結局、未明の四時近くまでCNNを観てしまった。結果は、番組開始の二時間以内には大勢は判明してしまっていたのだが、合衆国内部の時差によるカウントダウンなどがあるとどうしても待ち受けてしまう。
難しいお話は色々あるようだが、そのようなことをあまり考えれないほど寝不足となった。これまでの予備戦でも世界中の関心を集めることはあったが、子ブッシュ政権の世界に及ぼした影響を考えると、米国大統領の政治的基本姿勢には今まで以上に注目している。
世界の文化に与える影響は、誰がなるにしても今まで以上に大きいような気がするがどうであろうか?西洋が一枚今になって事に当たるだけでなく、先進工業国の置かれている世界の共通の政治課題を議論して行くその土台が築かれることが望まれる。
夜更かしグッズとしてピーナッツに加え、子ブッシュ大統領がホワイトハウスで喉に詰めて倒れたスナック菓子のブレッツェルの袋を開いたのである。塩からいのはしかたない。それでもピーナッツを混ぜて食すると柿の種ピーナッツのように止まらなくなるのである。別けて食べるよりもお腹に優しい感じがする。
あまり長寝も出来ずに、朝起きて、CNNをつけるついでに、ZDFのいつもの選挙の顔の面々がワシントンから伝えているのを聞いた。民主党の最終結果の代議員の数の差が百以下にあることで、僅少さとなる意味を説明していたようだ。
オバマ候補が尻上がりに力をつけて来ているので、ヒラリー候補よりも可能性は高まってきている感じはする。さらに、共和党の方も最終的な対戦相手によって、戦略を替えて行かないといけない難しさがあるとすると、大外回りから最後の直線にオバマが追い込みを懸けることが出来るのだろうか?
マサチューセッツ選挙区のCNNの解説は面白かったが、ブルーカラーに信頼されるヒラリー像も興味深い。ラテン系に食い込めないオバマ候補の事情は知らないが、トルコ系ドイツ国籍者を頭に描くと、必ずしも緑の党が支持される訳でなく、自由党の右翼などに近しいものが多いのは同じではないかと考えた。
このように世界が共通の課題に直面する時だからこそ、「教育や社会に平均化や持ち込むのは誤りで、均質化こそが罪悪に違いない」と考えながらカウチブレッツェルピーナッツと相成ったのだ。
参照:
Primaries and Caucuses (CNN)
Super Tuesdayの中学校(虹コンのサウダージ日記)
亀田の困った話?! (壺中山紫庵)
イングランド教育の不思議+イスラム雑感
(小林恭子の英国メディア・ウオッチ)
難しいお話は色々あるようだが、そのようなことをあまり考えれないほど寝不足となった。これまでの予備戦でも世界中の関心を集めることはあったが、子ブッシュ政権の世界に及ぼした影響を考えると、米国大統領の政治的基本姿勢には今まで以上に注目している。
世界の文化に与える影響は、誰がなるにしても今まで以上に大きいような気がするがどうであろうか?西洋が一枚今になって事に当たるだけでなく、先進工業国の置かれている世界の共通の政治課題を議論して行くその土台が築かれることが望まれる。
夜更かしグッズとしてピーナッツに加え、子ブッシュ大統領がホワイトハウスで喉に詰めて倒れたスナック菓子のブレッツェルの袋を開いたのである。塩からいのはしかたない。それでもピーナッツを混ぜて食すると柿の種ピーナッツのように止まらなくなるのである。別けて食べるよりもお腹に優しい感じがする。
あまり長寝も出来ずに、朝起きて、CNNをつけるついでに、ZDFのいつもの選挙の顔の面々がワシントンから伝えているのを聞いた。民主党の最終結果の代議員の数の差が百以下にあることで、僅少さとなる意味を説明していたようだ。
オバマ候補が尻上がりに力をつけて来ているので、ヒラリー候補よりも可能性は高まってきている感じはする。さらに、共和党の方も最終的な対戦相手によって、戦略を替えて行かないといけない難しさがあるとすると、大外回りから最後の直線にオバマが追い込みを懸けることが出来るのだろうか?
マサチューセッツ選挙区のCNNの解説は面白かったが、ブルーカラーに信頼されるヒラリー像も興味深い。ラテン系に食い込めないオバマ候補の事情は知らないが、トルコ系ドイツ国籍者を頭に描くと、必ずしも緑の党が支持される訳でなく、自由党の右翼などに近しいものが多いのは同じではないかと考えた。
このように世界が共通の課題に直面する時だからこそ、「教育や社会に平均化や持ち込むのは誤りで、均質化こそが罪悪に違いない」と考えながらカウチブレッツェルピーナッツと相成ったのだ。
参照:
Primaries and Caucuses (CNN)
Super Tuesdayの中学校(虹コンのサウダージ日記)
亀田の困った話?! (壺中山紫庵)
イングランド教育の不思議+イスラム雑感
(小林恭子の英国メディア・ウオッチ)
カリフォルニアは、ヒスパニックが30%以上の人口を占めていますから、まさにヒラリーが有利でした。ロサンゼルスやオークランドでは、オバマフィーバーが起きてたんですけど、ヒラリーに及ばずでしたか…。ヒラリーもオバマもヒスパニックにとってはいいはずですが、やはり人種的な好感度でしょうか?
ヒスパニックは多人種ですが、でも、メキシコやコロンビアなどのテレノベラを見ていると、白人ばかりですね。メキシコで白人は、マイノリティーですが、テレビ番組に出演しているのは、白人だらけです。つまり、ブルジョアの貴族的羨望心に似た意識、それがヒラリー支持になったのでしょうか?
ドイツのトルコ系は、新しい移民に対して複雑な心境なのでしょうか?そういえば、かつてのカトリック系アイルランド移民も、黒人の北部への流入を恐れ、共和党の奴隷解放政策に反対していましたし、それがかつての民主党でした。マイノリティーは他のマイノリティーの増加を歓迎しないのでしょうね。
ドイツでは、トルコ系以外に、どの国の移民が多数を占めているのですか?
合衆国におけるヒスパニック文化圏問題は、例の中曽根発言ではないですが、その中での実感がないとなかなか正確に把握出来ないだろうと思います。中南米の人たちとも語学学校などで知り合いましたが、上の感覚はなんとなく分かります。
「マイノリティーは他のマイノリティーの増加を歓迎しない」は大変興味ある問題なのですが、ドイツのそれだけを掻い摘んでおきます。
基本的にドイツでトルコ問題とされるのは、その他の多くの移民や外国人であるギリシャ人やイタリア人そして東欧からの出稼ぎとは異なり、ゲットー化する可能性がいつもあることです。他の移住者や居住者は、西欧化が当然ですし、そのために住んでいるようなものですが、そのようにならなくとも多文化主義を良しとするのは緑の党などに近い一部の文化人です。その背後には、やはりユダヤ文化への扱いも係わっています。
トルコ人の感覚に、ドイツの民主的な教育を叩きこまれるか、それとも西欧化するかのどちらかが巧くいかないと、社会の中での差別意識が助長されることになります。
私が米国社会でイメージするのはイタリア人などがマフィア世界に追い込まれたように古いもの順のヒエラルキーです。ドイツ社会でのトルコ社会は棲み分けされているのですが、それが被差別意識のなかで生息するとなると大変具合が悪いのです。今近くで起った火事でトルコ人が9人焼死がアンカラとの外交問題となりかけています。
1968年問題を色々と考えているのですが、そうした先進国共通の文化問題と今ここで話題となった移民文化との関係に今後の世界の鍵がありそうです。
現在のアメリカの教育では、多文化主義となっていて、それまでのヨーロッパ中心の歴史と文学は以前ほどまでには奨励されません。マーク・トゥウェインの小説でさえ、図書館から除去されてしまいましたから。さらに民族系のチャータースクールなどでは、民族の教育が徹底してます。一番の特色は、白人とクリスチャンが、いわゆるマジョリティーが侵略者として教え込まれることではないでしょうか?
よってアメリカの白人は罪の意識を持っています。それは彼らの集合的無意識なのでしょう。私も元日本人として、侵略戦争の罪の意識がありますが、白人のはそれ以上です。彼らは、「ヨーロッパを源流とする白人の誇り」を公言するのを、ひどく嫌います。それか、開き直れば、人種主義者のレッテルを貼られます。まるでヒットラーの犯罪をすべての白人が共有しているような。「黒人としての誇り」「アジア系としての誇り」「ネイティブアメリカンとしての誇り」というのは、大歓迎なのですが、白人の民族主義は、人種主義と結びついて、大顰蹙を買います。
あと、彼らの中には、なにかにつけると、「オレには何何族の血が入っているんだぜ」と言いたがります。自分が純粋な白人でないことをアピールしようとします。チェロキー族だったら16分の1先住民の血が入っていれば、先住民として政府に登録でき、学費面で優遇されるとのことです。「どう見ても白人だろう!」というクラスメイトが、先住民として学費の優遇を受けている人が実際にいましたから。
そういえば、一時、ブッシュもポカホンタスの血が入っているのではないか、と国中の噂になりましたが、結局は入っていませんでした。しかし、ブッシュの親戚にポカホンタスの血が入っているものがいたことが明らかになりました。バリバリのアングロサクソン大統領に、そんなロマンを持つのです。
たぶん、脱ヨーロッパ化の教育と風俗の影響で、新移民は言語と文化を容易に維持できてしまうのでしょう。だから、今の移民には、これまでの「アメリカ人」という意識は希薄かもしれませんね。オバマの「ただアメリカがあるだけ」という演説は、この教育に育った人々に届かなかったのかもしれませんね。
ゲルマン系ドイツ人も、アメリカの白人のように、白人としてプライドを持てないのでしょうか?ドイツの教育現場は、どうなっているのですか?そのうち、ドイツにトルコ系の首相が登場するのでしょうか?
ドイツの教育現場では「ドイツ人としての誇り」も「ドイツ人としての恥」も議論批評されることから「ドイツ人としての誇りなどはない」もしくは最近では「ドイツ人として恥ない」という模範回答が生まれます。
そこにトルコ人が加わった場合、どうなるか?少数民族への虐待などはまだまだアンカラでも「合意」が出来ていませんね。「トルコ人はヨーロッパ人になり損ねる」どころか誇りとなってしまうのが問題ではないでしょうか。
フランスの流れを汲む先進的な思想的影響も一部の文化人のもので、また合衆国に留学などした者がその殆ど「逆差別」のような意識を持つぐらいでしょうが、「人種」ではなく「文化」としての自己否定は連続した歴史の中ではありえないでしょう。
ドイツで二世三世のトルコ人が首相や大統領になることはあっても、それは人種的にトルコ人であるだけで文化的にはドイツ人でなければいけません。むしろ名士に育てられた貰い子の可能性の方が強いです。
それを規定しようとしたのが数年前の「正しきドイツ文化」運動で当然ながら国民の合意は得られませんでした。
トルコ人二世における模範は、緑の党の国会議員もいますが、一般的にはドイツ人に門戸を開いた自営業者ぐらいでしょうか。それほどに溝は深いです。
私自身が今までソサイティーで出合ったトルコ人は、語学学校での直接本国から遣って来ていたリベラルな女性と市民大学の語学学校でのトルコ人男性の二人だけです。あれほど身近に沢山住んでいるのに係わらずです。
民主化=西欧化はこれまた厄介なテーゼですね。アンカラ政府がどんなに表面上の西洋化を装っても、ドイツ内の仮にトルコ人共同体が下からの民主的な形で社会を作っていけないことに似ています。先ずは夫婦関係を見ただけでも絶望的です。まあ、昔のスイスのテルの家庭と変わりませんが。
「先ずは夫婦関係を見ただけでも絶望的です。」というのは、それは、イスラム社会の男尊女卑のことでしょうか?
トルコ人との出会いの確率が、そこまで低いとは。それは、とても意外です。やはりトルコ系ドイツ人は、固まってしまっているのでしょうか?まるで、日本の朝鮮学校のように、トルコ系学校に通わせるのでしょうか?しかし、出会いがないことからみると、トルコ系の大学進学率は、それほど高くないのでしょうね。
やはりポイントは、トルコ系のある程度の経済的成功が、ドイツ文化との融和の鍵となるということでね。
アメリカの大都会では、白人逃亡という現象があります。白人は、マイノリティーの、ゲットー化やそれに伴うギャングの犯罪などを恐れて、またはコロラドやオレゴンなどの周辺の州へと散っていく現象です。ベルリンや、その他のドイツの大都会で、そのような現象は、起きているのでしょうか?
そういえば、言葉遣いも、アメリカ英語だと、貧困になるにつれて独特になります。だいたい中産階級当たりになると、どの人種、まあ文化でも、きれいなアクセントで標準語を話す。しかし、貧困層になると、ストリート(ゲットー、フッド)の言葉、いわゆる黒人系や中南米系のスラングに影響された英語です。それは囚人やギャングの話す言葉と連想されます。そして、その最たる芸術作品がヒップポップですね。とくにギャングスター・ラップは、ストリート語の芸術です。そして、彼らは、標準語を話すときでも、その独特なアクセントを消そうとしません。それも、やはり誇りから来るものでしょうか。
しかし、オバマは、きちんとした標準語で話しています。人種的には、混血ですが、言語的に、標準アメリカ人です。
ドイツでも、ストリート系ドイツ語というのがあるのでしょうか?そして、ストリート語にも、トルコ語のスラングが多く含まれるのでしょうか?
欧州では高等教育以前の問題で、初中等教育がしっかり出来ていれば、大会社員や公務員などの就職は問題無いので、銀行や自動車会社などにはトルコ人の行員や社員は見かけます。つまり、そこまでの教育を充分にこなす二世世代が限られる事が問題なのです。
たこ部屋に一生暮らす母親の子供が、今もまだ健在なドイツの半日学校の宿題などを手伝えません。なにせドイツ語も出来ないのですから。
そうした子供が二世であっても国語力がつかずに発音は当然ながらドイツ語力が初めから低く、上級学校へ行く可能性を初等教育時分から奪ってしまうことは想像がつきますね。これは方言しか喋れないドイツ人の家庭にも共通する悩みらしいです。
ドイツは基本的には公立しかないので、朝鮮学校のようなもしくは日本語補習学校のようなものがトルコ政府助成であるようですが、その内容はユダヤ学校以上にドイツの実生活では全く役立たないでしょう。特に女性への教育の意味は全く異なるようですから。
そのような理由で、歴史の長いユダヤ人ドイツ語ほどの文化的影響も与えず、ただトルコ訛りが聞けるのがトルコ人街の雰囲気です。
なるほど、では、アメリカのようにヒスパニックのスラングのようには、トルコ・スラングは、ドイツでは、そこまで大衆化してないということですね。
ドイツ語試験は正解だと思います。アメリカも、移民には英語試験を実地するべきですね。でないと、英語が話せなくとも、住める環境ができてしまいますから。まあ、ロサンゼルスは、英語ができなくとも、やっていけるから、「本当にここはアメリカか」と思ってしまいます。
残念ながら、アメリカの高卒の30%がまともに英作文を書くことが出来ないといいます。とくに、南部の貧困層の黒人の語彙数は、2000にも満たないそうです。しかし、マイノリティーでも、アジア系は、平均よりも高い学力がありますし、経済的にも成功しています。しかし、その反面、アジア系の男は頭はいいけど、モテない、よって、チョ・スンヒのような悲劇が起きてしまいます。それも、深刻な文化問題です。非アジア系の人は、「そんなの都市伝説だ」としてまともに受け取ってくれませんが…。
やはり母親が教育も受けずにブタ箱にずっと暮らしているのは、宗教とその価値観のせいでしょうね。世俗化と民主化が必要です。ケマル・パシャは、妻のベールを大衆の前で剥ぎ取りましたが、本当に宗教的ベールを脱がせるのは、やはり女性の教育でしょう。母の言語力が子供の教養を左右するんですね。
トルコ系の子供は、母親の言語力に加えて、ドイツの公立初等学校で、やはりアクセントがあるために、いじめられて、友だちが出来ずに、育ってしまうのでしょうか?それか、クラスでも、トルコ系はトルコ系で固まってしまって、発音が直らないのでしょうか?
私の知り合いで日系の姉妹がいますが、姉は完全なアメリカ英語を体得していて、成績も良く、まさに顔だけがアジア系なのですが、妹のほうは、落ちこぼれで成績も悪く、しかも英語も日本語訛りのアクセントがとてもきつい。同じ家庭条件で、ここまで違う人間が育つとは、興味深いものです。
一方それを午後の補習などを含めて是正するのが現在人気の全日制です。しかしこれは使い方によっては日本の画一化された詰め込み教育になりますね。私見では、補習が必要ない子供は、その時間をフレックスに個人で自由に使い、高度な学問を含む芸術教育やスポーツや例えば親の技術を学んだりする特技作りに、有志の英才教育に使えれば、更に個人差を際出させることが出来ます。
こうして個性的なエリートへの道を開くと同時に、一方落ちこぼれを防ぐ事が出来ます。しかし、教育予算は底上げに向けて飛躍的に増大します。先ず有能な初等教育者が足りないのが悩みです。
発音や話し言葉の矯正は学童になると難しいでしょうね。親が書き言葉に優れないと子供の学力が停滞するのは、文化的な遺伝子のようなもので、それを全く失くすことが無意味なのは、多国語人間の場合を含めてありますね。
日本では、あれだけ学校で時間をかけても、塾や予備校に行かなければ、大学入試をパスできないですから、なにか大学入試のために、青春を無駄に費やしてきたという感じですね。あと、落第というのが、もっとも効率が悪いです。たった一つのクラスが赤点で、すべての学年の授業のやり直しというのは、どう考えても不条理です。
アメリカの高校はゆるやかなゆとり教育で、日本のように詰め込み教育ではありませんし、青春を謳歌できます。それに、基本的にアメリカの大学は、入試はありませんし、州立大学は、基本的には、高校卒業者であれば、すべての人に門戸が開かれてます。そして、単位も自分で好きなように取れますし、教授も選べますし、また、単位数でバチェラー、ソフモア、ジュニア、シニアが決まるので、学年という概念もありませんし、先輩後輩という概念も、落第というシステムもありません。クラスを落としたら、そのクラスだけもう一度取ればいいだけのことです。一週間にたったの12時間でフルタイム学生ですし、まるでドイツの半日制です。そのゆとりによって、高校生や学生は家のガラージで自主研究が出来る、そこからコンピューターで有名なHPが生まれました。私もガラージバンドをやってました。自由時間を、もともとギリシャ語で「スコレー」と言ったそうですから、スクールは、まさに楽しい学園、青春を謳歌できる場でなければならないですね。
ちなみに、ドイツの大学制度は、どのようになっているのでしょうか?
ただそうした社会主義的な一律的な考え方は、日本的な教育と殆ど変わりないので個人的には反対と申し上げた通りです。
ドイツの場合もアビテューアーと呼ばれる伝統的な高等教育への免除があるのですが、最近まではラテン語かギリシャ語などの古代語が必修になっていたのです。面接の重視など欧州の学問の特徴は今でも残っていると思います。ただ実質は大衆化のそれですが、私の友人の娘がハーヴァードの政治学MAを取ったので、その大衆化レベルもまずまずかなとは思っています。
これもいづれフランスのバカロニアと統一されると思います。ですから今でも大学の交換単位制度は、ドイツ内だけでなくなっています。私の友人の日本の地方国立大学の医学部教授がドイツの医学生に単位を渡すのに日本の事務局が慣れずに躊躇したとか聞きました。面白いですね。
今や英語を通じてアカデミックな世界には国境は無い筈なので、こうしたグローバリズムには大賛成です。
それから、AUSBILDUNGとBILDUNGと教育と教養が文字通り峻別されていることだけは追記しておきます。