Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

半日の作業で得たもの

2009-01-11 | 
夜中から明日のお昼過ぎまで半日以上掛かった。途中、就寝して二度の食事時を挟んだ作業で得たものは採り立てて言うものではないが、YOUTUBE以外にも数多くの動画サイトがある事を知った。

それらのサイトではより圧縮率の高い画像を使っていてそのために新たなコーデックスが必要となったのである。二つ三つの動画をダウンロードしただけであるが、新しいソフトを使うと従来のflvのデータも画面一杯に拡大して見れることができるようになったのはお徳な気がする。そして拡大しても画像が乱れないのは驚きである。

いづれにしても、ダウンロードしたものを置いておいてもそれほど観る訳ではないのだが、場所があれば保管しておきたいと思うだけのけちな根性なのである。

こうなるとどうしても観直してしまうのが指揮者フルトヴェングラー登場の国家社会主義ドイツ労働者党のプロパカンダフィルムである。それにしてもヴァーグナー作曲「ニュルンベルクの名歌手」のベルリンのAEG工場内での映像は完璧な出来である。

世界大戦の敗戦からある程度の期間を経て再軍備を契機に生産的となった思慮深い国民が、自らの歴史的な職人気質と誇りで以って物作りに励む強い意志が、こうした生産的でもありながら同時に歴史的な繋がりに必然と身を委ねることの出来る充実感に満ちているような熱気が巧く表現されている。継続する音楽文化の伝統の延長線に機能的であり職能ギルドである管弦楽団が自らも憑依したような指揮者の下、人々の各々の心に音楽の情動を以って語りかけるのである。誰がどんな文化的な批判で抵抗が出来ただろうか?出来るだろうか?これほど完成した音楽文化の威力を見せ付けられては、ただ頭を垂れるしかないのである。

ケント・ナガノが最近のインタヴューに答えて、合衆国とは異なりドイツではまだまだ音楽が社会的な関心事であるから、ミュンヘンの重要な機関に勤める前に充電期間を二年間取って社会や文化をそして最も重要な言語を猛勉強したと語っていた。「一人のバイエルン人」として、ミュンヘンで騒動を起こしたいとの意志を持っている。インタヴュアーの言うように「1954年のフルトヴェングラーの死を以って、指揮者が社会を体現する時代は終わった」と明示するのに対して、海をこよなく愛する家庭では日本語を使うこのスター指揮者は、個人の人格の中にそれを見出すのではなくて、正しく社会になにかを示すものだと考えているようである。

芸術の創作の質と同時に、卵が先か鶏が先かは判らないがそうした芸術を通じての社会とのコミュニケーションの仕方が変わって来ているとも言えなくもない。ネットに見つけた動画とその商品のコンセプトではないが、「ベルリンのフィルハーモニカーがナチを体現している」と言うよりも、ああした「演奏会の形態や管弦楽団の機能自体がそのコミュニケーション能力を伴ってファシズムの頂点にあって開花」したと考えた方が自然である。

それは音楽芸術の直裁的な効果であり、ヴィデオ整理をしながら、これまた完璧なトリノでの荒川静香のフィギュアスケートの回転の早さやその重心の移動を凝視しつつも、プッチーニの旋律の威力に感じ入ってしまうのである。

映像と音楽の関係が、ニュルンベルクのマイスタージンガーとトリノのマエストリーナにおいて共通しているものがあるのに気がついた。全く主旨も制作方法も異なる映像ではあるが。



参照:
The Reichsorchester - The Berlin Philharmonic and the Third Reich
Die Meistersinger in 1942,
Die Meistersinger in 1942/Nachrichten (YouTube)
大脳辺縁系に伝わる記憶 [ 文化一般 ] / 2009-01-06
感受性に依存する認知 [ 文化一般 ] / 2009-01-03
人道的公正への感受性 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-02
PC飲酒運転の事後処理 [ アウトドーア・環境 ] / 2009-01-10
無兜・飲酒への恐怖 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-08

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