Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

日曜の静謐を護る

2006-11-11 | 生活
ドイツ福音教会の教会議が、連邦大統領ケーラー氏の臨席の下、開催された。公共性への契機を呼びかけると共に政治との境界への眺望を明白にする事を正した。隣人愛から、道義的且つ実務的な行動をするのがキリスト教への信心深い人間であるとした。

それに対して、福音教会連合代表のフ-バー牧師は、宇宙的な形態としての人の尊厳への懐疑について、「歴史的相対化と尊厳の価値低下は、政治社会的状況に、また学術的進歩と経済的興味にそれを依存させることになる。」と発言する。そしてそれらは、「神より授かった無制限の人間の尊厳と相容れない。」とする。

つまり、具体的にはどうかと云えば、現在連邦州毎に検討されている日曜の商店営業の規制緩和に、反対すると云う事である。

宗教的議論は差し置いても、日曜の休日はただの安息日以上に定着しており、これはなんとしてもプロテスタントも厳守すべきである。日曜のそうした行いをアンチキリストとするのは当然であって、済し崩し的に進む精神の荒廃の荒波への重要な防波堤となる。

実際の問題、日曜の労働は飲食店や公共施設などでの、また火を落とせない重工業での労働は、前者は社会的貢献であって、後者は不可抗力として認められる。しかし、日曜の商店の開店になんの価値があるのだろうか?郊外にあるレットアウトの大型店が観光がてらの客を集めたりするのは構わない。

これによる経済若しくは雇用の促進は、グロバリズム下では大資本による零細商店の駆逐と生活の質の低下しか齎さない。こうした雇用促進は同時に資本の集中を意味する。

そして、日曜が通常のウィークデェイの様になれば、落ち着いたは日曜の環境は消えてしまう。つまり、日曜の朝の静謐は、あくまでも、平日の喧騒への基準として護るべき環境である。

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2 コメント

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さいきんは (tamayam)
2006-11-11 13:13:05
日曜日の静謐もわるくないなぁ・・・消費生活から
ちょっと離れてみることは、いいなぁ、と思い始めています。来た当初は、それがイライラの原因でしたが・・・。日本のように店が24時間開いていて
夜と昼の区別がつかない人種が増えると、経済は
活発化するでしょうが、精神は荒廃するような気が
しています。どうでしょうかね。
明日またLadenburgへ出かけます。
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メリハリの無い生活 (pfaelzerwein)
2006-11-11 16:54:19
消費生活と云えばゆっくりとネットで買物も出来るわけです。

休日のために準備して買い置きしておく。旅行帰りなどで面倒な時もありますが、一日ぐらいはなんとかなる。計画して準備して蓄えてと云うのは、蟻とキリギリスの話のようにドイツ人向きでもありますね。

夜勤しなければいけない職種は少なくないですが、従業者数を出来る限り抑えたいですね。経済の量は増すかもしれませんが、効率や質は低下するのは間違いありません。

メリハリの無い生活は非常に具合悪い。長い夜の暮らし方とかに、大切な事があるように思います。

ラーデンブルク、お気に入りですね。また写真などを見せて頂きます。
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