Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

世相を反映する歴史的事実

2016-08-01 | 歴史・時事
バイエルン州立劇場のシーズン終了のオープンエアーが中止になった。先週のミュンヘンでの銃殺事件とその祈祷に伴なって、中継も無くなり、秋に順延された。テロの危険性もあることであり当然の判断だろう。映像の中継を楽しみにしていたので残念だが、どうせ録画は他の人がしたものをDLするだけだから別に何時でもよい。

緑の党の党首オェツデミールとクレッチマン首相のインタヴュー記事を読む。エルドアン政権とその支持者が日曜日に計画しているケルンでのデモ行進を前にしてのものである。同時に頻発している難民が引き起こしているテロ事件に関してである。重要なのはドイツ国内のトルコ系市民の動向であって、三万人が集まるという集会への状況分析である。そうした中で、「大人も子供もデモクラシーを叫ぶトルコ人の異常さ」をトルコ系ドイツ人の党首は力説する。

読後の印象としては、更なる動きによって状況が変わるということでしかないだろう。恐らく、警備当局などは慎重にテロ事件等を防ぐことでしかないが、それに関してはバーデン・ヴュルテムベルクでは緑の党とキリスト教民主同盟の連立条項として警察の強化と未然に防ぐための方策が取られているので、その方向で過激な事件を防御出来るというものだ。つまり事件を起こす者の殆どが暴力等の前歴があるというのだ。それでも車で人を轢くというような行為は避けられないとされる。政治的にはエルドガン政権に厳しく対処することと、トルコ外交部の申し入れであるギューレン一派への弾圧には一切協力しないということである。

外交的には東京のそれも同じような対処となるだろうが、ドイツ連邦共和国は学術関係者などのトルコからの難民申請を当然のことながら積極的に受け入れていくことになる。政治難民を受け入れるのは当然のことであるが、恐らく日本政府は上手に誤魔化そうとするのだろう。

外交関係などにその国などの置かれている状況が歴史的にみても需要な視座となることが多いが、同時にその社会でなにが起こっているかもその時代の雰囲気とかを伝えることになる。どうしても日本とトルコとポーランドなどを同時に比較してしまわなければいけなくなっている。

フランシスコ法王がアウシュヴィッツを訪問して、またクラカウで先々代とは全く異なった受け入れられ方をしているとされる。先々代は超ポーランド人としての立場が法王の立場よりも地元ポーランドでは大きかったする意見がラディオでは伝えられていた。民族主義的な政権下では今後EU離脱の国民投票への流れも大きくなってくるだろうが、国民自体が徐々ながらも繁栄を享受している九割のカトリック信者がどのような影響を受けるのだろうか?とても危険なのは、従来の宗教的もしくは倫理観などが世界中で薄れてきていて、中近東なども含めて、嘗ての枠組みがタブー化されてきていることである。

世相として、日本の障害者虐殺事件は、そのもの東京の政府や首都の雰囲気を歴史に留めることになりそうだ。優性保護、外国人迫害と益々東京は世界から孤立していく。これまた本音のようなものを漏らすことでタブーを打ち破っていくようなポピュリズムが世界を席巻していて、そこでは真っ当な議論などはもはや通用しない。東京都民はもはや恥を知らない。世界のそこでの投資意欲は更に減少する。いずれ東京オリムピックボイコット運動も起きて来るのではなかろうか。諸般の事情から日本とトルコの原子力協定はご破算になる可能性が出てきたのではなかろうか。少なくともその方向に進むべきだろう。



参照:
Wir sollen die Verhandlung sofort auf Eis legen, Winfried Kretschmann, Cem Özdemir, FAZ vom 29.7.2016
日本の問題、世界の問題 2016-07-23 | 歴史・時事
民主主義を叫んだ独裁体制 2016-07-22 | マスメディア批評

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