「国民の生活が第一」は民主党が公約を破って消費税増税と社会保障の一体改革法案を成立させたことに反対して、小沢氏を中心に民主党の同志が立ち上げた党であるが、その義士的行動は国民との公約を守ろうとする尊いもので高く評価できる。
しかしその義士(国民の生活が第一の議員)にも、民主党時代があり、民主党が掲げていた公約や09マニフェストが実現できなかった責任の一端は免れない。また離党を免罪符にしてその反省を棚上げしていては、同じ過ちを繰り返すことになる。むしろ前向きに反省することが、今度の選挙で、「国民の生活が第一」への国民のより一層の信頼と安心感と支持に繋がるのではなかろうか。
ここでは民主党が国民の信頼を失うことになった大きな2つの問題を取り上げ、「国民の生活が第一」にも反省を求めたい。
1つは09総選挙キャンペーンで鳩山代表が普天間米軍基地の移転先を、「辺野古ではなく、最低でも県外」と沖縄県民に公約し、後日その発言を撤回せざるを得なかった問題である。当初県外発言は鳩山氏の個人的なものだったとしても、総選挙で民主党が第一党になり県外発言をした鳩山首相が誕生した時点で、その発言は現実の政治課題となり、辺野古移転反対派、賛成派(米国を含む)双方から賛否両論が噴き出し、鳩山首相は次第に窮地に追い込まれていった。
その頃民主党の幹事長は小沢氏であり、党改革の一環として党は内閣(行政)の仕事には口を出さないということを決め、民主党は国会での代表質問をやめ、予算委員会での質問もしなかったと記憶している。このような極端な党と内閣の役割分担が鳩山首相(行政)と小沢幹事長(民主党)間での協議をできなくし、結果、辺野古問題で内閣と党で「最低でも県外」との統一見解を示せなくなった。そして訪米した鳩山首相はオバマ大統領に不用意に「Trust me」と発言し、次第に孤立して、「最低でも県外」を撤回せざるを得くなったのではないかと思われる。
2つ目の問題は、16.8兆円の財源を事業仕分けで捻出できなかったことである。民主党の事業仕分け(行政刷新会議)は公開でなされ脚光を浴びたが、捻出総額は約3.4兆円と言われ、国民には期待はずれであった。
当初民主党は一般会計と特別会計をあわせれば約210兆円の財源があると言っていた。それに対して各省庁や独立行政法人の予算に聖域を設けず8%をカットすれば16.8兆円の捻出は机上で計算できる。民間会社であれば8%の経費削減はいとも簡単な数値であるが、それを民主党と民主党政権にはできなかったのである。
国民から見て残念なのは、内閣と党が一体となって政治主導のもと一律8%を削減すれば16.8兆円は捻出できたのではないかと言うことである。公開された事業仕分けでは、民主党の大臣が省庁の立場に立って予算削減に反論している姿も頻繁に見受けられたが、官僚に抱き込まれた象徴的な姿だったと言えよう。これでは16.8兆を捻出できるはずがなく、要ははじめに一人一人の民主党議員から大臣に至るまで16.8兆円の捻出が党の至上命題として共有されていなかったのであろう。
公開での事業仕分けは国民の目には新鮮で喝采と注目を浴びたが、これは毎年財務省が予算編成で各省庁と予算折衝している非公開の情景を公開しただけのことである。そして事業仕分けでは財務省の主計官の役割を民主党の事業仕分け議員が担わされたのである。
その象徴的光景が、蓮舫議員の「コンピューターで世界一になるための予算が必要ですか、二位では駄目なのですか」式の事業仕分けの失敗である。運営側の議員が省庁や独立行政法人の個別事業の適不適、要不要に言及する必要は無く、ただ一途に予算の8%を削減して持ってこいでよかったのである。
それに応じられなければ衆議院300議席を背景にして党と内閣で16.8兆円の削減を財務省に指示し、政治主導の在り方を示せばよかったはずである。しかし予算の編成に疎い事業仕分けの民主党議員は、従来型の財務省の省庁別の予算折衝方法とシナリオにまんまと載せられたのである。これが16.8兆円(総国家予算の僅か8%)を捻出できなかった最大の要因であり、「国民の生活が第一」の議員も反省すべきで、二度と同じ轍を踏まないようにして欲しいものである。
「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年