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「オペレーション・モモタロウ」〜呉地方総監部訪問記

2016-12-26 | 自衛隊

この秋、ふとしたミスでパソコンの上に紅茶をほぼ一杯分ぶちまけ、
その結果いくつかの文字キーが反応しなくなってしまい、
仕方なくそれにキーボードを接続して使っていたのですが、
あまりにも持ち歩きが不便なのでクリスマスプレゼントとして
Mac Pro(タッチバー・タッチI.D.付き)を買ってもらいました。

前のもかなり古くなってたからちょうど替え時だったってことで。

 

設定のほとんどは息子がやってくれ、今までWindowsでやっていた
お絵かき機能もダウンロードしてペンタブの不具合まで解決。

これだけでもこいつを産んでおいてよかったと思いました。

イブの夜銀座のAppleで購入して、それから設定に入り、
それがようやく済んだ後も、サファリのgooブログ画面のフォントを
変えようとして挫折したり、(なんで明朝体なんだろう)
映画「この世界の片隅で」を観に行ったりしていて、全くPCに向かえず、
ようやく今「呉地方総監部シリーズ」の続きを製作する次第です。

前回はタクシーで前まで乗り付け、庁舎まで歩いて行ったので、
正面玄関前に少人数ながらお迎えのと列ができていて感動したものですが、
今回は車を直接玄関前に乗り付けです。

南雲忠一や鈴木貫太郎ら歴代の呉鎮守府長官、そして畏れ多くも
天皇陛下皇族の方々が全く同じ場所に同じように車で到着したのだと思うと、 
表敬訪問という形でここにご招待いただいたことに改めて感謝しました。

玄関からまっすぐ階段を上がっていくと、その正面に
木立を通して港を臨む景色を映す優雅な飾り窓が一つあります。
窓を生かして他の装飾の全くない静謐な空間には、ただ
贈り物らしい蘭の花だけが飾られていました。 

正面玄関を上がって窓を背にして上下階を撮った写真です。
本当は一般の人が滅多に入ってくることのできない庁舎内を
もっと細部まで写真に収めたかったのですが、呉地方総監副官が
応接室に我々を案内するために階段を上がっていくのを
お待たせするのもはばかられ、2枚撮るのが精一杯でした。

庁舎の内装はこの写真を見てもお分かりのように、改装が行われてから
まだそう年月が経っておらず、ほぼ新築のようにも見えます。

もしかしたら、この状態こそが歴代呉長官の見た鎮守府庁舎に
近いのかもしれない、などと思いながら、階段を登っていきます。

時計は2時何秒か前を指しています。
総監が来られるまでの数秒の間にここぞと写真を撮りまくるわたし。
前回の表敬の時には部屋にはすでに幕僚長、そして先任伍長、
広報の方などがずらりと並んでいて、あまつさえ会談内容を
メモされていたのにはビビリまくりましたが、今回はどうやら
総監お一人で余人を交えず行われる模様。

どのような陣容で会談を行うかは総監によって違うのでしょうか。

皆さんにお見せしようと棚の上まで熱心に撮ります。

左から

潜水艦「じんりゅう」。
侍が居合の太刀を今抜こうとしているかっこいいマークです。 

参考画像

その右、ミャンマー海軍からの贈呈盾、その右二つは
やはり何処かの国の海軍のものですが、写真が遠すぎてわかりません。 

これらは皆トルコ海軍関係。
エルトゥールル号の遭難から123年記念の盾(中央)や、
遭難した船の姿をあしらった絵皿です。

エリトゥールル号事件は1890年のことですから、2013年の行事ですね。

厚木米海軍基地に行ったばかりだったわたしには確かめなくてもわかる
一番右の富士山と鳥居をあしらったマークの盾。

真ん中は護衛艦「あきづき」DD−115が呉に「初入港」した記念です。
「あきづき」は佐世保が定繋港です。

護衛艦が初入港記念に盾を地方総監部に送るというのは 
旧海軍時代からの慣わしなのでしょうか。 
一番右は「いずも」初入港の際の記念盾です。

もしかしたらこれも艦名の看板のように出雲神社の御廃材で
作られているものかもしれませんね。

 

昭和16年11月13日の0900から1500まで、岩国航空隊において行われた
聯合艦隊最後の作戦打ち合わせのメンバー写真。
写真の上からは

「新高山登れ」

という文字と誰かの(名前に佑の字のつく人)署名があります。

呉地方長官の応接室になぜこの写真が(解説まで)あるのかは謎です。
ただ言えることは、空自はもちろんのこと、陸自であっても、
旧軍の写真を駐屯地の応接室に飾ることはまずないということです。

地方総監部が鎮守府時代からの建築物をそのまま使っていることも、
海自なら当たり前のことに思いがちですが、こうしてみると
改めて海自が最も旧軍の体質を受け継いでいるとの認識を新たにします。

戦後、自衛隊となって大きく変えられたことはあっても、基本的に
「海の上を基準としたものの考え方」というものは、
合理性から生まれた慣習からしてそう変わるものではないのでしょう。


さて、わたしたちが二人っきりをいいことに写真を撮りまくっていると、
2000にきっかりに、呉地方総監、池太郎海将が入室してこられました。

応接室の向かいに総監室があるのですが、これはどうやら
鎮守府時代から長官室となっていた部屋のようです。
地方総監部のナンバーツーというべき役職を幕僚長といいますが、
この幕僚長の部屋もその並びにあるらしいことがわかりました。

会談に与えられた時間は15分。
15分で一体何が話せるのか、という気もしますが、
表敬訪問というのは従来そういうものなのでしょう。

短い時間なので、できるだけ意味のあることを聞かねば、
と前もって色々と質問を考えてきていたのですが、
こちらが一言水を向けると、総監就任以来取り組んできた任務と
そこに至るまでの過程について熱く語ってくださる総監のおかげで、
わたしたちはほとんど相槌を打つだけでしたし、会談時間を
ほぼ15分経過して副官の一尉が時間です、といいに来るまで
そのお話は続けられました。

内容は、大別すると三つ。
まず、昨日当ブログでも取り上げた岡山県強化問題、
「オペレーション・モモタロウ」(いま勝手に命名)、
そして、ほぼ中心となった話題は中国、四国地方の災害対策です。

関東地方の直下型地震とともに、いつきてもおかしくない、
と言われているのが南海トラフ巨大地震ですが、もし現実に起こった場合
組織はどう動くか、ということを、全国の全ての陸海空自衛隊は
あらゆる想定を行なっているものだと私たちは思っています。


呉地方総監部はもし南海トラフ地震が起こった場合の
推定震源域をほぼ半分担当していることになります。 

この話で大変印象深かったのは、総監は就任後、航空機から
地震後の最悪の被害状況を想定しつつ地形を偵察し、
改めて危機管理についての対策をやり直す必要がある、
と考えたと仰ったことでした。

推定震源域の上空を飛ぶことによって、何が見えてくるかというと、
それは震災とそのあとに起こりうる津波の被害によっては
確実に自治体の指揮系統すら機能しなくなると予想される地域の存在です。

日本人のほとんどはは大地震は必ず起こる、と覚悟しながらも
なんとなく心の中で自分だけは大丈夫だろうという、認知バイアスの一種、
「正常性バイアス」をかけることで安心しながら生きています。

が、いざそうなった時にいち早く救助に駆けつける自衛隊が
バイアスのかかった被害想定をしていては、どうしようもありません。
総監は起こった災害に即応態勢を取っていくという従来の
自衛隊の姿勢から、実測に基づいた予想を元に、
さらに深化させていくというお考えに至ったようです。

「それでは、もし明日大地震が起こっても、大丈夫とは・・・・」

「・・・・・とは言えないと思いますね。今のままでは」

きっぱりと言い切る総監でした。
現状に満足せず常に100パーセントを求めて組織を動かし、
時には現場からの不興を買ってでもそれを達成しようとする
指揮官は、災害の下には全く無力でしかない国民の一人から見て、
頼もしいの一言に尽きます。(下線部は一般論です。念のため)

あとは、カレーグランプリの話にもなりました。

「護衛艦の調理員がレシピを担当の店に渡し、店側はそれを作って
自衛隊側がそれをチェックしてよければ認定証を出すんです。

その通りに作らないといけないというのはホテルの厨房なら兎も角、
小さなお店では結構大変なことなんですよ」

ということで、カレーグランプリについては大変好評ながらも
少し見直しが検討されているのだとか。


というわけで、呉地方総監見学シリーズ、あと一回続きます。