Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

滅私奉公と勧善懲悪

2007-03-17 | マスメディア批評
三月五日は零鋒の日と知った。ここ暫らくの「美しい国を、精神から復興させよう」とする傾向の表れである。そして、現在の中華人民共和国において、ビル・ゲートと双璧と言われる人民の鑑なのである。片やテクノロジーと市場独占を以って世界を制する人民の憧れであって、片や、五人組み批判と共に消え伏せた、今再び汚職と腐敗に朽ちる党役員や官僚批判として復活した、社会に奉仕する公僕を絵に描いたような人物なのである。

つまり共産党にとって零鋒は、大日本帝国の修身教科書にあった「死んでも喇叭を口から離しませんでした」の木口小平と同じく、滅私奉公を勧善する存在なのである。勿論、赤軍における零峰は、文革の最中に毛同志によって作られた模範的人民像であった。

嘗て大日本帝国が木口小平を祭り上げたように、現在の中共が文革時代を象徴する零鋒を態々引っ張り出して来るのは、富国強兵から植民地競争へと遅れてやって来た帝国が、日中戦争(八年抗戦)から太平洋戦争へと進んだ経過を思い出させる。

そうした情勢に注意を向けて批評する事こそが本来のジャーナリズムと思われるのだが、ドイツで言えばシュレーダー前首相のような親中派と呼ばれる輩は、嘗ての遼東・満州経営と比較できる経済的な野心を懐き、それを後押ししている。それどころか、昨今は中国語学習熱などが若い世代にあるようで、全てはBRICと言われるG7を越える世界最大の市場への関心に向けられている。表現は悪いが、大日本帝国の所謂満州ゴロツキ(満州ゴロ)と呼ばれるような輩は、いまや世界中から中国に集まった。

全人代を睨んで、人民共和国の私有財産法が話題となっていたが、意見が別れているために国内では報道規制されていたされる。人民は、七十年間の期限を持ってアパートメントなどを所有出来るとするが、それが失効したらどうなるのかなど、不動産業などを中心に市場至上主義へと弾みをつけたいのを困難にしている。当然のことながら、西側の投資家にとって、私有財産の法制化は少なくとも更なる投資活動への礎となる。将来的には民法の整備を踏まえての動きとされるが、共産党首脳陣の手綱捌きの見せどころとなるのであろう。

農地の貸借などは、不耕地化を避けるために必要とされるが、農民を中心に地方では大規模な紛争が起こっているように、都市部と地方の権利格差などが広まってきている。一方、官僚などの不正貯蓄から不要不足の贅沢品消費は伸びて、海外でのマネーロンダリングは膨大な額となっているとされる。

さらに、人民元は、かなりの比率で偽札が流通していると知ると、かなり不確かな国民経済であるのが知れる。北京政府が、今後海外証券投資のプロジェクトを組んで、世界最大規模のヘッジフォンドグループとなるようだが、政治的な形態を含めて、世界は北京を今以上に注目しなければいけない。

ゴールドマン・サックスが目論むように、BRIC(ブラジル、ロシア、インド、チァイナ) 、G7に対して、NEXT11となるメキシコ、インドネシア、ナイジェリア、韓国、ヴェトナム、トルコ、フィリッピン、エジプト、イラン、パキスタン、バッグラディッシュを一括りにして投資商品化する方法も、バランスを採るにはあまりに小さな規模でしかないように思われるがどうなのだろう。

西洋のシステムに対する信仰と自らが立脚するシステム自体を破壊しようとする衝動が、極東における精神構造の特徴となっているように見受けられる。そもそもシステム自体が自身の権利の保障をしているものであって、義務を主軸に置いていないものとすれば、上のような滅私奉公は、そもそも遵法精神に相応しくない。そうしたシステムの破れや信仰を指摘して批判出来ないのは、よって当然とも思われる。

エゴの未発達を表わす「赤信号を皆で渡る」は、一体どうした思考で、どうした世界観なのかと考えると、これまた大変興味深い。



参照:
世界の災いと慈善活動 [ マスメディア批評 ] / 2005-11-29
雷锋的初恋女友/You Tube

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