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ジャン・コクトー(1889-1963)堀口大学訳「シャボン玉―備忘録断章―」『詩集』(1920年):観測者の位置が、庭か、シャボン玉か?&物理的真理と言語的真理   

2016-12-01 07:59:44 | 日記
 シャボン玉―備忘録断章―

シャボン玉の中へは
庭は這入れません
周囲(マワリ)をくるくる廻っています

《感想》
①シャボン玉は小さい。その中に「庭は這入れません」。物理的真理。(なお、これは後述⑤のように、言語的真理でもある。)
②シャボン玉の表面を見ると、庭が映って、ぐるぐる廻っている。
②-2 物理的には、庭が不動(観測者の位置)とすれば、シャボン玉が廻っている。そして庭は、シャボン玉の一方の側に、常に映っている。
②-3 しかし、同様に物理的に、シャボン玉が不動(観測者の位置)とすれば、その表面、つまりシャボン玉の周囲(マワリ)を、《映った庭》がぐるぐる廻る。
③庭は、「シャボン玉の中へは/・・・・這入れません」。しかし庭は、何と、シャボン玉の「周囲(マワリ)をくるくる廻っています」。どちらも物理的真理で、《観測者の位置が、庭か、シャボン玉かの差異である》と思いたいが、それは誤り。
③-2 シャボン玉の「周囲(マワリ)をくるくる廻って」いるのが《庭》であれば、物理的真理である。だが、「廻って」いるのは、《庭》でなく、《庭の映像》である。
④ところが言語的には、《庭の映像》は《映った庭》と等価であり、そして《映った庭》は《庭》である。これは言語的真理である。(Cf. 例えば、《映った庭》は《ワニ》であると言ったら、これは言語的誤謬である。)
⑤ 庭は、「シャボン玉の中へは/・・・・這入れません」。これは物理的真理である。同時に、これは、言語的に矛盾なく、言語的真理である。
⑤-2 庭は、シャボン玉の「周囲(マワリ)をくるくる廻っています」。これは、物理的誤謬である。「廻って」いるのは、《庭》でなく、《庭の映像》だから。しかし、言語的には、《映った庭》は《庭》であるから、これは言語的真理である。
⑤-3 かくて庭は、「シャボン玉の中へは/・・・・這入れません」。しかし庭は、何と、シャボン玉の「周囲(マワリ)をくるくる廻っています」。どちらも言語的真理で、観測者の位置が、庭か、シャボン玉かの差異である。

A SOAP BUBBLE

A garden cannot go
Into a soap bubble,
But can revolve around it round and round.
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