Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

お利口さんの市場価値

2015-01-18 | 雑感
スイスフランショックの町の影響をラディオが伝えている。個人的には次の旅行でいくらかの金を受け取るつもりだったので、それがフランでなくてユーロになると困るなと考えていた。しかし実際には、スイス国内のドルもユーロも売り切れてしまって、郵便局にも銀行にも両替機にもどこにもないらしい。流石にスイス人はとても利口で、安いユーロを買い占めているらしい。

安いユーロを確保すれば、直ぐに国境を越えてドイツで安い買い物が出来るのだ。既にドイツ側ではスイスマネーの売り上げ効果が計算されていて、個人消費の底上げに寄与すると考えられている。これで来週の欧州中央銀行の金融政策の発表を待たずに利益を確保することになるのだろう。

独第二放送を録画していたのだが、DVD版の映画「細雪」をダウンロードして改めて84年市川崑監督作品を観た。画質が良いので花見のシーンやモミジなどの風景、また着物が綺麗に映っていた。それでも谷崎純一郎の原作の耽美には至っていないと感じた。なるほど画像も美しく原作の「美しくない部分」は大まかに切られている。そのかわり何度か戦時中の状況を伝える新聞の見出しや提灯行列などが象徴的に写されていたり - これは原作が華美過ぎて、発刊禁止になった状況をも示唆しているのだろうか?、一流女優の顔が大写しになったりする。その表情の意味するところも実に曖昧なのだ。確かに原作においてもそれほど詳しくは描かれていないと思ったが、こうして映像化で曖昧が強調されるのだろう。観る者が思い描くのは、原作者の周りの女性のなにかれさんの表情か。

暗い上本町や芦屋も室内の光加減は、なるほど滅びていく旧社会を印象させて、特に箪笥梯子などの情景はそのものを映し出している。東京へと旅経つ本家の長女を見送る情景などを見ていて、谷崎が第一次世界大戦で失われた欧州を嘆いた作品を一体どれほど参考にしたのだろうかと考えた。例えばホフマンスタールなども思い起こすが、丁度大正デモクラシーから日本の1930年代をそのようなときに重ね合わせたように思えた。ここで、割愛されているドイツ人のお隣さんなど、事実関係とは別にしても明らかに、そうした重ね合わせ構造がはかられているらしく、こうした視点が欠けると西欧的な視点からは主題が分かり難くなるかもしれない。

実は前から同映画はDLもしていたのだがそのままになっていた。理由は画像がTVのそれに比べてあまり良くなかった印象があったのだ。特に花吹雪の情景などの解像度が良くなかったのだろう。兎に角、いくつかDLしていた映画を最低DVDクオリティーでダウンロードし直している。なるほど映画館では大画面でアップされても耐えられるというのはこういう解像度と相似形だったのだろう。

もともと音には関心があっても、画像に関してはそこまで興味がなかったが、映像表現として明らかに意図されているものはある程度の解像度、この場合はデジタルリマスター化などの作業が無くては、PCなどデジタル画像はどころかタブレットなどでも十分には伝わらないことが分かった。なるほどYOUTUBEなどの限界のある解像度に対して映画製作社はそれほど敏感ではないようだが、高画質の画像に対しては削除などの要請を行っているように思われる。

ここからが映像も音の世界も共通してくるのだが、それほどでもない画像や音質などのものは本来的な価値が限られていて、リマスター化などの要求に応えるだけの価値が無くて、そうしたものをブルレイなどで販売しようと思っても市場価値もないことを示している。それならばそれだけの芸術的価値があるものがどれほど市場での需要があるのだろうかとなると、これまたとても疑わしい。



参照:
川下へと語り継ぐ文芸 2007-01-21 | 文学・思想
遠のくルミーさんの想い出 2007-02-10 | 女

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