Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暗闇から鏡に映し出される

2009-09-19 | 雑感
輸送船の把捉をNASA.TVで観て床についた。ニコレ主任の緊張のあとの祝福で、ドッキングを観る必要も余裕もなかった。明くる日の出廷のために睡眠時間を十分に取りたかったのだ。

罰への異議申し立てであるから、厳密には刑事被告人ではないのだが、此方は憲法裁判所で争う意気込みで力が入っているのだ。

第一日の結果から言うと、こちらの当初の主張が聞き入れられる方向にある。「制限速度以下では走っていなかった」ことを間接ながら認める事になったので罰の情状酌量は判らないが、少なくとも問題点へと関心を引き寄せられたと思っている。

あれほど確率論からの「客観的主張」に対して「無駄、無駄、僕は法律を学んでいるんだから」と言い続けた弁護士が今頃になって戦おうと言い出したのには参ったが、裁判長女史の幾つかの質問の意味はなかなか考えさせられるものであった。

一つは、走行している車の並んでいる写真をかざしながら「標識を見落とした反対側の標識が見えなかったか?」という事で、これは裁判所に向う道中でも気がつかなかったもので、弁護士も「何時から?」と質問したように、一つ目のそれか二つ目のそれか意味が分からなかった。要するに、その写真も反対側の標識もややもすれば嘘を見抜くような武器になったかもしれない。

一つは、事が起った経過時間に関する質問で全体の推移でどれほどの時間が流れたかの質問であった。これは時計を見ていなければ誰もハッキリ言えるものではなく、走行速度と実際の現場の距離から推し量れるものの主観的な時間の流れはまた異なるであろう。三十秒か四十秒と思ったがもちろん自信はない。速度も遅く、比較的ゆっくりと推移した事を付則した。

一つは、不可抗力を主張する事象に対して自己の生命の危機を感じたかどうかの質問であった。これに関しては、予想通り動揺した。私を個人的に知っている者ならばここで答えに派脈が無くなり、ボロボロになるのを皆知っている筈だが、やはりその通りになったのである。つまり自己の生命と同時に他者の危険を重ね合わせたのである。

そしてこの質問が既に、弁護士が当初予想していなかった違反への不可効力(正当防衛もしくは緊急避難)への検証の糸口になっていて、十五分の持ち時間を過ぎて更にもう一度聴取する事になったのである。

当然の事ながらその前の段階の供述で、書面における客観性を保とうとしても、どうしても感情的な主観へと意識が走る事が分かり、なぜザッハリッヒな供述が出来なかったか、この三つ目の質問の過剰反応から自らもその理由についてあとではじめて気がついた。法廷というものは様々な奥深くに隠されているなにかを鏡のように映し出してくれるものらしい。

如何に法廷における供述というものが、特に事件性や事故性の事象を素面で語れないと言うことが分かった。要するにたとえ法廷戦略が明確であったとしても当事者というものは客観性を持ち得ないということでもある。反対に確信犯であるならば、明快な弁論が出来、当事者が明快な弁論が出来ると言う事自体 ― これが犯罪というものの核であろう ― が可也如何わしいものであるかと分かる。

行政処分決定の一時停止指令も来週ぐらいに行なわれれば、はじめて降り出しに戻って不可抗力を訴える事が出来るだろう。



参照:
何かが段々と見えてくる 2009-07-26 | 雑感
執行猶予期間を先送りする 2009-06-10 | 生活
書斎でほくそえむ確信犯 2009-04-30 | アウトドーア・環境
掛け値無しのLA大舞台 2008-02-26 | マスメディア批評
誤りの自覚と認識 2008-06-29 | マスメディア批評
アウトバーンでの予知力 2004-12-27 | テクニック
蓄積に養われる直感 2007-11-12 | 雑感

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