老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

この一年を通じて考えたこと

2018-12-31 11:15:30 | 社会問題
今日は2018年最後の日だ。世間では「平成最後の年末年始」という言葉が多く飛び交っている。しかし、今年は自分にとって、日本という国を中心とした視点にとらわれず、自分が生きている世の中は、誰もが各々の希望や幸せといったものを追求することができるのだろうかと問うことが多い一年だった。

今年は小説や詩、エッセイなどの文学作品テクストを読む機会が増えた一年であった。中でも、イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』にある「あなたの世代の女性には、法律も医学も政治も、すべての職業がひらかれているわ」というセリフは、現在、自分が身を置き生活する世間を見直すきっかけとなったものだ。このセリフは、主人公の娘の家庭教師を務める人物が発したものだが、『ダロウェイ夫人』が公刊された1925年から90年以上経過した今でも―少なくとも自分が認識している世界においては―女性にすべての職業が開かれているとは言い難い状況と言わざるを得ない。

この数年で、まさに命がけでセクハラや性犯罪の被害を告発する人たちが現れ、それらのアクションに対して賛同を示す大きなムーブメントも存在する。以前に、このコラムでも有名無名の人々による様々な働きかけに言及したことがある。

男女の雇用機会は均等であり、職業に就くための教育へのアクセスも性別によらず平等にできるものであるかのように、表面上は見えるだろう。だが、今年一年の報道を見る限りでは、生物学的・社会的な性別による差別は依然として続いているように思える。前掲の引用箇所には含まれていないが、「報道」の分野においても、女性であることで不利益を被り権利を侵害されることが多いことは言うまでもない。

『ダロウェイ夫人』の世界には、女性だけではなく第一次世界大戦以後に神経症を患った若者の語りも含まれる。戦争は一人の人間に対して大きすぎるほどの傷を残すということを改めて意識させられる箇所だ。また、上流階級の間では若年層をイギリスからカナダへ移住させようとする計画にも言及されている。

現在、日本では「外国人労働者」を積極的に受け入れようとしているようだが、単に国外から人が来れば労働力不足などの問題がすべて解決するとは到底思えない。年が改まっても、この世を生きる/生きた人間たちによる二つと同じものはない語りに耳を澄まし、身近な他者に想像力を馳せることを忘れないようにしたい。


「護憲+コラム」より
見習い期間
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「空母」机上論のアホ総理、大臣、官僚

2018-12-30 10:49:02 | 安全・外交
護衛艦の空母化と、そのためのF-35B導入に戸惑い、呆れているのは一番危険を背負う自衛隊のパイロットでしょうね。

空母はF-35Bを”載せているだけ”では、張り子のトラです。甲板上で常時さらされた時の塩害、時化た海で離着艦を行う困難さ。米国空母が艦載機の離着艦時に救難ヘリをホバリングさせているのは、なぜか。通常、F-35Bの垂直離着陸は狭小の”上下左右に揺れない”地面を想定しています。

米国は、敵地へ切り込む海兵隊のAV-8B ハリアーⅡ(ベースは英国製)に替えて、米国軍需産業のために次世代型のF-35Bを導入したいのでしょう。

せめて国産化(部分的に国内生産)してF-35Bのノウハウを吸収しよう・・・と軍需産業に数千億円を設備投資したのに、アホ総理の鶴の一声により”言い値”FMSで完成機を購入”へと方向転換。

膨大な開発費を上乗せされ、米国内で「高価すぎる!」と批判されるF-35シリーズやオスプレイですが、日本がワリカン・・・どころか、いくらでもツケを払ってくれるのだから大喜びでしょう。

「常に飛行機を載せていないから、空母ではない」とのたまうアホな政治家は、自衛隊のパイロットに土下座してほしい。荒天、強風、突風、雨天、濃霧など気象条件の悪さは陸上への垂直離着陸でさえ難しいことがあります。

「空母を持つ」ということは「海上自衛隊の戦闘機パイロットが必要」ということ。タテ割りの航空自衛隊と海上自衛隊が共同で指揮・運用するという事です。米国がそのバックヤードに、どれだけの時間とカネをかけてきたか。

さらに空母は、単体では運用できません。数千名の乗員とともに撃沈されないため、護衛艦・イージス艦・潜水艦など10隻前後で防御形の艦隊を組みます。米国では「空母打撃群」と呼び、北朝鮮の威圧に派遣されたのは記憶に新しいところです。

一隻の空母から始まり、その整備港の整備、艦隊の維持費用、保守点検中の”もう一つ”の艦隊づくり、艦載機の購入・整備維持・機材更新、”海軍”パイロットの養成・・・等々。どれだけ「国防費」が底なしになるか、年単位の時間がかかるか、想像がつきますか?

空母化という遠回りの改修作業に血税をつぎ込み、「まずは威張れる空母が欲しい」といきがる、机上論のアホな輩たち。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助
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本音と建前、まかり通る自衛隊

2018-12-29 22:50:58 | 安全・外交
先ほど、Yahoo!ニュースを見ていて、この記事にハッ!とした。

This is JAPAN NAVY…日本は「軍」を保有? 答えを出さなかった平成の終わりに
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20181229-00109459/

先日、海上自衛隊の哨戒機が韓国海軍艦船にロックオンされた事件で、証拠映像(音声付き)が公開され、NHKニュースでも流れた。

ロックオンする韓国海軍に”海上自衛隊”が呼びかけた音声が
「THIS IS JAPAN NAVY, THIS IS JAPAN NAVY」
(我々は、日本海軍)
であったという。もっとも、ニューステロップには
「こちらは日本国海上自衛隊」
と和訳されていたとのこと。

この記事を書いた楊井人文さん( 日本報道検証機構代表・FIJ事務局長・弁護士)は、こういう言葉の言い換えが横行している現状(政治)について、このような警笛を鳴らしている。

+++++ ここから +++++
(前略、海上自衛隊は)諸外国の軍隊と同じような装備品を持ち、国防を担う軍事組織であるという事実は否定できないはずだ。それでも、私たちの社会は「言葉の言い換え」によって、いわばオルタナティブ・ファクト(代わりの事実)を信じることにしてきたのである。
 古くは「退却」を「転進」と言い変え、現実から目を背けた。最近も「戦闘」を「衝突」に、「空母」を「多用途運用護衛艦」に言い換えるなど、枚挙にいとまがない。戦後社会を貫くオルタナティブ・ファクトの最たるものが、「自衛隊は『軍』ではなく、『実力組織』」ではなかろうか。
(中略)憲法9条の矛盾問題はさんざん議論が交わされてきた。しかし、私たちは、すでに「軍」を持っている国なのかどうか、という基本的な問いにも答えられないまま、平成の幕が閉じようとしている。(文末)
+++++++ ここまで +++++++

まったく、おっしゃる通り。放送用語に厳しいNHKまでもがサラッと書き換えるのも疑問だが、私を含めてそれを見逃し聞き逃してしまう”慣れ”は恐ろしい・・・この記事は再確認させてくれた。

専守防衛を勝手に逸脱し、先制攻撃さえ辞さないような軍拡路線(国防予算要求)を突き進む安倍政権は、軍国主義を”積極的平和”主義と都合よく吹聴する所以である。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助
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ソーシャル ・アパルトヘイト

2018-12-28 10:01:00 | 社会問題
12月27日東京新聞夕刊のコラム「紙つぶて」でブレイディみかこ氏がイギリス社会の二極化について書いておられる。

英国では21世紀初頭から人々のすみ分けが進み、貧困層が他の階層の生活圏からは見えない場所に隔離されつつあるという。英国では社会の二極化が問題視され、このような社会現象は「ソーシャル・アパルトヘイト」と呼ばれているという。

それとは対照的に、第二次世界対戦直後に生まれた世代は他の若者世代よりベストな青春時代を過ごしたという調査結果が出たという。

この世代が青春時代を過ごした1960年代と70年代は、福祉国家路線政治で高等教育が無償化され、階級の違う若者達がダイナミックに混ざり始めた時代で、自由で新しい発想の音楽、芸術、文学が一気に花開いた時代だったという。

そして氏は「異なる人々が混ざらない社会は劣化する」と述べている。今の英国のEU離脱でもめ続ける英国は、既に「ソーシャル・アパルトヘイト」と言う言葉が語られ始めた時代にその萌芽は生まれていたのではないかという。

翻って日本はどうだろう。「南青山児童相談所建設反対」のあの騒動が日本の「ソーシャル・アパルトヘイト」を呼び起こす萌芽にならなければ良いがと私は思っている。

目障りなもの、不快なものは、自分達の生活圏から追い出し、同じような価値観、階層の者達だけで集まり作られて行く社会は活気を失い劣化していくのではないか。

これからの日本は異なる階層の人達が共に集える懐の深い社会、そして正しく今年の12月27日の夜、私達が語り合った広場のような開かれた社会であって欲しいと思う。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
パンドラ
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安倍さん。あんた、クビだよ!

2018-12-24 10:43:06 | 安倍内閣
今日は、クリスマス・イブ。ルール違反ですが、大人の猫家はサンタさんに願います。
 「サンタさん。どうか、民主主義を足蹴にして憲法を護らない安倍晋三と日本会議に毒された国会議員を、国会から追い出してください」
 「クリスマスの一日は安倍総理との会話を、すべて『You are fired!』(オマエはクビだ!)に変換してください」

・・・いい歳をした大人がクリスマスにこんな願いを込めるなんて、情けないです。でも、それほど日本の政治は情けなくなりました。政治的発言ができない中で最大限に日本の平和を願い、沖縄に心を寄せる天皇陛下にまで心労をかけるなんて。

先日、東京新聞の記事に、ハッ!とする文言がありました。
「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」
記事によれば、この言葉は、スイス人作家マックス・フリッシュさんの言葉との事。移民政策を進めてきたスイスでは現在、人口のおよそ1/4が外国人だそうです。フリッシュさんは移民受入れ当初の社会の認識・混乱を風刺的な言葉で表現したのでしょう。
 
「移民政策だ!」との批判にも知らん顔。細かいルールはさておいて、サッサと「外国人労働者受け入れ促進」政策の関連法案を可決した安倍政権。日本に来た外国人は慣れない日本語と生活環境に振り回され、自分たちに不利な労働条件・契約を強いられ、反発すれば不慣れな日本の法律で逮捕されます。
 
そして、「日本へ来て、大きな顔しやがって!」とヘイトする輩やネトウヨに差別され蔑まれた末に、外国人犯罪が多発するでしょう。「李下に冠を正さず」が政治家でしょうに、モリカケのオトモダチで悪だくみの得意な、安倍晋三。そして、オトモダチの知恵袋たる総合人材サービス・パソナ会長の竹中平蔵。彼らは単なる労働力じゃない、日本で生活基盤を築く人間だよ、安倍晋三。

さらに、戦艦大和の大きさに匹敵する護衛艦「いずも」「かが」の空母化を閣議決定。それに搭載する垂直離着陸可能な戦闘機F-35Bを大量購入・・・デタラメだよ、安倍晋三。
 
「常に航空機を搭載しなければ(地上に下しておけば)、空母ではありません」「攻撃型空母じゃないから、専守防衛をはみ出しません」という言い訳。そして、航続距離は非公開。これが大人の政治家の答弁?これ、詐欺師の常套句じゃないか!
https://ja.wikipedia.org/wiki/いずも型護衛艦

以前、海上自衛隊が後部に甲板を持つ護衛艦を建造した時、「空母を作るのでは?」と批判されました。その時の言い訳は「これはヘリコプター用です」「狭くて航空機は離着艦できません」でした。その後、後部飛行甲板が広大になった際に「ヘリ空母では?」と問われ、「空母は、艦橋を境に前後の甲板が全通(艦首から艦尾までの通り抜け)したものです」と言い訳しました。

えっ、それが現在の「いずも」でしょ?すると、「航空機の搭載には、カタパルト(射出機)と艦内に収容するエレベーターが必要です」「甲板が薄いので航空機の離着艦はできません。空母にはなりません」それを、わざわざ空母に改造するなんて!どれだけムダな税金をつぎ込むんだよ!
 
しかし、空母は単体で運用できません。護衛艦隊を組まないと一発の対艦ミサイルで撃沈され、数千人の乗組員が海に消えます。だから、米国は大金をつぎ込んで空母を中心とする多数の艦隊を運用しています。海上自衛隊も・・・いったい、何千億円の血税をつぎ込むんだよ、安倍晋三!

その国防費。単年度予算では飽き足らず、多年度をまたいでお金を使えるようにしました。だから、ジャブジャブと米国から武器機購入をする。しかも完成していない、FMSという定価のない(!)武器契約で。さらに、トランプに脅されて貿易摩擦均衡用に、考えなしの武器を契約する。あとから防衛計画を考える。気前よく米国に貢ぐ一方、国内の軍需産業には支払延滞をゴリ押し。それでも、国家予算は毎年約30兆円の借金返済です。

だから消費税10%にアップ?クレジットカードのリボルビング払いか?だれのカネだよ!安倍晋三。

「自分がやりたい事を決めちゃうから。細かいことは後で、みんなで考えてくれ。」なんとまぁ、このテキトーな政治の進め方。私の記憶では、過去にこれほど酷い自民党はなかったはず。疑惑・暴言・不祥事・不始末をした政治家や官僚など、とっくの昔に吹っ飛んでいます。何が民主主義?どこが法治国家?
 
言うまでもなく、国会は国家最高の意思決定機関。400名近い国会議員は、そのメンバー。そして、総理大臣はそのトップにいる最高権力者です。与党・野党国会議員の声を聴き、その背後にいる国民をおもんばかり、時には苦渋の選択をする立場です。権力・権利・権限を行使するならば、その責任もしっかりとる。公私の時間分けが難しくなり、寝ている間も国益を考える。常人でも胃が痛くなる、過酷な役割・仕事だと思います。

しかし・・・安倍政権は“数の論理”一党独裁状態の国会ムラ、マスコミへの不当な圧力、自己都合での説明・回答の省略といった手法で政治を進め、責任は取らない。なぜ? ははん、そういう事か。安倍晋三にとって、相手のキモチを考えず、悩み苦しまずに好き放題、甘いささやきのオトモダチと思うがままに政策とおジイちゃんの夢を進めれば、持病のお腹も痛まずに済むからね。

皆さん、言うべきことは言いましょう。トランプ氏のマネをして言いましょう。総理大臣を一度放り出した、こんな人間が政治のトップを続ける日本は、おかしい!

安倍晋三とオトモダチ一派、You are fired!!!(お前らはクビだ!!!)

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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象徴天皇へ歩み続けた明仁天皇(帝王学の成果か!)

2018-12-22 21:07:02 | 民主主義・人権
【1】明仁天皇の象徴天皇制へのこだわり

私自身は、日本の支配階層(政治・官僚・財界、メディアも含む)の中でもつとも日本国憲法の遵守義務を実践されているのは、明仁天皇であると考えている。

明仁天皇は、何故、ここまで憲法の精神(※特に象徴天皇制)を遵守しようとされているのか。

・・・2016年8月8日、明仁天皇は、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」をテレビやラジオ、インターネットを通じて人々に伝えた(本書二六三頁)。この「お気持ち」は自身の意思を強くにじませながら、しかも自身の考える象徴天皇のあり方や天皇制という制度の問題についても言及していた。

明仁天皇はこのなかで、「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」と述べ、「象徴」としての天皇像を自身がこれまで模索してきたことを強調している。その模索とは、憲法に規定された国事行為だけではなく、「象徴」としての立場からなされる「公的行為」の拡大と言える。

全国各地を訪問し人々と触れ合うことや被災者の見舞いを行うことなど、明仁天皇が重要視する活動は「公的行為」とよばれるものであり、憲法や法律にはそれに関する規定はない。それは、天皇が「象徴」としてのあり方を模索してきた結果生み出されたものであった。

「お気持ち」では、そうした公的行為を含めた「公務」すべてが「象徴」としてのあり方だと主張されている。自らが模索し形成してきた「象徴」としての天皇像への強い自負とも言えるだろう。そして「お気持ち」では最後に、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結び、自らが模索してきた「象徴」像を人々に問うた ・・・
河西秀哉の「象徴天皇制とは何か ★――★制度と個人のはざまで」
https://www.amazon.co.jp/平成の天皇制とは何か――制度と個人のはざまで-吉田-裕/dp/4000247239

この会見で、明仁天皇自らが語っているように、天皇自身が象徴天皇としてのあり方を模索し続けてこられたことが正直に語られている。

河西氏が指摘しているように、天皇としての【国事行為】だけでなく、象徴としてなされる【公的行為】の拡大により、象徴天皇としてのあり方を模索し続けてこられたことが良く分かる。

このような明仁天皇の象徴へのこだわりは、どのように生まれてきたのか。これまでわたしには今一つ腑に落ちなかった。

しかし、12月15日NHKTVで「歴史秘話 小泉信三 波乱の人生」の再放送を見て、明仁天皇が身をもって実践されている【象徴天皇制】への強いこだわりと自らを律する強い信念は、どのようにして育てられたのかが理解できた。
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★日本国憲法第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
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上記の規定がどのような過程とどのような議論に基づいて書かれたのか。憲法9条問題はかなり詳細に議論されているが、「象徴天皇制」についての議論は意外と少ない。逆に言えば、現在の象徴天皇制のありようがそれだけ国民に認知されている、という証左かもしれない。

同時に、この議論の少なさにも関わらず、明仁天皇が自らの人生を賭けて普遍化しようとした【象徴天皇制】について、国民はもう少しきちんとした議論をする必要があると思う。

【2】教育係としての小泉信三

上記の問題を考えるとき、明仁天皇の教育係としての小泉信三の役割を外して考えるわけにはいかない。

小泉信三は、慶應義塾大学塾長をつとめた学究。父信吉は、福沢諭吉の初期の門下生。その縁で慶應義塾大学に入学。経済学を学ぶ。晩年の福沢諭吉にかわいがられた。英・仏・独の大学で学び、帰国後慶應義塾の教授・塾長になる。

長男は戦死。自身も昭和20年3月の東京大空襲で被災。顔面などに火傷を負う。
昭和22年に慶應義塾大学塾長を辞任。昭和24年に東宮御教育常時参与に就任
皇太子 明仁親王(平成天皇)の教育係になり、「ジョージ五世伝」 「帝室論」 を説く。

小泉信三の略歴をざっと述べたが、彼自身の思想傾向は基本的に自由主義者だと考えてよい。彼は共産主義に対する強固な反対論者だったが、その反面唯物史観に対する一定の評価もしていた。特にマルクスの「資本論」は高く評価していた。その意味では、バランスの取れた知性の持ち主であったと考えられる。

彼は明仁親王の教育係としての信念を以下のように述べている。

・・「皇室がうまくいかないと言う事は、日本の不幸でもある。この厳しい言葉を伝えるのが自分の役割。
「新憲法によって天皇は国政に関与しない事になっていますが。しかし、何ら発言なさらずとも、君主の人格、識見は良くも悪くもおのずから国の政治に影響するものであり、殿下のご勉強と修養とは日本の国運を左右するものとお心得ください」

そうしないと天皇制は生き残れない、と小泉信三は考えていた。同時に、彼の皇室に対する敬愛の念は、戦前型知識人の一つの典型だった。

「世の君主、皇太子たるものの第一の義務が人の疾苦を思う事である。」・・疾苦とは、人々の悩み苦しみを指す。

小泉の天皇制存続に対する厳しい見方は、彼がGHQや日本国内での天皇に対する厳しい意見を知っていたからである。(例えば、戦後皇居前で行われたメーデーのプラカードに掲げられた文言。“朕はたらふく食っているぞ。汝臣民、飢えて死ね”)

彼の明仁親王に対する帝王学進講は、「天皇制存続」のための存亡を賭けた講義でもあった。

小泉は親王教育に積極的にテニスを取り入れた。小泉は、欧州留学の最後にウィンブルドンの大会を見学するくらい、テニス好き。英国貴族などのテニス好きを肌で知っていたのだろう。英国ではテニスは紳士のスポーツとされていた。その為、親王教育にテニスを積極的に採用した。

当初、明仁親王は、練習中、ボールを自分で拾いに行かなかった。彼には自分でボールを拾うという感覚がなかった。何事もおつきのものがしてしまうので、自分自身が何かをしなければならないという感覚が育っていなかったのである。

「貴族のお姫様は、恥ずかしさという感覚がなかった。だから平気で人前で裸になった。それが恥ずかしいことだと言う感覚が育っていなかった」という話がある。これと同じ事が明仁親王の感覚にもあった。小泉信三は、この感覚を直す事から始めた。彼は、我慢強く明仁親王がボールを自分で拾うまで待った。この当たり前の感覚を養うところから、明仁親王の帝王学は始まった。
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【何ら発言なさらずとも、君主の人格,識見は良くも悪くもおのずから国の政治に影響するものであり、殿下のご勉強と修養とは日本の国運を左右するものとお心得ください】 
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これぞ、帝王学。儒学の教えだが、良くも悪くも日本の支配階級は、こういう姿勢で統治にあたっていた。君主の道とは、自らを厳しく律する道だと言う事である。

この番組では触れられていないが、英国貴族に【Gentleman Ideal】という考え方がある。日本の武士道と同様な「紳士の道」とでも言うべき考え方である。この中で特徴的なのは、エリートたるものは、頭脳はもちろん、自分の部下に腕力・体力でも負けてはならないという考え方がある。日本流に言うならば、【文武両道】である。同時に、自分の行為に対する「責任意識」も強かった。小説で言えば、シャーロック・ホームズのイメージ。彼はボクシングも強かった。

戦争中、英国人捕虜の中で将校を見つけ出すのは簡単だったと言われる。彼らは一般の兵より、身体が図抜けて大きかった、と言われている。映画「戦場にかける橋」でアレック・ギネスが演じた将校の姿が英軍人の将校の姿に近いと言われている。

このような紳士像は、英国の厳しい階級社会で生まれた。支配階級は一つ間違えば、革命でその地位を追われてしまう。文字通り、自らの生命がかかる問題。そういう中で自らの支配を継続する。生半可な姿勢ではできない。その緊張感がこのような教えを生み出した。

小泉は英国留学をしている。同時に父親は武士。当然、武士道の教えの中で育っている。これらが相まって、明仁親王に理想的な天皇像を構築してほしいという願いを託したのであろう。

安倍晋三や麻生太郎たちに聞かせてやりたい言葉である。

【3】福沢諭吉の「帝室論」とは

小泉の進講した福沢諭吉の【帝室論】は、1882年の4月26日から5月11日まで12回にわたって無署名社説として連載され、同年5月に単行本が刊行された。

福沢諭吉 帝室論 現代語訳
https://www.amazon.co.jp/帝室論-福沢諭吉-著-現代語訳-三島堂-福沢諭吉-ebook/dp/B014KG19C2

福沢の帝室論の肝は、政治上の争いに「帝室の尊厳とその神聖」を利用してはならないと言うところにある。その為に、帝室は「今後政治社会の外に立ちて、高尚なる学問の中心となり、かねてまた諸芸術を保存してその衰頽を救わせたまう」と述べている。福沢は、1887年に書いた「尊王論」でも同様の趣旨を主張している。

家永三郎は、福沢の政治的狙いについて、以下のように述べている。

・・・自由民権運動の展開に伴う官民の抗争の中で、政府与党が民権派を天皇制に敵対するかのように非難し、民権派の中にも事実共和主義の傾向を帯びた動きを生ずるおそれもなしとしなかったのを深く憂い、天皇を政治から隔離する事により、天皇を政治上の闘争が天皇制の安否に波及するのを防止し、その安全を図ろうと考えたところから出ている。

それは帝室の存続を図るための提案であるという点では、天皇制護持論の形をとっているけれど、そのためには天皇を政治上の実権から遠ざけねばならぬとする点では、天皇の大権強化を主張する政府とその他一般のいわゆる「尊王論」とは、名は同じでも、実際は著しく違ったものだと言わなければならない」・・・・・
家永三郎 筑摩書房 現代日本思想体系 福沢諭吉 解説 35p

家永は、このような福沢の考え方を彼の乾いたプラグマティックな発想にあると考えている。

・・・「第一。福沢が天皇制を護持しようとするのは、彼が心から天皇制を尊貴なものと仰ぐのではなくて、彼自らが露骨に言っているとおり、「経世上に尊王の要用」を認めたからに外ならず、言いかえれば、天皇制に利用価値があるというだけの話なのである」・・・・
(同上書)

小泉信三は経済学者。晩年の福沢の知己を得ている。福沢の人となりを知らないはずがない。もちろん、帝室論の中の福沢の乾いた認識を知らないはずがない。

同時に、彼は、新憲法制定の経緯についてもある程度知っていたはずである。天皇制存続についてのアメリカ国内の論議、諸外国の論議、GHQ内の論議もある程度知っていたと考えられる。(委細後述)

その彼が、あえて、明仁親王に「帝室論」を講義したのはなぜか。わたしの想像では、三つあると考えられる。

一つには、皇室存続の危機感がある。戦勝国の間にも、昭和天皇の戦争責任を問う声が少なくなかった。皇室存続の危機は、間違いなく現実の危機だった。

新憲法で、象徴天皇制として皇室が存続したのは、ある意味僥倖といってもよいくらいのものだった。だからこそ、次の天皇を担う皇太子(明仁親王)には、次の時代にふさわしい【天皇像】を創出する課題(皇室にとっては、責務と言って良い)があった。

二つ目は、戦前の歩みへの反省があった。福沢が、「天皇を超越的存在に祭り上げ、政治の領域外の存在」として位置づけた最大の理由は、「天皇の政治利用」が進むと国を誤る、と考えたからに相違ない。その福沢の杞憂が杞憂でなくなったのが、戦争までの日本の歩みである。この反省が小泉に無かったとは考えにくい。

三つ目は、新憲法の【象徴天皇制】の規定である。天皇制をどうするかについては、戦争が終わる前から、アメリカ国内でも議論されていた。戦争が終わり、いよいよ新憲法が制定されるという時、天皇制存続か否かの議論は、アメリカにとって最大の課題だった。

この問題について最も影響力を持ったのが、「極東における政治・軍事問題-日本統治制度の改革」(PR32)という国務省の指針である。詳細な事実の羅列は、煩雑になるので省略するが、PR32では、【日本がポツダム宣言を受諾した事を踏まえれば、天皇制を廃止してアメリカ型共和制に移行させるよりイギリス型立憲君主制にとどめることを勧告したのである。

・・・新憲法制定と象徴天皇制の起源- マッカーサー草案の成立過程- 小倉裕児
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110000413796.pdf?id=ART0000543098

ここから読み取れるように、象徴天皇制の制度は、イギリスの立憲君主制(王は君臨すれども 統治せず)をイメージして設計されたことは確かである。

小泉信三は、皇太子(明仁親王)に上記の問題を総合的に考え、皇室としてのあり方を模索させるために、福沢諭吉の「帝室論」と英国王室の「ジョ-ジ五世伝」を講義したと考えられる。

【4】 象徴天皇制の役割

戦後政治史における象徴天皇の政治的役割の研究では、一橋大学教授渡辺治のものは避けては通れない。
『戦後政治史の中の天皇制』(青木書店、1990年)

渡辺氏は戦後天皇制を以下のように断定する。
・・常に「保守政治の従属変数、利用の対象」 であったと定義。内奏などによる天皇の政治介入の余地は残ったものの、総攬者としての権力が外形的にも存在しないために、実際の政治的な影響力は少なかった。・・・(同上書)

「保守政治の従属変数」とは手厳しい評価だが、現実の天皇制の評価としては、そんなものだろうと思う。

問題は、一般の人にはなじみが薄い【内奏】という言葉である。
◎内奏(ないそう)は天皇に対して国務大臣などが国政の報告を行うことである。

芦田内閣では行われなかった内奏が、第二次吉田内閣で復活した。現在においても首相をはじめとした閣僚による内奏は不定期ながら行われている。

政府は、内奏について「天皇の教養を高めるために閣僚が所管事項の説明を行う」「国情を知っていただき、理解を深めていただくということのためにご参考までに申し上げる」としている。・・・ウィキペディア ・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A5%8F

この「内奏」問題をクリアするために、小泉が選んだのが、「ジョージ五世伝」。おそらく、この伝記の中で引用されているウォルター・バジョットの君主論における三原則を重要視したのだろうと推測されている。(ケネス・ルオフ)

●バジョットの三原則(王は諮問に対し以下の権利を持つ)
①忠告し ②奨励し ③警告する

内奏行為を正当化する

※ケネス・ルオフ (Kenneth James Ruoff, 1966年 - ])はアメリカ合衆国の歴史学者、日本研究者。ポートランド州立大学教授。 Center for Japanese Studies(日本センター)所長]。著書『国民の天皇』で2004年大佛次郎論壇賞受賞。
‥ウィキペディア・・

※ウォルター・バジョット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88


このように、象徴天皇制議論を詳細に詰めていくと、きわめて難しい要素が多く存在する。

ただ、このウォルター・バジョットの考え方は、マキャベリの「君主論」を発展させたもので、きわめてリアリスティクで福沢諭吉の乾いたプラグマティズムと認識を共有するものがあると考えられる。小泉が、「帝室論」と「ジョージ五世伝」を進講の材料に選んだ理由もその辺りにあるかもしれない。

【5】小泉信三の考える象徴天皇制

小泉が、「帝室論」について触れたのが、1948年。彼の解釈は以下の通り。

・・「皇室は政治社外に仰ぐべきものであり、またかくてこそ始めて尊厳は永遠に保たれる。 苟も日本において政治を談じ、政治の事に関するものは、その主義においてかりそめにも 皇室の尊厳と神聖を濫用してはなら」ない。皇室の任務というのは「日本民心融和の中心」 となることである。政治は人の「形体」は支配できるが、「人の深奥の心情」を動かすこ とはできない。であるから、「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する一事に至って は終にこれを皇室に仰がなければなら」ない。「爾来六十年を経て回顧すれば、先生の尊 皇の志とその先見洞察とは、新憲法の制定せられた今日において特に人の心に感ぜしむる ところが多いと思う。」 ・・・・

小泉の帝室論の解釈は、福沢の皇室の活用法と言う意味できわめてプラグマティック。彼は、皇室の任務というのは「日本民心融和の中心」 となることである、と断じている。

・・政治は人の「形体」は支配できるが、「人の深奥の心情」を動かすことはできない。であるから、「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する一事に至って は終にこれを皇室に仰がなければならない・・・

これは、ある意味、日本独特の考え方と言って良い。「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する」のが、象徴天皇制の最大の役割でこれは皇室にしかできない、と言っている。

ここが立憲君主制のイギリス王室との大きな違いになる。イギリス王室の住人は、お世辞にも【徳義の風俗】を維持する中心とは言い難い。逆に言えば、彼らは、君主であっても人間で、人間としての喜び、悲しみ、苦悩、煩悩を体現している。

小泉の言う【徳義の風俗維持】というのは、戦前の神格化された天皇制の残滓を引きずっていると言わざるを得ない。この辺りが、戦前の良質な知識人であった小泉の限界だったかもしれない。

このように読んでみると、小泉は、福沢の「帝室論」に象徴天皇制のモデルを見ている。事実、彼は、「爾来六十年を経て回顧すれば、先生の尊皇の志とその先見洞察とは、新憲法の制定せられた今日において特に人の心に感ぜしむる ところが多いと思う。」と書いている。

このように見てくると、小泉信三が何を思い、何を考えて、「帝室論」を明仁親王の進講の教材に使ったかは明らかであろう。

同時に、彼は象徴天皇制の歴史とか意義とか思想的意味とか、そのような形而上的問題については、あまり語っていない。そんな事を語っても、「生まれながら天皇として生きる事を定められた宿命」のもとに生まれた明仁親王に何の意味もない。

彼はあくまでも、定められた宿命をどのように生きるか、を具体的に語った。「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する」には、どうしたら良いか。おそらく、小泉は、皇太子への進講のすべての目的をこれ一本に絞った。テニスボールを自ら拾う、などという何でもない行為一つ一つに、「人情の世界」の具体性を教え、【徳義の風俗を維持する】具体的行為を教えたのであろう。

【6】 明仁天皇の考える象徴天皇制

昭和天皇が最初に担った戦後の「象徴天皇制」の歴史的役割については、渡辺治氏の「保守政治の従属変数、利用の対象」であって、実際の政治的力はほとんどなかった、という評価は、肯定しなければならない。

その後を継いだ明仁天皇は、父親である昭和天皇のやり方をほとんど踏襲しているが、天皇の国事行為をきちんとこなした後、象徴としての【公的行為】に力を注いだ。実質的には、【公的行為】の拡大と言って良い。何故なら、【公的行為】には法的規定はなく、天皇の意志によるところが大きい。

では、明仁天皇は、象徴天皇としての【公的行為】を拡大したのだろうか。

★制度としての天皇制

わたしは、明仁天皇は、【制度としての天皇制】を徹底的に生きる覚悟を固めたのだろうと推測している。では制度としての天皇制とは何か。

評論家で詩人の吉本隆明に源実朝を書いた評論がある。その評論の骨子が、【制度としての実朝】論である。この論は、歌にそって説明が必要である。

大海の/磯もとどろに/よする波/われてくだけて/さけて散るかも

・・・【かういう分析的な表現が、何が壮快な歌であらうか。大海に向つて心開けた人に、この様な発想の到底不可能な事を思ふなら、青年の殆ど生理的とも言ひたい様な憂悶を感じないであらうか。(中略)いかにも独創の姿だが、独創は彼の工夫のうちにあつたといふより寧ろ彼の孤独が独創的だつたと言つた方がいい様に思ふ。(中略)これが、ある日悶々として波に見入つてゐた時の彼の心の嵐の形でないならば、ただの洒落に過ぎまい。】(小林秀雄『無常といふ事』所収「実朝より)・・・

吉本の解釈も小林の解釈と変わらない。ただ、吉本は、実朝の孤独の解釈に【制度としての将軍】を生きるという意味を付与した。

よく知られているように、源実朝は、鎌倉幕府の三代将軍。初代頼朝は、流人。平家との戦争に敗れた源氏の御曹司。本来なら命のないところを命だけは助けられ、伊豆に流された。当然、彼の行動は平家によって監視されていた。

しかし、地方豪族にとって、源氏の御曹司はいわゆる【貴種】。存在そのものに意味があった。それが彼を鎌倉幕府初代将軍にしたものだった。頼朝は、自分を将軍にしてくれた地方豪族(北条氏など)を大切にしたし、それなりの配慮もした。頼朝は、将軍ではあったが、自分の置かれた位置をよく知っていた。それが、彼が将軍としてそれなりの権威と権力を保持できた要因だった。

ところが、二代目頼家は、そういう配慮があまりできないし、自らの立ち位置をあまりよく理解できていなかった。それが彼が修善寺で非業の最後を遂げる原因となった。

その後を継いだのが実朝。西行と実朝と言われるくらいの歌詠みだったが、現実世界での彼は非常に孤独だった。将軍と言う名前はあっても、実質的権力はない。文字通り名前だけの存在だった。同時に彼は、兄頼家の非業の最後の原因を知っていたはずである。将軍として、自らの意志を押し通せば、待ち受けているものは死。だから、彼はただ【制度としての将軍】を生きた。彼は、自らが「本当の事を言えば、世界が凍る」情況を生きなければならなかった。

●大海の/磯もとどろに/よする波/われてくだけて/さけて散るかも

この歌が、これほど辛い精神状況で読まれた歌だとしたら、小林の言う通り、実朝の孤独の精神のありようが独創的だった、と言う事になる。吉本は、この孤独のありようを【制度としての実朝】という視点で論じたのである。

明仁天皇の象徴天皇としての【公的行為】拡大の決意は、実朝の歌詠みに賭けた決意と重なるように見える。彼以外には、天皇の孤独は理解できない。彼以外には、天皇の覚悟は分からない。日本でただ一人の存在であるがゆえに、日本でただ一人の孤独を覚悟しなければならない。彼の悩みや苦しみは、そのほとんどが【抽象的悩み】であったはずだが、その【抽象性】に生きなければならないのが、天皇だった。わたしは、これを【制度としての天皇制】だと考えている。

★慰霊と鎮魂の旅

太平洋戦争で死亡した人々への【慰霊と鎮魂の旅】を天皇在位中に精力的に行い、その足跡はパラオ諸島まで及んでいる。もちろん、沖縄にも出かけ、平和の礎の前で鎮魂の祈りをささげた。

天皇の慰霊の旅にかける思いの解釈は様々あるだろうが、以下の文章が一番近いと考えられる。
http://news.livedoor.com/article/detail/10346601/


さらに毎年全国各地で頻発する自然災害の被害者の慰問とお見舞いを欠かしたことはない。齢を重ねるとよく分かるが、被害者の前で正座をして、被害者と同じ目線で話を聞く。この姿勢はなかなかできない。正座から立ち上がるのが大変難しい。明仁天皇も美智子皇后もそんな事はおくびにも出さず、平然とその姿勢を続けてこられた。

林家辰三郎だったか誰だったか、京都史学と呼ばれた歴史学者が、天皇ほど便利なものはない、と言っていた。その心は、「転変地変だろうが政治的災悪だろうが、みんなわたしが悪いのよ、といって責任をかぶってくれる存在ほど、ありがたいものはない」と言っていたが、明仁天皇と美智子妃殿下の象徴としての【公的行為】は、まさにこの評価そのものであると言える。

明仁天皇にとって、【公的行為】とは、天皇と言う存在の抽象性を具体性に変える重要な行為だった、と言えるのではないか。天皇制がこれだけ存続してこられたのも、こういう天皇家のありようが大きな要因だったことは間違いない。

私自身は、明仁天皇の象徴天皇制についての考え方の中核に、この世の様々起きる災悪に【全部わたしが悪いのよ】と全ての責任を負うのが天皇の宿命という考え方があると考えている。そして、その宿命を具体的行為に変えて、国民の前に差し出す。これが国民統合の要(象徴)になると考えておられるのではないかと想像する。これが小泉信三の言う【国民の疾苦に寄り添う】思想だと思う。

だから、明仁天皇になってから、天皇制についての疑問を呈する論者が少なくなった。昭和天皇の時代、あまりにも「保守政治の従属変数」的要素が目立った。理由は明白。昭和天皇の心の中に、戦争責任についての忸怩たる思いが終生付きまとったのではないかと想像する。

この点が明仁天皇と違う。さらに、小泉信三は、きわめてプラグマティクな考え方で天皇制を考えていた。つまり、天皇制はかくあるべき、という理論から天皇制を考えるのではなく、【むしろ、現状の象徴天皇制をどのように理論化し、正当化するかを目指した】。

これは福沢の立場に近い。新憲法下での天皇制を丸ごと認めたところから出発し、時代の進歩や変化に応じた【象徴天皇制】のあり方を模索し、理論化し、正当化する、というのが、小泉信三の姿勢だった。

明仁天皇が在任中ずっと【象徴天皇のありよう】について熟考し続けてこられたのも、小泉の思想や思考のありようの影響が大きかったと言わざるを得ない。

同時に明仁天皇は、戦後の民主主義志向にも柔軟に対応された。園遊会の席上で将棋の米長氏が、「学校で国旗を掲げる運動を一生懸命やっている」と言う趣旨の話をしたとき、天皇は「強制はいけません」とぴしゃりと言い放った。この断固たる姿勢は、明仁天皇の民主主義的思想の強靭さを感じさせた。

天皇制の存続については、多様な意見がある。それぞれにそれなりの論拠がある。天皇制と言うシステム自体が、民主主義システムとは本来相容れない。それが分かっていながら、【象徴】というきわめて微妙な立ち位置で存在している天皇制の頂点に位置する天皇が、最も日本国憲法の遵守義務を果たしている。

本来なら、政府与党や国会議員、官僚たちこそ、最も憲法の遵守義務がある。その彼らが、憲法遵守義務をないがしろにする。これが、平成と言う時代の思想状況の悲惨さである。

明仁天皇の退位を巡って様々な問題が顕在化している。秋篠宮の「宮内庁長官」に対する批判も、この間の天皇家と政治の確執を感じさせるに十分である。

家永三郎が、福沢諭吉の帝室論や尊王論の真の狙いを「天皇制護持論の形をとっているけれど、そのためには天皇を政治上の実権から遠ざけねばならぬとする点では、天皇の大権強化を主張する政府とその他一般のいわゆる「尊王論」とは、名は同じでも、実際は著しく違ったものだと言わなければならない」と書いたのと同じ状況が現在の日本で起き始めていると感得しなければならない。


「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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「バッシング~その発信源の背後に何が~」

2018-12-20 16:19:53 | マスコミ報道
12月16日に、関西のローカル・ドキュメンタリー番組「MBSドキュメンタリー/映像'19」で放送された「バッシング~その発信源の背後に何が~」が、ちょっとした話題になっています。

『・・・今や誰もが簡単に自由に言論を展開できるようになったインターネット空間。自由な発信によって、さまざまな摩擦も引き起こす。ひとたび放たれた言論は、評価されることもなく、誰も責任をとらずに連打され、特定の個人に攻撃を呼び掛ける呼び水となっているかに見える。バッシングの背後にあるものは何なのか。その正体を探ってゆく。』
https://www.mbs.jp/eizou/backno/181216.shtml

ある時突然、同じ人や媒体に対し同じような言い回しでバッシングの嵐が巻き起こる、というのは最近私たちがよく目にする光景ですが、そこにはある明確な仕掛けが存在する、という現実を見事に切り取っていて、「成程、そういうことなのか」と思わせられる、一見の価値がある番組です。

現在は以下で見ることができます。(約50分)
https://www.youtube.com/watch?v=pj2qqTPIo90&feature=youtu.be

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
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世界の未来は?(2)

2018-12-18 10:34:58 | 政治
(B)国際情勢の変化とそれに伴う政治的変化

経済的変化(下部構造の変化)の潮流は、必ず上部構造である【政治】【思想】【文化】の変化となって表れる。だから、政治や文化の潮流の変化を子細に追っていけば、必ず経済的変化に行きつく。

もし、現在の日本の政治や文化、言論状況が、啄木が主張した【時代閉塞状況】に陥っているとしたら、日本の経済が閉塞状況に陥っている証左だと考えなければならない。

その視点で世界の政治状況を見てみると、明らかに唯一の【覇権国家】としての米国一強時代は確実に終焉に向かいつつある。

★米中貿易戦争

例えば、米中貿易戦争である。G20での会談で一時休戦をしたようだが、本質的解決はしていない。トランプのツイッターでの呟きや、米国の要請によるカナダでのファーウェイ副会長の身柄拘束など波乱要因が目白押し。早速、ファーウェイ副会長逮捕の報復として、中国はカナダ人二人を拘束した。

米国は、ファーウェイのスマホや通信機器などで中国当局に情報が盗み取られると警戒しているようだ。その理由で、同盟各国にファーウェイ製品を使用しないように要請している。

「盗人 猛々しい」という言葉がある。こういう手口はこれまでのアメリカの常套手段。オバマ大統領の時、ドイツのメルケル首相の携帯が、CIAに盗聴されていたという話が公になった。「同盟国まで盗聴するのか」とメルケル首相がたけり狂い、オバマ大統領が謝罪に追い込まれた。これがアメリカのやり口。

まあ、諜報の世界では、同盟国であろうとなかろうと、この程度の盗聴は当たり前。各国の大使館では、盗聴されているという前提で、大使館内の会話が行われている。

だから、アメリカの言い分は、「俺たちの盗聴は当たり前。しかし、俺たちを盗聴するのは許さない」という論理に過ぎない。特許獲得件数はファーウェイがダントツの世界一。第二位がZTE。いずれも中国企業。ここで頭を押さえておかないと、アメリカが完全に負けてしまう、というわけ。特に5Gと呼ばれる次世代の情報技術では、アメリカは確実に中国に後れを取っている。この危機感は半端ではない。

【江戸の仇は長崎で】という言葉がある。江戸での恨みを江戸では晴らせないので、長崎で恨みを晴らす、と言う意味。武家社会では、身分制度の壁でこの種の恨みが蓄積したのだろう。

アメリカのやり方は、IT産業競争で中国に負けそうなので、純粋な経済競争ではなく、安全保障を絡めた【諜報戦争】に引きずり込んで、世界でのファーウェイのシェアー拡大を阻止するというものだろう。経済での劣勢を政治の力で捻じ曲げようと言うわけである。

これは誰がどう見てもアメリカのやり方は筋が悪い。この辺りを見ていても、アメリカの覇権の揺らぎが見て取れる。

このように見てくると、グローバル経済の足元が完全に揺らぎ始めている。グローバル経済がグローバル経済であり続けるためには、世界最適調達・世界最適生産・世界最適販売という三条件をクリアーし続けねばならない。

アメリカ企業が圧倒的力を保持し続けている間は、このシステムはきわめて有効だった。ところが、ファーウェイなどは、今やアメリカ企業を完全に凌駕し始めている。

先の投稿の「米中貿易戦争」でも指摘したが、今や米国国内の格差は無視できないほど広がってしまった。アメリカ国内のホームレスは世界一。貧富の格差は世界一。国内の貧困対策はもはや無視できないほど深刻。トランプ大統領の【アメリカファースト】政策の背景は、このようなアメリカ国内の事情がある。

※世界を巻き込む中国と米国の貿易戦争
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/554210b1110d99bb02ce59df909ca7ce


しかし、トランプ流の政策を強引に推し進めると、上記の、世界最適調達、世界最適生産、世界最適販売という、グローバル経済の秩序は、本物の解体へと向かっていかざるを得ない。

自国の自動車産業保護のため関税を上げるなどという政策は、結局、自動車などの主要産業は、一国産業という形態にならざるを得ない形に追い込まれる。【その国でつくり、その国で売る】という形態にならざるを得ない。

例えば、図体がでかく、ガソリンを湯水のようにまき散らして走るアメ車などは日本の風土に合わない。結局、アメリカの地域特殊性にあった車と言う事になる。これが様々な産業でも同様な形になる可能性が高い。結局、産業の多様性やエネルギーの多様性、多様なマーケティングなどに変容せざるを得ない。

世界中で安さ競争の血道を上げ(労働者の賃金が上がらない)、国境を越えて世界中を移動し、自分たちの利益だけは確保する、という国際資本の身勝手な理屈は崩壊せざるを得ない。国際資本の解体が視野に入り始めたのである。

★資本主義の未来

わたしたちはもう一度資本主義について考えなければならない時期に来ている。おそらく、資本主義というシステムは、一つ間違うと、専制政治、寡頭政治、軍国主義とファシズムに向かう可能性が高い。
基本的に非合理的で、反民主的傾向を持ったシステム。

特に、新自由主義的経済論は、時代の最先端の技術(ITやAI)を駆使して、労働者や弱者に対しては、非人間的で冷酷な極限の合理的環境(労働生産性などと呼ばれる)を作り出す。

ところが、それらの技術を使いこなす一握りの経営者・支配者(1%)には、弱者に適応される環境は適用されない。彼らの精神や行動は自由であり、何者にも縛られない。彼らの欲望は無限であり、逆に欲望の無限さが善とされる世界に住んでいる。

このメカニズムに支配されたシステムは、必然的に専制政治、寡頭政治、軍国主義、ファシズムに傾斜するのは当然である。

こういう社会では、経済が比較的順調に行っている時は、権力側(体制側)は余裕があり、国民に「自由民主主義」の幻想を与え、その活動を大目に見る。(かっての自由民主党政権)

しかし、経済が不調になり、体制がガス欠状態に陥る(バブル期以降の日本経済)とその影響は必ず国民を直撃する。生活に不安のある大衆は、現状に不満を持ち、世相が揺れ動き、不安が増幅される。

この大衆の不安を解消する手段を持たない体制側は、結局より強い問答無用な権力行使を行う。この一連の進行が現在のフランスの政治経済危機の中で行われている。16日のデモに対するマクロン大統領の弾圧は、もはや彼が民主主義的方法をとるだけの余裕がなくなっている事を如実に示している。

表面的な経済数値とは別に生活レベルでの何十年にもわたる経済緊縮と大量な貧困者の増加が、西欧諸国では、資本主義がもはや「自由民主主義」の顔を失いつつあることを示している。水野和夫氏の「資本主義終焉論」や「会社終焉論」もこの文脈で考えなければならない。

誰しも人間らしく生きたい。その為には、人権が大切にされる社会を構築しなければならない。まっとうな仕事と給料をもらえ、毎日の生活が安心して送れる社会を望んでいる。税金を払うに値する公共サービスが提供される事を望んでいる。

これらが失われた社会やシステムに人々は怒っている。これらが満足に提供されず、一握りの人間(1%)の自由と人権だけが尊重されるシステムに対して怒っている。99%の人間一人一人が、ささやかに生きる希望が失われる事を怒っている。これが国際関係に大きな影響を与える。

例えば、国際資本の上に「国際金融」システムがある。トランプ大統領が指名したFRB議長ジェローム・パウエルは、さらに金利を上げていく予定だと言われている。‥ウイキペデイア;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB

FRBの利上げは、国際金融資本にとってマイナス材料。金利の安いお金を使って、国債資本は、株や債券などを買い、大きな利益を出してきた。

日銀の黒田総裁の「異次元の金融緩和」政策は、FRBが利上げをしやすい環境づくりのため。国際資本が米国で調達しにくくなった資金を日本で調達しやすくするため。要するに、黒田総裁が胸を張った異次元金融緩和策は、日本国民のためではなく、FRBの金利引き上げ環境の整備と国際資本の金儲けのためである。

結局、日銀は、GDPより多い500兆円に及ぶ債券を保有してその出口すら見つかっていない。このままでは、早晩行き詰まる事は明らか。きわめて危険な水域に達している。

さらにもう一つの危機は、アメリカ国民の家計の問題である。アメリカ国民の借金体質はつとに有名。FRBの金利引き上げは、即アメリカ国民の借金の金利が上昇する事を意味する。金利が上がれば上がるほど借金が払えなくて、破産する国民が増加すると言う事。国民生活も大変だが、同時にこれは金融機関を直撃する。金融機関にとって往復ビンタを食らったようなものだ。

その為、FRBの利上げがこれ以上続くと、国際金融資本の秩序それ自体が解体の危機に瀕する可能性が高い。その可能性が高まった時に、FRBが緊急利下げをすると、猛烈なドル安の嵐が吹きまくり、世界の金融システム(ロスチャイルド家が張り巡らしたシステム)が崩壊する可能性大。トランプが目の敵にしているウオール街とイギリスのシティが力を失う可能性が高まっている。

当然、この国際金融資本と深く結びついている軍産複合体(いわゆる戦争屋)の没落も加速する。世界から米軍の撤退という事態も夢ではない。反戦運動よりもこのやり口が有効なのかも知れない。

世界の未来(3)

★中東情勢の変化

中東問題はあまりにも複雑で良く分からないというのが大方の意見だろう。様々な要因が複雑に絡み合って一筋縄ではいかない地域である。ただ、幾何の問題でもそうだが、この複雑な地域の問題も、一本の補助線を引くことによりくっきりと見えてくる。ではその補助線と何か。

◎アメリカは、二つある。・・・⇒この勢力争いが問題を複雑化する⇒これが補助線

(1)トランプ大統領の命令を聞く米軍とCIA⇒ 応援団としてプーチン大統領
(2)トランプ大統領の命令を聞かない米軍とCIA⇒応援団としてポロシェンコ大統領(ウクライナ)

先日亡くなったパパ・ブッシュ時代に湾岸戦争が起きた。日本はその時1兆円以上の金を出した。しかし、「日本は金だけ出して血を流さない」といわれ、国際的な評価が低かった。外務省はこれがトラウマになり、ブッシュ・ジュニアのイラク戦争の時、時の小泉政権は、自衛隊をイラクに派遣した。

実は問題はそこにはなかった。これは外務省の巧妙な世論誘導。本当の問題は、日本が出した1兆円以上の金の行方が全然分からないところにあった。米軍の戦争予算のどこかに組み込まれたのか、それともCIAの秘密資金に組み込まれたのか。米軍の戦争資金というのは、ほとんど藪の中。

米軍やCIA予算の訳のわからなさは、日本が米軍の払い下げ武器を米国の言い値で買っているところに垣間見える。たしか米下院で「日本に米軍の中古武器を売れば儲かる」という発言があったようだ。日本に対する米国の意識が垣間見える発言である。軍産複合体の危機醸成により、武器が高騰する。きわめて有効な金儲け戦術。これが本質である。

何を言いたいかと言うと、CIAの予算は、政府の出す公式な予算のほかに膨大な秘密予算があると言われている。日本の出した1兆円のお金もこの秘密予算に組み込まれたのではないか、という疑いが拭いきれない。

世界で起きている危機の多くには、必ずと言っていいほど米国の影が見える。世界中の紛争や危機に関与するだけのお金がどう調達されているかは、基本的に秘密のベールに包まれている。

◎影の政府

戦後長く続いた米ソ冷戦体制下、大統領の指揮下にない軍とCIAやそれに関連する企業・産業群が巨大な力を持つようになった。いわゆる軍産複合体と呼ばれるものである。

これが【影の政府】と呼ばれるものである。そこに多国籍企業(国際資本)などが金儲けのために集まってきた。アイゼンハワー大統領が最後の演説で軍産複合体の危険性について警告を発したが、時すでに遅かったのである。

イラン・コントラ事件が象徴的で、彼らは、金儲けのためには多少の法を破る行為も辞さなかった。

※イラン・コントラ事件 (ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

サウジ王室の事件が象徴的だが、トランプ大統領は、あまり追及せずに幕引きを図ろうとしている。しかし、CIAはムハマンド皇太子の責任追及をしている。アメリカ政内の勢力争いの構図が中東で表れている。

現在のシリア情勢、イラン問題、南オセチア問題、サウジアラビア問題、イスラエル問題(首都移転)など中東の情勢は複雑怪奇の一言に尽きる。戦争なしにこれらの問題が解決するかはきわめて不透明。ただこの問題の根源には、米国内の二つの勢力の勢力争いがある。

中東の現実は、もはや論議ではなく、武器の戦いになっている点にある。サウジアラビア、イスラエル、バーレーン、UAEなどが、崩壊の危機にある。この勝負の行方は、ほとんど見えている。トランプ側の勝利。トランプの後ろにプーチンがいる。この二人を相手にして、金儲けが目的の軍とかCIAに勝ち目はない。それだけロシアの武力はアメリカを完全に凌駕している。

・・「 ロシアには兵器システムでアメリカが到底かなわない遥かに能力の高い軍がある。アメリカは負債に溺れており、ワシントンが他国に課している非合法で無責任な制裁は、世界最大の国を、世界準備通貨としてのアメリカ・ドルや、SWIFTのような欧米の決済システム離れを促進している。アメリカは墓に片足を突っこんでいる。アメリカと同盟するのに十分愚かなあらゆる国は、死にゆく者と同盟しているのだ。
 
陸軍元帥のアイゼンハワー大統領は、57年前、政府を支配するアメリカ人の能力に対して、軍安保複合体は脅威だとアメリカ人に警告したが、効果はなかった。現在、軍安保複合体が政府なのだ。

ウド・ウルフコッテが著書『Journalists for Hire: How the CIA buys the News(お雇いジャーナリスト:CIAによる報道買収)』で説明したように。だが、ドイツの書店でドイツ語の中古本を見つけられないかぎりそれは読めない。CIAが、公式の説明から自立したジャーナリズムが、もはや欧米に存在しないようにしているのだ」・・・
(自身の利益に反する形で世界秩序を変えつつあるワシントン)
Paul Craig Roberts (マスコミに載らない海外記事) http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-77e0.html

現在イスラエルはほとんど封じ込められた。過激派のネタヒエフ首相は、汚職の捜査で力を失いつつある。

日本ではあまり知られていないが、戦後建国されたイスラエルに入植(キブツ)した多くのユダヤ人は、ロシアのコーカサス地方に住んでいた。現在のウクライナに住んでいたユダヤ人も多かった。だから、イスラエルはウクライナとの関係には敏感。ヤヌコビッチ前大統領追放にもイスラエル(特にモサド)は相当深く関係を持っていた。

ロシアとの緊張関係を深めるというのは、ネオコンの基本戦略。ウクライナのNATO接近もこの文脈で読み解ける。(ウォルフォウィッツの世界制覇の基本戦略が実行されている)

ポロシェンコ大統領がクリミア半島でロシアとの緊張を煽っているのも、彼が(2)のトランプ大統領の言う事を聞かない軍とCIAの側に属しているからである。

どの国でもそうだが、国の顔である大統領や首相と議会などの意見が食い違う場合がある。どの国の首脳も、外交関係を決定的な危機に陥れるような言辞はできるだけ慎むのが当たり前。本音の部分は、議会での議論などに現れる。

サウジアラビアに対するアメリカの立場もそう。トランプ大統領はサウジとの決定的な関係の亀裂をさけるため、皇太子の犯罪をそうだと決めつけて批判しない。それより、大量の武器購入をしてくれるサウジとの関係を優先するというわけ。

米議会では、CIAが皇太子が黒幕である状況証拠を並べている。CIAの思惑は、トランプの行動を制御しようとしているのだが、同時に軍産をもうけさせてくれるサウジとの決定的な亀裂を避けようとしているトランプ支援の意味合いもある。本音の部分では、サウジを困ったやつだと思っている。

どちらにせよ、サウジの国際的信用はがた落ち。政権に対する批判者を暗殺してしまうような国家は信用できないというのが国際的評価。原油価格も50ドルを超えなければ、サウジなどは国家経済が維持できない。

さらにサウジアラビアの武器購入目的は、南イエメンの内戦介入のため。イランも南イエメンに介入している。この南イエメン内戦介入による人道被害は甚大。一説によれば、世界最悪レベルともいわれている。

サウジ王室の強権体質が明らかになるにつれ、南イエメン内戦に対するサウジへの批判が高まるのは確実。もはや、サウジアラビアは、イエメン内戦では勝てない。サウジアラビアの凋落は避けようがない。と言う事は、もう一方の内戦当事者を支援しているイランの勝利と言う事になる。

トランプ大統領登場以降、サウジアラビア・バーレーン・UAEなどが、米国軍産複合体(戦争屋)とイスラエルと結びついている事が明白になった。こういう構図が明らかになればなるほど国際社会の信用はがた落ちになる。もはや、これらの国々の凋落も避けようがない。「親亀がこけたら、小亀、孫亀みなこけた」状況になるのにそんなに時間はかからない。

ではその後の中東はどうなるのか。北からはイラン、西からはトルコ。それらすべてに影響力を行使するのがロシア。米軍は撤退という図式になりそうだが、まだまだ(2)のトランプ大統領の指示に従わない米軍やCIAの勢力も強いので、もう一揉み、二揉みありそうだ。

アフガニスタンもトランプ大統領は米軍を撤退させる意向だ。米軍司令官が「もはや勝つ見込みがない」と言っているくらい、情勢は良くない。タリバンの優勢は確実。ブッシュ・ジュニアが始めた戦争だが、米軍は、十数年をかけて一体全体何をしたのか、誰にも答えられない。ただ、多くの人命が失われ、人々の生活は破壊され、国土は荒廃し、人心も荒廃し、残るのは憎しみと恨みだけ。

戦争によってアフガニスタンが獲得したものなど何もない。アフガンの人々から言わせると、「誰がこの責任をとるのだ」という話である。戦争が金儲けの手段である軍産複合体の戦争の結末である。彼らがアフガンで犯した罪は、一言では言えないくらい重くて深いと言わざるを得ない。

◎アジアの変容と日本

金融の変化、それに伴う軍産複合体(戦争屋)の凋落、世界的な安全保障の世界の変質も見え始めた。特にアジアの緊張要因だった北朝鮮と米国の会談はいずれ大きな変化をもたらしてくる。ここでもトランプ大統領の言う事を聞く米軍とCIA。聞かない米軍とCIAの綱引きが激しい。

日本の安倍政権は、米国と北朝鮮の関係回復、朝鮮半島の平和回復などは決して望まない。朝鮮半島の緊張激化こそ、彼らの主張のよりどころ。何が何でも北朝鮮は緊張激化に動いてほしいと願っている。

日本は(2)の言う事を聞かない米軍とCIAの側の影響力が大きく、メディアの論調はトランプ大統領を誹謗中傷する意見が多いが、アジアの安全保障環境の変化は必至。

日本の防衛大綱の改編や米軍武器の大量購入、実質的空母の建造は、この変化を嫌う(2)の言う事を聞かない米軍とCIA側の影響が大きいと言わざるを得ない。この決定が、世界の潮流にあっているかどうかは、きわめて怪しいと言わざるを得ない。

世界的に見れば、新自由主義の終焉(資本主義の終焉まで視野に入り始めている)や国民国家の解体も想定内の出来事として考えなければならない時代に入った。

そんな世界情勢の中で、2019年は、一周遅れの新自由主義的政策を強行し続けている安倍政権は何を考えているのか、真に問われる年になる事は確実である。

さらに言えば、これからは、世界的に反グローバリズムの運動が燃え上がるにちがいない。現に、フランスの運動は、ベルギーやオランダに飛び火している。

これに加えて、労働運動が燃え盛るに違いない。日本の連合のように企業の回し者のような「ダラ幹」が支配する労働組合は労働者から見放される時代に入る。これから生き残ってくる労働組合は、本物の戦う組合だけになるだろう。戦わない労働組合に組合費を払って幹部の生活を保障する余裕などない。

「連合」と彼らの支援を当てにする国民民主党などの体たらくは、労働者の願いを実現するものではない。もはや彼らは駆逐されるべき存在に成り下がっている。

貧富の格差が一段と激しくなり、移民政策により、安い外国人労働者の雇用が進むと、生活権を脅かされる日本人労働者たちもいつまでもおとなしく出来るわけがない。様々なところで、労働争議が激しさを増さざるを得ない。そうなると、企業の経営者たちにも相当な覚悟が求められる時代の到来だろう。ただ偉そうに労働者を顎で使える時代の終わりはすぐ傍に来ている。

ピケティは次のように語っている。
『このような資本主義の下では横暴で持続不能な不平等が一人で生まれる。その不平等によって、民主的な社会の基盤である能力主義的な価値観は根底から崩れる。』・・・

ボールは強く叩きつけると大きく弾む。これまで、労働者を奴隷のごとく扱ってきたのだから、その反動は生半可のものではない。

そして世界的規模での価値観の大転換が起こり始めると、これは簡単には終わらない。おそらく、10年単位で世界中が変化し始める。

この変化についていけない国は、必ず没落する。そしてこの変化を先取りした国家が、21世紀を生き延びる。

安倍政権の一周遅れの新自由主義的政策の結果、日本は没落する国家になる事は確実であろう。日本人は、「馬鹿な政府を選択した国民が馬鹿」という真実を身に染みて感じなければならない日も近い。

「護憲+コラム」より
流水
コメント (3)
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STOP辺野古工事・ホワイトハウスへの請願署名

2018-12-17 20:35:06 | 沖縄
今朝の東京新聞・1面記事を読み、さっそく署名してきました!
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018121790070726.html?ref=hourly


ホワイトハウスの当該署名ページのフォームに書き込むと、メール返信があり、メール本文のリンク「Confirm your signature by clicking here.(ここをクリックして、あなたの署名を知らせる・・・かな?)」をクリックすれば、完了です。

https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa

現在、80,937筆に達しています、ぜひ!

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
猫家五六助
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世界の未来は?(1)

2018-12-17 16:57:10 | 政治
(1)時代閉塞の現状

石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いたのが、大逆事件進行中の明治43年、1910年(8月末と推定される)とされている。正式な名前は、「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後及び明日の考察)。

生前もしこの文章を発表していたら、おそらく彼も無事ではすまなかったと思われる。この文章が発表されたのは、啄木の死後、友人の土岐善麿の編集した「啄木遺稿」(大正2年5月)である。

「時代閉塞の現状」を読めば、その先見性に驚く。彼が直面した大逆事件当時の現状と現在進行形の日本の状況に驚くほど酷似している。その中で、明治の青年としての啄木は何を感じ、何を覚悟したのか。

・・『斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々
の希望や乃至其他の理由によるのではない。実に必至である。我々は一斉に起って先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ・・・・』(時代閉塞の現状)

石川啄木がこの世を去ったのは26歳。現在の学制でいえば、大学卒業後4年と言う事になる。この若さで、「時代閉塞の現状」を書いた。当時の若者は、老成していたとはいえ、彼の鋭い観察眼には驚かされる。

この中で注目しなければならないのは、【此自滅の状態から脱出する為に、遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない。実に必至である。】と言う認識。

彼は【敵】の存在を認識せねばならない。それは【必至】である、と書いた。その「敵」とは、「大逆事件」をでっち上げた政府(国家権力)に他ならない。明確な反政府宣言である、と読める。

ひるがえって現在の状況を見てみよう。現在の日本の現状を素晴らしい、と感じている人間は、ほんの一握りだろう。大半の人は、何とかしなければ、危ないのではないか、と薄々は感じている。

さらに言えば、何となく【物言えば唇寒し】というヤバイ雰囲気を感じ取っているはずである。山本七平のいう【空気を読む】日本人の感性が現在ほど研ぎ澄まされている時は、戦後初めてであろう。

そういう物言わぬ状況が続けば、世の中おかしくなるのではないか、と感じ取っている人も多いはず。啄木の言う【自滅の状態】を感じ取っている人が大半だと思う。

しかも、この感覚は、日本一国のものではなく、世界共通の感覚に近い。明治との違いは、この世界の狭さの感覚にある。

ただ、欧米先進国との決定的な違いは、日本は、「こんな世の中おかしい」と声を上げる人の少くなさにある。増税に対するフランス国民の反対行動は、日本では信じられない行動だろう。彼我のこの違いが、日本国民の劣化を象徴している。

わたしたちはもう一度次の言葉を噛みしめなければならない。「この程度の国民に、この程度の政府」

(2)「時代閉塞」の感覚は何によってもたらされたのか。

世の中の雰囲気とか状況の変化は、二つの大きな要因によってもたらされる。まず、その事をきちんと認識する必要がある。啄木のいう【敵】の認識である。

(A)経済的変化
世の中の変化の底流には全て「経済的変化」がある。【経済】の変化こそが、全ての「変化」の基本だと認識しなければならない。

マルクス主義では、常識的な話だが、マルクス主義が忘れ去られた現代では、意外とこの認識ができていない。

問題は、現在の経済潮流のただ中で生きている人間であるわれわれが、未来の経済のあるべき姿をどう予測し、どのようにして新たな経済潮流を創出していくか、という知性が問われている。

①現在の新自由主義的経済論をどう見るか。
②新たな経済学の萌芽はあるのか
③アベノミクスに代表される日本の経済の現状は

①③についてまとめて考えてみよう。

★新自由主義的経済論の世界的現状

結論的にいうと、もう新自由主義は持たない。その一つの象徴が日産のカルロス・ゴーン会長の逮捕。増税反対に端を発したフランスのデモ。いまや、マクロン政権の新自由主義的政策(金持ち優遇)に対する全面的な対決に発展している。

さらに英国のEU離脱問題。メイ首相に対する与党の不信任案はどうやら否決されたらしいが、EUとの合意案が承認される見通しはたっていない。

最善の妥協案は、メイ首相辞任。次の首相により、もう一度、EU離脱の是非を問う国民投票を実施。EU離脱を否決する事だろうが、非常に難しい情勢。もし、EUとの合意案が否決され、英国が合意なき離脱を決定すると、それ自体がEUの否定になる。EUの実質的解体に近い。

このような動きを生み出したのは、現実の社会の動きと、理論的には、トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」の影響が大きい。2011年オキュパイ・ウォールストリート活動にも大きな影響を与え、リベラルの主張と呼応し、バーニー・サンダース現象にも大きな影響を与えた。

そして、サンダースの支持層がヒラリーに向かわず、トランプ当選の大きな要因になった。

★新自由主義理論の根幹部分に対する理論的否定の浸透

新自由主義理論の根幹の一つに、【クズネッツ曲線】というものがある。米国の経済学者サイモン・クズネッツが提唱したもので、国が豊かになるにつれ、必ず【不平等】は拡大する。しかし、その不平等は、最終的には自然に収斂する、という理論。
●クズネッツ曲線;ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%BA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%84%E6%9B%B2%E7%B7%9A

●トマ・ピケティ氏によるクズネッツ曲線の否定

ところが、このクズネッツ曲線に対する根本的疑問が提示された。トマ・ピケティ氏の著書【21世紀の資本】である。

この著書の中で、ピケティ氏は、2015年の時点で世界富裕層トップ1%のシェアは残り99%の人々の富の合計を上回ってしまった、と論じ、結果としてクズネッツ曲線の誤りを指摘した。

彼は以下のように論じている。
・・「魔法のようなクズネッツ曲線は、・・・その実証的根拠は極めて弱いものだった。1914年~1945年にかけてほとんどの富裕国で見られた、急激な所得格差の低下は、何よりも二度の世界大戦と、それに伴う激しい経済政治的なショック(特に大きな財産を持っていた人々に対するもの)のおかげだった。
 戦後、格差が縮小したのは、戦時中に破壊された資本の再蓄積の過程で、一時的に高い成長になったからだ。・・・(21世紀の資本)

さらに彼は、r>gというきわめて分かりやすい定式を論じる。

彼によれば、資本主義においては本質的に経済格差の拡大は不可避であり、長期的にみると、資本収益率(r)は経済成長率(g)よりも大きい。資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積されるという理論。

換言すれば、 株や不動産、債券などに投資することで財産は増えていき、こうした財産の成長率は、給与所得者の賃金が上がる率よりも、常に高くなるので格差は常に拡大する。⇒ピケテイ理論の核心・・・市場と経済
市場と経済 FPアドバイス 
http://fpadvice.com/wpz/markets/%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%A8%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96/

安倍首相が口癖のようにいう、経済が拡大し、会社や経営者(金持ち)が儲かるといずれ労働者にもその果実がしたたり落ちるようにお金が回ってきて、生活が豊かになる、というトリクルダウン理論の根幹にこの【クズネッツ曲線】がある。

しかし、トマ・ピケティ氏によりこの理論の誤りが指摘されたのである。現実の日本でも貧富の格差は開く一方。ピケティ氏のいう【r>g】理論の正しさが証明されている。

新しい経済学は、今やこの理論を踏まえないと存在感を出せない。つまり、理論的にも新自由主義的経済学は終焉したと言って良い。

●アベノミクスに代表される日本経済の現状はどうか。

当初から、アベノミクスに対する批判は、心ある経済学者の間では常識だった。浜矩子女史などは、「アホノミクス」と最大限の批判を繰り返していた。

ここでは、経済学者植草一秀氏の批判を列挙しておく。彼は、「アベノミクス」を「アベノリスク」と呼び、その七つの大罪を挙げている。安倍政権が内包する7つのリスクを明らかにしたものだ。

インフレ・消費税大増税・TPP・原発・シロアリ増殖・憲法改変・戦争
・・・『アベノリスク 日本を融解させる7つの大罪』(講談社)
https://amzn.to/2BjXSM3

ここでは詳述しないが、いずれもこの危険は顕在化し、現在の日本の大きな問題になっている。

アベノミクスを主導した学者に竹中平蔵という人物がいる。竹中は、小泉内閣時代から新自由主義者として、政府の経済政策に重要な影響を与えている。

彼の経済学上の最大の論敵が植草一秀氏である、植草氏の破廉恥罪による逮捕、彼の失脚という一連の流れは、日本が「新自由主義的経済】に席巻されていく動きと密接に連動している。

現在、安倍内閣が連発している【民営化】という名目で、国富がハゲタカ資本に収奪されていく動き(一例が水道民営化法案等)の背後に竹中平蔵がいる。彼の民営化手法の本質は、民営化の道筋を法制化し、自らが会長を務める会社(パソナ)が民営化に参入し、大きな利潤をあげるというもの。

現に、加計学園の時、問題になった「国家戦略特区」の制度設計に深く関わり、その特区にパソナは参入している。きわめて悪辣で危険なやり口である。

少し、彼の思想を見る。

・・・階層的に、99%の市民と認定された人々は、半市民であり、準奴隷と云う扱いで、それらの国家に帰属する奇妙な世界秩序が出来つつある進行形の中で起きている。新自由主義の学者・竹中平蔵などは、99%にもチャンスは与えている。能力さえあれば、1%に属することが可能なので、社会的階層などは幻想で、努力ひとつで、市民になれるし、奴隷からも解放されると。しかし、万に一人が救われるシステムは、社会的システムとは言えないのである。それは偶発的現象に過ぎない。・・・
(世界的反グローバルの波 そんな中、新自由主義に走る日本)
https://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/490592cb9f1aa62502182d79408329a5
2018年12月13日 世相を斬る あいば達也

あいばの最後の言葉が重要。
「万に一人が救われるシステムは、社会的システムとは言えないのである。それは偶発的現象に過ぎない。」

これを教育に置き換えて考えてみれば、竹中の思想の理不尽さが一発で分かる。良く考えてほしい。万人に一人のための教育など、そもそも教育ではない。残りの9、999人は放り出される教育制度など、社会に差別を助長するだけで、百害あって一利なし。ない方がましである。

選ばれた一人になるなどと言うのは、【幻想】に過ぎない。これは教育ではなく、運任せの博打という。こう考えると、竹中平蔵という男の危険さ、異常さが非常に良く分かる。

先に書いたように、世界的には新自由主義的経済に対する反対が理論的にも社会的にも主流になりつつある時代に、竹中のような狂った新自由主義論者が政府中枢に陣取り、政策をリードしているのが日本の現状である。

しかも言論の府である国会が完全に機能不全に陥っている。メディアも完全に御用メディアに成り下がり、政府の御用聞きの役しか果たしていない。時代閉塞の現状も当然だろう。
(以下続編)


「護憲+コラム」より
流水
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