Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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米国神経学会2018 -今年の会長講演を拝聴して- @ロサンゼルス

2018年04月23日 | 医学と医療
【会長講演は神経内科医の直面する問題を示す】
米国神経学会年会(AAN)に参加している.私が一番楽しみにしているのは会長主催の全体講義(plenary session)である.その理由は,その時代においてまさに神経内科医が直面している問題を取り上げるためである.2014年にJames Bernat教授は<「現代の神経内科医が直面する倫理とプロフェッショナリズムをめぐる課題」と題する講演を行った.神経内科医を取り巻く環境は大きく変化しており,それは倫理観やプロフェッショナリズムといった医師としての根幹を脅かしかねない状況となっていること,そしてそれらが神経内科医を追い詰め,燃え尽き症候群という問題を引き起こしていることを警告するものであった.

また昨年のTerrence Cascino会長による「燃え尽き症候群に対する学会の取り組み」に関する講演は感動的であった.実際に学会内容は大きく変わり,以前のような口演とポスター発表主体から,教育を重視し,個人がさまざまなストレスから身を守るためのレジリエンスを鍛える催し物や,燃え尽き症候群の危険因子である上司のリーダーシップ不足の解消のための教育講座が開始された.それらのプログラムは本年はExperimental learningおよびLeadership Universityと名付けられ,数も内容も充実し,取り組みが軌道に乗っている印象を強く受けた.


【充実する学会の活動】
本年度のRalph L. Sacco会長による講演はどのような話になるのか非常に関心を持っていた.結論から言うと,米国神経学会の活動はさまざまな面で成功しているという内容で,これまでの悲壮感はなく,自信に満ち溢れた内容であった.まず示されたのが学会のミッションである.それは患者さんを中心にした神経疾患の治療・ケアの質の向上,および学会員のキャリア形成の満足度の向上を促進するというものであった.このミッションのためのさまざまな取り組みは成果を挙げ始め,学会員数は国内外を問わず順調に増加し,またダイバーシティ・マネジメントにも成功した.強調されていたのは政治への働きかけで,神経疾患に対する国家からの研究費は前年と比べ9%増加し,脳卒中に対する法案が可決するなど勝利宣言をした.

さらに医療格差や男女間格差,適正薬価,ビジネスへの取り組みを行っている.研究に関する取り組みの目玉はPrecision Medicineの神経内科学への導入である.患者の個人レベルで遺伝子を分析し,最適な治療方法を選択する新しい医学であるが,NIHのディレクターであるFrancis Collinsによる講演から非常に強烈な印象を受けた.会長の意図は,医学的発見を単に学術的成果に留めるのではなく,患者さんの健康につなげるという必要性を示すことであった.

【20数年前の感動を伝えたい】
今回,岐阜大学からは私と,神経内科医1年生の2人が参加した.まだ自分で発表するわけではなく,多くの発表についても意味が分からないかもしれない.英語もあまり聞き取れないかもしれない.しかしそれでも2人を連れてきたいと思ったのは自分の経験からである.私は神経内科医1年目の最後に,勤務先の信楽園病院の堀川楊部長から頑張ったご褒美にと航空券をいただき,ボルチモアで開かれた米国人類遺伝学会(ASHG)に参加させていただいた.さまざまな人種の研究者が一堂に会して,熱気のある議論をしていたことをいまでも覚えている.研究内容はほとんど理解できなかったものの,その熱気に興奮し,早く自分も研究者の仲間入りをしたいとその後の研究のモチベーションにつながった.事実,その2年後には,同じ学会において口演の機会を得ることができた.ただし質問の英語がほとんど聞き取れず立ちん坊になり,ボスの辻省次教授に答えていただいたのだが,本気で英語の勉強をしなければという気持ちを持った.おそらく今回初参加した2人も,この学会から私が20数年前に感じたものと同じものを感じてくれたのではないかと思う.どんどん世界を目指してほしいと思う.

【米国神経学会に参加しよう】
近年,米国神経学会に参加する日本人神経内科医は激減した.おそらく海外学会に参加するための研究費が獲得しにくくなったことや,より細分化された領域の学会への参加を優先していることが理由だと思う.しかし本学会は,近年,上述の大きな変化を遂げ,学ぶところが非常に大きい.若手医師にとっては多くのプログラムが用意され,幅広い知識の習得の場としては最適であり,また我々の年代のような指導者的立場にある医師にとっても,患者さんや医師にとって大切なことを改めて認識する機会を提供してくれる.翻って新専門医制度のような患者さんや医師にとって本当に意味があるのか分からないことに多くの議論や労力を割かねばならない日本の状況は不幸であり,なぜこのような大きな差が生じたのか恨めしく思えてくる.いろいろな疾患をそれぞれ1例でも経験し登録すれば,それで専門医になり,医療が良くなると考える日本と,積極的な教育の機会を提供し,変化する環境に対するレジリエンスを鍛えようとする米国とでは考え方がまったく違う.いずれにしても,来年,多くの日本人神経内科医がフィラデルフィアで,この学会の新しい雰囲気を味わっていただきたいと思う.

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抗mGluR1抗体の測定は純粋小脳失調症の診断において今後必要である!

2018年04月18日 | 脊髄小脳変性症
【mGluR1の機能と疾患との関連】
代謝型グルタミン酸受容体1型(metabotropic glutamate receptor type 1;mGluR1)は,主に小脳プルキンエ細胞に分布し,運動学習に関わる重要な蛋白として知られている.具体的には興奮性,可塑性,生存に関与している.また脊髄小脳変性症の病因にもなることが知られている.その遺伝子変異は,常染色体劣性遺伝性の先天性小脳性運動失調症の原因となる.さらにこの受容体に対する自己抗体,すなわち抗mGluR1抗体が陽性となる自己免疫性小脳性運動失調症の論文が海外から5つ報告されている.しかし本邦における報告はなく,かつ世界的に見ても長期経過や治療反応性についての報告はなく不明であった.今回,岐阜大学の吉倉延亮,木村暁夫らがこの問題に取り組み,重要な知見を得たのでご紹介したい.

【症例 ―診断―】
51歳女性,初発症状は歩行障害,構音障害で,約2ヶ月間の経過で進行した.画像上,小脳萎縮は目立たなかった.純粋な小脳性運動失調を呈し,亜急性の経過であったため,傍腫瘍性小脳変性症を含む自己免疫性小脳性運動失調症を念頭において自己抗体の検索を行なった.商業ベースで測定可能な既知の自己抗体(HuD,Yo,Riなど)がすべて陰性であったため,抗mGluR1抗体に対するcell-based assay法による測定系を岡崎生理研との共同研究のもと確立し,患者血清および髄液中の抗mGluR1抗体の検出に成功した.具体的にはCOS7細胞にmGluR1を一過性発現する系において,患者血清を用いた免疫染色を行なった(患者では図Aの赤い部分のように染色された.図Bは健常対照).さらにラット脳切片を,患者髄液を用いて免疫染色したところ小脳の分子層が染色された(分子層の深層にはプルキンエ細胞が並び,その樹状突起は分子層に存在する).非常に美しい画像であるが,第一著者の吉倉延亮先生は「自分で行った免疫細胞染色,組織染色の画像を見たときには感動した.このような感動はモチベーションの維持に重要だと思った」と話している.


【症例 ―長期経過と治療反応性―】
本例は現在も経過観察中であるが,発症後5年間にわたり,SARAスコア等を用いた長期経過観察を行ない,客観的な評価ができた点において従来の報告と大きく異なっている.上述のとおり,発症時では小脳萎縮は目立たなかったが,5年後には小脳萎縮は顕在化し,SPECTでは小脳血流の低下も認められた.

症状の増悪と免疫療法による改善を繰り返し,計4回の入院治療が行われた.具体的にはステロイドパルス療法,血漿交換,タクロリムス,アザチオプリン、IVIG,リツキシマブが行われた.とくにIVIGは小脳性運動失調に対して,小脳萎縮が明らかになったあとでも,速やかな改善効果を示した.


【本例が示す3つの重要なポイント】
① 純粋小脳失調症において抗mGluR1抗体陽性例が存在する!
純粋小脳失調症の本邦例でも,抗mGluR1抗体陽性例が存在することを確認した.本例は病初期から神経内科医による評価が行われたため亜急性の経過が確認されたが,病初期に神経内科医による評価が行われなかった場合には自己免疫性小脳性運動失調症が疑われない可能性がある.疑ったとしても,これまで抗体のアッセイ系が本邦においては確立していなかったため、未診断で経過観察されているものと考えられる.本疾患の未診断例が国内に相当数存在する可能性がある.

② 本疾患は治療可能である! 
本例は免疫療法が有効であることを明確に示した.とくに強調したいのは小脳萎縮・血流低下が見られた進行期においても,IVIgが速やかな効果を示した点である.前述のようにmGluR1は小脳において興奮性,可塑性,生存に関与する.よってこの抗体は短期間では機能障害,長期間では神経変性(プルキンエ細胞の脱落)に関わるものと予想される.神経変性が進んだ進行期においても,機能障害を呈するプルキンエ細胞が存在する可能性を考えて,治療介入を試みる必要がある.

③ 抗体は長期に産生される!
免疫療法を行なっているにも関わらず,発症67ヶ月後においても抗体が持続的に産生されていた.このことは十分な経過観察が必要であること,慢性期においても十分な治療を要することを示すものである.

【結論】
今後,純粋小脳失調症,つまり原因不明の孤発性成人発症型失調症(sporadic adult-onset ataxia of unknown etiology:SAOA)の基準を満たす症例において,抗mGluR1抗体を測定することは治療につながるという意味で重要になる.脊髄小脳変性症に対する治療は有効なものがなく歯がゆい思いをしてきたが,まずは治療可能な症例をきちんと見出すことが大切である.

【検査依頼について】
純粋小脳失調症やSAOAと考えられる症例の自己抗体の検索を当科ではお引き受け致します.お問い合わせは当科吉倉延亮医師までお願い致します.

Yoshikura N, Kimura A, Fukata M, Yokoi N, Harada N, Hayashi Y, Inuzuka T, Shimohata T.Long-term clinical follow-up of a patient with non-paraneoplastic cerebellar ataxia associated with anti-mGluR1 autoantibodies. J Neuroimmunol 319; 63-67, 2018

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医者としての本居宣長 ―アスペルガー症候群説への異論―

2018年04月10日 | 医学と医療
【本居宣長に関心を持ったわけ】
津市での講演の機会を頂いたあと,松阪にある本居宣長記念館を訪ねた.本居宣長は,江戸時代中期に活躍した国学者である.私が宣長に関心を持ったのは,教師であった父がかつて「本居宣長全集」を熱心に読んでいたこと,記念館にある魅力的な展示物の写真をたまたま見たこと,そして宣長は医者でもあったことが理由である.小児科医と言われているが,今で言う総合診療医のように,あらゆる年齢の患者を薬箱を抱えて訪問診療していたようだ.

【宣長のアスペルガー症候群的特徴】

アスペルガー症候群は小児科医ハンス・アスペルガーにちなんで名付けられた発達障害である.症状は3つに分けられ,①反復性の行動・限局性の興味,②社会性の障害,③コミニュケーションの障害を呈する.とくに①は「狭い領域にまるで取り憑かれたような興味を示し,並べたり,分類・整理したりするのを好む」のだが,記念館の展示物はまさにアスペルガー症候群を想起させる.
まずご覧頂きたいのは,中国4000年の歴史を10 mの巻物に書いた「神器伝授図」で,なんと15歳のときに書かれた.細かくびっしりと書かれ,王統が断絶したところには赤線を引くなど,驚くほど緻密である.写真は私の好きな三国志の時代の拡大である.


次は17歳のときに書かれた「大日本天下四海画図」という縦1.2 m,横2 mの大きさの日本地図で,こちらも負けず劣らず緻密であるが,なんと1ヵ月ほどで作成された.


【しかし本当にアスペルガー症候群なのだろうか?】

本居宣長=アスペルガー症候群説は,精神科医岡田尊司先生が「アスペルガー症候群(幻冬舎新書)」の中で記載している.またインターネット上でもそのような記載を見つけることができる.しかし本当にアスペルガー症候群なのだろうか? 違和感を覚えたのは岡田先生が「患者に対しては愛想笑い一つ見せたことのない無愛想な医者だった」と書かれていることだ.たしかにアスペルガー症候群は社会性の障害(相手の気持ちや考えを察するのが苦手)や,コミニュケーション障害(感情や感覚を表現するのが苦手)を呈するので,そう思えなくもないが,国学の勉強から得た知識や世界観は医者としての宣長(医者としては春庵と名乗った)にも影響を与えたのではないかと思えたのだ.一見,アスペルガー症候群を思わせる模写したさまざまな古典の文献にびっしりと書き込みをし,細かい文字を書いた付箋を付けている様子は,本当に学ぶことが好きで,いろいろな工夫をしているよう努力家のようにも見える.


【なぜ蘭方ではなく漢方を学んだのか?】
もうひとつの疑問があった.なぜ宣長は当時先端の蘭方医を目指さなかったかということである.宣長の時代の医学は,伝統的な漢方医学である後世方と,復古医学と言われた古医方,そして西洋医学の蘭方の三つ巴の時代であった.実は宣長(1730-1801)は,杉田玄白(1733-1817)や前野良沢(1723-1803)とまさに同じ時代に生きている.なぜ宣長のような知的好奇心にあふれる人物が,蘭方を学ばず,伝統医学を学んだのだろうと不思議に思っていた.

本居宣長記念館の吉田悦之館長が書かれた「本居宣長の医業と学問」という小論文(日農医誌2017)を読むと,宣長は友人に宛てた書簡の中で「病を治すのは薬ではなく『気』だ」という医学観を示しているといると書かれている.病は医者が治すのではなくて,人間が生まれつき持っている「元気」が治すのであり,その「元気」を養護することこそ医者の行うことにほかならないというのだ.飽食を戒め,体を動かし,無用な心配を避ければ病気にならないという考え方であるが,これは宣長の国学における主張である「自然の重視」とか,「わが国には道はない.道のないのがわが国の道である」というものと重なっていると指摘している.つまり蘭方医学より,伝統的な漢方医学の考え方のほうがこの宣長の考えに合致したのかもしれないし,医学に対する考えが国学で学んだものにより影響を受けたのかもしれない.

【宣長は研究のために何を大切にしたか?】
前述の本居宣長記念館の吉田悦之館長にアポイントを取り,医者としての宣長について尋ねる機会を得た.時間をかけて丁寧に教えてくださった.医者としての宣長については不明な点が多いが,診療記録である「済世録」が残されており,容易ではないものの今後,解読が進められるだろうと仰っていた.しかし分かる範囲で読んでいくと,医者としては繁盛していて,かつ奉行のような偉い人の診察もしており,町医者としては成功していたのではないかとのことであった.当時の松阪には30人もの医者がいたことを考えると,前述のような無愛想な医者では,そんなに繁盛しなかったのではないだろうか?

 また吉田館長によると宣長が大切に考えていたことは2つあり,ひとつは経済的な基盤の確立であり,医業をしっかりと行ない家計を守り,その上で研究を行う行う体制を作ることであったそうだ.安定した医療収入は,妻と5人の子供を養うことを可能とし,さらに国学と言う新しい学問の自由を保障した.現在でも研究は,その基盤である研究費の確保ができないと継続困難になることをすぐに思い起こさせる.

 もうひとつ宣長が大切だと考えたことは,研究を引き継いでもらうということではなかったかと仰っていた.そして宣長の養子の大平(おおひら)が描いた「恩頼図(みたまのふゆのず)」を見せてくださった.「恩頼」とは,本来は神のご加護・お蔭のことだが,その観点から眺めた宣長の系譜である.何とも味のある不思議な図だが,上段中央には両親,その脇には師の契沖(けいちゅう)や賀茂真淵,そのほか孔子や紫式部などの先人や,ライバルの名前が挙げられている.この人たちのお蔭で宣長が生まれ,成長したという意味である.中段の膨らみは宣長自身の存在を示し,下段には子ども,弟子,著作の名前が並ぶ.これは宣長だけのものではなく,日本人誰にもあって,たくさんのお蔭をこうむって,累々とつながっていくのだなと思った.


【結局,宣長はどんな医者だったのか?】
 つまり愛想のない人間味を欠く医者だったのか,それとも源氏物語や古事記伝を読み解いた豊富な知識を背景とした人間味あふれる医者だったのかという疑問だ.この一番の疑問に関して「本居宣長―済世の医心―(高橋正夫著:講談社学術文庫)」を読むと,根拠は不十分ながら,国学の勉強から得た知識や世界観は,医師である宣長(春庵)に対し「確たる医哲学と高度な倫理観を与える」ものであったという立場をとっている.私も宣長はアスペルガー症候群的な特徴を持ちつつも,医者としても立派な人物であったのではないかと思いたい.

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人生の終末期をいかに支えるか -事前指示書からアドバンス・ケア・プランニングへ-

2018年04月02日 | 医学と医療
【ALSにおける事前指示書とアドバンス・ケア・プランニング(ACP)】
診断されて間もないALS患者さんが,自ら事前指示書を作成し持参されたことがあった.回診ではどうしたらその意思を尊重した良い事前指示書が作れるのかを主治医に考えていただいた.事前指示書の作成は実は難しいため,アメリカの多くの州で法的効力を持つ事前指示書『Five Wishes』を参考にして,日本の実情に合わせて作られた『「私の四つのお願い」の書き方―医療のための事前指示書』を参考にしていただいた.
また別のALS患者さんでは、新入院紹介において「NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)は行わないということでご本人のお考えは固まっている」と主治医がプレゼンしたことがあった.しかし「なぜそのような結論に至ったのか,その理由を理解し説明するように」主治医に伝えた.これは結論が重要なわけではなく,その結論に至ったプロセスが重要であるためだ.これらの事例は,事前指示書とACPを考えるうえで示唆に富む経験となった.以下,両者について解説を試みたい.

【事前指示書が必要であるわけ】
人生の終末期において,およそ70%の患者さんは意思決定が不可能になるという報告がある.そのため意思決定ができなくなる前に,あらかじめ本人の意向を確認しておけば,人生の最終段階におけるケア(エンド・オブ・ライフケア;EOLケア)が改善するのではないかという期待が生まれた.これを実現するものが事前指示書(アドバンス・ディレクティブ)であり,「将来,判断能力を失った際,自分に行われる医療行為に対する意向を,前もって意思表示するもの」と定義される.事前指示は,自分が意思決定できなくなった時の代理人を指名する「代理人指示」と,治療に関する具体的な希望を記録する「内容的指示」が含まれる.

【しかし事前指示書によりエンド・オブ・ライフケアは改善しなかった】
事前指示書の効果を証明するために,米国5施設で行われた研究が有名なSUPPORT studyで,1995年,JAMA誌に報告された(The SUPPORT Principal Investigators. JAMA 274; 1591-8, 1995).症例数9000人以上に対して行われたランダム化比較試験で,エビデンスレベルは高い.方法は熟練した看護師が病状の理解を確認したのち事前指示を患者から聴取し,その情報を医師に伝えるというもので,事前指示を行った群と行わなかった群で,アウトカム(DNR取得から死亡までの日数,疼痛,医療コスト,患者・家族の満足度など)に差が生じるかを検討したが,何とまったく差がなかったのだ!この報告は衝撃的で,単に事前指示書を作っても,EOLケアは改善しないということを示したという意味で,きわめて意義のある研究となった.

【なぜ事前指示書ではEOLケアは改善しないのか?】
その後,なぜ事前指示書でEOLケアが改善しなかったのかが検討された.これまでの議論で,以下の要因が関与したものと考えられている.
・患者が,自らの将来の状況を予測することが困難であった.
・代理決定者(家族)が,事前指示書の作成に関与していなかった.
・代理決定者(家族)が,患者がなぜその選択したのか理由が分かっていなかった.
・医療従事者と代理決定者(家族)が考える患者にとっての最善と,患者の意向が一致しなかった.
・現実の状況は複雑であり,事前指示書の内容を医療やケアの選択に生かせなかった.
すなわち,患者・代理決定者(家族)・医療者のコミュニケーションが不十分で,相互の理解ができていなかったことが原因として重要であることが分かった.

【アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の登場】
以上を踏まえ,患者,代理決定者(家族),医療者が,患者の意向や大切にしていることを,あらかじめ話し合うプロセスこそが大切であるという考え方が生まれ,これをACPと呼ぶようになった.このプロセスがあれば,患者がどのように考えているかを深く理解できるようになり,たとえ複雑な状況に陥っても,代理決定者(家族)や医療者は対応することが可能になるのだ.このプロセスの後に,その内容を文章化して事前指示書を作成しても良い.またACPは最終的な意思の決定ではなく,定期的な見直しが行われる.

【しかしACPは必ずしも世界で普及していない】
ACPは質の高いエンド・オブ・ライフケアに必要なアプローチである.しかし必ずしも普及が進んでいない.その理由としては以下が考えられている.
・患者が,自分の人生の最後を予想することは難しい.
・患者が,人生の終わりを認めたくない.
・患者,家族にとって辛い体験であるであり,誰もが導入できるものではない.
・患者の意向が,経時的に変化しうる.
・医療者が,ACPを実際の臨床に生かすことは難しいことがある.
・医療者にとって,ACPの施行はかなりの時間と労力を要する.

またACPがうまくいかないケースとして,次の2つがある.
1)早すぎるACP・・・・かなり先の未来に対して意思決定をするケースである.どんな選択をしたかさえ覚えていないこともある.早すぎるACPは役に立たない.
2)遅すぎるACP・・・・生命の危機に直面しているときに行うケースである.この場合,患者も家族もACPを避ける傾向がある.すなわち遅すぎるACPは実際に行われないことが多い.

【ではACPをどのように行うか?】
ACPには健康な時に行う,病気になった時に行う,さらに終末期に行うという3つの段階がある.健康なときにはまず代理決定者を選定し,自身の価値観について話し合う.次に適切な時期に(1年程度を目安に)話し合いを継続する.そして病気に直面したときは,治療やケアの目標や具体的な内容について話し合う.その結果を事前指示書に残しても良い.ACPのまとめ方に関しては具体例が見たかったので「本人の意思を尊重する意思決定支援: 事例で学ぶアドバンス・ケア・プランニング」を参考にしている.このなかにはALS患者さんを含む多数の事例で,ACPについて学ぶことができる.「意思決定支援用紙」はとくに参考になる.この特徴は意思決定を支援する拠り所として「本人の意思の3本柱」として,本人の意思を過去・現在・未来の3つの時間軸で捉え,そのうえで,医学的判断と家族の意向を追加し,支援のポイント,合意形成に向けた具体的アプローチを決めていくというものである.

【ALS患者さんやMSA患者さんのACP】
以上の議論により,冒頭のALS患者さんにおいて,事前指示書を作成するだけでは不十分であること,また結論を伺うのみでは医療者としては不十分で,その結論に至った過程を理解することで,その後起こりうる複雑な状況に対応が可能になることをご理解いただけたと思う.個人的には倫理的議論があまり行われてこなかった多系統萎縮症(MSA)のACPのあり方についても考えていきたい.

本ブログは,日本臨床倫理学会 第6回年次大会の教育講演「アドバンスケアプランニング―いのちの終わりについて話し合いを始める」木澤義之先生(神戸大学医学部附属病院緩和支持治療科)を参考にした.以下,参考文献である.

「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂について


Rietjens JAC, et al. Definition and recommendations for advance care planning: an international consensus supported by the European Association for Palliative Care. Lancet Oncol. 2017;18:e543-e551.








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