Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

皇帝のモハメッド批判

2006-09-16 | 文化一般
レーゲンスブルク大学での教皇の講演発言がイスラム世界で問題となっているらしい。今回のドイツ訪問でのメッセージは、カトリック教会を欧州のものとして他の世界と切り離した考えに基づく、ミサでの発言や言動が基本となっているようである。ヴァチカンの新方針と言うか、旧世界に根を下ろした宗教として、その文化の核として欧州と心身ともに一体化するのが目的であろう。

さて問題の発言は、理性と信仰の対話の中で、ミュンスターのコウリー教授の著したビザンチンの皇帝エマニュエル二世とペルシャ人との対話内容に啓発されたとして語られる。

つまり1391年、アンカラにある冬の館でキリスト教とイスラム教が対比される。そしてコンスタンチノーブルで聖書とコーランの全域に渡って、神の姿と人の姿が、また新旧のテスタメントとコーランの掟が対話の中で交換されていく。

その中の七話にて皇帝は聖戦ジハードを話題とする。皇帝はもちろんスーレには信仰は強制ではないように記されていると承知していたが、その当時はモハメッドも力なく圧迫されていたころのことである。皇帝は、書の所有や非信仰者に対する扱いの細部を受け入れることなく、驚くほど毅然とした態度で「信仰と暴力」の中心的疑問に立ち向かったと言う。

「モハメッドが一体何を齎したか示してみなさい。そこにはただ非人間的で邪悪なものを見出すだけだ。それは、彼が剣にかけて説教をして創設した信仰なのである。」。

ここで皇帝は、暴力による布教の不毛を説いている。もちろん現教皇がこれを語るときは、十字軍運動などの婉曲的な自己批判でもあるのだろうが、主旨は全く別な所にある。信仰の理性を説くことがここでの主題であって、その基礎に先ずギリシャのロゴスを置く。

つまり、キリスト教の基礎にギリシャのロゴスを置くと同時に、その後の脱ヘレニズムの経過を説いている。16世紀の宗教改革における脱ヘレニズムを、そして19世紀20世紀の脱ヘレニズムを示す。

「神に対して耳を持たない、宗教をサブカルチュアーとする理性は、文化の対話には役立たない。」―

「そこで私が指し示そうと試みているのは、現代の自然科学的理性が、そこに有するプラトニズム的要素そのものが疑問を呈していると言う、その方法論的可能性を証明する事なのである。」

そして、最後に再び、西洋が自らの理性の翻意に苦しめられており、それがただ大きな被害を齎らすこと、更なる理性への勇気と、偉大なもへの非拒絶、そうしたものが信仰に必要な神学を現代の議論に持ち出すプログラムなのであるとする。

「理性の延長線上に、この偉大なロゴスに、文化の対話として他者を導こう。」として、異文化との対話として解釈できる。モハメッド批判は上手に皇帝の発言の引用となっていて、これはヴァチカンの言葉ではない。これは幾らイスラム世界で批判されても謝りようが無い。

実は、結論の前に敢えて、一節を挿入して強調している。それは、現在三度目の脱ヘレニズム化が進んでいるとする見解と、マルチカルチャー時代に、人はギリシャ文化との合成を異文化へのキリスト者の最初の教化とする考えについてである。

「この背景には、新約聖書のメッセージそのままに、各々が教化されるのを避けると言うような権利があるとする考えがある。この考え方は、決して全くの誤りではない。ただ、いささか大雑把過ぎて正確ではないだけなのである。新約聖書はギリシャ語で書かれていて、旧約聖書にて熟しているギリシャ精神を有しているのは当然なのである。古代教会がなり行く過程において必ずしも全ての文化に当てはまるものを抱合して行った訳ではない。」。

また、プラトニズムスやカーテニアニズムスと経験論間の合成のなかでの技術的成果を現代の理性として手短にまとめ、一方においては言う所の内的な合理性が物質の数学的構造を前提としていて、そうした形態を扱いやすくしているので、カントが信仰を実践理性に閉じ込めて、現実全体に理性を定義したとする。

こうして語られる内容は、決してイスラム社会に向けられたものでも古い神学的解釈でもなくて、今日の文化・文明論であると共にむしろ政治的な意図を多く含んでいる。



参照:テヘランからの恋文 [ 文学・思想 ] / 2006-09-15

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テヘランからの恋文 | トップ | 思いがけない見もの »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (助六)
2006-09-17 05:44:52
教皇のレーゲンスブルク講演ですが、私はルモンド紙が出した長文の抜粋で読みましたが、これはヴァチカンのオフィシャル・サイトで発表されたイタリア語版からの仏訳とされています。教皇は講演は何語で行ったのでしょうか? ラッツィンガー氏は伊語は勿論、仏語もお上手ですね。



教皇は今日16日に謝意を表明したものの、15日までは返答を敢えて控え、ヴァチカン外交担当者は、教皇発言は文脈から切り離されて曲解されているとし、同発言が反カトリック論調に利用されていることを批判していました。



イスラム世界は、教皇発言の要点を、

1) イスラム教は理性の営みを排除している。

2) そうしたイスラム教本来の非理性的性格と、現今のイスラム原理主義勢力の暴力とは関係がある。

ことと捉え、1)は事実に反し、2)については「原理主義的暴力」が存在するとしてもそれは「本来的イスラム」とは無関係で、強硬発言は「イスラム教」と「原理主義イデオロギー」を混同しているとして教皇発言に異を唱えたということだったかと思います。



レーゲンスブルク講演を読む限り、仰るとおり、教皇は上の1)も2)も言っていませんね。当該箇所は、ビザンツ皇帝のイスラム観(暴力による改宗)についての校訂者コウリーの注(イスラムの神の意志は理性的カテゴリーにさえ従属しない)を敷衍引用した部分で、ビザンツ皇帝とコウリーのイスラム観の是非については教皇は何も述べていないからです。この限りでヴァチカンの「文脈逸脱・曲解」批判はまったく正しいし、事実関係は調べてませんが、イスラム世界による発言の何らかの「政治的利用」があった可能性もあると思います。教皇講演を読まずにイスラム世界の反応(アルジャジーラあたりが震源?調べてませんが)に乗ってしまった西側メディアの報道も思慮を今ひとつ欠いたかも知れません(ルモンド社説も抑制を欠くとして教皇発言に批判的でした)。

確かに、教皇の講演は「理性」の営みが優れて「ヨーロッパ的」なものであることを強調する「比較文明的視点」(+西欧世界の優越?)も含んでおり、教皇がビザンツ皇帝とコウリーのイスラム観を暗に肯定しているキライはあると思いますが。



多くの論者が直ちに指摘したように、イスラムと理性主義が相容れないものでないことは、古代ギリシャ科学の継承者は12世紀まではアラビア世界であったこと、アリストテレス的主知主義の中世における最大の継承者は13世紀のトマス・アクイナス以前は、アヴェロエス(イブン・ルシッド)らイスラム神学者であったことを指摘すれば充分でしょう。但しこの主知主義的傾向はイスラム神学において遂に本流にはなりえず、1492年のグラナダ陥落以降は決定的に後退してしまったことも直ちに付け加えなければなりませんが。

この講演の知的目配りの広さから類推してもラッツィンガー教授が、こんな哲学・神学・科学史の基本常識を知らなかったとは思えませんが、個人的には、ドイツにおける教皇講演という極めてメディア的・政治的場で、いかにも悪用されそうな引用箇所について、明快な補足と立場表明が欠けていることにも首を傾げざるを得ません。



講演全体としてはキリスト教内部に常に存在し、存在してきた反合理主義的契機に対し理性主義の側から再び警鐘を鳴らし、「自然科学的合理性」と「宗教的理性」の関係を今一度問うという「耳タコ」の内容で、14世紀末の「ビザンツ皇帝とペルシャ文人の対話」という「哲学文献的OVNI」を引っ張り出してきたところが眼を引くわけですが、この文献が講演全体の主題(キリスト教的理性)からすればとりあえず付論に属する「イスラムの非理性」という「挑発的」テーマを含んでいることは、1)講演の置かれた文脈、「伝統主義者」のレッテルを貼られている教皇の立場からすれば、全く素朴な選択とも断言できないフシがある。2)にも拘らずこの論点については、言及したという以上の分析・説明はなく、「何となくチラリと触れた」に留まっている。この2点が、この講演の知的バランスと迫力を些か薄っぺらいものにしているキライがあるように思います。



因みにラッツィンガー教授主宰の反公会議派雑誌「コンムニオ」の仏版は、マリオン、ブラックら、エコール・ノルマル・サークルの錚々たる現象学・哲学史研究者を擁しています。

返信する
本来の発言の趣旨 (pfaelzerwein)
2006-09-17 07:37:23
発言の反応や意義について考えていたところでした。いつものようになかなか不慣れな内容が多く容易に纏まらないのですが、このコメントに沿って幾つか覚書として箇条書きしていきます。



講演は大学の神学学生教授を中心に行われているのでドイツ語と承知しています。FAZなどはこれを全文取り上げています。



余裕が無くて十分に確認出来ていませんが、一部の英文訳などは多少違う意訳をしているようです。しかしトルコあたりの反応を見ると内容の勘違いと言うことではなくて、だからこそ「問題」なのです。



「ヨーロッパ的」=西洋的なものの強調と危険性の喚起を、非西洋的な鏡にも映してみて、更に歴史的な姿をもそこに映すわけですから、そこに映っているものは何かと言うところに発言趣旨があるでしょう。



イスラムとイスラミズムの相違なども言われていますが、その辺りのすれ違いではありませんね。メディア操作の問題やデマゴークも感じましたが、主にイスラム圏の現地で専門的にオーガナイズされていると思われます。当然のことながら、本来の発言の趣旨から世界の目を避けたいと言う立場があるに違いありません。



少なくともイスラム圏の反応が無ければ、講演内容自体に意義を唱える要素は無かったと思います。この訪問期間を通じて一貫しているので、間違えて解釈される余地は無いからです。



「イスラム観を暗に肯定」-これはポイントですから、軽率と言われても、ここは何らかの形で表さなければ話の骨子が形成されない。十字軍では趣旨から外れる。皇帝とペルシャ人学者の対話は中々良い設定ではないですか?



述べましたように、決して素朴な選択ではありませんね。そしてこうした騒ぎになって再度確認されたこともあった筈です。



そうした状況を全て鑑みて批判もある訳ですが、評価も出来ると言う事で纏めてみたいと思っています。
返信する

コメントを投稿