Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

名人E・コミーチの影を慕う

2013-08-09 | アウトドーア・環境
今回のドロミテ行で、名クライマーとして名高いエミリオ・コミーチが1934年に開いたルートを登ることが出来た。「鉄の時代」の成果である。しかし実際には初登攀ルートの取り付のチムニーラインは崩壊が進んでいて、核心部となっている最初の二ピッチは、その後の比較的スポーティーなラインとなっている。それでも、その次に表れるトラヴァースからの上昇ラインはとても気に入った。そこで初めて、その高度感にアドレナミンが抽出されて初めて目が覚めた - そこまで朝からアルコールが残っていて寝ていた。そして途中の岩頭に掛けるシュリンゲや岩角の下の横の割れ目に赤色フレンズなどを設置できて満足した。要するに理に適ったルートが開かれているのである。流石当時の大名人だけのことはある。

そもそも石灰岩壁は、縦に縦に割れ目や弱点を突いて登れるところまで登って、それに行き詰れば右か左へと次の弱点を探してまた上に登路を開くに過ぎない。比較的に単純なその岩の構成が登攀の質をも決めることになる。つまり弱点が真っ直ぐと上に登るところでは強い傾斜を一気に登りきってしまう傾向になるのだ。とは言っても、「鉄の時代」の当時の上昇速度と現在のスポーツクライミングのそれでは大分異なっていて、やはり現在のそれの上昇は石灰岩ならばかなり強いのである。それは石灰岩壁の醍醐味ではあるが、単純さでもある。

我々五人組二パーティーの問題点は、なによりも登攀スピードが遅かったことで、継続して登る予定の岩壁を断念しなければいけなかった。とても500Mの高度差を一気に登れるスピードではなかった。なによりも確保地点でごたごたしていて次へ次へと準備をしておく訓練が出来ていない。それどころか、確保地点で世間話をしているような根性では決して大岩壁などは登れないのである。それは平時からいつも心掛けていなければいけないルーティン作業化させるものであって、それが出来ていない限りその岩壁や山を登る資格となる「制限速度」には絶対に達せないのである。

十代のときから、登る速さに関してはとても気にしてきたのであるが、漸く実際に登る時間だけではなく、ルートファインディングやザイル捌きなどが身についてきていて、更に登る時間そのものも自身の技術的な限界値が上昇してきていることから十分に早くなってきている - 最低所要時間を計算できるようになってきている。要するに大岩壁を登る準備は徐々に出来上がってきていることを実感している。

それ以上に自信がついたのは、二日酔いの日があっても四日間続けて、連日平均200M以上の高度差を登攀しても、つまり1000Mほど登ってもそれほど疲れないことを実感したことである。なるほどその難易度は上限があり、小さなオヴァーハング乗り越しも数箇所しかなかったことを考えれば当然かもしれないが、なによりも普段の習慣的なクライミングが大きな力になっているのを感じる。アルプスで千メートルの壁を登るならば、やはり毎週四日以上は登る習慣を付けていないと話しにならないだろう。

登り着く高度も日本アルプスのそれと殆ど変わらなかったこともあり、高度の問題は殆ど無かったが、それでも力で登ってばかりいる者はぜいぜいする場所もあったようで、それは全く高度や体力以前に技術の問題でもあるように考える。

旅行前に痛めた足も回復した。パン屋の帰りに坂を走り登った。1845歩、12分であるから歩数は減っている。それでも最初は足に酸素が廻っていないようで動きが悪かった。下ってきて、3553歩、23分であるから、まあまあだろうか。先ずは500Mの高度差を一気に登る練習をより多くプログラムに入れていかないといけないかもしれない。



参照:
鉄の時代の金属職人親方 2009-08-10 | アウトドーア・環境
用心深い行為に隠されたもの 2009-11-08 | 文化一般
七級庇越えの筋肉痛解し 2011-11-20 | 生活
スピード即ち安全の登山 2013-08-06 | アウトドーア・環境
ア ン ト キ ノ コ ミ チ (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)

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