秋も深まり良い気候になってきた。
10/15.16日の両日、私の地元でも地元の神社の祭りが開催された。御神輿、神社に保管されていた四神像も神社を出て駅前を練り歩く予定だと聞いた。
この四神像とは、長年神社の奥深く仕舞われていた神像で、再び脚光を浴びて神幸祭として復活した。玄武、青龍、白虎、朱雀の四神が街を練り歩く神幸祭は、四年に一度開催されていたが、コロナ禍で祭りそのものが中止になり淋しい思いをしていたので、楽しみにしていた。
当日は曇り、雨は降らず天も細やかな庶民の楽しみに味方してくれたのか。賑やかなお囃子の音と掛け声が聞こえ、子ども達も粋に法被を羽織り、団扇で煽る御老人の姿も皆幸せそうだった。
ところが駅前の広場、階段やエスカレーターを上がった高くて広い広場に私が行った時、この祭りに水をさすようなことが起きた。
この広場の端は開けてあり、上から覗けるようになっていた。そしてそのフェンスには警備員が立っていて、「ここは近寄らないで!」と、何と無く威圧的に両手を広げていた。
男性が1人近寄ったら、「こら、入っちゃいかんと言っているだろ!」と言い合いになった。
話が聞こえ、男性は待ち合わせの人が来たかな?と上から見下ろしていたそう。警備員は「神様が通るのを上から見下ろすような失礼なことはさせない様にと、神社から頼まれている」とのことだった。
ああ、ここまで来たか、と私は暗澹たる気持ちになった。今まではこんな事なかったのに。
神様といえども人間が作った四体の像である。行き過ぎた偶像崇拝にまでいかなければ良いがと思った。
私の地元の神社は子どもの頃から慣れ親しまれ、お祭り、お正月の餅つき、節分の豆まきと、地元の庶民に愛されて来た。神様も庶民と神を隔てる事を良しとは思わないだろう。そして神様じゃなくて道路を見たい人もいるだろう。
最近神社に貼り付けられている「御参りの仕方」の紙も何だか感じが悪い。御参りなどその人の仕方で心があれば良いではないか。それをしないといけないなんておかしい。人の心まで踏み込まないで欲しい。
神社本庁恐るべし!私達の暮らしと心まで侵食されて行く様な気がする。
「護憲+コラム」より
パンドラ
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同調性を強要する圧力が、最近強まっているのでしょうか。同じような感じを受ける場面が結構あります。神社の参拝で言うと5,6人が一緒に参拝出来るスペースがあるのに、一人ずつの一列の列が出来ていたり、自転車の乗り方で言うと左側通行が規則だ、という思いがどうやら信念にまで昇華し、その場の状況がどうであろうと、信念を他人にまで押し付けることに拘る人、とか。
最近、タバコ吸いの喫煙の所作にもアレッと感じることがあります。どうやら喫煙場所が完全に規制されてしまった、が如く皆さん指定場所で煙をくゆらせています。混んでいる時は、ここでも列が出来ています。
同調圧力好き、上からの規制、規則化を期待し、受け入れることが好き、が現在の特徴なのでしょうか。
コメント頂き有り難うございます
そうなんですよ
神様が通るのを見下ろしてはいけない
なんてコロナ前はなかったのに
ほんの僅かな時間ならよいではないか
と言う人もいるかも知らないけれど、そのほんの少しの事がいつの間にか変えられ私達が気付かない内に大事な事まで変えられてしまう
自転車の走り方も喫煙所の形にしても、気付かない内に変わってしまいましたね
いつかこの国の形を根本から変えてしまう様な事になってしまうのではないか と心配シテイマス
でも未だ望みがない訳ではありません
統一協会解散を求める署名はネット、紙を含めて14万筆を突破しました
私も署名いたしました
あきらめず声をあげて行きましょう