Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暈けた写真を撮ってみる

2014-12-16 | 雑感
ドレスデンでの反イスラム集会は大変賑やかだったようだ。ラディオでその報告の一部を聞いた。フェースブックなどのSNSの威力が大きいとされる。週末は十分に走れなかったので久しぶりの陽射しを浴びて峠まで走った。足の疲れを確かめながらゆっくりと走った。だから22分3500歩は感じからすれば早過ぎるが、降りてきて37分5980歩であるから、その通りなのだろう。天気が良かったので初めて、ポケットにカメラを入れて走りながら横に向けて写真を四枚撮った。

最近はやっているアクションカメラの一種で、広角で動きながら写してみた。十分にシャッター速度が早ければ使える写真が写るかと思ったからだ。実際に四枚とも完全にぶれているのだが、ソフトフォーカスのようにまるでデーヴィット・ハミルトンのヌードのような写真になった。250分の一秒で、F3である。悪い眼鏡をかけて走っていれば、丁度それぐらいの視界しかないのである。要するに見たとおりの視界を記録できればそれ以上に立派な写真は無い筈だ。これはまたゲルハルト・リヒター風ではないリアリズムだ。

ヴィデオと写真では違うが、写真のイロハである被写界深度の調整によって、写したいものを際立たせようとするあざとさとは反対にある広角によるぼっけっとした視線の印象を写す方法が流行っているということになるのだろうか?それは望遠よりも広角の携帯電話カメラやコムパクトカメラの高性能化とも関係しているのかもしれない。勿論ズームや固定焦点の望遠などがそこに用意されているのだが、二十倍もの望遠になると肉眼で同じように観察している人は余程遠視の人ではないだろうか?寧ろ双眼鏡で覗いた条件を固定化するという手段に使われているのだろう。

自分自身にとっては、ライカM3などにおいてもポケットに入ることがカメラの基本だと考えているので、ズーム付きのコムパクトカメラ以外にはなかなかその要求にこたえてくれるものがないのは事実で、出来る限り広角でぼけっと写ってくれるものがあると面白いと余計に感じるようになった。ランニングのいつも持ち歩くことは厄介であるが、こうしていつもの峠からの下り道を走りながら写してみて、殆ど魚眼のような光景が撮れていて驚いている。難を言えば、上下感が今一つ曖昧なので不満なのだが、もう少し暈けた写真を繰り返し撮ってみたいと思っている。



参照:
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評
歴史的毛皮の争奪戦歴史的毛皮の争奪戦 2012-02-11 | 文化一般

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