Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見て

2019年06月04日 | 医学と医療
48歳で発症し,52歳でスイスにて,日本では認められていない安楽死(厳密には医師自殺幇助)を選択した多系統萎縮症(MSA)患者さんについてのドキュメンタリーであった.彼女は「私が私であるうちに死にたい」「自分で死ぬことを選ぶことは自分でどう生きるか選ぶことと同じくらい大切なこと」と語った.

大きな衝撃を受けた.患者さんが自ら死ぬための点滴を開始し,静かに息を引き取った場面は涙が止まらず,番組終了後もしばらく呆然としていた.医療者である前に「眼の前に自殺しようとしている人がいたら,すべきことがあるはず・・・」という人間としての感情がまず沸き起こってきたのではないかと思う.

医師としても受け入れがたいという感情が生じた.その理由は医師の務めは患者さんの命を守ることであり,また眼の前で患者さんの自死を見た経験はなかったこと,そしてなぜこんなに早期の,機能が保たれている段階で,自死しなければならないのかと思ったことであろう.「依頼されても人を殺す薬を与えない」という一節がある「ヒポクラテスの誓い」の意味を,若い頃から何度も考えさせられる場面に遭遇し,先輩医師から「医療の本質は,病気を治す(treat, cure)ことではなく,病人を癒やす(care, heal)ことである」と教わった自分には,今回の出来事は「医療の敗北である」ように思えた.

つまり医療者側についても検証が必要だと思う.自分がその場面にいたら何ができたか分からないこと,今回のことに関わった医療者は苦しんでいるだろうことを承知の上で述べるが,「なぜ支えられなかったのか?」はやはり真摯に考える必要がある.死に考えが向かってしまった人を留めることは難しいのだろうと思う.それでもMSAの症状を軽減する緩和ケアは進歩し,さらに複数の臨床試験が世界中で進行中であり,MSAの医療は今後大きく変わる可能性もある.希望の灯りはあるのである.私のメンターは「真っ暗な闇のなかにかすかでも光を与えられること」が脳神経内科医の行うべきことであると常々語っていたことを思い出す.

また番組では人工呼吸器をつけた療養生活を直接見たことが安楽死を考えるきっかけになったと述べていた.私は突然死の防止等の理由で人工呼吸器を装着し,長期療養病院ないし在宅で療養されるMSA患者さんを多数診察して回ったが,コミュニケーション障害,認知障害が顕著となり,ALS患者さんの場合とは様相が異なることに気づいた.このため岐阜大学で仲間とともに,適切な機器の導入によりコミュニケーション障害が改善するかを検討する研究を開始したのだが,初めて人工呼吸器をつけた療養生活を目の当たりにしたご本人のショックは大きいものだったろう.もちろん患者さんには「知る権利」があるものの,「bad news」を伝える際の精神状態やタイミングで悪い方向に導いてしまう可能性はあるため,医療者には慎重さが求められる.

最後に番組に対する意見を述べたい.まず自死の瞬間まで映像として見せねばならないものかと思った.それは本当に必要なことだったのだろうか?闘病中の患者さんにもたらす大きい動揺を考えると,プラスよりマイナスの面が大きいのではないだろうか.またこの問題はスイスでの事例を単に報道し,視聴者に判断を任せれば良いというものではないと思う.自殺幇助を選んだ患者さんがいるという事実を伝えるという方向性がある一方,大変な病気でも頑張って立ち向かっている患者さんや支えている家族や医療者がいることを一番に伝えるという立場も当然あるはずだ.安楽死の議論は重要だが,それ以前に神経難病患者さんを死に追い込む可能性のある医療や社会の問題を議論すべきである.経済的問題,介護力の問題で「生きたくても生きられない患者さん」がいる.いわゆる尊厳生(そんげんい)の問題である.社会への影響力を持つ番組制作者はこの番組で終わりにせず,責任を持って世の中で正しい議論が行われるように努力していただきたい.私も神経難病患者さんとその家族をいかに支えるか,真の神経難病の緩和ケアとは何なのかをこれからも考えてきたいと思う.




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