DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

何も残らない    

2017-07-29 23:51:37 | 日記
君は空虚だ。You are vacant.
君は透明だ。You are transparent.
君はムダ。You are in vain.
君はただの土塊(ツチクレ)。You are only a lump of earth.
君には魂がない。You have no soul.
君は泣く。You weep.
君の人生は無意味。Your life is meaningless.
君は自分を見捨てる。You abandon yourself.
何も残らない。Nothing remains.
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ジョン・クロウ・ランサム(John Crowe Ransom)(1888 - 1974)「青い娘たち(Blue Girls)」:若い娘たちは、魂を醜くせず年老いてほしい

2017-07-29 21:32:56 | 日記
 青い娘たち

青いスカートをひるがえし、芝生を踏んで
学院のいくつもの塔の下を通って、
つむじ曲がりの老先生たちの話を
一言も信じないで聞きに行きなさい。

さあ髪に白いヘアバンドをつけ、
先のことなど考えるのをやめなさい。
草の上を歩き、
空でおしゃべりするルリコマドリのように。

失われる前に、青い娘たちよ、きみたちの美を実践しなさい。
そうしたら私は声を張りあげ
いかなる力も永続させえないその美を、喧伝(ケンデン)しよう。
美はそれほどに、もろく、はかない。

というのも、ここに一つの実話がある。
私が知るあるご婦人は、ひどく口汚く
目は、青さを失ってかすみ、
彼女の完全さはすべてそこなわれた。だがついこの間まで
彼女は君らの誰よりも、かわいかったのだ。

《感想1》
若さは、長所も短所もある。
若さは未熟さである。
若さは残酷で、危険でもある
だが、ここでは、老人の男性が、娘たちの若さの美を讃える。
《感想2》
女性にとって、若さの美は、ひと時とは言え、確かに存在する。
ただ、若さの美が実践できるためには、若い娘たちが、幸せに生活できなければならない。
《感想3》
老いることで、肉体は、機能が低下する。
確かに、これを醜くいということも出来る。
しかし例えば、カネがあれば、美しい装いもできるし、センス良い生活もできる。
また努力すれば、肉体的機能・外観を自己コントロールもできる。
《感想4》
だが、なによりも、魂が、重要である。
魂の美醜に、年齢はない。
《感想5》
若さの美は、実は若い魂の美である。
素直な若い魂は、美しい。
若くても、醜い魂もある。
若い肉体の美しさに、同時に美しい魂が宿れば、一層美しい。
《感想6》
ある年老いた御婦人が、ひどく口汚いのは、彼女の魂が醜いからだ。
若い娘たちは、魂を醜くせず年老いてほしい。
《感想7》
若い娘たちは、一方で、危なっかしい。
だが確かに他方、素直で屈託ない魂の美と、肉体的な若さの美が、共に若い娘たちに宿ることもある。
若い娘たちが、幸せに、若さを実践できたらいいと思う。

 Blue Girls

Twirling your blue skirts, travelling the sward
Under the towers of your seminary,
Go listen to your teachers old and contrary
Without believing a word.

Tie the white fillets then about your hair
And think no more of what will come to pass
Than bluebirds that go walking on the grass
And chattering on the air.

Practice your beauty, blue girls, before it fail;
And I will cry with my loud lips and publish
Beauty which all our power shall never establish,
It is so frail.

For I could tell you a story which is true;
I know a woman with a terrible tongue,
Blear eyes fallen from blue,
All her perfections tarnished ――yet it is not long
Since she was lovelier than any of you.
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ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke, 1875 - 1926)「少女の姿:きみが昔わたしに気づいたとき」(1898年)

2017-07-29 00:17:26 | 日記
 少女の姿

きみが昔わたしに気づいたとき、
そのとき、わたしは小さかった、とても小さかった、
そしてわたしは、菩提樹の枝のように
ただ静かにきみの内部へと花咲いていた。

小さかったために、わたしは名前がなかった
そしてわたしは、さだめなくあこがれ続けた、
きみが、わたしはどんな名前にたいしてより
あまりに大きいと言ってくれるまで。

わたしは感じる。わたしは
神話、五月、海原と一つのものである、
そしてわたしは、葡萄の房の香りのように
きみの心に重く実る。

《感想》
少女がまるで神のようである。
わたしはあまりに小さく、わたしは、きみの内部へ枝を伸ばし、きみの内部で花咲く。
わたしは名前もない卑小な存在。
きみが、「わたしがどんな名前よりもあまりに大きいのだ」といってくれるまで、わたしはきみをあこがれ続けた。
少女の心のうちに、わたしは存在する。
かくて、わたしは、神話、五月、海原と一つのものであると感じる。
また、わたしは、葡萄の房の香りのように、きみの心に重く実ると感じる。
この詩は、詩人が28歳の時に書かれた。
この人は、救われている。

 MÄDCHEN-GESTALTEN

Als du mich einst gefunden hast,
da war ich klein, so klein,
und blühte wie ein Lindenast 
nur still in dich hinein.

Vor Kleinheit war ich namenlos
und sehnte mich so hin,
bis du mir sagst, daß ich zu groß
für jeden Namen bin:

Da fühl ich, daß ich eines bin 
mit Mythe, Mai und Meer, 
und wie der Duft des Weines bin
ich deiner Seele schwer...
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