Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

フラメンコの巷のほこり

2005-12-29 | 生活
芝居が退けてから、スペイン料理を採る。予定通りの行動であった。いつも行きたいと思いながら、なかなかここで食事をする機会が無い。何時もながら大変満足出来た。未明迄食事の出来る数限られる店であるばかりでなく、料理の内容も雰囲気も良い。通常の営業時間だが結構楽しめた劇場前の高級ヴェトナム料理店が無くなったので、今後は市内ではここが最も馴染みである。

この店で楽しめるアンダルシア料理の魚は、如何しても見逃せない。パエリアなども良かったが、未だ肉類を充分に試していないので、何れはこれも試したい。劇場客をターゲットにした近所のイタリア料理などと違い、スペイン人客が多い事で分かるように庶民的な雰囲気が良い。カウンターやインテリアや照明なども古びた感じで、落ち着きと独特の生活観が満ち溢れている。イタリア料理も本格的な家庭料理や簡易な食堂があれば良いのだがなかなかドイツにはない。

ベルリンやミュンヘンなどでも劇場の近くにはこのような店があるが、意外に良い店は少ないような気がする。オペラ帰り客を当て込んだイタリア料理などは、高くてもそれほど良くないのが一般的だろうか。オペラ帰りにフラメンコの実演は其れほど愉快ではないが、芝居帰りに暗闇で爪弾くフラメンコギターを背に、魚の取り合わせの皿を赤のリオハと食すのは心地良い。

レストランの客層に見る様に、オペラと芝居の客層は大分異なる。オペラの聴衆は舞台の下は枯れた老人が主体で、其れに比べると芝居の観衆は断然若い。平均年齢にすると、20年ほど違うだろうか。劇場によっても違うだろうが、州立劇場や市立劇場の最も保守的な劇場ですらこれほどの差がある事から、欧州のオペラは今後20年もすると消え伏せる常連客と共に朽ちて仕舞うのかもしれない。それとも老人オペラ劇場などと言う舞台で、毎晩のように死臭を燻らすのだろうか。

シラー没後200年記念の年の瀬に、作家に所縁あるマンハイムのナショナル・テアターで「ウイリアム・テル」を観劇した。当日券は、殆んど完売であったようで、廉い席は既に売り切れていた。我が子の頭上の林檎を射抜くシーンがあるからではなかろうが、子供連れも多かった。

これはシラー最晩年の作品でもあるが、多くの芸術家、特に音楽家の最晩年の作曲若しくは白鳥の歌となって深く関わっている。この戯曲は、ロッシーニの最後のオペラにもなり、ショスタコヴィッチの最後の交響曲にも「トリスタン」や「神々の黄昏」等と共にテル序曲の有名なファンファーレが使われている。今回の上演では、ハンス・アイスラーの白鳥の歌である舞台音楽が使われている。

本年6月4日に新演出上演された「ウイリアム・テル」は、大ベテランのトーマス・ラングホッフが没後200年記念の特別公演の為に演出した。最近、ラングホッフ氏はオペラの演出を手掛ける事も多いようで、本年はミュンヘンの劇場の「マイスタージンガー」の日本公演での不評が伝えられて未だ耳に新しい。(開かれた平凡な日常に [ 文学・思想 ] / 2005-12-30 へと続く)

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