『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

八正道の二番目 『正思惟』 その①

2009年09月10日 | 修行法『八正道』
『思惟』とは『考える』ということです

ですから『正思惟』とは『正しく考える』ことです

ここでの『考える』は広域で、一般においては心が働いている状態すべてが当てはまるのではないでしょうか

(修行が進むと、心を観察・整理できますから全ての心の働きが『考える』とは言えないのですが、修行が進んでいない場合には感情が心全体に根を張っているので、ここでは心が働いている状態すべてを『正思惟』とさせていただきます)

正思惟とは?

①貪らない

②怒らない

③傷つけない

以上の三つです



『①貪らない』の説明

人間の心の根底ではいつも欲しがっています

それはなぜか?

生きるためです

体は生きるために呼吸をし、生きるために飲食します

更には生きる舞台が社会に広がります

自分の身の回りに、自分にとって都合のよい物事をどんどん引き寄せていきます

ひどい場合、お互いさまで自分が生きていけるという感覚・理性を失い、際限なく様々な物事を引き寄せていきます

ブッダは、物事を引き寄せると同時に『苦しみ』も一緒に引き寄せてしまう、という法則を見出しました

欲しい!と考え、物事を引き寄せれば引き寄せるほど荷物が増えて、心が『苦しみ』が多い状態になっていくのです
(荷物が多ければ多いほど、山登りは苦しくなります)

欲しい!ということは奪うということにもつながっていき、恨みを買い、敵を増やしてしまうので『苦しみ』がどんどん大きくなっていきます

欲望に伴って得られたものには、執着の心がくっつきます

執着が発生すると強力な接着剤で所有物を自分の心身にくっつけたような状態になっているので、自分から無理やり話されるとパニックに陥って苦しみもがき回ります

しかし無情にも得られたものは必ず離れていきます

得たものを失えば、それは『苦しみ』です



以上のような思考は『悪思惟』とブッダは見定めました

それと反対の

欲しがらない

欲しがる心、貪り・貪欲から離れる

それが『正思惟』です

心を常に無執着の状態にしてあげる

その心は自由自在な状態です

欲しがることは『苦しみ』を増やすことと見抜き

欲しがることから離れる『離欲』の考え方

更には、足ることを知る『知足』の考え方を心に根付かせ育てていくことが人間には大切なのです



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