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「1980年代 遊園地化する純文学」(その9):「テクスト論」へ!ヌーヴォーロマン&マジックリアリズム!バルト、ジュネット、プロップの批評理論!柄谷行人、前田愛!(斎藤『日本の同時代小説』3)

2022-03-11 17:26:10 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(34)「再発見されたポストモダンな作家たち」:「作家論」「作品論」が主流だった日本の文芸批評は、小説本位の「テクスト論」へシフトする!
I  1980年代の文学界は、小説の実験場のような趣があった。(120頁)
I-2  ポストモダン文学の流行は、方法論への意識を高めた。作家の伝記的事実を踏まえた「作家論」「作品論」が主流だった日本の文芸批評は、小説本位の「テクスト論」へシフトしはじめた。(120-121頁) 
I-2-2 フランスの「ヌーヴォーロマン」やラテンアメリカの「マジックリアリズム」に光が当たる。(120頁)

《参考》「ヌーヴォーロマン」(「アンチ・ロマン」):フランスにおこった新小説。ロブ・グリエ『嫉妬』(1957)、サロート『プラネタリウム』(1959)、ビュトール『心変り』(1957)、シモン『フランドルへの道』(1960)など。サルトルが「小説が小説自身を反省する現代小説」と評した。作家によってかなり相違がある。①客観的写実描写と合理主義的心理分析を基軸としたバルザック以来の小説作法を否定。①-2主観的な視点の設定。①-3 作者が整理を加える以前の自然発生的な知覚や衝動や記憶を提示。①-4深層心理への下降。②形式や技巧や言語を最大限に重視。形式の戯れが想像力の展開を促す。Ex. 音楽を思わせる複雑な形式の追求。③筋や人物の性格や物語的時間の排除、未整理の材料だけが提示され、読者が創作行為に参加することの要請など。

《参考》「マジックリアリズム」(魔術的リアリズム):神話や幻想などの非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法。ドイツのエルンスト・ユンガー(1895-1998)の文学は「魔術的非現実」と「合理的現実」を同時に見る。また夢と幻想への強い志向を持つユンガーの立場はシュルレアリスムでもある。ラテンアメリカでは、魔術的リアリズム以前に、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)『伝奇集』(1935-1944)が夢や迷宮、無限と循環、架空の書物や作家、宗教・神などをモチーフとする幻想的な短編作品で知られる。1960年代「ラテンアメリカ文学のブーム」が起き、ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928-2014)『百年の孤独』(1967)(※架空の村マコンドのブエンディア家による創設・隆盛・滅亡の100年間を舞台とする長い長いお話)が魔術的リアリズムとして全世界に知られるようになった。

(34)-2 ロラン・バルト、ジェラール・ジュネット、ウラジミール・プロップの批評理論!テリー・イーグルトン『文学とは何か』(1985)!
I-2-3 批評理論への関心も高まる。ロラン・バルト、ジェラール・ジュネット、ウラジミール・プロップという批評家の著作がよく読まれた。その教科書と言うべきテリー・イーグルトン『文学とは何か』(1985)がロングセラーになった。(120頁)

《参考》ロラン・バルト(1915-1980):フランスの批評家、記号学者。レビ・ストロース(文化人類学)、ラカン(精神分析)、フーコー(哲学)とともに構造主義(文学)の代表者と言われる。サルトルの影響のもとに文学形式の社会的責任を説く『零度のエクリチュール』(1953)。ブレヒト劇を支持し、またヌーボー・ロマンを擁護。ブルジョア社会の神話への批判(『神話作用』1957)。記号学では『記号学の原理』(1964)、『モードの体系』(1967)がある。物語の構造分析を推し進め、古典的テクストを読み直し、テクスト理論(※作品の根拠を「作者」に求めず、作品の根拠を「作品それ自体」に求める)を実践する。

《参考》ジェラール・ジュネット(1930-2018):フランスの文学理論家。評論集『フィギュール』Figures(1966)はボルヘス、バレリー、プルーストの影響下にメタ批評的な文学研究を模索。『フィギュールⅡ』(1969)は構造主義に呼応して形式への関心を打ち出し修辞学を評価。こうした活動を通じ「文学の一般理論」が目指されるようになる。『フィギュールⅢ』(1972)はジュネットの名を一躍有名にした研究論文「物語のディスクール」Discours du récitを含む。プルーストを主な題材としながら種々の小説技法の整理を行ったこの研究は、その後の物語テクスト研究の必須参照文献となる。『ミモロジック』Mimologiques(1976)では「言語の有縁性」(言語記号の表現面と内容面との間にはなんらかのつながり、とくに表現が内容を写しとるという模倣的な関係があるとする)を信じる論者たちの系譜をたどる。『パランプセスト』Palimpsestes(1982)は、すでに存在する作品(第1次の文学)を下敷きに産出された、諸文学作品(第2次の文学)を収集し分類した大著。文学作品が無から創出されるのでなく、作品どうしの相互連関のなかから産出されてくることを検証。テクストは本質的に他のテクストに開かれているとする間テクスト性(intertextuality)の考え方を、文学創作の根本原理として立証。ジュネットは文学作品を独立した実在とみなさない。文学という思考法や制度は暗黙の諸概念によって支えられているとする。

《参考》ウラジミール・プロップ(1895-1970):主著『昔話の形態学』(1928)は、出版された当時は全く反響を呼ばなかったが、1958年に英訳が出版されて以後、現在では構造主義の先駆的業績とされる。たとえば魔女や王様、動物など昔話の主人公はほぼ無限に存在するが、彼らが何を行い、物語内でどんな機能を果たしているかを分析すると、わずかな項で分類できることを発見した。

《参考》テリー・イーグルトン(1943-)『文学とは何か』(1983、邦訳1985):筒井康隆『文学部唯野教授』(1990)で唯野教授が作中で行う文学講義はテリー・イーグルトン『文学とは何か(Literary Theory: An Introduction)(1983)に基づく。「第一講…印象批評、第二講…新批評、第三講…ロシア・フォルマリズム、第四講…現象学、第五講…解釈学、第六講…受容理論、第七講…記号論、第八講…構造主義、第九講…ポスト構造主義」。

(34)-3 柄谷行人(カラタニコウジン)(1941-)『日本近代文学の起源』(1980)!前田愛(1931-1987)『都市空間のなかの文学』(1982)!
I-3 日本国内では、すでに挙げた磯田光一、江藤淳、蓮見重彦、吉本隆明に加え、近代文学を相対化する試みとして、柄谷行人(カラタニコウジン)(1941-)『日本近代文学の起源』(1980)、前田愛(1931-1987)『都市空間のなかの文学』(1982)が注目を浴びた。(121頁)
I-3-2  渡辺直己(ナオミ)は「蓮見重彦によって、日本批評は言葉のかつてない《内側》を発見したとすれば、柄谷行人の登場とともに、批評はたえず《外》の体験となる」と述べる。(『日本批評大全』2017)(121頁)

《参考》柄谷行人(カラタニコウジン)(1941-)『日本近代文学の起源』(1980):文学に潜む「制度」や「物語」を暴く。「風景の発見」、「内面の発見」、「告白という制度」、「病」のメタファー(隠喩)、「児童」(子ども)の発見など。「起源」を語ることの困難さは、ある「用語」や「言語」が発生すると、集団の無意識がそれらに「正当化」の理屈を与えるからだと言う。例(1) ミシェル・フーコー(1926-1984)は『言葉と物 人文科学の考古学』(1966)で「『人間』は19世紀の初めに成立した『ことば』に過ぎない」と述べセンセーションを巻き起こした。「ことば」が無ければ、そこに「事物」は「存在しない」とする。例(2) アルプスの雄大な「風景」に「自然」に対する「価値」を見出したのはルソーだが、それまではアルプスは邪魔な山脈に過ぎなかった。自然に対する「風景」という「見方」は明治以後の文学作品から登場し、それによって価値の「意味」付けが発生した。
Cf. 丸山圭三郎(1933-1993)『言葉とは何か』(1994):言葉は意味を表すものではなく、言葉は意味を持つ。 思考から言葉が生まれたのではなく、言葉が生まれたことによって思考が生まれた。

《参考》前田愛(1931-1987)『都市空間のなかの文学』(1982):春水『春色梅児誉美』、鴎外『舞姫』、二葉亭『浮草』、一葉『たけくらべ』、荷風『狐』、漱石『彼岸過迄』『門』、横光『上海』、川端『浅草紅団』など近世から現代に至る文学作品と、ベルリン、上海、江戸東京といった都市空間。このふたつの相関を解読する。

《参考》渡辺直己(ナオミ)(1952-)『日本批評大全』(2017):江戸後期より蓮實重彦、柄谷行人まで、近現代の批評から70編を精選し解題、日本批評の全貌を俯瞰・総括する。個人編集による批評集成。
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