Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

情報量の微分係数への思い

2015-01-05 | 生活
オフライン五日目から読書できた。結局月曜日にはオンラインとならなかったが、久しぶりに強い陽射しがあったので、ボールダーに出かけた。岩の上に雪が残っていてそれが滴り、岩肌も冷たかったので復帰できなかった。車を止める場所も除雪車が除けた雪の囲いが出来ていて、そこに乗り込めなかった。仕方なく雪の空いている路肩に止めた。その後、他の場所も見て回ったが、林の中に落ちている雪に反射して異様な暗さがあった。湿り方はそれほどでなかったので、雪さえなくなれば登れるところは結構あった。

仕方なくその足でスーパーに向かうと、レジが行列で、要らぬものや雑誌などを見て30分ほど時間を潰したが、いつも以上に並ばなければいけなかったのは変わりなかった。2015年は金曜日が飛び石になっていたので、この五日の月曜日が本格的な仕事始めとなり、休んでばかりいる日本と同じような按配になった。

こちらはオンラインにならないと仕事が出来ないので、まだ正月休みである。それでも最初の掃除も済み、陽射しが強かったので、徐々にといった塩梅になった。明日に備えて準備を整えとかなければいけない。

森の中の道を歩きながら、やはりオフラインであると本当に外界から閉ざされて休暇気分を味わえることも初めて経験したような感じだ。山に籠るのでなく通常の旅行ならばメールやネットなどから逃げられないので、こうしたオフライン生活を改めて考えさせられる。休暇とはこうしたものでなければ意味がないように感じたのだ。

経済学者の手法に倣えば、時間当たりで情報量を微分してみると、なんとなくその価値の様なものが見えて来る。要するにネットで情報量は増えたのだが、本当に身になる情報は決して増えていないということだ。おそらくこれはコミュニュケーションの情報論でもあるのだろう。確かに現在読んでいる本も購入直後にばらばらと捲って目ぼしいところをつまみ読んだのだが、今じっくり読んでこれはと思うようなところを上手に外している。なるほどこの書籍に書かれていることはインタヴューではなかなか伝わらないところに踏み入っているから、じっくりと書き手の真意を確かめながら読んでいかないと引き付けれれるようなことはなかった。実用書めいたものをじっくり読み習慣は長い間消えている。物語だけは楽しみながら読むことはあっても、こうしたものを読むとエンターティメントの要素が強い読書と必要に迫られての表面だけの情報を仕入れる読書に別れてしまっていたような気がするのである。書き手の真意を思い描きながらの読書はエンターティメントとは呼べないものが少なくない。



参照:
揉み上げの恐怖に克つ 2014-12-28 | 生活
工業デザイン的な洗練 2013-09-20 | 雑感

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