Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

大詰めとなる「トリスタン」

2016-03-20 | 
承前)楽劇「トリスタンとイゾルデ」のお勉強もいよいよ大詰めに近づいている。三幕第一場のトリスタンの悲嘆や第二場の夢もサウンド素材であるLPからは十分に情報として取り出せなかった。以前触れたフルトヴェングラー指揮「ニーベルンゲンの指輪」でもそうであったように、ところどころ例えば同音進行の連符などのト書き風音楽を充分にダイナミックなどに配慮せずに流してしまうことから、まさしくト書きになってしまって、要するにその情景がまるで紙芝居のようになってしまうのである。恐らく多くのフルトヴェングラーの音楽の愛好家は、彼のヴァークナーは小宇宙を形作っているような誤解をしているかもしれないが、実はとても箱庭的な劇場作品となってしまっているのである。逆にこのLPが成功したのもそうした効果ゆえなのかもしれない。

問題点を論っても仕方がないので、更なる題材を求めてYOUTUBEなどを探す。面白かったのは、カルロス・クライバー指揮のバイロイトでの演奏の劣悪なVIDEO映像で、音も歪むが、それでも愛の二重唱と愛の死が楽しめる。流石に人気の指揮者だけあって、数少ないレパートリーとして指揮したトリスタンは楽譜の隅々までに目が行き届いている。音質が悪くてもその楽譜が裏まで見渡せるように響いているので、これなどを聞くと録音などではなくて演奏、それ以前に指揮者がしっかりと楽譜を読んでいるかどうかに掛かっていることが実感されるのである。

その他、有名なベーム指揮の実況録音も比較したが、大成功した「指輪」に比較すると意外にもこちらの方が上手く行っている様子だ。またバーンスタイン指揮の録音前後のヘラクレスザールでの演奏会での映像も観れるが、そのテムポも殆どマーラーか自作のような指揮ぶりでなによりもイゾルデ役のベーレンスの特別な歌声に改めて驚き、ブランゲーネ役のミントンの安定した声も少し聞ける。

そこで急いでクライバー指揮のドレスデンシュターツカペレの録音をDLする。それほど評判は良くないのかもしれないが、楽譜を一通り読み込むためには間違いなく役に立つと思ったからだ。上の劣悪な映像からも、楽譜にあるダイナミックスやその他の情報を読み落とすことなく音として再現できているのだから、ドレスデンの座付管弦楽団にも限界があるとしても制作録音であるから、少なくともバイロイトでの奈落での実況以上には細部まで繊細に演奏されていることであろう。

そこで再度一幕から三幕まで流すことになる。前奏曲の最初のppからかなりのダイナミックスを準備している。そして幕開きのクルヴァナール役のフィッシャーディースカウの叙唱も凝ったことをしている。また、高い音域でのチェロに合わせたトリスタン役のルネ・コロの軽い歌声など、またブランゲーネ役でファスベンダーが歌うなど管弦楽団と同時に面白企画にはなっている。それでも一幕を通すころになると、なるほど楽譜を読み込んで教会での録音に挑んでいるのだが、問題となるテムポ変化にはいつも同じようなダイナミックが付け加えられ、その活き活きとした楽節の連続の割にはいささかワンパターンな音楽運びとなっている。必ずしも楽譜はそのようにはなっていないのだ。ある意味アマチュア―精神に満ち足りた指揮者で、その才能も特別に評価されて格別であるが、これを詳しく聞くと、なるほど少なくともこの録音に関しての批判は十分に湧き出ることになる。それでも最後まで聞かざるを得ない特別な質のものだ。

続いて二幕と三幕である。音素材となっているカルロス・クライバー指揮のお蔭で大分楽譜が耳に、その構造が頭に入るようになってきた。例えば二幕の第二場でトリスタンが登場するまでのテムポの運びと、いつものようなアゴーギクなどに若干の違和感もあるが、全体として二幕はとても上手く行っている。軽い声のルネ・コロの音色がとても良いところが多く、イゾルデの高いハのO Wonne der Seeleに対抗するのみならず、明らかに「ジークフリート」と双子の「トリスタン」としてとても上手く嵌まっている。第二場が始まって愛の二重唱、そして恍惚の頂点へと、あまりにもの演奏がここではなされている ― こうして聞くとカルロス・クライバーが喜歌劇「こうもり」や「ばらの騎士」のようなタカラズカ的な歌劇で成功していたのがよく分かる。幾らでも批判は可能であるが、こうした舞台が大成功していたのは事実で当然かもしれない。バイロイト祝祭劇場での録画が二幕のその部分を中心として残っているのも納得できるのだ。

二幕でもそうだが、各所で高弦を主体に対位法が構成される時は、殆どグスタフ・マーラーの交響曲のように、つまり二幕では第五交響曲のアダ―ジェントさながらに響き、三幕の夢への流れでも、これまた同音進行がマンガの吹き出しのような効果を示す。そして第三場の愛の死のフィナーレへと充実した音楽がまるで永遠の時のように続く。

なるほどクライバー指揮のこの録音には多くの批判が可能であり、実際にまるで先ほど逝去したニコラウス・アーノンクールの遣り過ぎの感の独りよがりの強引な解釈の部分とあまりにも丁寧さを欠いた荒っぽい演奏実践を売り物としているところが多くみられるのだが、そうした欠点を補うだけの絶対的な効果も挙げている。こうした演奏録音を聞くと、歌手の実力やキャスティングの問題もあるが、このような曲においては後にも先にも真面に指揮者が楽譜を読み込んでいるかどうかでその芸術的な価値が決まってしまうことを改めて思い知るのだ。(終わり)



参照:
バーデンバーデン復活祭まで 2016-02-18 | 暦
嵐過ぎ去って、その後 2015-04-02 | 音 

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