Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ワイン三昧 第一話 '05II

2005-11-08 | ワイン
名前
バッサーマン・ヨルダン

場所
ダイデスハイム アン デア ヴァインシュトラーセ

特記
2002年に初めてバッサーマン家の手を離れる。ゲーテの注文を受けた家族経営の大手ワイン醸造所は、こうしてドイツワインの歴史に大きな区切りを印した。

履行日時
2005年11月1日

試飲ワイン
2004年リースリング リッター瓶、
2004年リースリング・キャビネット リッター瓶、
2004年ダイデスハイマー・ランゲンモルゲン 辛口キャビネット、
2004年ルパーツベルガー・ライターパード 辛口キャビネット、
2004年ダイデスハイマー・ラインヘーレ 辛口キャビネット、
2004年ヴァイサー・ブルグンダー 辛口、
2004年グラウワー・ブルグンダー 辛口、
全七種類。

感想
二種類のリッター瓶を比べると、QBAの方は口の角に感ずる味覚とミント風の味が特徴だが、後口が今一つスッキリしない。カビネットの方は、青林檎風のさっぱり感が良い酸味を出して、香りもこの醸造所特有の深いものである。双方ともアルコール度12%で、其々5.50EURと6.50EURである。ランゲンモルゲンは、花の咲くような柔らかな香りでこの土壌のエレガントさがあるが、12.5%のアルコールは強さと感じられる。更に高台にあるラインヘーレの方は長い後味もとともにシュペートレーゼに近い。ライターパッドの方は土壌も違い、ミネラル風味で且つ深い香りが快かった。

総論
前回の三月に瓶詰めされていなかったものを中心に試飲した。前回好評のキーセルベルグは完売していた事でも、良いものは直ぐに売り切れる。これは人の好みはそれほど変わらないということを示す。大きく印象が変わったのは、その熟成によるところが大きい。この期間の熟成を通して大分印象が違った。最大の問題は、親方の代替わりで定着した繊細なダイデスハイマーリースリングが野太く仕上げられてしまっている事にある。それもアルコールが高めとなっており、2004年の酸の苦味を嫌った熟成である事が想像出来る。確かにその悪い印象はないが、その分味に厚みが出来てしまっている。これならば先任のどっしりとした大きさが欠けるような気がする。折角、新体制へとイメージの変換に成功したのに残念である。反面、リッター瓶のキャビネットが最も優れていたので、高級ワインから日常消費ワインへと市場を移すというのだろうか。新資本の参入で、伝統が壊されて、作る匠から離れて行くと将来は厳しい。資本の投下やその効率的な運用は、決して生活の質や満足感を与えないという鉄則を改めて確認する。



参照:ドイツワイン三昧 第一話 2005年版

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4 コメント

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この記事にコメントするのは (jyakuzuregawa)
2005-11-08 10:55:41
記事とまったく違うコメントで申しわけないのですが、ニュースで

「フランスの暴動がドイツにも飛び火か?」

とありました。

そちらは被害はないですか?
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住における一体感 (pfaelzerwein)
2005-11-08 15:27:14
ご心配お掛け致します。ベルリンでの放火で「ドイツにも飛び火か?」とこちらでも騒がれております。外国人や移民系を中心とした学力の低下などは大きなテーマで、移住者の同化は連立交渉でも焦点です。



しかしフランスのような状態にはないと云うのが専門家や一般的な見方です。植民地からの移民と違うのでトルコ系移民のドイツ語の問題は大きいですが、スラム化(ゲットー化)させない努力は重要です。



一度スラム化すると手に負えなくなるのが、米国でもフランスでもそうで、これを防ぐような方法を更に勧めて行かなければいけません。住における一体感のある共同体は、移住者に関わらず重要と云うことでしょう。



強ち記事と異ならないのは、上述のフォン・バッサーマン家は何百年も前にフランスのサヴォアから来たカトリックの家庭です。従業員なども家庭的な雰囲気でチームワークが非常に良かったのが思い出されます。これなども、職場からして一体感があり、衣食住での共同体といえるものでしょう。



この問題は、改めて考えてなければいけません。
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清酒も、どうなるか (エンテツ)
2005-11-09 00:07:39
日本の清酒製造も70年代前後に設備産業化が進み、極端な話、杜氏はメータを見てボタンを押してればよいだけの、製造管理責任者になりました。ま、最後の味の仕上げ調整で、舌の力を発揮するぐらいで。そうして生まれたのが、私の故郷の酒「淡麗辛口」の新潟清酒です。このため約20年の間に、匠としての杜氏の伝統は壊滅状態になりました。



いっぽうトウゼン、より新しい効率のよい設備のための投資、そしてドンドンできる酒を大都市で売りさばくための市場開発投資が、ふくらみました。



中小の蔵は、もはや資金回転に息切れ、やはりむかしの人的能力を使ってよい酒をつくろう、というのがここ数年の動きです。しかし、いったん途絶えた匠の伝統の復活は、容易ではありません。しかも機械生産の能力は向上し、特定の原料米をつかえば、必ず一定レベルの品質はできるようになりました。



ま、ただいま中小の蔵のふんばりどころですが、焼酎に押されて、ハテどうなるか。焼酎も日本酒ではありますが。
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どうしても、気になりまして! (pfaelzerwein)
2005-11-09 01:56:19
エンテツさんのご専門の領域で、私自身何らの利害関係がないのですが、食料・嗜好品の工業化は、ハイデッカーではありませんが途轍もなく重要な問題と追々気が付いて参りました。



例えば味を平均化してしまうと、大げさに云うと人間の認知に関わる問題で、シンセサイザーの音やデジタル印字ポスターの画像等々感覚を最終的に馬鹿にしてしまいます。



仰せの通りまずまずの物が合理的な方法で出来上がるのですが、その前に受け手の方が判断出来なくなっている可能性があって、これが恐ろしい。合理的と考えられている方法が伝統の継承を超えているとは限らない。(これについては改めて)



合理的な方法と云うのがあらゆる分野で親方職人を合理的な経営マネージャーへと変えていっています。親方職人は、作る事よりも効率の管理者になって来ています。



投資効果を計算すると嗜好品やブランド品などは、価格を上げるか質を下げるかの選択しかありません。ドイツビールは、この点で過去十年間で壊滅しました。



ワインの場合は、新大陸のような大量生産には向かないので、今まではこの効率化から逃れてきました。しかし、こうして有数の個人大手が投資家の手に渡るとなると、ますます中小の醸造所の責任は大きくなります。



本日、また追加で上述のアルコール12%を3Lを取って来ました。あきが来るのか、さもなくば口が馬鹿になるのかを試して、改めて報告したいと思います。どうしても、気になりまして。
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