臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『NHK短歌』観賞(今野寿美選・6月6日放送)

2010年06月09日 | 今週のNHK短歌から
○ 南向きの窓からの光強すぎて勉強できない理由になって  (杉並区) 平岡あみ

 「理屈と膏薬は何処にでも付く」という喩が在るが、本作の作者・平岡あみさんは、膏薬などという、あのベタベタとして、お母さんの説教以上に厄介な代物をご存じにならないご年齢なのでありましょう。
 「南向きの窓からの光」が「強すぎて勉強できない理由」になるのは、陽が斜めに射す冬季間だけのことであって、陽が高くなる春季以降はそれを「理由」にして、勉強を怠けることは出来ません。
 この世の中は大変厳しいので、しっかり勉強しましょう。
  〔返〕 南向きの明るい部屋をあてがわれ勉強できることの幸せ   鳥羽省三   


○ 旨いとて好きかといふと微妙なり戦後育ちの男の南瓜    (豊島区) 杉中元敏

 「戦後育ちの男」とは、<戦前・戦中に生まれたが、一番お腹を空かしていた発育時期が終戦直後だった世代の男性>のことである。
 この世代の者は男女を問わず、口に入るものならば、たとえ釘でもガラスでも何でも食べたと言われているくらい食べ物に餓え、がつがつしていたのである。
 したがって、南瓜などは御の字といったところでありましょうが、さすがにその時期を過ぎてしまうと、「旨いとて好きかといふと微妙なり戦後育ちの男の南瓜」という仕儀に相成るのでありましょうか?
  〔返〕 逃れ得ず税を納める気分にて南瓜スープをたまに飲んでる   鳥羽省三  


○ 制服に名札をつけた「南くん」眠らせ四月の電車は走る  (熊谷市) 林 邦子

 「四月」は新学期が始まったばかりの時期であり、この時期の早朝には、「制服に名札を」つけた坊主頭が「電車」の中で居眠りをしている光景を見ることが珍しくない。
 作中の「南くん」とは、通勤途上の作者がたまたま遇った学童の一人であって、作者とは顔見知りでも親戚でも無いのでありましょう。
  〔返〕 埼玉の田舎であればこそ出来る通学途中の車内の居眠り   鳥羽省三
 以上三首が、特選一席、二席、三席に選定された作品である。


○ 裏鬼門南西角の井戸端に盛塩を置く義母(はは)の代わりに(熊本市) 横手まゆみ

 鬼門とは艮(東北)の方角を指すのであるから、本作中の「南西角」こそは正しく「裏鬼門」に当たっている。
 本作の作者・横手まゆみさんの「義母」様は陰陽道を信仰なさっている方であったと見受けられ、住居の「裏鬼門」即ち「南西角」に在る「井戸端」に「盛塩を置く」ことを慣わしとされていたのであるが、その「義母」様に代わって、この頃はその嫁女である作者が「盛塩」をする、というのでありましょう。
 「義母」様になり代わって「盛塩を置く」のではあるが、本作の作者には、「義母」様ほどの信仰心は無いのでありましょうか?
  〔返〕 年毎の節句の際は粽巻き家族揃って旨しとて召す   鳥羽省三


○ 何故か南は歌にならぬらし演歌はみんな北を向いてる  (北九州市) 赤松菊夫

 「北」と比べると確かに少ないようですが、私の知っている範囲でも次のような十数曲が在ります。但し、演歌とは限りません。
 『南の花嫁さん』(高峰三枝子)・『南国の夜は更けて』(林伊佐緒)・『南から南から』(三原純子)・『南国土佐を後にして』(ペギー葉山)・『湘南 My Love』(TUBE)・『南十字星』(西城秀樹)・『南の島のハメハメハ大王』(水森亜土・トップギャラン)・『南十字星』(チャゲ&飛鳥)・『南回帰線』(堀内孝雄・滝ともはる)・『南風』(レミオロメン)・『南風』(下川みくに)・『ゆ・れ・て湘南』(石川秀美)・『風は南から』(長渕剛)・『北の狼 南の虎』(水木一郎)・『恋人は南風』(サザンオールスターズ)・『サザン・ウインド』(中森明菜)・『サザンクロス』(稲垣潤一)・『湘南グラフィティ』(桃太郎)・『湘南SEPTEMBER』(サザンオールスターズ)・『南海の月』(三島敏夫)・『南国の小径』(トリオ・ロス・チカノス)・『南国の雪』井上陽水/奥田民生・『南東風』(GLAY)・『南風の頃』(ふきのとう)・『南三条』(中島みゆき)・『~南太平洋~ サンバの香り』(松田聖子)・『南に舵を取れ』(かりゆし58)・『南の誘惑』(日野てる子)・『少年は南へ』(頭脳警察) 
 以上ですが、探せば在るものですから、迂闊にものは言えません。
  〔返〕 これからはもっと多くなるでしょう。<サザン>あたりは要注意です。   鳥羽省三

 
○ 〈玉砕〉といふ一語ゆゑルーペまで重ねてさがす南方の島  (須崎市) 森 美沢

 日本軍が「玉砕」した「南方の島」と言えば、直ぐ思い出すのは、硫黄島・サイパン島・テニアン島・ペリリュー島・カダルカナル島などであり、そのいずれもが、地球儀上では、「ルーペ」を「重ねて」探さなければならないような小さな島である。
  〔返〕 「玉砕」は玉と砕けることであり、砕ける玉は「たましい」の「たま」   鳥羽省三


○ 「ハメハメハ」南の島の王の名は幼い夢を呼び出す呪文  (瀬戸内市) 小橋辰矢

 本作の作者・小橋辰矢さんにとっては、その昔、水森亜土さんがあの独特な声で歌った『南の島のハメハメハ大王』の「ハメハメハ」は、黒柳哲子さんの唱えた<アブラカダブラ>と同様に、「幼い夢を呼び出す呪文」だったと言うのである。
  〔返〕 「ハメハメハ!婆ちゃんどものフラダンス、見たくないから消して下さい!」   鳥羽省三


○ 南勢と南島併せて南伊勢十年経れば馴染むであろうが  (横浜市) 右田研三

 三重県の「南勢と南島」とが合併して<南伊勢町>となったのであるが、本作の作者・右田研三さんは、その中のいずれかの地区を故郷とする方であると思われ、郷土愛の情が人一倍強いから、「南伊勢」という町名には馴染めず、「十年経れば馴染むであろうが」などと、半ば捨て鉢、半ば諦めの境地に立って、この一首を詠んでいるのでありましょう。
  〔返〕 大曲と仙北併せて大仙市 花火大会<大曲>のまま   鳥羽省三


○ 生きていれば五十余歳の南海子さんまばたきする目が可憐な象の  (川崎市) 岩幸子

 インターネットの『高知城ライトアップクラブ』というホームページ中に、<㈱デカゴン>の代表取締役社長・柴田恵子様の「私と高地城」というタイトルのご手記が掲載されていて、その中に「幼稚園から土佐女子校まで、毎日、高知城を見上げながら通学いたしました私にとりまして、高知城は、子供の頃からの遊び場でもありました。私がまだ幼稚園だった頃、お城の南側に動物園があり、インド象の『南海子さん』と名付けられ、大きな耳と長い鼻に驚かされたのも、昨日のように思い出されます(後略)」(2006・11・1)とありましたが、本作中の「南海子さん」とは、この記事中の象を指すのでありましょうか?
 同ホームページ管理者及び柴田恵子様には、無断引用させていただきましたことを、深くお詫び申し上げます。
  〔返〕 南海子さんはるばるインドから参り坂本龍馬に会えなかったね   鳥羽省三


○ 南洋の楽園らしきひびきありわが腹中のランゲルハンス島  (世田谷区) 野々村学

 「わが腹中のランゲルハンス島」とあるから、「ランゲルハンス島」は、本作の作者・野々村学さんの「腹中」にだけ存在する架空の島なのでありましょう。
 しかし、現実には存在しないその島の名称には、「南洋の楽園らしきひびきあり」と、作者は思っているのである。
 そう仰られてみれば、そのような気がしないでもありません。
  〔返〕 絶海の孤島のような響きあり我が即興のブリーゲル島   鳥羽省三  


○ スーパーに山と積まれたパパイアは現在を吹き飛ばす南の爆弾  (柏市) 麻生美幸

 本作の作者・麻生美幸さんの脳裡には、梶井基次郎の短編小説『檸檬』のストーリーが存在していたのでありましょう。
 そう仰られてみれば、「スーパーに山と積まれたパパイア」には、メガトン級の爆弾のような趣きが在ります。
  〔返〕 吹き飛ばせパパイヤ爆弾パパとママ何時もぐじゅぐじゅ喧嘩やってる   鳥羽省三


○ 南無六千四百柱みあかしの火のあかあかと払暁の神戸  (福島県) 黒澤正行

 <喉元過ぎれば熱さを忘れ>という格言があるが、阪神淡路大震災での神戸市での死者は「六千四百柱」であったことを、私は忘れてしまって居りました。
 南無阿弥陀仏。
  〔返〕 払暁の神戸の空を赤々と焦がして居たる業火の記憶   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(6月6日掲載分)

2010年06月08日 | 今週の朝日歌壇から
○ 満天星にタオル広げて干してあり坂の途中の田井理髪店  (神戸市) 小田玲子

 <坂の街・神戸>ならではの風景であり、一首である。
 よく手入れされた「満天星」の刈り込みは、坊主頭のように丸まっていて座りがいいから、格好な「タオル」干し場となっているのでありましょう。
 作品から推してみるに、「坂の途中の田井理髪店」さんは、それほど大きな店構えの床屋さんとは思われないから、坂道に面した敷地内に植えられている「満天星」の刈り込みも、せいぜい五株から七株程度のものでありましょうか?
 仮に七株の刈り込みとしたら、その一株毎に真っ白い「タオル」が二枚ずつ、合計十四枚の清潔なタオルが、坂道に面して並んでいる「満天星」の刈り込みの緑したたる葉っぱの上に干されていて、「いらっしゃいませ、こんにちは。この店の主人は清潔好きで、理髪師としての腕前もなかなかですよ。だから、お母様の躾が宜しく普段は千円カットの店に通っている小田さんちのお坊ちゃまも、三回に一回はこの店にいらして下さいませ。この店のご主人の腕前にかかると、ただでさえ素晴らしいお坊ちゃまの男前が一段と上がり、気分爽快、お付き合いをされていらっしゃる彼女からも惚れ直されますよ」などと、客引きをしているような感じである。
 「坂の途中の田井理髪店」と、具体的に店の名前を挙げて述べたところが特に宜しい。
  〔返〕 満天星の花は微毒を持つと言うそういう点はどうなのかしら   鳥羽省三


○ ベビーバスにむっつり詰まる白い足父のメガネにお湯蹴り上げる  (所沢市) 菱沼志穂

 「ベビーバスにむっつり詰まる白い足」という上の句が、健康でよく肥えた赤ちゃんを思わせて宜しい。
 また、「父のメガネにお湯蹴り上げる」という下の句は、気持ち良くなってはしゃいでいる赤ちゃんの様子ばかりで無く、その周りで親馬鹿を丸出しにしているご両親の様子なども窺わせて更に宜しい。
  〔返〕 お湯だけで足りぬぞ赤ちゃんおしっこも親馬鹿パパの顔まで飛ばせ   鳥羽省三


○ 父の呼ぶチャイムの端末身につけて母は抜きおり家中の草  (山口市) 平田啓子

 老老介護の実態を思わせて、大変優れた一首と思われるが、「母は抜きおり家中の草」を「母は抜きおり屋敷中の草」となさったらいかがと思われるます。
 お母様としては、「介護にかまけている間に伸び放題に伸びきってしまった敷地内の草を、今のうちに抜いておかなければならない」というお気持ちとは別に、「今日は天気もいいから、たまには寝たきりのお父様の枕元を離れて、のびのびと庭仕事をしてみたい」といったお気持ちもあったのではないでしょうか? 
  〔返〕 ケイタイとチャイムぶら下げ草を抜く母は傘寿でまだまだ壮ん   鳥羽省三


○ 托卵して子育てもせず郭公は保育所近くにまた鳴きに行く  (新潟市) 岩田 桂

 「郭公」は、大よしきりや頬白や百舌の巣などに「托卵」する。
 他の鳥の巣に預けられた「郭公」の卵は、巣の持ち主の雛より早く、十日程度で孵化するから、巣の持ち主の卵や雛を巣の外に放り出してしまい、自分だけを育てさせるのだそうだ。
 そのように、雛の頃からずる賢く立ち回り、成長してからも「托卵」などという不届きなことを平気で仕出かす「郭公」の親が、自分の生んだ卵を他の鳥の巣に預けた後に、人間の雛たちの「托卵」場所たる「保育所近くにまた鳴きに行く」というのは、なかなかに風刺が利いている。
 自分の二人の息子を自分の勤務する県立高校に入れないで、東京都内の私立高校や国立大学付属高校に入れたという前歴を持っている私などは、「郭公」の行為を非難する資格を持っていない人間なのかも知れない。
  〔返〕 産みっ放し育てもせずに他に預け保育所勤務の親戚も居る   鳥羽省三


○ 読めませんとは決して言わないスキャナーがこれでどうだと文字ぶつけ来る  (町田市) 大西亞進

 まこと確かに、「スキャナー」は「決して」「読めません」などとは言わないで、私がどんなに怪しい文字(らしきもの)を書いても、「これでどうだ」とばかり変換候補の文字を次々に「ぶつけ来る」のである。
  〔返〕 「才」と書けば援護の「援」やら拉致の「拉」やら埒無く変換候補出て来る   鳥羽省三  

一首を切り裂く(028:陰)

2010年06月07日 | 題詠blog短歌
(中村梨々)
   まなざしの陰を過ぎてく麦藁の少女に引かれやってくる初夏

 「まなざしの陰を過ぎてく」という措辞の解釈が難しくかつ魅力的である。
 作中の「麦藁の少女」は「まなざしの陰を過ぎてく」のであるから、彼女は本作の作者・中村梨々さんの「まなざし」が及ばずに「陰」になっている部分を通り過ぎて行くと解釈するべきであろう。 だが、歌人は本来全智全能であるはずであるから、この地上で本作の作者・中村梨々さんの「まなざし」の及ばない部分などは在り得ないはずである。
 在り得ないはずの「陰」の部分を「通り過ぎてく」「少女」は、本質的には存在し得ないはずの「少女」である。
 存在し得ないはずの「少女」とは<幻>の「少女」である。
 今年の「初夏」はその幻の「少女に引かれ」て「やってくる」のである。
 ところで、その幻の「少女」とは誰か?
 イタリアルネサンス初期の画家・ボッティチェリの代表作『春』は、愛と美の女神ヴィーナスを中心にして、その左側にヘルメスと三美神を配し、右側に春の女神プリマヴェーラ・花の女神フローラ・西風ゼフェロスを配した、艶麗にして荘重なる構図で描かれている。
 察するに、本作中の「麦藁の少女」とは、あのボッティチェリの名画・『春』に描かれている<春の女神プリマヴェーラ>の親戚に当たる「少女」ではないでしょうか?
 私は、本作の観賞に当たって、インターネットのホームページで「夏の女神」なる存在の行方を突き止めようとしたのであるが、その殆んどはアダルトサイトの登場人物や日焼けサロンの客引き的存在の人物であり、私たちのような地道に生きる者の前に「初夏」という爽やかで健康な季節を招来してくれるような清純な「少女」には出会わなかった。
 そこで行き着いたのが上記の結論である。
 ボッティチェリの『春』に描かれている<春の女神プリマヴェーラ>は、花柄の透け透けの妖艶なドレスを身に纏っているが、本作に登場する<初夏の女神>の「少女」は、極東の国・日本の平成社会に逞しく生きて行く「少女」らしく、「麦藁」帽子を被り、ユニクロのTシャツを身に纏っているのである。
  〔返〕 ワンコ連れユニクロのシャツ身に纏い初夏の少女は木陰に立てり   鳥羽省三
 
 
(秋月あまね)
   心には陰謀あらむ泣きじやくる同母弟(いろど)の髪を指に梳きつも

 本作に接した瞬間、私の脳裡に甦ったのは、万葉集の女流歌人・大来皇女が同母弟・大津皇子の悲劇に際して詠んだ次の六首の和歌である。
   ○ わが背子を大和に遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし
   ○ 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
 以上二首は、大津皇子が密かに伊勢神宮に下向してきた時に大来皇女が詠んだ歌。
   ○ 神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに
   ○ 見まく欲りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに
 以上二首は、大津皇子の薨去後、大来皇女が伊勢を去って帰京する途上で詠んだ歌。
   ○ うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背とわが見む
   ○ 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに
 以上二首は、大津皇子を二上山に移葬した時に大来皇女が詠んだ歌。
 大来皇女と大津皇子とは、天智天皇の娘・大田皇女と天智天皇の弟・天武天皇との間に生まれた同母姉弟である。
 女性から見て、母を同じくする男性の中の年上の男性を<いろせ(同母兄)>と言い、年下の男性を<いろと(同母弟)>と言う。
 全くの濡れ衣とも言われている大津皇子の例の謀反事件について、同母姉の大田皇女がどの程度関わっていたか、関わっていないかは私は全く与り知らないが、同母弟・大津皇子を思って、同母姉の大来皇女が詠んだこれら六首の和歌は、部外者の私の胸を打つものがある。
 おそらくは、本作の作者・秋月あまねさんに於かれても、私と同じような思いに囚われて、この傑作をものされたものと拝察される。 
  〔返〕 陰謀の是非については知らねどもただに愛しきいろと(同母弟)なるかも   鳥羽省三 

(五十嵐きよみ)
   陰鬱な顔つきなんて馬鹿らしい片目でこっそり楽しめばいい

 こちらの女性の方は、全くなんて気楽なこと。
 「陰鬱な顔つきなんて馬鹿らしい」「片目でこっそり楽しめばいい」と、気楽に仰って居られますが、あの五十嵐きよみさんが、いったい何を「片目でこっそり楽しめばいい」と仰るのでありましょうか?
 まさか、アダルトサイトの<夏の女神>の悩ましいポーズではないでしょう?
  〔返〕 ボルドーの赤を片手にウインクし片目でそっと覗いたりする   鳥羽省三


(牛 隆佑)
   今週も隣の町で陰惨な事件があったわ た し し あ わ せ

 こちらの牛さんはまた、なんと陰鬱なことよ。
 宮崎牛が壊滅状態の憂き目に晒されている今日、その「牛」という文字を苗字にして居られる<牛隆佑>さんのお気持は、この鳥羽省三にも十二分に解りますよ。
  〔返〕 来週は鬼首村に怪事件起きれば私とても幸せ   鳥羽省三 


(山口朔子)
   行くあてのない者同士もう少しここにいようよ日陰のトカゲ

 こちらの方の陰鬱さは、更に念が入っているが、「日陰のトカゲ」の境遇に共感を覚えているのには、薄気味悪さが感じられる。
 <日陰の女>という存在は、かつての映画ストーリーのヒロインであったが、この頃はすっかり影を潜めてしまったような感じである。
 これは、世の中が良くなったせいであろうか? 悪くなったせいであろうか?
 〔返〕 眼の周り厚く隈取りケイタイでメール打ってる日向の女   鳥羽省三


(斉藤そよ)
   月にだけ素直なからだ陰暦で生きてゆきたい年頃がある

 私にはよく解らないことであるが、女性特有のあの生理現象は、月の満ち欠けを中心とした<太陰暦>と密接な関わりがあるのでしょう。
 だとすれば、「月にだけ素直なからだ」という、一見奇怪な断言にも頷け、「陰暦で生きてゆきたい年頃がある」という断定にさえも、素直に従えるのである。
 そう言えば、閉経の時期を過ぎたと思われる女性が、急に元気になり、太陽が燦々と照りつける湘南海岸でフラダンスなどに興じている有様などは、何か曰く有り気である。
 こんな冗談めかしたことを綴りながら、たった今、気が付いたことであるが、あの『竹取物語』のヒロイン・かぐや姫が陰鬱な気分に囚われるのは、月の満ち欠けと密接な関連があったのではないだろうか?
  〔返〕 金にだけ素直になれる吾である競馬競輪たまにやってる   鳥羽省三 


(珠弾)
   陰暦で言えば何月何日にあたるのだろうカレンダー見る

 こちらの「陰暦」は単純至極。
 ただ単にお日柄を占いたかっただけである。
 今日の<珠騨>さんは<お馬さん>とデイトする<珠騨>さんであり、今夜の<珠騨>さんは<珠騨>さんならぬ<酒乱>さんで有馬賞。
  〔返〕 「ありましょう」と打ったつもりが「有馬賞」有馬記念で去年は勝った   鳥羽省三


(じゃみぃ)
   その昔陰気な感じと評された根は変わらぬとしんみり語り

 「根は変わらぬとしんみり語り」合っているのは、同窓会の席上でありましょうか?
  〔返〕 その昔マドンナなどと言われてた学級委員の末路について   鳥羽省三


(丸井まき)
   光だけ浴びては生きていけなくて日陰木陰を探して歩く

 「光だけ浴びては生きていけなくて」という措辞からすると、本作の作者・丸井まきさんは必ずしも隠花植物でも<インカ帝国>の国民でも無いらしい。
 それにしても、今日も暑いですね。
 私は今日の午後、<MADAMU・SHINCO>を買いに町田の小田急百貨店に出掛けますが、この暑さでは、帰宅するまで溶けてしまいそうです。
  〔返〕 溶けたなら<MADAMU・SHINCO>は食えぬからドライアイスをたっぷり入れる   鳥羽省三

 
(伊藤真也)
   表向きの陰をかざして目眩ます 何ひとつとしてばれちゃいけない

 文字通りの「陰」とは別に、「表向きの陰をかざして目眩ます」とは、なかなかの高等戦術である。
 ここまで用意周到であれば、「何ひとつとしてばれ」ないはずと思うのも浅墓。
 大日本帝國参謀本部からの暗号電報の全ては、アメリカの頭脳によって解読されていたのである。
  〔返〕 建前の建前言って誤魔化した本音の本音が建前だった   鳥羽省三


(理阿弥)
   星霜に摩滅せる碑の片陰の白き撫子ゆれをる刹那

 そう言えば、「摩滅」している「碑」の「片陰」には、白い川原撫子がよく咲いていたものでした。
 その「白き撫子」の「ゆれをる刹那」を、見事に写し取った理阿弥さんのカメラ捌きの素晴らしさよ。
  〔返〕 「顕彰碑・阿南大佐」と刻みたりその余の文字は毀れて見えず   鳥羽省三


(鮎美)
   をとめごの紺のプリーツスカートの陰翳ふかくけふ新学期

 「紺のブリーツスカート」の深い「陰翳」は、今日「新学期」を迎えた「をとめご」の青春の「陰翳」にも通うものである。
 何はともあれ、「今日」から「新学期」。
 「友だち百人できるかな」などと歌うのは頑是無いガキどもであり、青春に「陰翳」は付きものでる。
 だから、「紺のプリーツスカート」の「をとめご」よ、悩んで悩んで悩み通し、青春を突き抜けろ。
  〔返〕 スカートの襞に見紛ふ心の襞をとめごの顔はつか蒼ざむ   鳥羽省三


(水絵)
   岩陰にひっそりおわす地蔵尊 経の衣に笑みて包まれ

 水絵さんにこんなことをお伺いするのもなんですが、その「地蔵尊」は<水子地蔵尊>でしたでしょうか?
 だとしたならば、「経の衣」に「包まれ」て笑っているのも納得され、「その周囲ではセルロイド製の風車がくろくろと回っていませんでしたか」とも、お尋ねしたくもなるのです。
  〔返〕 横丁の水掛け地蔵に水掛けて女難に遭はぬやうにと願ふ   鳥羽省三


(原田 町)
   裏日本表日本はアウトでも山陰山陽まだまだセーフ

 かつて「裏日本」の住民であった者の一人としては、充分に納得の行く一首である。
 「裏」とは異なって、「陰」にはそれなりの文学的な(但し、極めて安直な)雰囲気がありますからね。
 それが、「山陽」に対する「山陰」を未だに「セーフ」にしている一因でありましょうか?
  〔返〕 山陰の女性と聞けば優しいが逢えばなかなか鳥取女   鳥羽省三


(南葦太)
   日陰者では終われない反骨の葦の茎なら太くあれかし

 我が歌友・南葦太さんは、この場を利用して、ご自身のブログネーム(本名かも?)の由来を説明しようとなさっているのである。
 それにしても、「日陰者では終われない」という言い方には、いささか驚嘆致しました。
  〔返〕 日陰には生ゆるはず無き河原もの難波の葦は伊勢の浜荻   鳥羽省三


(飯田和馬)
   物陰は息を殺して祈る場所一円玉と鉄色の僕

 「物陰」に信仰対象めいた何かが鎮座ましますのでありましょうか?
 もし鎮座ましますとすれば、「一円玉」はお賽銭であり、「鉄色の僕」は、それに跪いて「息を殺して」必死に祈っているのでありましょう。
 それにしても、お賽銭が「一円玉」とは、ちとけち臭い。
  〔返〕 物陰に息を殺している猫は隣りの三毛のお尻を狙う   鳥羽省三


(虫武一俊)
   人類の陰の部分を見たあとの身にカフェオレのやさしかったこと

 本作の作者は、奥方様とご一緒にご愛息様のお昼寝姿をご覧になりながら、お茶していらっしゃるのでありましょうか?  
 だとすれば、ご自身の不始末の結果を目にしてしまったことを、「人類の陰の部分を見た」と言うのは、かなり大袈裟な言い草でありましょう。
 間違っていたとすれば、篤く篤くお詫び申し上げます。
  〔返〕 ご自身の陰の部分を熟視した後のビールのなんとも苦き   鳥羽省三


(青野ことり)
   陰口は朝靄のなかとけだして哀しい色でぽとりと落ちる

 「陰口は朝靄のなかとけだして哀しい色でぽとりと落ちる」という出来事は、いかにも<ことりごと>の世界で発生した出来事に相応しい内実を備えている。
 青野ことりさんは、やり慣れていないことをやるべきでは無い。
 「陰口」とは、あの黒い鴉の口から漏れる言葉であって、<青い鳥ことり>の口から発せられる言葉ではないからである。
 したがって、「哀しい色でぽとりと落ちる」という下の句の措辞は、激しい自責の念から出た言葉として解釈される。
  〔返〕 朝靄に溶け行く吾の陰口よ朝の空気に清みて消え去れ   鳥羽省三


(新井蜜)
   暗い顔見せたくなくて道草し陰間のやうに立つて星見る

 「陰間」の少年はいつも笑っているかのように見せながら、その実は、自分を買った大人の男性に対して激しい怒りを感じ、自分の運命に対して呪うような気持ちを抱いているのである。
 したがって、「暗い顔見せたくなくて」と言いながら「道草し」、「星」を見ている話者の気持ちは見せかけ以上に複雑である。
 こうした複雑な心理を詠んだ作品は、評者の手に負えないので、普段から採り上げないようにしているのだが、今回は「陰間」の一語に惹かれて観賞に及んだ。
  〔返〕 薄つすらと笑みを浮かべて星を見る陰間の尻を犬は見てゐる   鳥羽省三


(新田瑛)
   照りつけるときはあなたの陰となってスルメのように干からびるまで

 気温が高く、燦々と照り付ける夏の直射日光に向かって走って行く企画最悪のマラソン競争を題材にした作品であろうか?
 他の選手の「陰」になって走りたいから、ランナーたちの誰ひとりとして、先頭に立とうとはしない。
 しかし、記録はどんどん落ちて行くばかりであるから、それぞれのランナーは気が気で無く、結局は、「スルメのように干からび」てしまうのである。
  〔返〕 君が出ろいや君が出ろ僕は出ぬ結局難局乾びたスルメ   鳥羽省三
 

(黒崎立体)
   背中の広い人がいい 晴れすぎた日はその陰で死んでいられる

 同上。
 でも、いつまでも「死んでいられ」ませんよ。
 みんな「背中の広い人」の「陰」になって「死んで」いたら、そのうちにレースそのものが三流、四流になってしまうから。
  〔返〕 先頭に立ってレースを引っ張って息が切れたらそれでお終い   鳥羽省三 


(詩月めぐ)
   さよならの言葉もないまま去ってゆく君を見送る花下陰で

 「去ってゆく君」を「花下陰」で「見送る」話者の心理はかなり複雑である。
 彼女には、「さよならの言葉もないまま去ってゆく君」に、見送られているという負担を感じさせないで見送りたいという気持ちとは別に、「君」との別れの場面を、「花」で以って飾りたいという気持ちもあるからである。
  〔返〕 去る友をトイレの窓から見送ったあの日の吾の気持ち訝し   鳥羽省三


(はこべ)
   山陰の宍道湖訪いし夏の日に原子炉のごとき夕焼けに会う

 赤々とした「夕焼け」を形容して述べたのであろうが、被爆者の心理を慮れば「原子炉のごとき夕焼けに会う」というのは、やや穏当を欠く表現と思われないでもない。
  〔返〕 テキーラの照射を浴びた顔をして若者たちは海から上がる   鳥羽省三


(駒沢直)
   草陰をつるりと走る愛蛇(カナヘビ)を追いかけていくアリスの足で

 トカゲを<カナヘビ>と呼ぶのはお馴染みであったが、それを「愛蛇」と書くとは知らなかった。
 「草陰をつるりと走る愛蛇」という措辞は、いかにもそれらしくて宜しい。
 また、「愛蛇を追いかけていくアリスの足で」と言うのも、場面に相応しい表現で素晴らしい。
  〔返〕 藪中にそろり顔出す栗茸をひょいと折り取る白雪姫の手   鳥羽省三


(風とくらげ)
   強い陽を遮る文庫の『恋愛論』たいした陰にはならなかったな

 発想は大変素晴らしいが、詠い出しの拙劣さが致命的である。
  〔返〕 文庫版『猫』を額に昼寝した引っ掻き傷に気付いて覚めた   鳥羽省三  

一首を切り裂く(027:そわそわ)

2010年06月05日 | 題詠blog短歌
(あひる)
   そわそわと化粧を終えてゴミ袋二つ抱えて朝家を出る

 この一首で使われている副詞は、「そわそわと」よりも「そそくさと」を使うべきであったかのようにも思われる。
 何故ならば、副詞「そわそわと」は、「化粧を終えて」という連文節よりも、「ゴミ袋二つ抱えて朝家を出る」という連文節により重く係っているように思われるからである。
 しかしながら、この副詞は、やはりこのままで宜しい。
 何故ならば、本作の作者・あひるさんが、「そわそわと化粧を終えて」「そわそわと」「朝家を出る」のには、何か彼女を「そわそわと」した心理に誘うような理由があったと思われるからである。
 もしかしたら、元カレとの再会かしら?
  〔返〕 そそくさとトースト一枚口に入れドアも閉めずにデパ地下に行く   鳥羽省三 
      そわそわと伊太理屋ルックを身に纏い赤い口して麻布へ急ぐ      々


(牛 隆佑)
   おばちゃんも子供も猫もねーちゃんもそわそわとしてすぐに夕暮れ

 「おばちゃん」は自分の好きな夕刊配達の青年が間も無く家にやって来るから、「子供」はママがケーキを抱えてデパ地下から帰って来るから、「猫」と「ねーちゃん」は最近、盛りがついてきたから、「そわそわとして」としているのである。
 でも、その「そわそわと」とした状態も束の間、やがて「すぐに夕暮れ」がやって来て、あたり一面は闇に包まれ、「おばちゃんも子供も猫もねーちゃんも」「そわそわと」とした状態から解放され、眠りに就くのである。
  〔返〕 そわそわと夕陽は雲を赤く染めやがて沈んで闇夜となりぬ    鳥羽省三
      そわそわとしたる心を沈めかね大根おろしを血染めにしたり    々


(高松紗都子)
   授かりし命は重くあたたかい そっと見下ろす睫毛そわそわ

 「授かりし命」だから「重くあたたかい」のである。
 その「授かりし命」を「そっと見下ろす」のは、その「命」に繋がる<紗都子ママ>である。
 見下ろされている「命」のお目目の周りには「睫毛そわそわ」。
 あまり可愛くて<紗都子ママ>はお目目パチクリ。
 それを見ていた<紗都子大好きパパ>の目にも涙一筋。
 高松様ご一家は聖家族なのです。
  〔返〕 授かりし命思えばやぶさかな一世歩むな船大工パパ   鳥羽省三


(珠弾)
   つつがなく定時で帰る道すがら浮き足立って心そわそわ

 「つつがなく」の「つつが」とは、ダニ目ツツガムシ科の節足動物の総称<恙虫>の一部分である。
 野鼠などに寄生しているこの虫の幼虫は、恙虫病という命取りの病気を媒介するものとして恐れられていたことから、何かに従事している者が、それを無事にやり遂げると、「つつがなく仕事をやり遂げた」などと言って、ほっと胸を撫で下ろしたのである。 
 本作の作者は、格別に危険な仕事に従事しているわけではないから、仕事から解放されて「定時で帰る」からといって、それに「つつがなく」などという物々しい形容詞を付けなければならない理由はさらさらに無いのであるが、そこは都会でのサラリーマン生活に安住している人間のことであるから、ついついそんな大袈裟なことも言ってしまうのである。
 「つつがなく定時で帰る道すがら」「浮き足立って心そわそわ」するとは、いかにも本作の作者・
珠弾さんらしい言い草である。
 彼の本質は<珠弾>と言うよりも<酒乱>であるから、エイシンフラッシュが勝ったからと言って酒を飲んで乱れたり、鳩山内閣が瓦解したからと言って酒を飲んで乱れたり生活を連日連夜繰り返しているのである。
 この日も例によって、「つつがなく定時で帰る」からという理由にならない理由をくっ付けて、その「道すがら」「浮き足立って心そわそわ」しているのである。
 感心なことに、彼の場合は酒乱の影響を他人に及ぼさないし、酒の影響を翌日に残さない。
 てなことで、彼もまた、都会のしがないサラリーマン歌人の一人なのである。
  〔返〕 つつが無くこの草稿を書き得たら赤ワインでも開けようかしらん   鳥羽省三

      
(橘 みちよ)
   風ぬくみ桜花芽の紅(あか)らみて開花まつ間のそはそはが好き

 「開花まつ間のそはそはが好き」という美意識は、彼の有名な吉田兼好が『徒然草』で示したものと同種の、古典的かつ革新的な美意識である。
  〔返〕 梅桜みな散り果てて草笛の音する宵の趣きが好き   鳥羽省三


(秋月あまね)
   不名誉な綽名を耳に入れまいとそわそわしている父兄参観

 昨今の児童生徒間の苛めの酷さにも見逃し難いものが在るが、本作の作者らの年代の者の少年少女時代の苛めには、それ以上に酷いものがあったと推測される。
 その最たるものは、付けられている本人にとっては、「不名誉」以外の何物でもない「綽名」を平気の平左で、級友に付けることである。
 曰く「豚」、曰く「とんま」、曰く「ぶすめ」、そんな「不名誉な綽名」を「父兄参観」の席上で、実の親の前で言われたら、親にとっては愛娘たる自分としては、居ても立ってもいられないで、「そわそわしている」しか無いのである。
  〔返〕 言われたら返せとばかり父母参観会場満席悪口三昧   鳥羽省三


(じゃこ)
   今日彼が部屋に来るのでドアノブや玄関マットもそわそわしてる

 一首全体の表現から、安建築のアパートの安物揃いの雰囲気が何と無く漂って来ます。
 この分では、この「部屋」に訪ねて「来る」「彼」もまた、風采の上がらない男性かと思われます。
 限られた一首の表現の中で、鑑賞者にそれだけのことを伝え得たのは、本作の作者・<じゃこ>さんの並々ならぬご研鑽の賜物でありましょう。
 あなたは、ただの<じゃこ>ではありません。
 いずれ必ず名を成し「大魚」となる方です。
 ご自愛の程を。
  〔返〕 今はただ出汁じゃこなれどいずれまた必ず名を成し大魚とならん   鳥羽省三


(ふみまろ)
   コンサートホールの麗人そわそわと私以外のだれかを待てり

 最近、私は「麗人」と言えるような女性には、絶えて会ったことがありません。
 それは、私たちの美意識や言葉感覚の変化に関わっているものとも思われますが、それ以上に、昨今の世の中には、「麗人」と呼べるような才色兼備、精神も身体も備わって美しい女性が居なくなってしまったことが原因かとも思われます。
 そうした現状に在って、本作の作者<ふみまろ>さんが、たとえ、「そわそわと私以外のだれか」を待っているのだとしても、「麗人」と呼べるような女性に出会えたことは、類例の無い好運かと思われます。
 本年後半は、いよいよ<ふみまろ>さんの時代です。
 あめでとう、ふみまろさん。
  〔返〕 宰相とお手々繋いでタラップを降りて来るよな変な麗人   鳥羽省三


(西中眞二郎)
   そわそわとしているように見えぬよう我ことさらにゆっくり歩む

 あの西中眞二郎さんがどんな理由があって「そわそわとしている」のかとも思われるが、人間というものは、どんなに多くの場数を踏んでも、どんなに多くの修養を積んでも、「そわそわ」や<どきどき>と無縁にはなれないものだとも思われるのである。
  〔返〕 そわそわとしているように見せぬよう隣席議員と会話などする   鳥羽省三 


(髭彦)
   五輪こそたかがされどの世界なれ時にそはそはときにはらはら

 そうです。
 全くその通りなのですが、「たかが五輪、されど五輪」なのです。 
  〔返〕 いっそのこと真央よ転べと思ったがたかが五輪だされど五輪だ   鳥羽省三


(sei)
   春ちかし蝋梅の花かをりきて世の中なべてそはそはとなる

 「蝋梅の花」の香りが漂って来るようになると、「世の中」の「なべて」の存在は「そはそはとなる」のです。
 その故かどうかは判然としませんが、お題の「そわそわ」が「そはそは」となっていて、投稿規程違反になっているのが気になります。
 確信犯でありましょうか? 
  〔返〕 蝋梅の花過ぎてより旬日に突如現われ夜通し喚く   鳥羽省三


(砂乃)
   そわそわと花嫁よりも落ち着かぬ父母と今日から離れて暮らす

 「花嫁」の記憶も遠く去った作者が、花嫁になった日を回想して詠んだ作品である。
 「そわそわと花嫁よりも落ち着かぬ父母」と「今日から離れて暮らす」砂乃さんもまた、「そわそわと」して、ただの一時たりとも「落ち着かぬ」気持ちなのであるが、孝行娘の常として、砂乃さんには、ご両親のことが気になってならないのである。
  〔返〕 チャペルの壁伝ひ生ひたる蔦の葉もそはそはそはと震へて居たり


(鮎美)
   白飯の炊けくる匂ひにそはそはと生卵割る祝福として

 この佳作を詠むのには、投稿規程違反も<何のその>と、覚悟の上なのである。
 「白飯の炊けくる匂ひに」「そはそはと」するという発想が素晴らしいが、その「匂ひ」のたまらない美味しさを「祝福」して、「生卵を割る」という発想がそれ以上に素晴らしい。
 視覚的、嗅覚的、聴覚的感覚を駆使した傑作である。
 先年亡くなった立松和平の短編集に『卵割り』が在ります。
 あの大傑作を是非、お読み下さい。
  〔返〕 白飯の焦げる匂ひに童らは醤油皿持ち集ひて居たり   鳥羽省三 


(如月綾)
   バカみたい 一日そわそわしてたって誕生日なんて誰も知らない

 そうです。
 諦めが肝心です。
 それに、今さら「おめでとう」と言われて喜べるお歳でもありませんし。
  〔返〕 馬鹿じゃない! バースデーキャンドル五ダースも立てて誕生祝いだなんて   鳥羽省三
 大変失礼致しました。  
 

(理阿弥)
   残照はそわそわ果ててそわそわと佇む栃も人待ち顔に

 あの広大な十勝平野の「残照」ともなると、「そわそわ」と「果てて」、「そわそわと」「栃」の木さえも佇ませるのでありましょうか?
 「栃」という樹木の孤独そうな様態からして、「残照」を浴びながら「佇む」という表現は、極めて的確な表現であると思う。
 それはそうとして、「栃」と言えば<マロニエ>である。
 マロニエの木陰で人を待つ時は「そわそわ」もするが、「栃」の木の下で人を待つ時は、「ばさっ、ばさっ」と、あの大きな栃の葉が落ちてくるような感じで、「そわそわ」と言うよりも「はらはら」するのではないでしょうか?
  〔返〕 マロニエの広葉揺すれる晩鐘を耳に聴きつつ馬鈴薯を植う   鳥羽省三 


(原田 町)
   「停まってからお立ちください」せっかちな我はそわそわ腰を浮かせる

 「せっかちな我」と言うよりもお歳なのでしょう。
  〔返〕 「停まってからお立ち下さい」とは言うが、満席だから座れないのよ   鳥羽省三


(中村成志)
   なまぬるき春三番を受け流しそわそわ揺るる裸柳は

 「なまぬるき春三番」と「裸柳」との取り合わせが面白い。
 また、「裸柳」から連想されるものは<裸女>であるから、その<裸女>が「なまぬるき春三番を受け流しそわそわ揺るる」と言うのも、絶妙な表現である。
  〔返〕 なまぬるき鳩山由紀夫に引導を渡して福島瑞穂は何処   鳥羽省三 


(南葦太)
   そわそわと余所見していた間抜けへと落っこちた天罰の雷

 もの凄い嫉妬心の発露である。
 その「間抜け」が本当の「間抜け」であるかどうかが、先ず問題である。
 仮にその「間抜け」が本当の「間抜け」であり、「そわそわと」していたことが事実であったとしても、「余所見していた」わけでは無いと思われます。
 もしも、そう見えたとしたならば、それはあくまでも、南葦太さんの嫉妬心から来る主観でありましょう。
 彼女を二人も持っているやつには、「天罰」として「雷」でも落ちろ、とまで言上げしてしまう、南葦太さんの嫉妬心の恐ろしさよ。
  〔返〕 不肖二位南葦太(みなみあしぶと)大権現地震雷免除し給へ   鳥羽省三


(新田瑛)
   希望から逃げ出してきた私にはそわそわできる資格などない

 「そわそわ」するのに「資格」は要らない。
 更に言えば、「希望から逃げ出してきた私」でも、希望に向かっている私でも、「そわそわ」することはあるのである。
  〔返〕 希望から絶望へとの急展開その最中さえ感じたそわそわ   鳥羽省三


(青木健一)
   そわそわに無実の罪を押しつけてじっと君だけ見ていたけれど

 「ついそわそわとしちゃって君の顔を見つめてしまったんですよ」「そわそわとしちまってねー。気が付いたら君の唇が目の前に在ったんですよ」などなど。
  〔返〕 そわそわとしちゃて馬鹿な私よりそわそわさせる貴女が悪い   鳥羽省三


(穂ノ木芽央)
   カーナビがそろそろ役目を終へるころ笑顔引つ込め君はそはそは

 投稿規程違反覚悟の上の「そはそは」であるが、その意気や佳し。
 「カーナビがそろそろ役目を終へるころ」とは、目的地間近ということであるが、その目的地とは何処か?
 どういう性格を持った場所か?
 本作の面白さは、そうした点に在る。
 その謎を解く鍵の一つは、「笑顔引つ込め君はそはそは」という措辞である。
  〔返〕 そわそわと思案半ばの顔なるもカーナビ止めてそろそろ到着   鳥羽省三 


(酒井景二朗)
   なあ猫よ庭石菖が咲く迄はそはそはしてもいいんぢやないか

 「庭石菖が咲く迄は」が泣かせる(ニャオ)。
 「庭石菖が咲く迄」どころか、雪が降るまで「そはそはしてもいいんぢやないか」な?
 「なあ猫よ」と口語文体で詠い起しながらも、「そわそわ」を「そはそは」、「いいんじゃないか」を「いいんじやないか」としてしまう、頑ななさが売り物である。
  〔返〕 酒井さん、そろそろ真面目に働けよ。庭石菖の花も枯れたぞ。   鳥羽省三 


(B子)
   そわそわとしたら「トイレ?」と聞かれそうなので君にも酔わないでおく

 酒にも「酔わない」が「君にも酔わないでおく」というわけかしら?
 「そわそわとしたら『トイレ?』と聞かれそうな」相手なら、その可能性ゼロでしょう。
 その恋、はやばやと諦めたらいかがですか?
  〔返〕 飲まされて乱れ乱れて千駄ヶ谷一夜遊ばれそれきりポイか?   鳥羽省三


(風とくらげ)
   そわそわと髪を直して鏡見て早く来ないででも早く来て

 「早く来ないででも早く来て」とは、また出鱈目かつ我儘なことよ。
 それに、正しくは「髪を直して鏡見て」では無くて「鏡見て髪を直して」ではないかしら?
 本作の作者は、渋谷のモアイ像に凭れ掛かって「そわそわと髪を直して」いるのである。
  〔返〕 直しても直してもなほ乱れ髪今日の渋谷は北風強し   鳥羽省三 


(さむえる)
   さあなにをそわそわしよう五月(さつき)晴こいのぼりさえ眠っているし

 「こいのぼりさえ眠っているし」とは、無風状態の早朝を指す。
 <さむえる>さんは年に似合わず、早く起き過ぎたのかしら。
  〔返〕 一時間ほども経ったら店が開くモーニング珈琲飲みに行ったら   鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
   付け髭で変装しても結局はそわそわしすぎてすぐにばれそう

 南仏・プロブァンスでの仮面舞踏会での一こまか?
 日本人独特の五十嵐きよみさんの美顔は「付け髭」ぐらいでは誤魔化せない。
  〔返〕 付け髭にシルクハットに鼻眼鏡燕尾服着てそれでも判る   鳥羽省三


(青野ことり)
   心持ち定まらなくてそわそわと同じページを何度もなぞる

 まさに「ことりごと」の世界である。
 手にしている本は、メーテルリンク著『黄色い鴉』でしょうか?
  〔返〕 心持ち定めたくなり読み掛けた本を投げ出し珈琲を飲む   鳥羽省三


(アンタレス)
   旅行けば必ずメールを呉れる孫そを待ちおりてそわそわのばば

 「孫歌はつまらない」などという謂れの無い伝説もそろそろ打破されなければなりません。
 「旅行けば必ずメールを呉れる孫」を可愛いと思うのは、万人に共通した思いではありますが、その共通した思いを個性的な表現に託して述べることはなかなか困難なことです。
  〔返〕 「高山の朴葉ねぎ味噌おいしいね」 孫の呉れたるメール一文   鳥羽省三


(丸井まき)
   そわそわも伝わるのかな臍の緒を通って君の住む所まで

 「以心伝心」という言葉があります。
 あなたとあなたの赤ちゃんとを繋ぐ「臍の緒を通って」、あなたの「そわそわ」は必ずや伝わりますよ。
 でも、あまりはしゃいではいけません。
 またまだ安定期には達していませんから。
  〔返〕 「今日わたしあなたのおべべ買いました」臍の緒経由で以心伝心   鳥羽省三


(黒崎聡美)
   そわそわと若葉の揺れる朝の道大事なものを大事と思う

 「そわそわと若葉の揺れる朝の道」を歩いていたりすると、ただでさえ浮わついている心が更に浮わついて「そわそわと」して来るものである。
 そこでぐっぐっと気を引き締め、「今の私にとって、いったい何が大事なのか? 陽気につられて心を開くのもいいが、大事なものは、やはり大事なもの。そのものを大事にして行こう」などという気になる。
 「若葉の揺れる朝の道の景色」に惹かれて柔軟になろうとする心と、それを抑えようとする頑なな心のジレンマである。
  〔返〕 そわそわと揺れる心を抑えつつ青葉若葉の朝の道ゆく   鳥羽省三

一首を切り裂く(026:丸)

2010年06月04日 | 題詠blog短歌
(夏実麦太朗)
   丸のなか塗りたくなっちゃう症候群6890見ればうきたつ

 かかる傑作を読ませていただいたお礼としては、次のような怪作を以ってお返しするしか芸はありません。
  〔返〕 「『カッコ書き『したくなっちゃう症候群」「<(6)(8)(9)(0)>『カッコ』で括る」   鳥羽省三


(松木秀)
   弁慶を相手に蝶のように舞う五条の橋の牛若丸は...

 あの松木秀さんが、かかる実例を以って短歌創作の難しさをお示しになって下さったことに対しては、感謝感激するのみです。
 この頃耳にしなかった言葉ではありますが、「消化試合」という言葉を久し振りに思い出しました。
  〔返〕 歌人ちゃん相手に悪戦苦闘する「題詠blog2010」にて   鳥羽省三


(tafots)
   今ここで役立つものはTシャツと正露丸だけ 君のトランク

 実体験に基づいての作品でしょうか、それとも、フィクションでしょうか?
 鑑賞者の立場としてはフィクションとした方が興味深いので、勝手に述べさせていただきますが、「君のトランク」とは、絶世の美女<tafots>さんと共に、南米アマゾンの奥地に逃避行中の男性の「トランク」なのでありましょうか?
 表現上の細かな点について一言述べさせていただくと、「Tシャツ」の「T」が半角であることが気になります。
 ご投稿をお急ぎになったせいでありましょうか。
  〔返〕 メンターム・蚊取り線香・ナイフなど在れば良いのに君のトランク   鳥羽省三


(伊藤夏人)
   右斜め45℃で忍び込み丸め込まれる理由になろう

 「右斜め45℃で忍び込み」とは、どなたの御宅に、或いはどこの帝國主義国の秘密基地に忍び込む場合の姿勢なのかは判りませんが、「丸め込まれる理由になろう」というお覚悟には、大変感服致しました。
 人間生活のいろいろな場面で遭遇するいろいろな出来事に対処するには、或いは、予め「丸め込まれる理由」をご準備なさった上で対処しなければならないような場面が多いかと思われます。
 昨今の伊藤納豆の売れ行きはいかがですか。
 ご商売の益々ご盛況なることを祈願して、筆を擱かせていただきます。
  〔返〕 90℃真一文字に突入し忽ち激突またも犬死に   鳥羽省三


(中村あけ海) (庶務課中村が承りました)
   受付の前に見事な丸髷のひとが来ていて社長は居留守

 経営者が本来の任務を怠けて芸者遊びをするようになれば、その会社はお終いです。
 数時間後に断末魔の叫びを上げるのも知らないで、韓国帰りの飛行機から不倫騒動(?)の挙句に結ばれた年増女の手を取って下りて来た男性の悲喜劇からも、私たちは何事かを学習しなければなりません。
 庶務課・中村あけ海さまに置かれましても、それそろご退職をご覚悟なさらなければならない時期かも知れませんよ。
  〔返〕 受付の前に来ていた丸髷は宣伝広告会社の男   鳥羽省三


(アンタレス)
   丸き背を更に丸めて老い二人何を希うか選挙に急ぐ

 「丸き背を更に丸めて」が効き目である。
 「老い二人何を希うか選挙に急ぐ」とありますが、通常ならば「願う」と書くべきところを「希う」 と書いた理由に何でありましょうか?
 さしたる理由も無しに、通常とは異なる表現をするのは、決して上策ではありません。
 それにしても、身につまされる一首の趣きでありました。
  〔返〕 背を丸め腰を落として行く老いの眼(まなこ)に眩し冬の落日   鳥羽省三


(子帆)
   ぼくが丸めたいものだんごむし、ぼくが広げたいものおんなのこ

 着想の軽さと軽いエロを売り物にした作品かと思われます。
 こうした作品の存在意義を評者は否定しない。
 だが、一般読者にとっては、こうした作品はなかなか受け入れ難い作品かと思われ、一蹴される場面もお有りかと思われます。
 それだけに、こうした内容の作品をお詠みになる場合は、一語一語の言葉の使い方に細やかなご注意を払い、韻律を整理することが必要かと思われます。
  〔返〕 丸めたる君の背中に広がれるパーマン2号の青色マント   鳥羽省三


(古屋賢一)
   さわったらやけどしそうだおっぱいの白さ丸さをもつ電球は

 同じ「白さ丸さをもつ」物に触っても「電球」ならともかく、彼女の「おっぱい」なら決して「やけど」はしませんよ。
 <人肌ごろ>という言葉が在りますが、その<人肌ごろ>の温度で、君の彼女の「おっぱい」は、君の手の愛撫を待っているのです。
 振られて元々、勇気を持って。
  〔返〕 触ったらたちまち火傷してしまう白熱灯に厳重注意   鳥羽省三


(髭彦)
   熊楠が説のをかしく牛若もナントカ丸もオマルのマルと

 博識の髭彦さんからは、何かとご教授い賜わるばかりです。
 あの南方熊楠が「牛若丸のマルもナントカ丸のマルもオマルのマル」てなことを申されておられるんですか。
 それは全く「をかしい」。
 是非是非、その出典と「ナントカ丸」の「ナントカ」の部分についてご教授賜わりたく、何卒宜しくお願い申し上げます。
  〔返〕 敷衍して申せば本丸真田丸戦時の用便オマルなのかな?   鳥羽省三


(翔子)
   渓谷の揺れるが如き丸太橋これを渡れば明日に続くか

 「渓谷の揺れるが如き丸太橋」という倒錯的かつ実感的な感覚に新鮮さを感じました。
 即ち、この作品の作者は、「揺れる」「丸太橋」を渡っているのに、「丸太橋」が「揺れる」とは感じないで、「丸太橋」からおっかな吃驚見下ろされる「渓谷」が揺れていると感じているのです。
 それに続く、「これを渡れば明日に続くか」についても一言述べさせていただきます。
 私の体験によると、「渓谷の揺れるが如き丸太橋」を渡った先にある風景は、「明日」と言うよりも「昨日」といった感じの風景が多いのですが、「渓谷の揺れるが如き丸太橋」を渡った先の世界は、「渓谷の揺れる」時に感じた恐怖感以上に恐怖感に満ちた世界でありましょうから、そういう意味では、この一首の指摘するところは決して間違ってはいないと思われます。
  〔返〕 明日からの恐怖に満ちた日々よりはスリル少なき丸太橋なり   鳥羽省三


(イズサイコ)
   この星は丸でできてる隅っこで泣かないようにきれいな丸で

 本作中の「この星」が<地球>を指すものであるならば、それは「丸でできてる」のではなく、<球>で「できてる」のです。
 だから、「隅っこ」というものは、何処にも存在しないのです。
 ところで、そうした些事とは別に、「この星」は決して「きれいな丸で」出来ているのでは無く、その「隅っこ」で泣く人も、決して居ないわけではありません。
 したがって、本作中で作者・イズサイコさんがお述べになって居られる内容は、私たち地球人の努力目標と解釈させていただきました。
  〔返〕 文字通り地の果の無い地球です在るはずの無い隅を作るな   鳥羽省三
  

(砂乃)
   ずいぶんと丸くなったね父さんはもう気まぐれじゃ殴らないんだ

 過去のことではありましょうが、この日本に「気まぐれ」で殴る「父さん」が居たことには吃驚です。
 そういった「父さん」が居たとすれば、その「父さん」は、民主主義や基本的な人権の尊重を旨とした日本国憲法の意味するところを、初めてご理解なさって「気まぐれ」で殴らなくなったのでありましょう。
 だが、「気まぐれ」であれ何であれ、「父さん」ともあろう方が、他人を殴るのは基本的に間違っているのであり、「丸くなった」とか<尖がらなくなった>とかのレベルの話ではありません。
  〔返〕 暴力で家族支配をしてたのは父さん王国砂乃の楼閣   鳥羽省三


(空音)
   泣き叫ぶ赤子はよもや丸ごとの吾を愛せと泣くわけでなく

 丸々と肥えた「赤子」が「丸ごとの吾を愛せと泣くわけでなく」とした表現が面白い。
 「赤子」を育てる要諦は、「『丸ごとの』彼をそのまま受け入れるしかない」という説を読んだことがあります。
  〔返〕 「泣き叫ぶ吾子をそのまま受け入れて愛せよ」と言うことの易しさ   鳥羽省三


(鮎美)
   水泳を見学せし日の丸襟の白きブラウス臙脂のリボン

 「水泳を見学せし日」とは、本作の作者・鮎美さんの少女時代の或る日のことでありましょうか?
 もし、そうならば、「丸襟の白きブラウス臙脂のリボン」とは、少女時代の鮎美さんご自身の穢れを知らない可愛い姿でありましょう。
 「ナルシスト・鮎美の面目躍如たるもの」などと評したら、作者・鮎美さんの逆鱗に触れることになりましょうか?
 それにしても、麗しくかつ清楚なる青春の一こまである。
  〔返〕 受験校授業風景公開日臙脂リボンを締めて見学   鳥羽省三


(周凍)
   満ちてこそ玉藻の城ぞ本丸の石垣映ゆる堀の汐みづ
 作中の「玉藻の城」とは、高松城の別称である。
 瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は<日本の三大水城>の一つと呼ばれていたのであるから、「満ちてこそ玉藻の城ぞ本丸の石垣映ゆる堀の汐みづ」という、本作の表現は、極めて適切なものであり、一首の出来も極めて完成度の高いものと思われます。
  〔返〕 散りてこそ武士(もののふ)なるかはらはらと汐水に散り儚き桜   鳥羽省三  


(畠山拓郎)
   本丸を残しただけの夏の陣 今年は暑くなるのだろうか

 <国民新党丸>は<真田丸>ほど当てに出来ない<出丸>であるから、「本丸」とは、<社会民主党丸>に離反された<民主党丸>のことである。
 その「本丸を残しただけ」の「今年」の「夏の陣」は、確かに熱くなるでしょう。
 でも、天候はあまり「暑く」ならないということですから、野菜や鮮魚などの高値が予想されますから、我々下々の生活はかなり厳しいものになるでしょう。
  〔返〕 憎っくきは徳川家康古狸外堀埋めるふりで内堀   鳥羽省三 


(理阿弥)
   つめたいねつめたいのね、ね なきながら藤丸5Fの車止めピロー

 作中の「藤丸」とは、北海道帯広市に在る百貨店の名称である。
 本作の理阿弥さんのお住いを、私は首都圏以外の地方都市かと推測して居りましたが、あの十勝平野の中心都市の帯広市であったのでありましょうか。
 私は理阿弥さんの現住所も年齢も知らないままに、これまでその傑作の大半を観賞させていただき、理阿弥さんからは、毎度毎度有り難いご助言や激励のお言葉を賜って参りました。
 理阿弥さん、大変有り難うございました。
 これからは決意するところが在って、観賞記事掲載のご案内を差し上げませんが、何卒、これまで同様にご愛読賜わり、ご助言やご自身の短歌観なども、メールにてお聞かせ下さい。
 本作の観賞に戻りますが、日本全国のデパート業界は、今や氷河期の真っ只中に在ると言っても過言ではありません。
 北海道帯広市の「藤丸百貨店」もまた、その例外では無いのでありましょう。
 作中の「つめたいねつめたいのね、ね なきながら」という措辞は、直接には、正月の福袋か何かを買い求める為に、開店前の早朝に「藤丸5Fの車止めピロー」に駐車中の理阿弥さん親子の寒さを堪えていらっしゃる有様を活写したのでありましょうが、それとは別に、この不況最中の藤丸百貨店の経営者や従業員たちが、あまりの不況の厳しさに悲鳴を上げている様子とも解釈されます。
 一首の単純な表現の中に、複雑な意味を込められた作品として観賞させていただきました。
  〔返〕 「寒いね」と泣いているのは社長かな藤丸デパートいつまで持つか?   鳥羽省三 
 

(飯田和馬)
   獅子丸はライオン丸にあの時の彼の地において金丸信は

 「獅子丸はライオン丸に」何を託したのでありましょうか?
 その答を言う余裕は今の私にはありません。
 だが、「あの時の彼の地において金丸信」が、某政権政党の某幹部に託した物については、わざわざ説明する必要もありません。
  〔返〕 「人は金、人は金なり、全て金」金丸箴言黒き箴言   鳥羽省三    


(南葦太)
   お見通しみたい 背中に寄りかかる頭の丸み あなたの重み

 「お見通しみたい」とは、「南葦太さんが或る女性に恋い焦がれていることを、件の女性が見通している」ということでありましょう。
 南葦太さんのそうした推測はおそらくは正しい。
 何故ならば、「背中に寄りかかる頭の丸み」の「頭」の持ち主も、「あなたの重み」の「あなた」も、件の女性であるからである。
 女性という種族は、時として、その気も無いのに、その気があるように見せるものであるからご注意を。
  〔返〕 お見通しみたいねあなたを好きなことだから今夜は勇気奮って   鳥羽省三 


(珠弾)
   丸美屋のふりかけごはんにのりたまで満たされていた時もあったが

 全くその通りです。
 同感です。
  〔返〕 丸美屋の<ごはんふりかけ>買いたいな今ならおまけのシール付いてる   鳥羽省三


(風とくらげ)
   確かめるため噛む丸いニッキ飴何かを忘れてしまったことを

 文脈を正確に辿って解釈すると、本作の作者は、「何かを忘れてしまったか、しまわないか」を「確かめるため」に「丸いニッキ飴」を噛んだことになるのですが、それで宜しいのでしょうか?
  〔返〕 忘れたのは何であったか確かめるために噛んでるニッキ飴かも   鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
   正露丸ふくんだ口でキスをするぐらい馬鹿げた賭けの始まり

 「正露丸ふくんだ口でキスをするぐらい馬鹿げた」という比喩の解釈に二説在り。
 其の一としては、「正露丸を含んだ口は臭いから、その口にキスをするのは馬鹿げている」という説。
 其の二としては、「正露丸を含めば口の中が消毒されるから、衛生無害な口と口とをくっ付け合うくらい馬鹿馬鹿しいことはない」という説。
 さて、本作での「正露丸ふくんだ口でキスをするぐらい馬鹿げた」という比喩の解釈には、どちらの説を摘要するべきでありましょうか?
  〔返〕 「菅さんが代表選で負けたら」と賭けるも愚か優劣明白   鳥羽省三


(あひる)
   丸薬を含めば幼き夏の日のわれを気遣ふ祖母の声する

 そう言えば、最近は丸薬らしい丸薬は飲んだことがありませんね。
 最近飲んだ薬と言えば、カプセル入りの粉薬や平べったい円盤型の薬ばかりなのです。
  〔返〕 腹痛に越中富山の万金丹鼻くそ丸めて以下は省略   鳥羽省三


(ましを)
   深爪の丸い指先だけが知る深海の熱わたしの魚

 「深海の熱」及び「わたしの魚」が怪しい。
 深く熱い「わたし」の「海」で泳ぐ「わたしの魚」というわけである。
 「わたしの魚」は、<私の可愛いオナペット>といった感覚で捉えても宜しいでしょう。
 何を何する時は、「深爪」と思われる程に「丸い指先」にする必要があるのでしょうか?
  〔返〕 岩浜に寄せては返す潮真汐その痛さ知る昆布ひじき藻   鳥羽省三 


(草野千秋)
   持ち寄った時間が棘を削り取り丸い心にしてくれるはず

 「持ち寄った時間が棘を削り取り丸い心にしてくれる」ことは、一面としては「風化作用」でもある。
 何もかも削り取られた挙句「丸い心」になったとしても、そこからは何も生まれないとも言えましょう。
 そうした点には、充分に気をつけましょう。
  〔返〕 持ち寄った多くの矛盾が止揚され高いレベルに到達もする   鳥羽省三


(南野耕平)
   ほっとくと丸みを帯びてくる過去を抱きしめるのは明日にしよう

 直前の草野千秋さん作の観賞の場面でも述べたように、「過去」が「丸みを帯びてくる」のは、必ずしも良いこととは限りません。
 したがって、「丸みを帯びてくる過去を抱きしめるのは」、「明日」も明後日も止めたらいかがですか。
  〔返〕 ほっとけば次第に融ける胸の棘それを癒やしと言うのでしょうか?   鳥羽省三