臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(5)

2010年02月09日 | 今週の朝日歌壇から
○ 百歳も混じるホームの日向ぼこ歯のない笑顔苦のない笑顔   (宇佐市) 金子政則

 夕方、連れ合いがNHK総合テレビで「年の差100歳!山形5世代大家族」というタイトルのドキュメンタリー番組を見ていたので、途中からではあるが何と無く付き合って視てしまった。
 番組の舞台は山形県新庄市郊外の農村地帯。
 その土地で米作二町歩の他にタラの芽などを栽培しているある農家には、間も無く102歳の誕生日を迎えるお婆さんが居るのだが、このお婆さんは未だに玄孫の子守りをするなどして働き、家族のみんなから頼りにされているのである。
 その番組は、その元気なお婆さんの101歳から102歳までの一年間の生活ぶりを記録したものである。
 この一家の家業である農業の担い手は、共に四十代後半と思われるこの家の三代目の夫婦と、その親にあたる七十代後半の二代目夫婦であるが、前述の102歳になろうとしているお婆さんは二代目の母親であり、この一家の初代なのである。
 三代目夫婦には、共に二十代と思われる二人の息子が居て、そのうちの長男には、今年4歳と1歳の娘が居るから、この一家は、101歳から1歳までの都合5世代、女性5人男性4人の9人家族なのである。
 NHKテレビのドキュメンタリー番組の常として、東北地方の農村の自然はあくまでも穏やかで美しく、その歳月はいつもゆったりとして進み、のんびりと流れて行くのであるから、この一家を取り巻く風景や月日には、真冬に日本海の方から吹きつけてくる猛吹雪の他には何一つ障りは無く、常に優しく美しく穏やかで、鑑賞者の目と心さえも癒やしてくれるようなものなのである。
 場面は収穫の秋。
 この家の九人の人々は、今しも、収穫したばかりの餅米で造った数種類の餅や、<鯉の洗い>、<馬刺し>といったご馳走を並べた大きなテーブルを囲んで、初代の御婆さんの102歳の誕生日と刈り上げのお祝いを兼ねた宴会の真っ最中である。
 102歳になったばかりのお婆さんはビールが注がれたコップを手にして笑い、他の家族たちも満面に笑顔を浮かべながらご馳走を食べている。
 その画面に見入りながら、私が、捨てて来た田舎暮らしのことなどを思っている時、私の隣で私と同じ画面に見入っていた連れ合いが、「おや、この家のお嫁さんはどうしたのかしら。この家のお嫁さんは4歳と1歳の娘たちを捨てて、この家から出て行ってしまったのかしら。きっとそうに違いない」と言ったのだ。
 家内に教えられるまでも無く、それについては私も既に気が付いていて、この家を取り巻く美しい自然や、家族たちが浮かべている笑顔とは裏腹な関係にある、そのことについて、この番組のナレーターがどのように説明するのか、と注意して視ていたのであるが、番組の舞台となっている山形の風土にも似て、あくまでも穏やかなナレーターの声は、終始一貫して初代のお婆さんの元気さと五代目の童女たちの可愛らしさについて語るだけで、その祝宴の場に、その童女たちの母親に当る若い女性が居ないことについては、一言も触れないままであった。
 この番組は、昨年末の最初の放映当初から何かと注目されていたらしく、ネット上にも大量の書き込みがなされているのであるが、そうした書き込みの中で、特に多くの人が触れているのは、「つながっている命って言うものは、すごいものだなあ」という、102歳のお婆さんの言葉である。
 主人公のお婆さんにすれば、ごく自然に口から出てしまったものに違いないだろうが、番組制作のスタツフからすれば、この一言は、この番組のテーマを象徴しているような一言であって、このドキュメンタリー番組を締め括るに真に相応しい言葉であったに違いない。
 そう、この番組の主人公の102歳のお婆さんが漏らした一言の如く、「曾祖母から祖父や祖母へ、祖父や祖母から父や母へ、父や母から息子へ、息子からその娘たちへと繋がって行く命」というものは、真に素晴らしく、真にすごいものであるに違いない。
 だが、連れ合いへのお付き合いという口実を付けながらも、このドキュメンタリーの大部分を見てしまった私として、もう一つ忘れられないものは、この番組の終わりごろに、4歳と1歳の童女の父親にあたる、この家の長男が溜息を吐くようにして漏らした、「でも、この家には、この子たちの母にあたる女もいないし・・・・」という言葉である。
 このドキュメンタリーの制作スタッフは、その映像を通して、私たち鑑賞者にどのようなことを述べようとしたのであろうか。
 ネット上でこのドキュメンタリー番組について触れた記事のほとんどは、102歳になっても農家経営の一員として働いているお婆さんの健康さを賞賛したり祝福したりしているものであるが、その映像から見えて来るものはそのようなお目出度いことばかりではない。
 前置きが長くなってしまったが、前掲の金子政則さんの「百歳も混じるホームの日向ぼこ歯のない笑顔苦のない笑顔」という作品にも「百歳」が登場する。
 この「百歳」の長寿者を含めたこの作品に登場する人々の、「歯のない笑顔」や「苦のない笑顔」に、鑑賞者としての私は、一体、何を感じ取ればいいのであろうか?
   〔返〕 年の差が百を超えたる玄孫をおんぶしながら見てた落日   鳥羽省三 
 
     
○ 冬の日の博物館は誰もいず守衛と仁王が入口に立つ   (奈良市) 森 秀人

 作者の森秀人さんは奈良市在住とのこと。
 奈良市の「博物館」と言えば、国立奈良博物館。
 国立奈良博物館の「入口」に「仁王」像が立っていたかどうかについての私の記憶は不確かではあるが、森秀人さんの一首は、奈良という舞台の閑寂さをリアルに感じさせる作品である。
   〔返〕 休日の博物館に鎮座せる阿吽二体の仁王と守衛   鳥羽省三
 

○ 水を蹴り首を伸ばして羽ばたけば空へずしりと白鳥は浮く   (館林市) 阿部芳夫

 評者は一昨年までの八年間、町中のいたる所に「白鳥の来る街、暴力団の来ない街」という立看板を立てている町の隣りの市に住んでいたから、白鳥という、名を聞くにさえ魅力的な渡り鳥の生態についてはある程度知っているつもりである。 
 評者のそうした知見からすると、この一首の表現は、生息地の水面から空中に飛び立つ時の白鳥の実態を観察してのことかと思われて、実にリアルである。
 「空へずしりと白鳥は浮く」という下の句の表現は、白鳥と可愛らしく呼ぶよりは、大型の冬鳥と呼ぶに相応しい、この鳥の生態をよく写し出していて、特に素晴らしい。
   〔返〕 あの町の歓楽街の宵闇の暴力沙汰を見たか白鳥   鳥羽省三
 

○ 鷺沼より此の多摩川に移り来てリアルな鷺にやっと遭えたり   (東京都) 誉田恵子

 「ははははは」と、思わず笑ってしまいました。
 次男が田園都市線・鷺沼駅近くに居住している関係で、私は、鷺沼という街の大体のことについて知っていますが、鷺沼の街やその上空で鷺の姿を見かけたことは一度もありませんでした。
 その一方、長男が同じ田園都市線の溝の口駅から徒歩十五分の多摩川沿いに居住しているので、私は、多摩川の水面や河原に鷺がうようよ棲息していることも知っています。
 そういうことで、「リアルな鷺」に遭おうとして鷺沼の街に住んでいたとしたら、本作の作者の誉田恵子さんはよほどの間抜けだ、と私は申し上げたい。
 でも、本作は一種の言葉遊びの歌とも思われますから、誉田恵子さんは決して間抜けでは無いでしょう。
   〔返〕 多摩川へようこそお出でと言へるごと清き川面に遊ぶ青鷺   鳥羽省三


○ 一年一区生命の襷つなぎ来て今年七十八区を走る   (東京都) 北条忠政

 教職に在った頃、私は毎朝毎夕、勤務先への最寄り駅から勤務校までの道程を自分の足で歩きました。
 その距離は、少ないところでも一キロメートル以上はありましたから、毎朝毎夕欠かさずの歩行は、時には苦痛と思う時もありましたが、それが私の出来る唯一の健康法だと信じつつ、私は、三十五年もの長い間、毎日毎日、それほど長いとは言えない脚を駆使して、歩きに歩いてきたわけです。
 私の徒歩のやり方は、徒歩区間を幾つかに区分けして、駅伝競走の走者になったつもりで歩く方法である。
 電車から降りた後、駅前通りを歩いて行って突き当たるお寺の門までを第一区と決めて次の走者にタスキを渡す。
 お寺の門の所で第一走者からタスキを受け継いだ第二走者は、お寺の塀沿いの道をひたすら歩き、四百メートルも歩いた所に在る交差点までの道程を自分の担当区間として歩く。
 第三走者の受け持ち区間は、第二走者からタスキを受け継いだ交差点から墓場まで。
 このようにして、徒歩区間を箱根駅伝を真似て、長短五つの区間に分け、往路が五区、復路も五区の区間を、毎朝、毎夕、その時の気分や健康状態に合わせた速度でひたすら歩くのである。
 本作の作者は、そうした私の遣り方とは少し異なって、毎年毎年の生活を、一年一区間の駅伝に例え、これまでの七十七区間を走り抜き、今年新たに七十八区目の区間を走り抜こうとなさっているのでありましょう。
 通勤の往復のわずか一里足らずの模擬駅伝競走の間にさえ、いろいろな出来事に遭遇したものである。
 第一走者としてスタートした途端に先を行く女性の後ろ姿に見とれてしまい、第二走者が待っているはずのお寺の門とは別の道路に踏み込もうとする衝動に駆られたこと。 
 第三区間のゴールの手前の墓場の入り口で転倒してしまったこと。
 復路の第八区間を歩いている時、向こうから風に煽られて飛んで来た一万円札を拾って、これをこのまま<猫ばば>してしまおうかどうかと、しばらく迷ったこと、などなど。
 ましてや、一年一区間の人生駅伝競走の間には、私が経験したちっぽけな模擬駅伝競走とは異なった、さまざまな苦難な区間が在ったに違いありません。
 そこで、評者から作者の北条忠政さんへ一言。
 第七十八区間という山坂の多いこの長丁場を、さまざまな経験とさまざまな思いに浸りながら、どうか元気良く走り抜けて下さい。
   〔返〕 四区目のスタート地点は墓場脇きのうは見えぬ墓標が立ってた   鳥羽省三


○ みづうみに鴨は潜りてさかさまに茗荷のやうな尻を浮かべる   (東京都) 嶋田恵一

 「茗荷のやうな尻」という、奇抜かつ妥当な直喩に感動して、この一首を選ばせていただきました。
   〔返〕 国会の<みんなの党>の某議員 張子の首を振りて熱弁   鳥羽省三   

○ ネット碁の観戦者の名に父を見てまだ起きてるを知る寒の夜   (水戸市) 河原井雅子

 インターネット時代の今日では、こんな風な形でアリバイを証明することも可能なのだ、ということを教わりました。
   〔返〕 真夜中の歌の友へのコメントよ熱き思いを乗せて輝け   鳥羽省三


○ 絹ごしの豆腐をそつとてのひらにのせて切るなど誰に伝へむ   (ドイツ) 西田リーバウ望東子

 「絹ごしの豆腐をそつとてのひらにのせて切る」という、昔懐かしい遣り方は、最近は、日本に居る主婦でさえ忘れてしまったか、やめてしまった遣り方でありましょう。
 母国日本に於いてさえめったに見られない、こうした作法を、異国の地に於いて「誰に伝へむ」と悩み、その悩みを歌に託している女性が存在しているのだ、と知った時の驚きは大きい。
   〔返〕 お土産のゾーリンゲンのナイフもて絹漉し豆腐を掌で切る   鳥羽省三   

○ 病室に深く射し込む夕光は母の鼻梁に翳つくりたり   (匝瑳市) 椎名昭雄

 「翳」を深読みしようかどうかと迷っていると、一首中に、「病室」「深く射し込む」「夕光」「鼻梁」と、読者である私を更に深読みの奥所に誘い込んでしまうような語句が立て続けに用いられていることに気付き、病床にある母を思う作者の気持ちの切なさに捉われてしまった。
   〔返〕 病みをれば母の鼻梁は薄くして射し込む夕陽に透けて見えたり   鳥羽省三    

秀歌ストックブック(横山未来子)

2010年02月04日 | 秀歌ストックブック
〔横山未来子〕 昭和四十七年一月九日東京都生まれ。平成元年、大学入学資格検定試験合格。「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事。平成八(1996)年に「啓かるる夏」で第39回「短歌研究新人賞」受賞。平成二十(2008)年には歌集「花の線画」で第4回葛原妙子賞を受賞。第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(平成十年)。第二歌集『水をひらく手』(平成十五年)。第三歌集『花の線画』(平成十九年)。『セレクション歌人30横山未来子集』(平成十七年)。


  <『樹下のひとりの眠りのために』より>

○ 胸もとに水の反照うけて立つきみの四囲より啓かるる夏
○ ボート漕ぎ緊れる君の半身をさらさらと這ふ葉影こまかし
○ 瞬間のやはらかき笑み受くるたび水切りさるるわれと思へり
○ シャツの背に五月の光硬ければ追ひかくる日のなしと思へり
○ 青草に膝をうづめて覗きこむ泉にわれは映らざるなり
○ スポークに夏の夕光散らしつつ少年の漕ぐ自転車過ぎつ
○ 月と藻のゆらめきまとふ海馬(うまうま)となりたり君の前にうつむき
○ 冬芽もつ枝くぐりつつ再会を薄日のやうに恃みてゐたり
○ 手渡さぬままのこころよ口中のちひさき氷嚥みくだしたり
○ 昼と夜を経てふりむかば硝子器の影のあはさとならむ逢ひかも
○ 水に差す手の屈折を眺めゐる夏のゆふぐれや過去のゆふぐれ
○ 胡弓の音凪ぎたる後もふるふ闇わが諦めはかりそめならむ
○ 眠られず君は寝がへりうちゐるかわが夢の面(も)のときに波立つ
○ 秋草のなびく装画の本かかへ風中をゆくこの身透くべし
○ 両腕をひらきて迎へゐるわれをまつすぐ透過してゆくひとか
○ 抱へもつ壺の内にて水は鳴り予感せりとりのこさるる日を
○ 風に乗る冬の揚羽にわが上に一度かぎりの一秒過ぐる
○ 一生のうちのひとひのひとときを夕雲に薔薇いろの湧き消ゆる
○ 木の生きし月日は残り背後にてうすむらさきに地を覆ふ光(かげ)
○ 鳥の名をわれに告げゐる唇をもて苦しきことを誰に語らむ
○ ひと束の水菜のみどり柔らかくいつしかわれに茂りたる思慕


 
  <『水をひらく手』(2003年1月・短歌研究社刊)より>
               『水をひらく手』は、著者20代後半の作品367首を収録。  
○ 音のなき世界にありて唇を読むごとく君を視つめてゐたり
○ 逢ひしことの温度を永く保たむととざせり耳をまなこを喉を
○ 君が熱を出してゐるとふ夜に聴くピアノの音ひとつひとつの水紋
○ 秋の水に顔濯ぎをり身体からにじめるものの熱を薄めて
○ 今日を待ち張りつめてゐし胸ならむ魚跳ねて水のひかり割れたり
○ 羊雲ひろく連なり現世にいまだ護るものなき身のかるし
○ 逢ひしことの温度を永く保たむととざせり耳をまなこを喉を
○ 今日を待ち張りつめてゐし胸ならむ魚跳ねて水のひかり割れたり
○ 「好きだつた」と聞きし小説を夜半に読むひとつまなざしをわが内に置き
○ 泣くことに力集めて泣きしのち噛みしめぬままもの食みてをり
○ 手探りに歩むに疲れここからは来るなとふ強きこゑも欲りゐつ



 
  <『花の線画』(2007年4月・青磁社刊)より>

○ われのみにて終るわが生葉の間(あひ)の石榴の花の朱を欲りゐたる
○ 彫像の背を撫づるごとかなしみの輪郭のみをわれは知りしか
○ 白昼に覚めたる眼(まなこ)ひらきつつ舟の骨格を見わたすごとし
○ やさしさを示し合ふことしかできぬ世ならむ壁に夕陽至りつ
○ 一日のなかば柘榴の黄葉のあかるさの辺に水飲み場みゆ
○ わが生にひと度は来む天をあふぎ衣の胸を裂くほどの怒り
○ 白壁に噴水のうすき影動きたしかなりひとりひとりの生は
○ 水に乗る黄葉の影よろこびは遠まはりして膝へ寄り来つ
○ 蜜吸ひては花のうへにて踏み替ふる蝶の脚ほそしわがまなかひに
○ しばらくを蜜吸ひゐたる揚羽蝶去りゆきて花浮きあがりたり
○ 鳥の巣や狐の巣ほどあたたかくありて待ちたしこの世のわれは
○ 暖色をうしなひてゆく雲の群れ喉ひらききり泣きし頃あり
○ 耳元の草ふるはせて風吹けり脳(なづき)は土にあづくべきもの
○ あふむけに運ばれてゆくあかるさの瞼の外に遠き雲あり
○ 薄紙は椅子にかかれり春の花を巻き締めてゐし疲れを残し
○ ひらくなき眼のために蓋の裏をうつくしく彫りし柩はありぬ
○ 水に乗る黄葉の影よろこびは遠まはりして膝へ寄り来つ
○ 咲き重る桜のなかに動く陽をかなしみの眼を通して見をり
○ 踵より離れぬ影をひきてゆく人びとの群れにわれも入らむか
○ 浅き皿に水浴みに来る鳥のごとをりをりこころ降るる場所あり
○ 壁にのこる蔦の蔓にも影うまれ朝は来りぬかなしむ子等へ
○ 対岸に昏れそむる樹をおもひつつ窓を覆ひつおのが夜のため
○ 覆ひえぬ顔のつめたき夕刻に絹のやうなる梅の香に触る
○ 壜のなかの油の白く凝る見てかへりたるなり泣きし記憶に
○ 表紙に花の線画ゑがかれたる文庫残してひとは帰りゆきたり
○ 羽収めて落ちながら飛ぶ鳥の影ゆだねむわれをわれの見ぬ日へ
○ 植樹されし枝垂れ桜の寒き枝にしばし薄紅色のかげ見つ
○ なだらかに冬陽うつろひ手から手へやさしきものを渡されてゐつ
○ 隧道をいくつか通り来しやうにあかるく暗くなれり心は
○ 風は遠きかなしみを連れめぐりゆき晴れやかに朝の戸を叩くべし
○ 家の隅に保てるほそく青き火をこころに置きて本を読みゐつ
○ 地上へとすべり降り来る雀たち軽からむ今年生まれたる身の
○ 散り敷ける桜花びら風吹けば立ちあがり我に来るものもあり
○ 北風が真白き布をひるがへす日曜日には歌をうたはむ
○ 湯のなかに趾(あしゆび)とほく伸ばしゐる今宵ひと生のなかば過ぐらむ
○ 薄紙は椅子にかかれり春の花を巻き締めてゐし疲れを残し
○ 息をふきかくれば熾る火のごとく葉を明るませ螢うごかぬ
○ 水に油膜浮かべて墨を磨り始むこまやかに空充ちゐたる日よ
○ 雛人形に下足番をりちひさなる双手にちさき履物捧ぐ
○ 人ひとり去んぬ真昼の皿のうへ鶯餅のきのこ散りをり
○ やさしさを示し合ふことしかできぬ世ならむ 壁に夕陽至りつ
○ 傷に指を差しいれその人をその人と確かむるまで向きあひてゐむ
○ 蝋燭の燃ゆるひかりに蝋燭は内より透けぬ人の肌のごと
○ わが生にひと度は来む天をあふぎ衣の胸を裂くほどの怒り
○ とどまれる靄のやうなる幸福に頭をかるく凭れさせゐき
○ なめらかに真直ぐにひとを讃へゐるイタリア語聞けり夜の映画に
○ 体少し傾げてものを言ふひとか幹のくらさの手脚をもちて
○ 薄紙は椅子にかかれり春の花を巻き締めてゐし疲れを残し
○ 白秋のひかりくまなく空き瓶を登りつづくる脆き蜘蛛の子
○ 和毛持つ冬芽をさぐる出逢ひなれ話すとき声ととのへてゐる
○ 見えぬものを遠くのぞみて歩むとき人の両腕しづかなるかな
○ 外を見むと窓に乗りたる猫のため窓開けてわれも吸へる雨の香
○ 彫像の背を撫づるごとかなしみの輪郭のみをわれは知りしか
○ 心につねに遅れがちなりしわが体目つむりて猫が顎を擦り寄す
○ たたずむとき背骨の通るかなしさを見てゐたり見て立ち返りたり
○ おのおのの鞄を提げて行き逢はむ夜あらば秋の風荒き夜を
○ 眠るまへのひとときありて本を支ふるわが腕の影壁に伸びゆく
○ 街中のちひさき土に寄りあひて眼窩をもてる冬の花花
○ 平らなる湖面にひらく目のごとく魚の吐きたる気泡のぼりぬ
○ 鳩の羽毛の縁ひかりつつ漂へる公園にわらふもの老ゆるもの
○ 悲しむべきことなきごとき冬晴れよ凧と地上の人は引きあふ
○ いまだ遠き希望のごとく店先の春の和菓子の名前見てゐつ
○ おのおのの手を休め同じ夕雲を眺むるごとき婚をおもへり
○ 暑かりしひと日なりしも夜風出でわれに電車の音を運び来
○ 餌をねだりゐし燕の子らも眠りゆき夜の空気のうつくしき町




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○ 旅にあれば木の葉に盛りて食みし飯口の端よりこぼれざりしや
○ いまだ見えぬ我に近づく桜蘂いちめんに轢かれゐる道を踏み




○ 君が抱くかなしみのそのほとりにてわれは真白き根を張りゆかむ
○ 瞬間のやはらかき笑み受くるたび水切りさるるわれと思へり
○ 眼をあけてゐられぬ空の下に寝むわれらの髪に蟻迷ふまで
○ あの夏と同じ速度に擦れ違ふ歳月のあはき肉をまとひて
○ あをき血を透かせる雨後の葉のごとく鮮しく見る半袖のきみ
○ 胸もとに水の反照うけて立つきみの四囲より啓かるる夏
○ きみに与へ得ぬものひとつはろばろと糸遊ゆらぐ野へ置きにゆく
○ いつまでも日日は続くと思ひゐて君に未完の言葉告げ来つ

○ ゆたかなる弾力もちて一塊の青葉は風を圧しかへしたり
○ 包みゐるわがてのひらに抗ふをつよき光の中へ還さな
○ 空占めて幾千の実を掲げたし樹下のひとりのねむりのために
○ 自転車の擦り抜くる時さらさらと花びらは地をしばし走りつ
○ さかのぼりゆくおもひあり一斉に欅並木は葉を手放せり
○ またひとつの眠りをわれは潜り来てけさのひかりに息つぎをしつ
         以下の三首は<短歌研究10月号>掲載の「月と子守唄」より
○ 流るれば泪のいづる旋律の増ゆるかな気がつかぬまに老いて
○ 下ろす腕の線うつくしと見し午後のわれ蔓草になりぬるごとし
○ あふむけに死ぬるものありあふむけにひとは眠れや恐れなき夜を

秀歌ストックブック(なみの亜子)

2010年02月04日 | 秀歌ストックブック
  <『鳴』(2006年・砂子屋書房刊)より>

○ ゆっくりと紙飛行機を折るように部屋着をたたむあなた アディオス
○ 着て逢えばきまって雨になるシャツの 壊れ始めはこんなに静か
○ もうあかんと言ってしまった女子トイレ角(かど)つきあわせタイルの並ぶ
○ 死ぬときもひとり 小型の掃除機の背筋を伸ばして立っている部屋
○ 雨音に気づいたのはきみ夜明け前細くサッシを開けて抱き合う
○ 不倫中ほどには結婚したくなくラップされてる秋の日向よ
○ 片方の靴ばっかりを売る男それを値切れる男に歯のなし
○ きみはもうオレのかたちになったんか疑似餌(ルアー)見せ合うときの間に

○ 南天の赤き実のみが免れて雪の積もりのひたすらなるを
○ みずうみの底へあなたは先にゆき待つべしぬるき岩礁として
○ 活け墓は一度しずかに陥没す人のようやく身を逃れる日
○ 唱えつつおばあら暗き振動体となりゆくさまを 覧娑婆訶(おんらんそわか)
○ 驟雨あらば 昨夜殺せしむかでよりたちくるものの濃ゆき土間なり
○ われのみが内臓をもつやましさは森の日暮れの生臭きまで
○ 深く息をすい込むときに少しだけさざめく森のありなむ我に
○ 立ちおれば藻におおわれし沼なりきわたしのなかに沈みおる靴
○ ある夜は羽蟻おびただしき卓の上わたしひとりのものを咬む音
○ 山峡に冬の日差しのうすければ午後はたちまち夜に入りゆく
○ 寒の夜に房のこわばる蜜柑あり待つとは爪を見ている時間

 
  <『ばんどり』(2009年・青磁社刊)より>

○ いっさいが余白となりて 雪の朝なにほどもなきわたしが居たり
○ 泣きたくて泣くのではなくてグミの実の赤きに腕を伸ばせる刹那
○ 箪笥にはひそかにしまいし声のある開け閉てしてはその声に和す
○ 山影のあけてゆく間を丹生川の水はしずかに湯気をたており
○ どこまでもよそ者としてバスのなか集落の灯のどれもかよわし
○ 窓際を去りたる犬の去りぎわのゆっくりとした揺れ方のある
○ 橋の下ぶっきらぼうな暗がりに川音のなき川のあること
○ 見晴らすということもなく生ぬるき風のなかなる人やら木やら
○ 息子らのその後を知らずコブクロのCDいちまいあなたが貸して
○ 河原には石のつぶてに雪の降りひとつひとつが塔となりゆく
○ 光る日の川にきざはしあることを 水底までを歩いてゆきたし
○ ためらわず飛び込むのは雌 雄犬は水辺にありてうろうろとせり
○ かわくまで待つ方がいいそんな月を左側にし歩いてきたり
○ 集落をひとつ抜ければまた峠 かかとをやわらかくしてゆくのだ峠
○ 落葉のひとつひとつにおののけるトタンの屋根の小心は良し
○ いっせいに落下してくる雨粒は山のおもてに身をかたぶけて
○ 出て行ってしまったばんどりぶつかってぶつかってゆけ家路なくとも
○ 遠く近く 麓に見ればいまわれも雲のなかなりおぼろななりに

○ 喪主なりし日のこと語りはじめたる人に舟影さがす目見あり
○ 底ぬけのさびしさにある冬川のなんと重たき水かとおもう
○ 犬はまだ海を知らない 小さき橋渡って渡りかえしてあそぶ

秀歌ストックブック(大滝和子)

2010年02月04日 | 秀歌ストックブック
 〔大滝 和子〕   1958年神奈川県藤沢市に生まれる。1981年早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。1983年「未来」に入会。その後、岡井隆に師事する。1992年「白球の叙事詩(エピック)」にて第三十五回短歌研究新人賞を受賞。1994年歌集『銀河を産んだように』(砂子屋書房)刊行。1995年同歌集にて第三十九回現代歌人協会賞を受賞。2000年歌集『人類のヴァイオリン』(砂子屋書房)刊行。2001年同歌集にて第十一回河野愛子賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。


 <『銀河を産んだように』(1994年・砂子屋書房刊)より>

○ くるおしくキスする夜もかなたには冥王星の冷えつつ回る
○ 白鳥座(シグナス)の位置もかすかに移りたり君への手紙かきおえ仰げば
○ はろばろと熱く射しくる日輪光われの頬にて旅おわるあり
○ 胎内にわれを編みているときの母の写真とまむかいにけり
○ 大海(わたつみ)はなにの罪ありや張りめぐるこの静脈に色をとどめて
○ 生物がシネマの切符売りているビルのかたわら懸かる三日月
○ 冷蔵庫ひらきてみれば鶏卵は墓のしずけさもちて並べり
○ 吾という六十兆個の細胞を観覧車に乗せのぼりゆくなり
○ 地球(テラ)に軟禁される生物ゆるゆると髪とかいうもの洗いおわんぬ
○ パパがママをママと呼ぶときさみしくて食卓上の卵を掴む
○ 遺伝子の旅はつづくよ 狼との混血犬が引いてゆく橇
○ 迷いつつ脈うつわれの肉体が白点となる距離もあるべし
○ 意志もちて冬おわらむとする路傍なる桜の幹に潤いのあり
○ 指柱それぞれ離し眺めおりてのひらという吾の神殿
○ 冬虹の内側とその外側の触るることなき人を想えや
○ 緋の服をまといて君の夜の夢の砂丘にひとり立ちたきものを
○ サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい
○ 反対語を持たないもののあかるさに満ちて時計は音たてており
○ あおあおと躰を分解する風よ千年前わたしはライ麦だった
○ 17進法で微笑し目をそらすもう少しはやく逢っていたなら
○ とうめいな水滴ついている朝のレタス葉脈ごと食みており
○ フルートの音にかぎりなく許されて咲きはじめゆく唇ひとつ
○ 惑星の光陰ふかく吹きこまむ ガラスケースのなかにフルート
○ ささやかなフルート主義者 風景から追放された楡が細胞
○ めざめれば又もや大滝和子にてハーブの鉢に水ふかくやる
○ まだ発見されない法則かんじつつ深ぶかと吸う秋の酸素を  
○ きょう我が口に出したる言葉よりはるかに多く鳩いる駅頭
○ 「潮騒」のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており
○ 白鯨が2マイル泳いでゆくあいだふかく抱きあうことのできたら


 <『人類のヴァイオリン』(2000年・砂子屋書房刊)より>

○ はるかなる湖すこしずつ誘きよせ蛇口は銀の秘密とも見ゆ 「また降りたちぬ」 
○ 扇風機しろく煙らう 地球での死者と生者の比率はいくら 「また降りたちぬ」
○ 急行を待つ行列のうしろでは「オランウータン食べられますか」 「匿名たち」
○ わが髪の宇宙のなかに棲みているオデュッセウスと語りあいつつ 
                             「フラクタルヴィジョン」
○ 自殺者を出した鉄塔製図せし松坂技師に茶を淹れる吾 「ゲルニカの教室」
○ 強迫観念のごとく街のあちこちに捨てられている《午後の紅茶》は   
                                「ゲルニカの教室」
○ 髪の毛が剣のごとく逆立てる女ら乗せて輪廻鉄道 「髪」  
○ 戀という古代への道あゆみつつきょうは羽衣商人に逢う 「なこうど」  
○ きみという暗証月光番号にふりそそがれて歩みつづける 「ぴるぴる」  
○ 光速源氏物語《緋の浮橋》にひとまち顔の円周率は 「アポクリファ」 
○ み冬なる桜のしたに赤あかと濡れたる羽の散らばりており 「まれびと炎」  
○ あきらめの曼珠沙華群あかあかと咲きいるところひとり歩むも 「Kの声」 
○ 観音の指(おゆび)の反りとひびき合いはるか東に魚選るわれは
○ このノブとシンメトリーなノブありて扉のむこうがわに燦たり
○ まぼろしの家系図の影ながく曳き青年は橋わたりつつあり
○ 暴風雨ちかづきてくる夜の卓まぶたを持たぬ魚食みており
○ ブランコに吊されている亜麻色の髪の人形うごくともなし
○ カーテンが拳のごとく結ばれるさみしき窓をわれは見たりき
○ あたらしき闇たたえつつ白真弓ひきしぼるごと汝(な)を遠ざかる
○ わが耳を前菜のごと眺めいる我あり暗き稲妻たてり
○ 神あるや神あらざるや野球と言う三進法を見ているときに
○ スカートのかげのなかなる階段をひそやかな音たてて降りゆく
○ 縄文期一万年はつづきしと聴きたるのちに銀行へゆく
○ 月齢はさまざまなるにいくたびも君をとおして人類を抱く
○ 口紅のようなる靴がならびいる小田急線に涙ぐみおり
○ トイレットの鍵こわれたる一日を母、父、姉とともに過ごせり
○ ベッドからまた降りたちぬ八時間われなる海をさすらいてのち
○ 磨かれたレンズとともに恋人はさみしく宇宙いれかえている
○ 永遠の扉を開ける鍵としてきみの体はかたわらにあり
○ はてしない宇宙と向かいあいながら空瓶ひとつ窓ぎわに立つ
○ レモンからレモンという名剥脱し冷たき水で洗いいるかな
○ 急行を待つ行列の後ろでは“オランウータン食べられますか”
○ 粘土子という名の女この国にふたりくらいはいないだろうか


 <『竹とヴィーナス』(砂子屋書房・2007年刊)より>

○ 無限から無限をひきて生じたるゼロあり手のひらに輝く
○ 腕時計のなかに銀の直角がきえてはうまれうまれてはきゆ
○ 人生を乗せいる電車ひとすじの光の詩形そこに射しこむ
○ 《永遠》を吾はふたつに折り曲げる出逢いたる時境をなして
○ 冥王星(プルートゥ)と海王星(ネプチューン)の内外の位置変わる日に売られいるパン
○ 亡き父のDNAが吾に買わす「エジプト象形文字解読法」
○ とおい宇宙からやって来て泣きはじむ元素周期律表のFe(てつ)
○ きょうもまたシュレディンガーの猫連れてゆたにたゆたに恋いつつぞいる
○ わが服の襞描きいる画家のまえ無限数列おもいて座る
○ 複数のはじめは2ならず3なりと記すわが手のさみしくもあるか
○ 正多面体の種類を想いつつ眠らな、四、六、八、十二、二十
○ ビッグバンのころの素粒子含みいるわれの手なりや葉書持ちおり
○ 電線のなか流れゆくわたくしよ又三郎に吹かれ揺れいる
○ 球場のむこうへ続くプラタナス 日曜は月曜を妬んでいるか
○ 素足にて夜のしずけさ昇りゆく階段はふと葡萄のごとし
○ もしかして君のトーテムは鰐ですか入れてくださいこの角砂糖
○ 声帯をなくした犬が走りゆく いたしましょうねアジュガの株分け 
○ 泣きながら雨のなかへと駆けてゆく賢治と賢治 とおい御陵(みささぎ)
○ 洋梨のなかに洋梨棲みつづけナイフちかづく瞬間ありぬ
○ 存在の釣糸ひかり魚たちは捕えられゆくとき立ちあがる
○ 母生きてヴァージンオリーヴオイル持ち我へ手渡すそのたまゆらよ
○ 父の墓洗いきよめて秋日や主語述語ある世界をあゆむ  大滝和子
○ 皮むけばしろたえの梨あらわれる。ぜおんぜおん観世音菩薩
○ いくたびも万葉仮名を羽化させてきみとわれとが抱きし国あり
○ 水壺を頭に乗せて運びゆく女のように立ちどまりたり
○ みずからの脇を洗えりキリストは息絶えし後ここを突かれき
○ ラッコいる動物園ともカトリック修道院とも近く棲みおり
○ 出雲へのブルートレイン過ぎゆけりただひとりにて帰るゆうぐれ
○ 古代より天皇家牛乳を飲みいると語らう姉よひとり身にして
○ テーブルの麦酒ごしなる青年は歴史のように伏せた目をあぐ
○ おそろしき桜なるかな鉄幹と晶子むすばれざりしごとくに
○ 朝卓に果汁飲みおりアンドロメダ銀河へ行ってきたばかりなり
○ わが影を川の水面(みなも)にあそばせて日輪という祖先しずけし
○ 江ノ島の展望台に昇りたり前世来世の見ゆるはるけさ
○ 白藤の房いっせいに揺れておりカルマ鉄道乗換駅に
○ 《存在》はとこしえにあるものなりや角度とともに雪降りきたる
○ みずからを誰もが《われ》と思いつつこの世の埃吸いこみている
○ それぞれにほぐして吾と地球儀を織りあわせいるマーラーありぬ
○ 原始からの家系背負いてわれが乗る若草色のヘルスメーター
○ ボシュロムのレンズ広告、メニコンのレンズ広告、初雪ふれり
○ 茶にひそむグリーンドラゴンのたましひを飲みてこころは宇宙へむかう
○ 水壺を頭に乗せて運びゆく女のように立ちどまりたり
○ みずからの脇を洗えりキリストは息絶えし後ここを突かれき
○ 還れざりし三塁走者さまよえる砂漠あらむよこの春嵐
○ ポストの朱あんばらんすに立ちながら冥府との時差測りつづける


 <小林恭二著『短歌パラダイス』(岩波新書)より抜粋>
○ 家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな

今週の朝日歌壇から(4)

2010年02月01日 | 今週の朝日歌壇から
○ 一月の空がそっくり裏返り池の面にあり色のなきまま   (坂戸市) 山崎波浪

 空の裏側が「池の面」に映るわけは無いから、「一月の空がそっくり裏返し」という言い方には無理がある。
 しかし、どんよりと曇った「一月の空」が「池の面」に映る様に着目して一首を成したのは、作者の手柄であろう。
   〔返〕 空を飛ぶ白鳥二羽の腹浮かべ如月十和田湖未だ氷らず   鳥羽省三
 

○ 児童らが顔いちめんにマスクして振り返らずに門くぐり行く   (和歌山市) 池畑耕作

 「振り返らずに門くぐり行く」という四、五句に、新型インフルエンザの流行に恐れ戦き緊張しながらも登校して来る学童たちの姿が映し出されている。
 冒頭の語「児童」に、<こども>という振り仮名を施されているが、それは無用な措置であろう。
   〔返〕 事務服も白衣も揃いのマスクして朝の病院外来受付   鳥羽省三 


○ どの程度やるんだろうという子等の視線浴びつつ授業始める   (豊橋市) 鈴木昌宏

 「どの程度やるんだろうという子等の視線」は、新任教師が着任早々真っ先に浴びなければならない洗礼なのである。
 その洗礼に対する対応の出来不出来によって、その教師の評価が定まり、下手をすると、学級崩壊、授業崩壊という結果を呼ぶこともある。
   〔返〕 新任と侮る児らの視線などものともせずに教壇に立て   鳥羽省三


○ また一人医師が去りゆく脳外科の診断を待つ寡黙な羊   (福島県) 開発廣和

 老朽化した建物に「○○科休診中」との赤札ばかりが目につく田舎の病院。
 その病院から、また一人の医師が去って行く。
 来院する患者が少なくなったから医師が去って行くのではない。
 高齢者率の高い田舎では、患者の数は年を追って増えて行くばかりであるが、多忙な割りには、給料や設備などの勤務条件が良くないから、医師や看護士などは、勤務条件の良い都会の病院へと逃げて行くのである。
 設備が良くなく、命を任せられる医師も看護士も居なくなった病院であっても、地付きで身動きの取れない患者は、「寡黙な羊」と化して泣く泣く通院したり入院したりしなければならない。
 我が国の医療行政の病根はこれ程にも深く、私たち国民は今や重態に陥っている。
 五句目の「寡黙な羊」とは、アメリカの小説家<トマス・ハリス>(1940~)のスリラー小説『羊達の沈黙』を意識しての表現であろうか。
   〔返〕 病む者も病まざる者も群がりて紫煙吐き居り喫煙コーナー   鳥羽省三
 病院通いをしていて最も見苦しいのは、院内の<喫煙コーナー>に群がっている愛煙家たちの姿である。
 末期癌の患者たちも居ると聞いているその集団の中に、ナースキャップを被った女性の姿を発見した時の驚きは口に出来ない。
  

○ 食パンのいちばん安きスーパーをけふの散歩の折り返しとす   (大阪市) 末長純三

 年金生活者にとって欠かせない日課は、健康管理のための散歩である。
 腰のベルトに万歩計を吊るして、今日の目標は七千歩、一万歩と定めてせっせせっせと歩き回るのだが、目標の歩数をこれと定めなくても、あらかじめ折り返しの地点やコースを定めておけば、歩数を定めての散歩と同じことになって、健康管理という目的は果たせることになる。
 本作の作者の場合は明らかに後者型である。
 昨日は、ブックオフの105円棚を覗いての大回りコースであったが、今日は少し疲れているから、この近辺で「食パンのいちばん安きスーパー」に立ち寄って一息入れ、そこから折り返しての短縮コースにしようなどと思ったのであろうか。
 でも、いくら疲れているといっても、昨日のコースの半分にも満たない距離しか歩かなかったのに、「食パンのいちばん安きスーパー」から買って来た「食パン」を一人で食べてしまったら、せっかくの散歩も無駄になりますよ。
   〔返〕 <BOOK・OFF>の105円棚の『空庭』を今日の散歩の収穫として   鳥羽省三