老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

65回目の憲法記念日

2012-05-03 10:01:18 | 憲法
5月3日は、大日本帝国憲法の改正という形式を踏んでの日本国憲法が誕生(施行)してから、65回目の記念日である。

世俗を引き合いにするとは不遜、とのお言葉もあろうかとは思うが、長寿化など喫緊の諸課題を前にして論じられる、定年等就労環境の見直しの一案にも比肩する「65年」である。「憲法よ、長いこと有難う」のねぎらいの一言に心ばかりの花束も添えて、これからも益々お達者でと申したい気分でいる。

あの戦争が終ってから、もう67年。これからは、立ち昇る戦火に汚されることも、爆弾の雨を降らす爆撃機とも無縁、と見上げた8月15日の青い空。幸いなことに、二度とあの時の感慨を経験する者を生むことなしに、時は流れ続けている。

それを守っているのは、言うまでもなく、「日本国憲法」である。

「憲法」とは、霊験あらたかな護符でも呪文でもない。人々の心に浸み込んだ「生き方の指針」である。浅学の故でもあろうか、この憲法が公布・施行された直後以来この方、「新憲法」と呼ばれこそすれ「改正明治憲法」とか、それに類する呼ばれ方をされたのを、知らぬ。それは、押し付けとか非自主とかの声に左右されることなくそれらを排し、国内外に示す「日本人の生き方の指針」として、大多数の心に受け入れられ、継承・護持されてきた「そもそも」なのではなかろうか。

世に生を受けた人々は、様々な分野において身の丈に応じた他者への貢献をし、それによって我が生を保つ。その一分野に「学問」という分野があり、それはまた、様々に枝分かれして世の繁栄・安寧に力を尽くす。それが「曲学阿世」の類であってはならぬことは、年端の往かない幼子でも分かる道理と言うべきであろうか。
 
しかし、悲しいことながら、我が田に水を引かんがため、あるいは下心を持ってそれを助けんがため、道理を捨てて真っ当づら(面)する手合いが後を絶たぬ。その国・国民の大本を規定する憲法の分野においても、それは例外ではない。

日本国憲法の真骨頂は、その「前文」にあると思う。これには、当然のことながら、条文も規定もない。しかし、ここ込められた「精神」こそがすべてを規定する。永遠である。これを飛び越えてする一条・一句の解釈・注釈などに、何ほどの価値があると言うのだろうか。木を見て森を見ず、森を見て山を見ずの議論は、捨て去るべきものの筆頭に上げなければならぬ。

野猿と変わらぬ日常から久しい時を経て、人類は今日に立つ。だが、随所に脱ぎ捨てるべき抜け殻を保身の術として抱きかかえる姿を見る。例え脇役どまりであったとしても、「草」の如く絶えることなく歴史を紡ぎ、伝え来た名もない人々。「時」は、その人々に多くの試練を与え、結果としていま「主役」の座を与えるに至りつつある。<脇道に逸れるが、「草」と自らを卑下するはともかく、「民草」などの言を、今なお用いるの「時代遅れ」には、怒るより呆れ返るしかない。>

これに照らせば、「民主主義・主権在民」は当然の到達点であり、その定めは、明文憲法によってより確かに、より堅固なものとされるべきことに、多言は要しまい。

さらには、社会構成員個々人の共通の願いとして、国内外を問わぬ「平和希求」を国是とし、争いを遠ざけて安んじさせるは、この「星」に並び立つ各国全ての願い・勤めでなければならぬ。これを受けての「9条」に、何の「抜け道まがい」の「解釈」を飾り立てる必要があろうか。
 
「曲学阿世」と両断したは、そのかみ(上)、保守政党の「ワンマン宰相」と称された人ではあったが、この言葉だけは、いつの世にも通用させたい「戒めの言葉」である。

「集団自衛」とか「動的防衛」とか、仮想敵国がなければ成り立たない分野に屯する人たち・組織と、そこから垂れ流れる注文(税金!)に群れる業界という分野。歴史の歯車を逆転させようとする人々とそれに力を貸そうとする学究が集う分野。

これらが地上から消え去る日は、何時のことになるのでしょうか。 

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
百山
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立憲主義・民主主義・平和主義

2012-05-02 06:31:17 | 憲法
日本における近代憲法に関する議論において、これまで上記の三原則は並列されてきた。立憲主義と民主主義が対立することはなく、平和主義と民主主義も対立することはありえない、という素朴な並列主義が憲法教科書や政治の教科書、また市民運動などでも採用されていたと記憶する。

しかし、アメリカの軍事的単独主義が目立ってくる21世紀に突入すると、こうした素朴な考え方が錯覚ではなかったかという疑問が起こる。そこでは民主主義は国家的な伝道師のように毎日語られてきたからであり、日本の戦後民主主義はアメリカ的な民主主義の受け売りだったという側面もまた真実だったのである。

そして現在アメリカの思惑は日本の憲法改正を標的としていると思われ、直接的には憲法9条の改正にターゲットが絞られる。

少し先走りすぎたので話を戻すと、成る程普段は民主主義と立憲主義が対立することはないが、憲法の改正という局面では深刻な対立に及びかねない。これまでの議論は民主主義と立憲主義を言わば「静的」に捉えていた。憲法政治は「動的」であるにもかかわらず、素朴な並列主義は政治的な変動を視野から排除してきたのである。

立憲主義という原則は政治に外から歯止めを掛けるという原則であり、前の世代の決定(憲法の設定)が現在の世代の決定を自己拘束する(プレコミットメントの原則と言われる)という問題である。

したがって、憲法9条を現在の世代の代表が恣意的に改正変更することは禁止されていると解釈される。ただ禁止されるのは「恣意的な変更」であり、ある程度の変更は憲法改正手続きが存在する以上許容される。しかし、この表現は学理的な言い方であり、代表機関(国会)が恣意的な変更を決定した場合には、憲法上の混乱は起こりうる。

例えば、憲法9条を根底から変更して交戦権を認めたり、集団的自衛権を認めるような憲法改正がなされる場合である。

次に、最近の憲法論の傾向として、長谷部恭男東大教授の議論が立憲主義と民主主義の問題に重要な提起をされている。それは憲法9条が公共財とも言える武器の所有や軍備の保持を禁止するのは立憲主義に反する、という議論である。

長谷部教授の独特な立憲主義の理解から、近代国家が武力の保持を自衛権として備えるのは当然のことであり、これを禁止する9条解釈は立憲主義から疑問であると言うのである。

しかし、長谷部教授は9条を改正してなくしてしまえとは言わず、憲法9条は「準則」ではなく「原理」にすぎないと言われており、立憲主義に反するという説明をしておきながら「原理」であるという。これは明らかに自家撞着ではないのだろうか。(注、「準則」ということは9条の規定が軍隊の保持を禁止し、交戦権を否認することであり、結果自衛権も認めない。)

長谷部教授の巧妙な9条解釈は、自衛権の保持を現行憲法下で容認する解釈論であり、政府の「解釈改憲」の歴史を憲法解釈から一気に肯定できる憲法の解釈である。

以上、憲法改正の恣意的な変更は現行憲法上認められない。また、長谷部教授のような立憲主義理解も独自の解釈であり、立憲主義の原則は従来どおり憲法上の原則(基本的人権の尊重、国民主権、平和主義)は政治権力:国家の行為を拘束するという原理であり、これ以外の解釈はありえない。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵        
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辰年年頭のひとこと

2012-01-01 21:24:44 | 憲法
辰年。「辰」は、動物で言えば竜。時刻で言えば、午前七時から九時まで。運気を、雲を巻いて天に駆け上る姿に重ね、目覚めてその日の活力が満ち来るを知る、その時間帯。いずれも、「希望」をその先に置く。

その年の初め、人々は皆、一入、心にときめく何らかを抱きつつ、これから送る日々に思いを馳せたのではなかろうか。その念は、言うまでもなく昨日までの、あまりにも「酷い一年」によって強められているのであろう。

「酷い一年」。与えられているであろう時間に対置させてみれば、決して短くはない時間を既に生きて、まさに未曾有。その多くは自然のもたらしたものとは言え、それに対処する「人」の、無力というよりも「無能」に近い振る舞いの数々。

評するのは易いの謗りを甘受するのは厭わないとしても、その「酷さ」を言上げして済むものに非らずとすれば、遅まきながらも、これから迎える日々に、新しい歩みの望みを託さざるを得ぬ。しかし、その「望み」は、あまりにも大きく多岐にわたり、合意形成に至るまでの道程は、見当すらつかぬと言うべきであろうか。

もう戦後ではないの言葉が口の端に上ってその後、この国・社会はどのような変容を目指し遂げつつあったというのか。

国・社会の有様の根本を示すものとしての成文憲法を持つ一国として、この国は、過去に一度、それに180度・国体をも変容させるに等しい改正を加えて現在に至る。これについては、「押し付け」と動機付けに異を唱えて、その実は改正前のものへの回帰を望む勢力の存在などなど、100パーセントの支持を受けているとは言い切れない状況を抱えながらも、多くの国民は改変を望まず、人類普遍の原理と謳う「国民主権・人権不可侵・平和保持」を根本に置くこの憲法を、支持し続けているという実情がある。 

だが、66年前に起きた「一大事」以降、極論すれば人にまつわるもの全てが大きく変化した。もう66年前を基準点として積み上げられてきたもの百般に亘って見直しが求められる時期にさしかかっているのではないのか。

関西の主要地方において上がった「地方自治」の有様の見直し。これの契機・方向性自体には問題多々であろうが、事柄全体としては夙に答えが出されているべきものであろうし、そうなれば「憲法」自体への検討が必然となるであろう。少なくとも第一章は「国民主権・人権不可侵・平和保持」に改められるべきであり、現行第一章は「国民主権条項の最後」に収めるとするのが自然であろう。

この他にも「最高法規」と謳うに相応しいものとするための検討課題・立法、司法、行政の関係などなどは多数であり、これを受けての関係法令等もまた然りである。

現下の急の被災地復興のスピードアップを図りつつ、地方と国の関係再構築を図るための契機とされることを願いたいものである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山
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続・生存権の現在

2011-11-23 10:02:13 | 憲法
前回は主要な判例に触れたが、今回は最高裁が依拠する「抽象的規範説」を検討して、生存権の現在(その状況)を明らかにする。

まず、抽象的規範説は一応プログラム規定説とは異なり「権利性」を認めないわけではないとするが、前回挙げた判例を見れば分かるように、朝日訴訟ではそのあまりにも過酷な生活保護の給付額(しかも朝日茂さんの見つけ出した兄が仕送りした金額がほとんどであり、行政は600円しか渡していない)の内容をつぶさに検討すれば、生存権の規定する「健康で文化的な最低限度の生活」からかけ離れたものでしかなかった。

思うに、抽象的規範説のように「25条は国民に生活を保障する具体的権利を定めたものではなく、国家の立法の指針を示したにすぎない」というのではプログラム規定説の別バージョンと言えるのだ。さらに言うと、抽象的な権利を認めたものだという解釈であるが、権利に抽象的なものがあるとすれば、それは権利とは言えない。

権利は歴史的な発生過程をすべて辿っても、抽象的な権利という性格の権利は存在したためしがないのではないか。もしそういうものが存在するならば絵に描いた餅:画餅にすぎない。

このことから生存権が登場するまでの歴史をフォローしてみると、最初の起源はイギリスのエリザベス救貧法(エリザベス女王が定めた法令)にたどり着く。17世紀のことだ。1980年代に生活保護を申請して拒否された母親が餓死した事件があったが(重要な事件であるはずだ)、この時のある学者(御茶ノ水女子大の教授)の論文で「もし、17世紀のイギリスならばこの事件を引き起こした担当者は刑務所行きだったであろう」というコメントが今でも印象深い。

そして、現在であるが、周知のように生活保護を拒否された人々の餓死事件は後を絶たない。なぜか。最高裁の判例が暗黙の法となって生存権の権利性を制限しているため、生活保護の基準は行政(とその前段階としての立法裁量)にすべてお任せになっているからである。生活保護を「基準」に適合しないとして拒否された人が餓死しようが首をつろうがお構いなしというわけである。

ただ、この基準も区々であり、北九州市のように勝手に死んでくれという所もあれば、大阪市のように外国人にも保護を認めている所もある。このように基準がばらばらという結果であるが、生存権の権利性を剥奪している判例の解釈に問題の根源があることは意外と重要だ。

生活保護という制度は憲法の「具体的な」実現であり、権利の保障なのであるから、憲法次元で抽象的な権利にすぎないと言えば、法律であって法律ではなくなる。基準が抽象化しているため何でもありになり、法としての規範命題が限りなく形骸化して行政官はどのような解釈も可能になるからだ。これは法としてはざる法である。どんな抜け道もありうる。エリザベス救貧法以前に歴史が逆戻りしているかのようだ。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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「戦争と憲法」序説

2011-08-02 16:47:20 | 憲法
憲法第9条の規定をどう捉えるかで、「後に」学説等(憲法解釈は学者の専売特許ではない)が紛糾しているが、当時の市民はそうした神学的な教義から自由であった。否むしろ戦争からの「被害」を二度と受けたくないという直接的な欲求しか念頭になかったであろう。

こうした当事者という視点は9条解釈にとって重要であり、憲法制定が歴史となった現在からは、原点としての重みは一層増している。

こうした視座は最近ねずまさし氏の論考から再び示唆を受けた。それによれば、9条の制度趣旨は、端的にアメリカから見てそれまで敵国であった日本を武装解除したいという目的であったという。それも永久的に。

戦争末期は神風特攻隊の攻撃を繰り返し、戦争初期には真珠湾のアメリカ艦隊を急襲して撃沈させている。こうしたクレイジーな戦術を繰り返す日本を理解しがたい敵国として冷静に見ていたアメリカの本音がそこにある。

日本が英米語を敵性言語として遇して、戦争末期には教科書から削除した国家理性しか持ち合わせていない国であるのに対し、アメリカは戦争半ばからドナルド・キーン兵士等を日本語習得教育に従事させ、大学でネイティブアメリカンの言語を研究していた社会学者ルース・ベネディクト女史を派遣して、日本軍捕虜を日本理解のための取材対象として調査するように命じたのである。

こうした手続きは、アメリカがすでに戦争半ばで「日本占領」を予定し、占領をアメリカ主導で遂行する目的からのものであった(「菊と刀」の前半部分に記載されている)。

そういう国であったからこそ、憲法9条の第一の目的と制度趣旨が「日本の国家としての非武装」にあり、第一も第二も武装解除が重要であり、占領目的となった「ポツダム宣言」にある「再民主化」の問題を平和裏に遂行するための憲法制定であった。

平和主義は武装解除の帰結にすぎず、逆ではない。つまり、「平和主義」を完成させるための憲法9条第一項(平和主義のための「戦争の放棄」)よりも憲法9条の第2項(「軍隊の不保持」)こそが、アメリカにとっての重要な項目なのである。

アメリカにとって9条は上記のようなドライな規定であった。その証拠にアメリカは東アジアに紛争(朝鮮戦争)が起こると、9条の宣言の舌の根も乾かぬうちに日本に再び武装することを命じている(自衛隊の前身警察予備隊)。

そして、現在のアメリカの態度を考えればこの国が本当に「御都合主義」の国であることが明白になってくる。外交戦略として国際主義の名前を冠しているが、その実体は条約締結国:同盟国を利用する対象としてしか見ていないのである。

こうした御都合主義のアメリカに対して日本政府は徹頭徹尾「追従主義」を採ってきた。この際立ったアンチシンメトリーが日米外交史の特徴であり、他の性格は皆無であった。主人が呼べばポチが答えるという比喩が的確な戯画として有効であった。

* * *

しかし、敗戦の当事者はそういう政府の解釈に追随する義務は全くない(国民主権の原則)。もし、歴代の日本政府の代理人が考える追随主義が正解というならば日本は従属国家であり、「偽りの民主主義」ということになる。

ここから、アメリカ政府の9条武装解除論を批判して、第一項の平和主義のための戦争放棄が重要な規定であり、2項はその目的遂行の重要な手段であり、軍隊と軍備の不保持はこう解釈される、との議論が生まれる。

ところで、憲法9条の解釈がこれで完結するわけではない。憲法9条と憲法の他の規定(とりわけ基本的人権の宣言)は戦争から生まれた平和主義の憲法であったが、それは未来にも適用される憲法の拘束という解釈前提でもある。

憲法は過去と未来を貫く結節点に位置し、過去に起源を持つ性格と未来をも拘束する性格を重層的に(クロスオーバー)併せ持つものである。

それが日米政府の御都合主義から解き放たれたものであり、戦争放棄を宣言しておきながら「現実」(国際関係の現実という虚偽意識)的であるから再武装するのだという、ころころ変わる政策では、憲法ではない。したがって、安易な「憲法改正」は「憲法」違反である。

上記に展開してきた後半の問題は、「序論」という表題から以上とし、詳細は次回に回したい。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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蜜蜂倫理は止めよう

2011-07-27 13:49:17 | 憲法
これはだいぶ前のことになるが、あるグループの集まりでお話を伺ったときの話である。その内容は某紙記者のコラムの批判で、私はその方のご意見に大体賛成であるが、そのときに考えたことをここに少し述べておきたい。
 
というのは、その記者の口調がいかにも外国のインテリさんと親しく、ご自分もその仲間のような口ぶりだったこと自体に、私はどうもいただけない気がしたからである。

その記者は、日本人の平和主義が西洋のインテリたちから大変甘いものだと考えられていることを指摘して、彼らはヒットラーのチェコ併合を認めたチェンバレンのミュンヘン会議の宥和政策がどんな悲惨な結果を生み出したか痛切に知るゆえに、日本の戦争拒否の平和主義に批判的であることを述べて、原爆体験から生み出された核アレルギーによる日本の平和主義を一種のアレルギー扱いして、西洋人の批判の側に立つような口振りで、自分も西洋のインテリ並みのインテリみたいなエッセーだったのが、私には問題だった。

そういうふうにいうなら、西洋人のミュンヘン体験も核アレルギーと大差のないアレルギーであることを、記者は西洋のインテリさんに教えてあげるべきだったのではないか。原爆体験はそれぐらい大きく貴重なものなのである。

そしてこれも私のやたら批判的な悪癖のせいなのであろうか、この報告をなさった方の結論の中にも、ひとつ気になったことがあった。その方が、日本を独立国家だと考えられているのではないかという点である。
 
現在の日本は、全国の重要な地点には全て「治外法権」を持ったアメリカ軍が駐留しており、そういうことが起こってはならないが、もし他の外国が攻めてきたら、自衛隊がアメリカ軍の指揮を執るのではなく、アメリカ軍が自衛隊の指揮をとって、アメリカの重要な軍事基地日本を守ろうとすることは自明だ。そんな状態の国を独立国だというのは無理であろう。
 
敗戦直後に九条を持つ憲法が出来たとき、この完全非武装の国家が外国の攻撃を受けたらすぐに全面降伏する憲法だと考えて、そういう意味で私は歓迎した。その当時は、日本は文化国家として再出発するはずだったのである。

日本は今、実力でアメリカの軍隊を追い払うことは出来ないけれど、日本の文化の私の好きな部分は守ってゆきたいと思っている。

国家という人間の作り出した妙な集団のためにその構成員が死ぬのは、一種蜜蜂的な生存方式で、何万人の子孫を生み出すことが出来る女王蜂もいないのに無意味極まりないことだと考えている。 
 
私にとって貴重なのは、国家ではなくて西行の歌であり、蕪村の詩である。

 願はくは 花の下にて春死なん 
   その如月の望月の頃
 (西行)

 ましてまして 悟る思ひはほかならじ
   我が嘆きをば我知るなれば
 (西行) 

 君あしたに去りぬ
 夕べの心千々に何ぞはるかなる
 君をおもうて岡のへに行きつ遊ぶ
 をかのへ何ぞかなしき
蒲公の黄になづなのしろう咲きたる
 見る人ぞなき
 ・・・
 (蕪村)

「護憲+コラム}より
鈴木建三
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対米関係と憲法の空洞化

2011-02-07 21:31:14 | 憲法
今日は久しぶりに曇ったせいか、いつもよりさらに頭が悪くて話がまとまりそうにないが、今の一番大きな問題は、対米関係と憲法の空洞化だと思うので、その二つに関して思っていることを書いてみることにする。

最初に対米関係について言うと、アメリカさんの日本支配は占領下よりも今の方が全面的なような気がする。というのは、占領下ではアメリカが支配しているのが明瞭だったので、逆に日本人の実生活、人間の内部まではあまり干渉しにくい面があったと思う。

もちろん、2.1ストの禁止とか、警察予備隊の創設命令などという明らかな干渉はあったが、国民の側にも、川崎南部の労働者の独立行動隊の動きとか、火炎瓶メーデーといったはっきりした運動もあり、GHQもそれを潰すには日本国民への一種の配慮が必要だったと思われる。(ついでに言えば、小生の弟、私よりはるかに覇気があり、勉強もずっと出来た弟はこのメーデーに参加し、アメリカ軍の車に火炎瓶を投げた後、少し体調を崩し、当時のヤブ精神科医による流行の電気ショック療法で被害妄想まで背負い込んで、一生を棒に振った。)

ところが、最近のアメリカの支配は当時よりはるかに陰湿で強力だと思われるのに、それに対する日本国民の抵抗は皆無といってよい。

たとえば、沖縄の基地を国外に移すと言っていた鳩山は、アメリカ詣でを一度すれば、一転して抑止力などという挑発的な妙な言葉をでっち上げて、二度と基地の海外移転などとは口にしないし、その後の菅ははじめからアメリカさんの言うなりである。

ここまで考えて憲法問題を考えてみると、憲法改悪が必ずしも意図する側が勝つわけではないと悟った彼らは、戦法を変えて、表面上の字面の改悪ではなく、その内実の実質的変更によって国民にこの改悪をも当然だと思わせようとしているようにみえる。

たとえば南支那海で米日韓の連合大演習をするとか、憲法上はないはずの日本の軍用機が南支那海を飛び回って中国の飛行機を挑発するといったことをして、外国との緊張関係を強調し、防衛の必要性を強調するといった類のことは枚挙にいとまがない。

しかも、実質的にアメリカの占領下にある日本人はその点には大変無神経で、本来は日本に関係なかった土地でも、日本の領土なんていう妙なものが今でも健在のつもりで、領土を護るためには戦争でもするつもりの人間まで存在する。

そこで私は、自分の現憲法、特に九条の受容の歴史を一瞥しておく。

私は対米戦争は負けだと思っていたから、(といっても、日本は戦争を始めた連中すら勝つとは思っていなかったのに、緒戦で勝ちすぎて、軍人どもだけでなく一般国民まで舞い上がってしまった)終戦近くには、どうやって、いわゆる味方に撃たれずに降参できるかを考えていた。だから終戦の時にはその危険を冒さずに降参できたのが嬉しかった。

それからじきに出来たのが現憲法で、戦争拒否の憲法だから私は大歓迎で、今でもこの形を実質的に護る方が、外国の攻撃を受けないと思っている。しかし、ある種の人々が主張するように、外国が攻撃してきたら、降参するだけである。(ただし、毎年五兆もの軍事費を使っている現状の日本が非武装国家だと思う外国はないだろうから、アメリカの軍隊に占領されて、その庇護の上に、強大な自国の軍隊を持っている現状は一刻も早く止めた方がいい。)

この降参案が嫌で国防を説く楽天的な方は、本気で、自分が人殺し(それが、あまり自分の罪の実感がない大量破壊兵器によるにせよ)をする気があり、当然自分も殺されるつもりがあるのかを聞きたい。

私は降参して、わたしのよしとする日本の文化だけを護りたいと思う。

「護憲+コラム」より
鈴木建三
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つれづれなるままに・・・

2010-12-22 17:48:51 | 憲法
つれづれなるままにあちこちのサイトをさまよっていたら、国内総生産(GDP)の08年と09年を国際比較(IMF)において、日本はいわゆる先進国のうち、唯一つ増えて世界2位。アメリカがわずかに減っている以外、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアみんな大幅に減っています。中国は急速に伸びていて今年日本を抜くのは確かですが、一人当たりにすれば10分の1以下に過ぎません。

スウェーデンやノルウェーは住みよい国として定評があるものの、日本と共通するのは「王国」であることくらいなもので、より広い国土に人口920万〜500万、男女平等がすこぶる進んでいて公務員の比率もはるかに高く高福祉高負担。いくら真似の得意な日本でもちょっと手が届かない感じです。

政権交代の実現は私たちの目標だったはずながら、いざこれが実現した途端にその言説は混迷し支持率は低下の一途をたどっています。おそらく「政権さえ変われば何とかなる」と幻想を抱いていた人が多かったからでしょう。

日本文化の基礎は身分差別や性差別が激しかったとはいえ、三百年近い江戸時代の平和の上に築かれました。64年にわたり一言一句変わることのなかった憲法は、代えるべきところも多々あるでしょうが、基本的人権と平和主義の看板は下ろすべきではないと考えます。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
成木清麿

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国民国家の自明性を問う

2010-10-06 09:36:31 | 憲法
日本社会が西欧国家の国法、その象徴としての憲法を受容するようになってから100年以上を経過したが、日本社会に西欧型の憲法が定着したかは未だ議論があると思われる。

特に、問題となるのは国民国家という憲法上の構成概念である。日本での憲法学上での議論を概観するに、国民という概念は自明視されていよう。日本国籍を持つ者という国民概念に疑いを持つ立場(つまり学説)は極めて少数であろう。まして国民の中では自らの出自に疑問を持つ者は絶対少数であると思われる。

しかし、こういう当然視は歴史学の上では最近に至って疑問の声が上がってきた。なぜなら国民国家の重要な転機となったフランス大革命と、その成果である「人及び市民の権利宣言」において「人とは何か」「市民とは誰か」という問題がけして自明の問題などではなく、これまで自明視されてきた国家(ステイト・状態を表す言葉はマキャベリによって「支配機構」という意味になったとされる)や国民という概念に反省をもたらすきっかけになっているからである。

この歴史学の代表的な書物として2009年に刊行された「国民国家と市民」(山川出版)がある。この本は共著の形になっているが、私が一番注目した論文は第5章の『市民社会と「暴力的」農民−19世紀フランスにおける「農民市民」の誕生』(工藤光一著)という論文である。工藤氏は、フランス革命において農民は市民権の対象ではないばかりか革命以後100年も排除の対象にされてきた、として次のように述べる。

『19世紀フランスにあっては、全人口の70〜75パーセントが農村住民であり、そのまた大多数が農民であった。市民社会への農民の統合は、国民国家の形成においても重大な問題であったことはいうまでもない。だが、この場合には、表象上から見れば、市民社会を誕生させたフランス革命からはほぼ1世紀の時間を費やした。』そしてその理由として『統合を長らく阻んだのは、いまだ文明化されざる「暴力的」存在としての「農民」の形象である。「暴力」という実力行動に「農民」は、市民社会を構成するエリート層から、自分たちとは根本的に異質な存在として認識され、ときに強度の社会的恐怖をエリート層にもたらした』としている。

この工藤論文はもちろん衝撃的でさえあるが、私はその「農民市民」の誕生(19世紀。工藤氏によれば1870年代半ばから80年代半ばとされる)に先立つフランス革命のプロセスにおいて、革命に果敢に参加した「市民」(例の第三身分)とは異質な、都市の下層民であったサンキュロット層を思い出していた。(このサンキュロットという革命の担い手をフランス革命の主要な身分:第四民分として描き出したのは、アルベール・ソブール氏に他ならない。)

サンキュロットとは、貴族やブルジョアが身に着けていたキュロットを買うことができずパンタロンをはいていたからこう呼ばれた。この第四身分のサンキュロット層こそフランス革命の後期で革命の主要な担い手になっていくが、革命の思わぬ進展を恐れた市民層によって巧妙に排除されてゆくのである。(詳細はソブール氏の論文を参照。)

この革命の経過を憲法論として議論したのが杉原泰雄氏であり、憲法に言う「国民主権」の意味がナシオン主権なのかピューピル主権なのかを日本国憲法の解釈においても問題にしたのである。(こうした議論はフランス憲法の研究をしてきた杉原氏と樋口陽一氏によって長い間議論されたというが、残念ながら私にはその議論の経過は不明である。)サンキュロット層が革命とその成果である権利宣言に是非とも盛り込もうとした問題は、所有権の制限とか社会権の創設であったろうと思われる。

こうした議論はさておいてもフランス革命においての「市民」が単なる「人」ではなく(憲法上では明記されているのに)市民権を得たフランス国民であり、れっきとした市民であることは疑いの余地はない。

ここまでの記述から明らかのように、アメリカ憲法とは異なり市民というフランス「国民」は移民などではなく、また農民とか下層民の一部を排除した高等市民を表していたと思われるのである。

かくして国民国家の形成当初から、国民概念は自明の事柄などではなく最初から矛盾を含んだ問題概念だったのである。さらに言えば「人及び市民の権利宣言」自体が未完の革命であったのではないだろうか。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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小さな親切とマルクスの復活

2010-08-24 06:26:59 | 憲法
昨日の朝サイクリングロードに差し掛かると、向うから来たロードレーサーらしい若者二人が入り口に立ち止まって待っており、「どうもありがとう」と会釈すると深々と一礼されてこちらがどぎまぎする始末。

さらに少し行くと小学生らしい少女二人を連れた若い父親が端に寄って待っていてくれました。年寄りの特権を振りかざす気は毛頭ないけれど、若い人の小さな親切や礼儀正しさはひときわ心に沁みるもの。

敗戦後数年間、みんな飢えに悩まされいたこともあって活気はあったもののとげとげしい若者も多く、盛り場などぶらぶらしていると、昼間でも「ガンつけたな!」と凄まれかねなかった。

今は繁華街の路上に座り込んだり、車中でお化粧したりするのも見受けられるとはいえ、おとなし過ぎる若者が目立ち、それが雇用や年金制度の不安とあいまってニートや引きこもりを生んでいる。

ところで昨今カール・マルクスが見直されているとか。20年前ソビエト連邦が崩壊したとき「マルクス主義は死んだ」と保守派ははやし立てたものですが、どっこいしぶとく生き残ったのです。

日本が敗戦後のどん底からあっという間に立ち直り、わずか23年にして世界第二の経済大国にまで成長した原動力は、少しでも豊かになりたい切実な願いと、豊富な労働力、優れた技術、高い教育水準、勤勉などの資質に加え、伝統的な終身雇用制と自由民主党がいち早く取り入れたマルクス主義的な政策、すなわち高率の相続税と所得税による所得の再分配などでもあったのではと思います。

能力の有無にかかわらず定年まで面倒を見る終身雇用制は、マルクスの「能力に応じて働き必要に応じて取る」に一脈通じるものがあり、ゴルバチョフ氏が「世界でもっとも成功した社会主義国」と礼賛したのもむべなるかな。

しかし権力は腐敗する。さしも辛抱強く保守的な国民も、小泉内閣によって一段と加速された効率オンリーや年金制度のずさんさ、そして政官業の目に余る癒着と格差の拡大に呆れて、ついに政権交代が実現しました。

だがアメリカ依存から抜けきれない鳩山氏や菅氏の言動からも明らかなように本質的には民主党も自民党も似たようなもの。今後離合集散を繰り返して再び保守王国を築くような気がします。

私たち護憲派にとっての救いは、国民の過半は9条を残したいと考えており、しかも勢力は次第に伸びつつあること。

私も決して憲法が完璧だと思っているわけではないが9条や25条は是非守りたい。特に9条は世界でも類を見ない優れもので、たとえ今は絵に画いた餅であろうと恒久的な世界平和の先導役となるはずです。

「護憲+コラム」より
成木清麿
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