Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

これからの予定に備えて

2016-01-28 | 生活
火曜日は大分暖かった。週明けから暖かくなったが、暫くは寒波は来ないようだ。日が照ると暖かく、摂氏12度を超えていた。

二月のスキーツアーを考えて、まだ購入していなかったシールを発注した。前年度モデルと書いてあるが形状は変わっていない筈なので、問題が無いだろう。クラムポンも必要なのだが、それほど慌てなくてもよいだろう。

序に雪崩掘り起こし用のスコップも発注した。理由は少しでも軽く持ち運びしやすいようなものが欲しかったからである。重量の差は200Gぐらいになるので、コムパクトカメラ一機ほどの差が出る。通常は1ユーロで借りるのだが、二十日も使えば元が取れる。それもあるが、冬は車のトランクに入れておくと心強いのも購入の動機になっている。四輪駆動でもなくチェーンが無いとするとそれぐらいしか頼れるものが無い。

体調はもう一つなのである。一つには上の奥歯の炎症があるかもしれない。歯ブラシの都度に出血していたので、昨年秋の治療からあまり良くなっていないことになる。使い勝手などは良いのだが、しばしば飲み物などによっては違和感を感じることがあるので、炎症自体は続いている。もう少し丁寧に掃除をして、炎症が収まればよいと思う。こうした小さな疾患が全身症状に与える影響は少なくないので、要注意なのだ。

考えると、いつも冬のこの寒い時期に歯の調子などが話題になっている、その関係は分からないのだが、一般的に歯の事は通常の医者とは関係ないので全身症状と結びつける人は少ない。恐らく医学部門でも免疫系以外ではこの方の論文は少ないに違いない。それでも実感として、肩などへの影響も少なくないようで、意外に見落としている場合が多くはないだろうか。

サイモン・ラトルが楽劇「トリスタンとイゾルデ」について語っている。面白いと思ったのは、楽器についてで、自身古楽器楽団で「トリスタン」を上演した経験からも、ヴァルヴ付きのホルンの指定など楽匠の狙っていたホモゲニーな音色について言及していて、同時にバーデン・バーデン祝祭のマガジンにはヴァークナー演奏の歴史的な流れが書いてある。そこから導き出されるのは、ベルリンではフィルハーモニカ―の前身を楽匠が指揮していて、またハンス・フォン・ビューロ、ヴィーンでの指揮を知っているニキシュなどの伝統があっても、フォン・カラヤンのザルツブルクまで待たないといけないことになっている。ミュンヘンでは直接の流れを汲むシュトラウスなどが指揮をしているのに反して、意外にもヴィーンでのヴァークナーの伝統が通常思われているのとは少し違うことになっているのが印象付けられる。

特に「トリスタン」に関しては、七十回の練習をしてもヴィーン初演がなせなかったことなどの歴史的な事実に、当地の座付管弦楽団の特徴が示されていて、ラトル本人が当地で不評を買っていることに関しての間接ながらの反論となっていて、とても面白い。この指揮者のオープンでありながら、なかなか一捻りした物腰は皮肉を込めた全く英国の社会的な会話そのもので、ドイツ語で話しても同じような感じになるのだろう。

本来はヴィーンのとは違って楽匠が望んだ音響である、バスから上に積み重ねていくベルリンのそれの管弦楽団としての限界を示しながらも、歌手と舞台を捲き込んでのバランス感覚が肝心としている。



参照:
降誕祭贈答品の装着 2015-12-26 | アウトドーア・環境
銅鑼の余韻の領域限界点 2015-04-07 | 音

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