Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

必ずしも重力通りとは行かない

2010-10-21 | 雑感
地元の将棋大会に独日協会を代表として招待されている。招待客として最初の一手を注すことぐらいは容易い御用であるが、祝辞を述べろといわれれば一寸考える。更に地元の局といってもTVカメラが入っているとなると、スイス人のドイツ語のように下に字幕が付くのもみっともない。

独日協会連の代表が、九十年代冒頭以来の経済成長3.4%の牽引者とされるビューダレ経済相に同行して、中国、日本旅行に出かけた知らせを受け取った。ビューダレ氏はその足で再び韓国に飛んでG20 に病気のショイブレ蔵相の代わりに参加したのである。既にビューダレ大臣の発言や行動にはメルケル首相が口を出せないような状況となっていると言う。大手企業の下請けのおじさんのようにしか見られていなかった64歳の自由党のプェルツァーは連邦政府経済の大権力者となったようである。

今年の摘み取りに関する公式な第一報がゲオルク・モスバッハー醸造所から入った。それによると、1954年以降最小の収穫量であるとある。二十人が摘み取りったそれは、五月から六月冒頭にかけての開花時期の寒さによって、果実の数が減ったと言うことである。その結果、出来上がるワインは、力強く結実したものではなく、新鮮でフルーティーで華麗なものだというのである。

本日床屋で収穫やグランクリュの価値などについて話をした。最近はこちらも話す内容がなんか特別専門的な内容になってしまっていて、気をつけてものを話さないと影響力が及ぶ可能性が強くなったと感じた。基本的にはここで書いているようなことを言い方を替えて話しているだけなのだが、迂闊なことはいえない。旧ダインハールトの立て替えられた醸造施設は、フランスで流行っているような重力式の醸造行程を利用するもので、ポンプを使わずに瓶詰め?まで出来るのだろう。しかし、その瓶を上に持ち上げなければいけないだけでなく、最初に摘み取って急いで絞りたい葡萄を上へと持ち上げるのも必ずやストレスになるに違いない。

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