Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

引けてから一直線

2018-01-16 | 雑感
パン屋が開いた。気温も下がったが今年初めて沢沿いを往復した。それはそれで気持ちが良かった。その前に燃料を入れた。ミュンヘンの往復704㎞で残りが殆ど無くなっていたからだが、金曜日に出かける前にもう一度満タンにしなければいけない。今回もナヴィのCDRも発見されておらずシステムが上手く動かなかったが、帰りにはニムフェンブルク城に近づく感じで昔のようにアウトバーンにアプローチ出来た。結局シュパルテンビーアの工場の前を通るようでないと、どうしても北へ北へと導かれてしまうので北側のリンクに出てしまう。中央駅前を通ってと混雑時には走り難いのだが夜中は信号もあまりない。距離的には有利で、往路のようにダッハウワーシュトラーセからどこかで北寄りに侵入してくる必要もない。兎に角、右折右折と度々北側へと導かれるのだが、シュパールテンを通り過ぎるまでは直進して我慢するのである。漸く土地勘が出てきた感じがする。以前はもっと簡単だった。

それでもアウグスブルクを抜け切るまでに一時間ほど経過していた。21時前に駐車場を出て、帰宅したのは零時前だった。比較的早く走れた。駐車料金も先払いで14.80ユーロと安くついた。但し土曜日の夕方で駐車場が混んでいたので階下まで降りて停めると、隣の車でごそごそしていた。親爺とばあさんだった。明らかに劇場に出かける前に準備していた。カーテンコールの最後まで居て、引けてから戻ってくると、隣の親爺とかち合った。ナムバープレートから「ヴュルツブルクまでですか」と聞くと「三時間以上掛かる」ということだった。「プファルツで、こちらは3時間半で少し遠いな」と答えて、「また来週」と言うと、「またここに停めるか?」とか話していた。

先方さんは上着を脱いでセーターに着替えてという感じで、全く世の中には似たような感覚の人がいるものだなと思った。ばあさんの方も靴をビニール袋にいれたものを履き替えてといった感じで、「あんたも好きね」と思った。引退している感じでもなかったので、何とか師の感じだが、態々四回来るだけの時間と気持ちがある人なのだ。自身は、最近は帰りはそのままで車を動かすことの方が多い。以前はネクタイを緩めて、お隣さんと同じように上着を脱いでと儀式があったが、これだけミュンヘン往復になれると必要あり無しがよく分かり、先ずはアウトバーン、アウグスブルク、ウルムまで、そこまで来ると残りの燃料、喉の渇きなどを鑑みて、走らせながらのバナナやお茶などを取って、帰宅までを計算する。今回は道路も乾いて、週末の交通でとても走り易かった。冬タイヤでの最高時速走行も暫くありで、その割には何とか無給油で帰宅も可能となった。それでも夏タイヤと冬タイヤの燃費はやはり違うようだ。

バイロイト祝祭の場合は殆どがお泊りなのでまた違うのだが、遠方から四回通勤はもう一つきつい数寄者である。なるほど前夜祭では並びに一つ空きがあったが、「ヴァルキューレ」ではお休みはないだろう。「ラインの黄金」のハイライトについても書かなければいけないのだが、楽譜に目を通さないといけないので、そして「ヴァルキューレ」の準備で一日一幕づつ進めても時間が掛かるので、始めなければ間に合わない。昨年の日本での一幕上演の録音も詳しく聞きたい。



参照:
ペトレンコが渡す引導 2018-01-14 | 文化一般
ポストモダーンの波動 2018-01-15 | 音

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