ローマ教皇がまた謝罪している。ヨゼフ・ラッツィンガー程腰の低い教授は少ない。今回の件は、所謂破門されていた伝統派の先日来の復帰とその一人リチャード・ウイリアムソンの発言に端を発している。
この21日にスェーデンの放送局に語ったウイリアムソンの、アウシュヴィッツにおけるナチのガス室有無を否定する発言は既にレーゲンスブルク検事局より「扇動の罪」により訴追されているようだ。
当然の事ながらユダヤ教会の批判は激しくヴァチカンとの関係を破棄したが、あまりに稚拙なヴァチカンの外交姿勢が囁かれている。
この右翼グループの聖ピウス十世司祭講は、ヨハネ・パウロ二世の時にも頭痛の種であったようで、1970年にフランスのマルセル・ルフェーブルにより創立されてから、世界で500人の司祭と六十万人の信仰を獲得していると言われる。
フランス革命後の政教分離によるライシテや無神論のナチスのファシズム、共産主義の弊害に対抗する戦いが保守派の考え方の基本となっている。今回の発言の内容は、所謂修正主義者のものと些か違うように響くのだが、それはどうしてだろうか?
先ず前提として、ナチス・ドイツによるホロコーストの事実よりもそれらのイメージこそが大切であり、戦後冷戦構造の中で合衆国発の映像文化などで盛んに共産主義者におけるそれとの重ね合わせが盛んに行なわれたことはある年齢以上の西側に育った者ならば影響として身についている。
個人的にはドイツ民主共和国との係わり合いで、その事実に覚醒する事になったのだが、こうした覚醒なしには実感し難いような大まかな印象操作の方が、大衆高等教育を受けた者に向って差し出される似非実証主義よりも遥かにその影響力は大きい。
人道に反する行為を証明をすることは現在においてもなかなか容易ではなく、なおさら過去に遡るときに遥かに困難であるのは想像できる。旧帝国日本軍の蛮行でさえ書類としての証拠が少ないのであるから、全く異なった次元で精緻に一点の曇りも無く行なわれた国家社会主義思想に準ずるそれに第一次資料がないのは当然なのである。ドイツ帝国鉄道のユダヤ人輸送の書類自体でさえ非常に丁寧に作られていて、必ずしも蛮行とは判断し難いのである。
むしろ、それ故に合衆国を筆頭とする大衆を狙い分かり易く印象を植え付けさせるための専門的な作業が丁寧に行われた事も疑いない。同じような次元で、2001年9月11日の印象は世界のお茶の間で共有されたことも事実であり、如何に大雑把な印象がなににも増して重要であるかはこれで理解出来る。
さて、最近ホリーウッド制作の映画などを観るようになると、そうした大衆が共通してもち得る印象の操作についてどうしても興味を持つようになる。そうした中で、歴史感覚であるとか、世界観とかが形成される過程こそに注目することになる。
今回のローマ教皇の謝罪は、教会の権威を下げることはあっても決して上げる事ではないのだが、事象全体に注目することで「世俗世界」をローマ教会という途轍もなく大きな歴史鏡に映し出すことが可能となる。まさに、ここにカトリック教会の今日的な文化的意味合いが存在する。プロテスタンティズムのみでは、まるで片目に眼帯をつけたようで覚束無いのである。
参照:
素朴さ炸裂のトムちゃん [ マスメディア批評 ] / 2009-01-25
感受性に依存する認知 [ 文化一般 ] / 2009-01-03
テッド・ハガード元牧師が同性愛を拒絶 (虹コンのサウダージ日記)
国家の基礎としての聖書 (作雨作晴)
この21日にスェーデンの放送局に語ったウイリアムソンの、アウシュヴィッツにおけるナチのガス室有無を否定する発言は既にレーゲンスブルク検事局より「扇動の罪」により訴追されているようだ。
当然の事ながらユダヤ教会の批判は激しくヴァチカンとの関係を破棄したが、あまりに稚拙なヴァチカンの外交姿勢が囁かれている。
この右翼グループの聖ピウス十世司祭講は、ヨハネ・パウロ二世の時にも頭痛の種であったようで、1970年にフランスのマルセル・ルフェーブルにより創立されてから、世界で500人の司祭と六十万人の信仰を獲得していると言われる。
フランス革命後の政教分離によるライシテや無神論のナチスのファシズム、共産主義の弊害に対抗する戦いが保守派の考え方の基本となっている。今回の発言の内容は、所謂修正主義者のものと些か違うように響くのだが、それはどうしてだろうか?
先ず前提として、ナチス・ドイツによるホロコーストの事実よりもそれらのイメージこそが大切であり、戦後冷戦構造の中で合衆国発の映像文化などで盛んに共産主義者におけるそれとの重ね合わせが盛んに行なわれたことはある年齢以上の西側に育った者ならば影響として身についている。
個人的にはドイツ民主共和国との係わり合いで、その事実に覚醒する事になったのだが、こうした覚醒なしには実感し難いような大まかな印象操作の方が、大衆高等教育を受けた者に向って差し出される似非実証主義よりも遥かにその影響力は大きい。
人道に反する行為を証明をすることは現在においてもなかなか容易ではなく、なおさら過去に遡るときに遥かに困難であるのは想像できる。旧帝国日本軍の蛮行でさえ書類としての証拠が少ないのであるから、全く異なった次元で精緻に一点の曇りも無く行なわれた国家社会主義思想に準ずるそれに第一次資料がないのは当然なのである。ドイツ帝国鉄道のユダヤ人輸送の書類自体でさえ非常に丁寧に作られていて、必ずしも蛮行とは判断し難いのである。
むしろ、それ故に合衆国を筆頭とする大衆を狙い分かり易く印象を植え付けさせるための専門的な作業が丁寧に行われた事も疑いない。同じような次元で、2001年9月11日の印象は世界のお茶の間で共有されたことも事実であり、如何に大雑把な印象がなににも増して重要であるかはこれで理解出来る。
さて、最近ホリーウッド制作の映画などを観るようになると、そうした大衆が共通してもち得る印象の操作についてどうしても興味を持つようになる。そうした中で、歴史感覚であるとか、世界観とかが形成される過程こそに注目することになる。
今回のローマ教皇の謝罪は、教会の権威を下げることはあっても決して上げる事ではないのだが、事象全体に注目することで「世俗世界」をローマ教会という途轍もなく大きな歴史鏡に映し出すことが可能となる。まさに、ここにカトリック教会の今日的な文化的意味合いが存在する。プロテスタンティズムのみでは、まるで片目に眼帯をつけたようで覚束無いのである。
参照:
素朴さ炸裂のトムちゃん [ マスメディア批評 ] / 2009-01-25
感受性に依存する認知 [ 文化一般 ] / 2009-01-03
テッド・ハガード元牧師が同性愛を拒絶 (虹コンのサウダージ日記)
国家の基礎としての聖書 (作雨作晴)
>事実よりもそれらのイメージこそが大切であり
なるほど。たしかにホロコーストはその残ってる映像で私たちの視覚野において強烈な印象を与えますね。そこが映像の世紀で、ホロコーストも大衆社会の産物だったということでしょうか?
中国朝鮮の抗日会館も蝋人形を使って一生懸命やってますね、映像はあまりみたことがないですが。米国は広島長崎の凄まじい映像を流れません。ヴァイマール市民のエキストラに死体処理をさせてる映像が見つからないのと関係があるのでしょうか?
ライト博士が「広島長崎」に言及したとき反米的として批判されました。「米国によるホロコースト肯定」としてリチャードソンのように袋叩きにあったのでしょう。博士は「Audacity to hope」の説教でも「長崎」に言及してますから、まさに予言者エミリヤですね。
オバマの演説もイメージ的ですね。リンカーン記念碑の前でキング牧師が「I have a dream」を演説してる映像が米人たちに焼き付いてるこそ、オバマがただ「ジョージアから来た若き牧師」と言うだけで、会場が歓声に包まれるんですね。
要するに、大衆がどのように物事を認知するか、その認知をどのように共有するかとなるとコミュニュケーションのあり方に違いありません。
今回のヴァチカンを巡る騒動は、そこに「世俗という像」があるので、それが良く見えると思います。もともとの教会の歴史的機能が、例えばヴァチカンからネット中継をするようになった今日、新たな意味合いを持ってきているかと思います。
もう一つは、プロテスタンティズムにおける歴史・世界観において、ハリウッド映画を観ると分かるように事情が変わって来ているのではないかと感じました。これは国連運営など今後の世俗の動きの底流になるかと思います。
ガス室の存在云々以上に例えばチクロンBの実験データもフランクフルトのヘキストから米軍が徴収している筈ですから、合衆国が総てを握っている筈です。ヘキストは結局フランスの会社に吸収されましたが。同じようにモスクワで発見される資料もまだ色々とあるようです。
原爆投下の歴史化も合衆国主体にオバマ政権で進む可能性は高いですね。対日外交の切り札として、日本側がそれ相応の準備が出来て時期が来れば、使うに違いありません。
やはりブッヘンヴァルト解放は442部隊が入っているようです。
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/14f116d2aa633b2d77120f12db894fa8
ノストラダムスだなんだと話題になるのはやはり聖書が史上最大のベストセラーであるからなんですね。これをプロテスタンティズムの勝利と考えると世界の津々浦々まで各々の言語で結構複雑なイメージまでを描ける聖書の存在にあるに違いありません。
学問や学会やなんだかんだと言ってもその複雑さや固定された共通イメージの伝播では固有の言語的思考が障害になっているかと思われます。
なるほど、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚証明書が米国にあるというのも驚いたんですが、731部隊やチクロンの資料を総て米国が握ってるんですね。やはり歴史は勝者によって作られるのでしょうか?
ルターが聖書をドイツ語に訳してなかったら、オバマの登場も不可能だったのでしょう。ラテン語で「I have a dream」はちょっと想像できませんね。やはり聖書のイメージがSynecdocheを可能にしてるのでしょう。
カトリック教会のミサにたびたび行きましたが、聖体式も賛美歌も全部英語でした。ラテン語を一切聞かなかったので、こちらとしてはちょっと残念でした。
そうですね、ノストラダムスは日本でも大騒ぎでしたね。アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』もそれに便乗した形ですね。ということは西洋ではない日本もやはり聖書のイメージを共有してるのでしょうか。麻生太郎もカトリック信者だというし。
現代の法には今年記念年のカルヴァン派の考え方が浸透しているのでしょうから、世俗的な世界はそこから切り離せないように思いますね。勿論これも肯定否定を問わず世界観の問題ですが。
ルフェーブルの話を読むとその置かれた状況から伝統主義へとつき進んだのは理解しやすく、20世紀初頭からのライシテの政教分離の影響によるフランスの特殊事情が背後にあるのですね。そうした特殊事情にフリーメーソンなどに対する妄想イメージも強化されていたと言います。
ドイツでは宗教税徴収へと宗教界をコントロールしたのに対して、オカルト的なまたシュタイナーに繋がるような動きも出てきたのでしょう。
信仰はなかなか扱いが難しい対象です。
そもそも第三帝国の国家総統が公序良俗に反するような発言をする訳がないではありませんか。そこいらの中途半端な修正主義者とは立場もレベルも違いますからね。
一寸WIKIを見ただけでも、ヒットラーは最初から最後まで執拗に以下のように述べています:
„Denn denken Sie nicht, daß Sie eine Krankheit bekämpfen können, ohne nicht den Erreger zu töten, ohne den Bazillus zu vernichten, und denken Sie nicht, daß Sie die Rassentuberkulose bekämpfen können, ohne dafür zu sorgen, daß das Volk frei wird von dem Erreger der Rassentuberkulose. Das Wirken des Judentums wird niemals vergehen, und die Vergiftung des Volkes nicht enden, solange nicht der Erreger, der Jude, aus unserer Mitte entfernt ist.“
– Adolf Hitler: Rede in Salzburg, 7. August 1920
Ich habe aber auch keinen Zweifel darüber gelassen, dass, wenn die Völker Europas wieder nur als Aktienpakete dieser internationalen Geld- und Finanzverschwörer angesehen werden, dann auch jenes Volk mit zur Verantwortung gezogen werden wird, das der eigentlich Schuldige an diesem mörderischen Ringen ist: Das Judentum! Ich habe weiter keinen darüber im Unklaren gelassen, dass dieses Mal nicht nur Millionen Kinder von Europäern der arischen Völker verhungern werden, nicht nur Millionen erwachsener Männer den Tod erleiden und nicht nur Hunderttausende an Frauen und Kindern in den Städten verbrannt und zu Tode bombardiert werden dürften, ohne dass der eigentlich Schuldige, wenn auch durch humanere Mittel, seine Schuld zu büssen hat.
- Hitlers Testament, 30. April 1945
この二つをしてEndlösungの意味が分からない者はいないでしょう。
また上の発言はホロコーストの事実を否定するものではなくてガス室の存在に疑問を呈したものです。
復讐裁判は日本のお家芸ではないのですか?
我が国に関していえば例の田母神論文についてはどう思われますか?
歴史化の行程は、修正主義者がとやかく発言参加したり表現の自由とか宣えるようなものではありません。
歴史化が出来ない内は、自衛隊は決して軍にはなれないのです。