必要だ。そして、主権者との共有も。

「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
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暗いファッシズム政権の行方(1)

2020-11-02 15:29:07 | 菅政権
作家辺見庸が毎日新聞で面白いことを言っていた。
※首相の「特高顔」が怖い(辺見庸 毎日新聞10/28日 この国はどこへ)
https://mainichi.jp/articles/20201028/dde/012/040/034000c
・・・
「菅さんていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出てくる特高はああいう顔ですよ」。冷たく容赦のない表情と言う事だ。「で、執念深い。今までの首相が踏み越えなかったところを踏み越える気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね」
 それを言うなら安倍さんだって同じではないだろうか。
 「そうなんだけど、安倍の方が育ちが良い分楽だった。でも菅さんはもっとリアルで違うよ。今まで為政者を見てきてね、こいつは怖えなと思ったのは彼が初めてだね」・・・・

※特高⇒特高警察とは特別高等警察の略称で、当時の天皇制政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にした秘密警察のことです。
 明治天皇の暗殺を計画したというデッチ上げによって全国の社会主義者などを弾圧した大逆事件(一九一〇年)を機に、翌一一年、警視庁に特別高等警察課として設置されたのが始まりです。天皇制に批判的なすべての思想と運動を「犯罪」とする治安維持法の制定にそなえて、その前年の二四年に大阪、京都などにも増設され、さらに二八年には全国に配置されました。
新聞赤旗
https://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990308_faq.html

※特高の拷問などについては以下の記事に詳しい。
リテラ・・・  朝ドラ『まんぷく』への「憲兵を悪く描くな」攻撃は異常! 首絞め、逆さ吊るし…本当の憲兵や特高の拷問はもっとヒドい
https://lite-ra.com/2018/11/post-4347_2.html

さすが辺見庸。わたしも全く同じことを感じている。これまで何度も、安倍内閣と菅内閣の公安関係偏重について書いた。菅首相の暗さは、公安的発想に淵源があるとも指摘した。

さらに、辺見庸が鋭いのは、菅首相の顔から「たたき上げ、言わばノンキャリアでさ。(情状の通じない)手に負えない怖さがある」と見ている点である。

多くの人は、「たたき上げ」と言うと、苦労しているから人情がある、とか田舎に対して思い入れがあるとか、そんな事をイメージするだろうが、それは違う。

わたしも何人か知っているが、「たたき上げ」の人間の中には、自分がしてきた苦労を他者に要求するタイプがいる。それも過剰に。それをしない人間には容赦しない。まして、自分よりエリートで、生まれも育ちも良い人間に対しては、自分に服従しない限り、徹底的に弾圧し、排除する。それも陰険で陰湿で手段を選ばない。

こういうタイプの人間は、権力に対して過剰な期待と怖れを持っている。だから、自分が権力を持つと過剰に行使する。(※権力を抑制的に行使するなどという発想は、権力を過剰に欲しない知性と理性の持ち主にしか生まれない。)

こういうタイプの人間の酷薄さは、生まれも育ちも良い人間には想像ができない。前にも書いたが、沖縄の翁長知事に対する彼の扱い方に典型的に現れていた。

翼賛メディアの合唱する【パンケーキ好きの可愛いおじさん】、とか【人の好い令和おじさん】などというキャッチフレーズなど信じられるものではない。

菅政権がようやく国会を開いた。首相になってから45日。これだけ国会を無視した首相は歴史上はじめて。よほど国会で答弁するのが厭なのだろう。

国会は国権の最高機関。ここで論議して初めて自らの首相としての考え方を国民に説明できる。同時に、最高権力者としての自分を国民に認知してもらう場所である。換言すれば、国会で語り、論議すると言う事は、日本国首相としてのレーゾンデートルなのである。国会を大切にすると言う事は、国民を大切にすると言う事と同義なのだ。

そもそも、「国民のために仕事する」などというキャッチフレーズ。馬鹿も休み休み言え!というレベル。内閣総理大臣が国民のために政治をするのはイロハのイ。そんなものをキャッチフレーズにすれば、今までの首相は国民のために政治をしていなかったのか、という話になる。中学校や高等学校の生徒会ではない。もう少し、ましなキャッチフレーズを考えたらどうだ。

しかも、充分過ぎるほどの時間的猶予があったにも関わらず、菅首相の所信表明演説の内容の無さ。日本政界の知的劣化に呆然とした。

一体全体、菅義偉という人物は、日本と言う国をどこに導こうとしているのか、彼の所信表明演説からは何も読み取れなかった。未来の日本の青写真らしきものは、2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標表明だ。しかも、それは、原子力発電を稼働させてその目標を達成する、という時代遅れの青写真だった。

欧州を中心として21世紀の主流になりつつある脱原発、脱炭素社会を構築するために、自然エネルギー・再生エネルギーを中心とした新たな文明の台頭に対する何のビジョンも示せなかった。ドイツのメルケル首相のような新たな文明に対する哲学など皆無と言って良い。

菅首相の所信表明演説は、蓮舫が評したように、典型的な短冊原稿(各省庁が短くまとめた政策要綱)。各省庁のやりたい政策をかき集めたつぎはぎだらけの所信表明演説に過ぎない。ハンコ廃止とか携帯料金の話だけ。肝心の年金や介護、新型コロナ対策、悪化する近隣諸国との外交などで具体策も一切ない。

日本国の内閣総理大臣になったのである。普通なら、自分自身の思いのたけを所信表明演説に盛り込みたいと考えるはずである。そうして初めて所信表明演説に魂がこもる。そのような演説だからこそ、野党の質問にも政治家としての魂が入る。この魂と魂のぶつかり合いがあって初めて国民たちはどちらの政策を選択するかを真剣に考える事ができる。

それを短冊作文でお茶を濁すなど、政治家としての存在価値を疑う。菅首相のスローガンは、自助・共助・公助だそうだが、国民に自助を要求する前に、自らの演説くらい自分で書けと言いたい。官僚におんぶにだっこで「自助」が聞いてあきれる。

以前、わたしは、「悲惨な退却戦を戦わざるを得ない安倍後の日本!(インパール作戦の二の舞)」の中で、「日本軍の敗戦の大きな要因に、失敗を失敗として認めない組織の腐敗がある」と指摘した。

同時に、山本七平氏の指摘を引用して、「一般的には、上意下達の組織と思われている軍隊が、逆に上が下に依存する組織(上依存下)だ」と言う事も指摘した。これが、日本型組織の【無責任体質】の根源にあるとも指摘した。

菅首相の所信表明演説は、見事に【上依存下】の典型だった。彼は文字通り日本型【無責任】体質を体現している。

それが証拠に、彼は日本学術会議の任命拒否について、何一つ語らなかった。自らの意志で拒否したのなら、その理由を語れるはずである。しかし、彼はそうしなかった。杉田官房副長官などの官僚に依存しているから語れない。インパール作戦を許可した東条英機のように、結局部下の暴走を黙認せざるを得ない。

これからも彼は、官僚作文の訳の分からない答弁を繰り返すだろう。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
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逃げることを継承する

2020-11-02 10:00:47 | 菅政権
一週間前にようやく臨時国会が召集された。現在の日本は、一刻も早く防疫策と国民への追加支援策を集中して審議のうえ施行していかなければいけない状況にあるはずだ。しかし、新総理大臣は就任してからというもの、国民が一番に向き合ってほしいことには一切言及せず、相変わらず論点を逸らしてばかりいる。総理就任から所信表明演説を行うまでに、まさかこれほど時間がかかるとも思わなかった。

首相が国会を開きたがらないという点は、まさに前政権からの継承というべきだ。安倍政権で残された数多くの重大な課題、そしていつまでたっても収束に持ち込めない感染症の流行について、国会という公開の場で追及されることを恐れているのだろう。現総理大臣が面子を保つことに力を注ぐ様子は官房長官時代から明らかである。

日本学術会議の新会員候補6名を任命拒否した件では、まさに前政権から続く逃げる姿勢がはっきりと見て取れる。今でも菅総理大臣は候補者の推薦名簿を見ていない、などと言い訳を続けている。挙句の果てには、「学術会議のあり方を今後検討する」「構成員に多様性を持たせる」などと、「なぜ任命拒否をしたのか」という国民が説明してほしいと願うただ一点の問いから論点をすり替えて回答しない。話が脱線するが、メンバーに多様性を持たせるということであれば、むしろ現在の「5G(爺)内閣」のほうが年齢と性別に偏りがあり、その指摘が該当するのではないか。

言うまでもなく人間も生き物であり、生身のものである以上、常にハイレベルで的確な行動をとれるわけではない。むしろ、何かをするからこそミスや失敗というものも生まれるのだ。間違いを問いただされ、起こした行動が不発に終わることを恐れるがゆえに、国民を公衆衛生上の危機から守ることを放棄し、公助なしにこの危機が過ぎ去るのを待つ姿勢は断じて許されない。

他人から肯定的な評価をされないことは、たしかに快適ではない。避けたいことではある。そして、否定されることを避けるために何もしない選択をすることは、自分を守る目的においてはむしろ当然の行動なのかもしれない。

しかし、私たちの代表である人々が自らの責任を回避するために、問題と向き合うことなく、何も行動しなければ、国民からの信頼も得られず、事態が好転する可能性も下がるだろう。自分と側近の仲間だけが生き残ることにとらわれないでほしい。

「護憲+コラム」より
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