日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

集合住宅の臨時総会を終わる

2021年10月24日 | Weblog
 こんにち。
 少しずつ毎日寒くなってきました。雨がふれば、身もちぢむ思いがします。風も北風が吹き始めるようになりました。晩秋でもないですが、今週12月初旬の気温がありました。夕方、少しずつ暗くなっていく通りから『月の砂漠』のメロディーが聞こえてきました。そろそろ灯油販売の季節でもあるようです。どうりで、寒いわけです。 



『期日前投票に行って来ました』
 公示された週、近くの投票所に行ってきました。投票日は31日ですので、「期日前」という事になります。
 今年はいつもとちょっと違っていました。投票所に並ぶところは同じなのですが、その列が長いこと。待つこと30分。自分の番がきたので、候補者名、政党名、最高裁国民審査の3種類の投票用紙を投票箱にいれてきました。正直なところ、私の推す候補者はいませんでした。それでも、それに近い「野党共闘組」の候補者にしていました。政党名はもちろん弱小政党の「社民党」を記入してきました。(なにか、消えそうで不安です)最高裁の国民審査は、これはもう雲の上の人たちのようです。それでも、なぜか最高裁までいくと、判決が引っくり返される裁判が多いことを考えてみました。それで、×印の多い投票にして入れて帰ってきました。

 とにかく「政治」ということにうといのが正直なところです。なんにつけ、愚痴ばかりが多くなる日々です。
 今年は、新型コロナでもあったので、ワクチン接種などで日々不安はつきなかったと思います。当初、市内の医療機関にワクチン接種の電話しても「とてもじゃないがつながらない」と思ったやさき、他の区域でも同じようなことが起きていました。
 これまで国会審議などで与党の法案を出しては、ことごとく法案を成立させていた、あのスムーズさは感じられませんでした。なんとも、国民の命などなんとも思っていないようなことも感じてしまいました。
 とくに、権力者というものは自分のこととなると、いの一番に、強行に、暴力的になっても強行するようなtころがあるものです。さすがに、日本では、武器を持った軍人がクーデターのようなないようですが、それに近いようなことはもう始まっているのではと、心配になります。

 来週には、選挙の大半がきまるのでしょうか。
 みんな政治が悪いとは思いたくありませんが、ここにきて、少なくとも、税金を国民のために使ってくれるところが当選してくれたら、と思います。



 早いものですね・・・。
 1年前に引き継いだ理事でしたが、今日、総会がありました。これまでの報告と来期の予定を話し合ってきました。参加している人たちを見ているとさすがにみんな老けてきました。住居も老いるが住居人も老いていくことを痛感していました。

 一年って早いものですね。昨年のいまごろコロナ禍の中、総会を開催し理事になったと思っていたらもう終わりです。
 2ヵ月に一度の理事会の集大成の総会が今週ありました。この一年間の運営状況と来期の予算を提案する総会です。
 ・・・とはいうものの、雨もりの修理、警報機の修繕、水道水のにごりなど毎月、追いかけられるようにやっていました。なぜなら、修理しなければ住めなくなってしまう居住者のための理事会です。
 正直なところ「管理組合」とは名ばかりで、結局、管理会社がほとんどをやっているのが実情です。ただ、便宜上、理事会は管理会社の提案を承認するようなところになっているようにも思えた一年もありました。理事長は、修繕に費やされた管理費への承認印を押すだけの人にも思える(実際、私はそうでした)。
 だいだい、住んでいる顔が見えない、共同住宅も考え物だと思うこともある。
 挨拶すするのは、同じ階に住んでいる人くらいがいいとこなのではないかと思う。総会で、「見たこともない顔」の人がある。でも実際は住んでいるのだから同居人ということなのだろう。それにしても・・・。
 だいたい他もこんなものなのだろうか。
 理事会の一年が終わって考えさせられることは多々あった。
 自分の住んでいるところで、共有部分あるいは、個人で借りている部分等など。一つの土地をめぐってたくさんの人の利用があるものだ。それを誰が管理してまとめていくのか、さらには、もっと住みやすい場所にしていくことが必要なのではないか。
 それには、もっと個々人の事情が語られなければならないのではないかと思った。どんなことであれ、生きている人間が住んでいる場所だ。たくさんのことがあるのだろうと思う。


★突然、パソコンの電源が落ちてしまいました。
故障のようです・・・。
 しばらく修理に出すようになります。
 困った!!。困った????。
 読んでくださった方ありがとうございました。

★復旧は不明です。しばらくお待ちください

秋風ふく中・・・勝手に解散、総選挙へ始まりました。

2021年10月17日 | Weblog

 こんにちは。
 ひごとに涼しくなってきました。街路地で鳴く虫たちもいちだんと大きく聞こえるような気がします。雨あり、風あり、ときどき雨のなかで季節は冬に向かっているようです。木々の葉も紅葉しては落ち葉になっていっています。
 新型コロナ感染も、報道などをみると日ごとに少なくなっていることがわかります。本当にそうなのか、そうでないのか? 心配なとことはあります。
 観戦者の数字は単なる数字ではなく、ひとつひとつの数字のなかにはいろいろな物語があるのでしょうから複雑です。多かろうと少なかろうと、一つひとつの中には感染者の苦労があるのでしょう。それが、どんなものなのかもっと報道してほしい気がします。季節は、寒くなると乾燥してくることでもあるのだろうし「第6波」がないということは絶対になくはありません。



 季節は、少しずつ寒くなってきました。季節の変わり目は「老い」にとってはいちばんきつい時になってきたように思えます。事実、体の節々が天気予報よりも敏感に天気を予測させてくれるようになっていました。
 私の場合、雨が降ろうとしていると、体の節々が痛みが増してきます。さらには気持ちが落ち込むような時が多くなってきたように思えます。今週の忙しさから、週末には体がグッタリとしていました。こんなときは、これまで通り散歩にもでるにもしばらく時間がかかるようになってくるような時もあります。
 「これは病気の前ぶれかなー」と思えることもあります。それでも、ゆっくり、自分のペースで動き始めると、じょじょにいつもの動きがよみがえってくることがわかります。

 とはいえ、寄る年波には勝てません。いずれ、自分のからだが老いによって動かなくなるのでしょうか。そのときのために「介護保険」はあるのはわかりますが、できれば利用したくはないのでしょう。「自分は大丈夫」と言いきかせても老いは着実にすすんでいるだなーと思います。
 記憶もさだかでなくなってくるのでしょうか。
 いずれにせよ、生き物はいつか終わるものです。それが、生老病死のなかでどうなっていくのか、「死神」ぞのみ知っていることなのでしょうか。しかし、死神だって好きでそんな名前があったのではにのでしょう。

 今週亡くなった柳家小三治さんの落語に「死神」というがあります。家にかえれば妻から金の催促をされ、うまくいかない男が死んでしまおうとしていた時、ひょんなことから死神と知り合いになる。その死神は、男に人の命には寿命がることをいう。死神は男が死んでしまう前に一つの仕事を紹介します。その、仕事というのは、病にふせっている人の病気をなおすことでした。その仕事によって男、一夜にして大金を手にいれます。その結果、大金をもとに夢のような贅沢な生活を送ることができます。あるとき、仕事をすべく病人の枕元にいた死神は仕事を紹介してくれた死神でした。その病人は寿命がつきるはずであったものを、男の策略によって直ります。ところが、死神は、怒ってしまいます。
男は、大金をもらいさらに自分の寿命をもっと長くしたいという欲求がでてきました。しかし、これまでの贅沢によって、自分の寿命がわかるローソクの長さがいまにも消えそうな、小さな炎をあげていた自分のローソクをみてぼう然とします。

 自分の人生を不相応な形で手元においても、その人の人生ではないのですから後悔ばかり残るという話なのでしょうか。生命には、順番があって、いずれ誰かが消えていき、その代わりに誰かが誕生する・・・という繰り返しです。さらにいえば、自分の命は誰がの命が削られて、誰かの命は自分の命を削っているようなところあるのだろうと思います。
 それに逆らっているということは、本来の命の大切さ(?)が消えていくようにも思えます。
 病気であれ、事故であれ、寿命であれ、その人の人生最期に思うことは何でしょうか。ただ、突然できあがるものではないのでしょう。一夜にしてできるものでもないのでしょうか。落語の「死神」にはそんな戒めのような噺だと思います。



 寒くなってきました。
 2カ月ぶりの散髪屋さんからの帰り道は、雨模様でした。傘をさす姿も雨の冷たさと一緒になんとなく寒さを避けるような足どりに写ります。
 文房具屋さんには来年のカレンダーやら手帳などもありました。いよいよ今年も年末にむかって突き進んでいくように見えます。
 アルバイトという雇用形態も来月をもって更新になるのでしょうか。不安定な日々です。でも65歳すぎての雇用ですから仕方がないのでしょうか。少しずつ仕事からも離れる計画も必要なのかもしれません。

 そして、衆議院が解散しました。来週には「告示」がって月末には「投票」の予定です。コロナ禍のなかどうなるのか思っていましたが、感染者数も少なって、ここで一気に与党が賭けにでたような感じがします。
 とはいえ、あいかわらずのばらまき政策というか、うまいことを言って政権維持を続けていくような様子でもあります。一つに「分配と成長」という岸田首相が所信表明ではえらくいいことを言っていました。ところが翌日には「成長があって分配」になっていました。まったく、いいことを言っていても信じられない状況は、昔も今も同じようです。
 ルソーの「社会契約論」に「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる。自由であるこの短い期間に、彼らが自由をどう用いているかを見れば、自由を失うのも当然と思われる。」ということを思い出します。選挙期間中は、国民に深々と頭をさげる国会議員がいざ当選してしまうと、国民の声など無視して次々に法案をつくって、税金を使っていくこれまでのことを思えば、「納得」の名言だと思います。事実、これまでの報道っされてきた「コロナ対策」「桜をみる会」「森友問題」「公文書改ざん」などは野党に一つも説明していません。けっきょく、本当のところは「やぶの中」状態です。これでは、本当に国民の税金の使い道が不明になっていくのも時間の問題でしょうか。

 まさに、こうなならいために真剣に有権者の一票を考える時間になればと思います。



 10月も終わりの声が大きくなってくると、仕事も忙しくなってきます。
 来週は、月刊誌の締め切りもあり、週末にはマンションの総会もあります。なんとも疲れる週になりそうです。それでも、今月で理事もおわりホッとしています。
 ほとんど管理会社まかせの理事会でもありました。本当のところこれでは、あまりいい理事会とはいえないのは反省するところです。なにか、引き継ぎに残せるテーマをさがして終わりにしようとしたいものです。
 今週はこんなところで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

秋風に吹いてきました。…震度5強に驚きました。

2021年10月10日 | Weblog
 こんにちは。
 ますます、朝夕が涼しくなってきました。日の短さも感じることができる10月です。朝夕は、たくさんの虫の声が聞こえるようになってきました。この声もあと半月もしたら聞こえなくなってくるのでしょうか。秋は何につけ寂しい気がします。休日に歩く散歩道にもたくさんのコスモスが花を咲かせていました。金木犀の香もしています。「やっぱり、秋到来」でしょうか。・・・ということは、これから寒くなって来るということです。寒さに弱い身としては、できれば半年ばかり冬眠したい気にもなります。夕方の暗さは、寒さも感じます。

 「緊急事態宣言」が解除されて1週間たちました。その時を待ってか、100代目の首相がきまりましたね。コロナ禍のなか野党の臨時国会召集にも無視をきめつけ、やりたい放題のなか政治が進んでいるようです。野党もだらしがないことも分かりますが、それにしても与党のやりかたも異常なように思えます。その100代目岸田首相の施政演説方針の内容を読んでみました。「国難」「新しい時代の資本主義」「成長の分配と好循環」という言葉が乱舞していました。いったい、本当にできるのか・・・。それでは、これまでの政権政治ははいったい何をしてきたのだろうかという気がします。反省がない表明は、信じられません。
 まずやることは、野党の臨時国会の召集ができなかったことへの説明からでしょう・・・。それらを語らず、淡々と表明しているニュースにも不安を感じます。
 今後は、「国会解散」からいよいよ総選挙が告示されるようです。選挙は、国民が参加できる政治参加の一つです。どんな政策が出てくるのでしょうか。


 何か揺れるのを感じながら寝床にいた。
 小さいな揺れがけっこうながく続く・・・。まだ、おさまらない・・・。とうとう起きてみたら家族も起きてきた。「地震だ」という声がきこえた。テレビをつけて見たら、「関東地方に震度5強の地震」の放送をしていた。まだ小さな揺れが続いていた。揺れがおさまっても、しばらく眠ることもできず、あさい眠りのなか「明日は大変だろうなー」と思った。

 地震といえば、ここ10月になって頻繁だ。6日、青森で午前2時ごろ、震度5強を観測する。さらに、鹿児島・宮崎で震度4を観測している。7日、午後10時半ごろ震度5強があったいう。なんとも多い。震度5強の地震は、東日本大震災以来5回目を数えるそうだ。
 日本気象協会によると、今年の初の「震度5強」以上は2月13日に宮城、福島県で震度6強も観測している。
 そろそろ来るのかな・・・、と思えてしまう。

 翌日、あんのじょう電車がすべて遅れていた。なかなか動かない。動いたものの速度を落としいるためなかなか目的の駅にはつかない。満員の電車のなかで「これは密でしょう」と思うことなど「どこ吹く風」状態。ようやく到着したときは、倍の時間がかかっていた。職場の人たちも路線をかえたりしながら来たようだ。首都圏が災害にいかに弱いのか露呈した時間だった。
 
 南海トラフの首都圏直下地震を思いうかべた。そうなったら、首都圏は動くこともできなくなるだろう。せめて、自宅であればいいのだが、無理かなーと思う。
 自然災害は仕方がない。こればかりは、予測するのは気象庁でさえ無理だろうし、政治に期待するが、これまで政治がコロナ対策でやってきたことをみれば期待することさえむなしくなってしまう。それでも、その政治にやってもらわなければと思います。災害によって、人間不信に陥らないような形をどうつくっていくのか、100代目の首相にはがんばってほしいものだと思う。

「戦争に強い国」より、これからは「災害に強い国づくり」が大事だろう。
 都知事であれ首相であれ、責任者としてこれからの国づくりの基本だろう。けっきょく、最後は弱者(幼時・高齢者・障害者・男女差別される側など)が痛い目にあわないようにしてほしい100代目であると思うのですが。



 今週、いちばん身近なニュースがあった。
 愛知・三重・福岡で年金通知97万通が誤送付されたという。自分の年金額を知らせる「年金振込通知」である。自分の年金額が多い人はうれいいそれないが、あまりに少なくなった人には「オカシイ」と思ったことだろう。よくよく、見れみれば、その振込通知書が他人のものであった。別人の内容が自分の住所に届いたとき、何を思うのだろう。いまのところ、私のところはないのだが、もしこんなことがあったら年金機構に不信感が起きることだと思う。「いったい何をしているのだ!」と。個人情報の漏れもある。

 日本年金機構の説明によると、誤送の原因は、「年金振込通知書」の印刷を業務委託先の印刷会社「サンメッセ」(岐阜県大垣市)で担当者が印刷工程で定められた確認作業を怠っていたためと説明した。ミスに気づかず発送を開始した。発送後宛名と通知面で異なった管理番号が見つかり印刷ミスに気づいたという。
 その数97万通。翌日「訂正」でだせばいいというものではない。「個人情報」である。さらには、郵送代もかかる。再送付に金額5000万もかかるという。誰が払うのだ。ここでも、出さなくてもいい税金の無駄遣いがある。
 
 年金機構にも非はある。2018年二データ入力を中国の業者に無断で委託するなど不祥事などがあったという記憶がよみがえった。個人情報がいとも簡単に流れていることを思えば、いったい年金機構という組織の仕事は信頼にかけているのではないかと思えてしまう。さらに、それを監督する厚生労働省は責任は重大だろう。

 わたしは同じ印刷屋として、むしろ、ミスをしてしまった印刷会社の人たちに同情してしまう。なぜなら、恥ずかしながら、私もミスをしたこともあるし、「始末書」も書いたこともあるぐらいである。そんなとき思うのだが、確かに「ミス防止仕様書」が書類上ある。それを、全部やっていたらその防止作業に何人の従業員が必要なのか・・・と思うことがある。今の人手では無理だな、とも思う。それを、やれというのだから「ミス」がないようにすることがいかに大変か体験している。
 その大変さを本当に知ることから「ミス」がなくなることを、仕様書には書いていない。それでも「ミスは現場」で起きるのである。本当か?
 そんなことを、役人の人たちやそれに携わる上役と人たちは知っているのだろうか、知ろうとしているのだろうかと思う。

 今後どんな「検証」をもって説明し、当事者たちに納得いく見解をしていくのでしょうか。いつも思うのですが、マスコミも「その後」をとことん報道してほしいと思うのですが、きっとこれで終わりでしょうか。
 ミスのたいしての対応にとても丁寧にかいた本に『失敗の科学』(マシュー・サイド・有枝春訳=Discover)という本があります。医療と航空業界のミスに対する違いを検討しながら、失敗に対応にいちばん大切なことを語っています。どちらも、人の生命に責任がありながら、ミス(医療ミス、航空機事故)についての対応が違います。なぜ、そうなってしまうのか。事例をあげながら説明しています。ぜひ一読するといいと思いますが・・・。
 大事なことは、ミスの原因にたいして「検証」をおこたらず、ミスを犯人捜し終わらせることなく、そこで「学習」していくことが大事だともいっています。
 ミスはなくなくなりません。そうはいっても、ミスを起こさないようにすることはできることを学ぶ本です。何度読んでも勉強になります。


 はやくも来週は10月中旬。予定では国会が解散されるそうです。
 これまでのコロナ禍のなかの政治が審判される時間です。東京・パラリンピックの強行、医療のひっ迫、中小企業の倒産、非正規労働者の失業、飲食店などの開店休業、ワクチン接種の不備など、政府のコロナ対策への判断を国民に問う時間です。もちろん、先述した年金問題など、それぞえれ個人の内容は違うのでしょう。

 ひさしぶりに写真集、『青森』1950-1962 工藤正市写真集(みすず書房)という本を図書館で借りてきました。手もとほしい写真集ですがなんとも3600円とは高いので借りてきました。内容は働く人、遊ぶ子ども、老若男女を町の一角で写真集です。みんな貧しくても必死に頑張っている姿がり、生きているようすがいいのです。貧しくても笑いがあり、涙ありと、日々の様子が生き生き写っています。
 生活るのもすこしも余裕があるように見えませんが、たくましいのです。
 こんな時代があった・・・。きっと政治家も誠実であったのでしょうね、とも思えます。ちょうど都市では60年安保あったり、炭坑の大牟田では三池闘争などもあった年代です。人は、ちゃんと文句を言って行動している時代であったのでしょう。苦しいけど、笑いをもたらす姿があったのでしょう。それはとても大事なことだと思います。

 さて今週はこの辺で・・・。また、大きな地震がくるのでしょうか。
 せめて、身近な人たちのところで災害に遭いたいものです。こればかりはどうしようもありません。その後が大事なこともわかります。
 どうもくどくなってしまいました。それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

気がつけば・・・10月。

2021年10月03日 | Weblog

 こんにちは。
 秋風が吹く季節となりました。多摩川散歩ではトンボがたくさん見かけます。やっと地上も涼しくなってきたということでしょう。まさに「お彼岸」までが暑かったのですが、その後は涼しさが入って来たという季節です。
 それでも、暗くなるのが早くなってしまうのは寂しい気がします。

 さて今週の目玉は、「緊急事態宣言」の解除だったのではにかと思います。8月後半にはいってきて、感染者が少しずつ少なっていったようです。
 解除の内容は、飲食店での酒の提供や営業時間なども緩和(夜9時まで)されます。いずれも、「認証店」という都道府県が認証しなければ営業は出来ない状況はかわりません。ところが、対応が不徹底ということもあって、不満が多いようです。また、イベントではこれまで5000人が上限であったのが、最大1万人人に緩和されています。とはいえ、飛沫が飛ぶ、応援はいまだに自粛傾向です。

 そんな解除内容をみながら不安は解除されたわけだはないのでしょう。
 なぜならこれまで、自分の身の周りにはいないだろうと思っていたが8月に入って会社の人に感染者が出た時には、いよいよ身近になってきたか・・・と思ってしまいました。今週、感染者が無事、検査の結果、陰性になって職場に帰ってきたときは安心しました。まだまだ続くと思います。これまで通りするしかないような気がします。冬にむかっています。
 ワクチン接種がすすみ、効果によって感染する不安の一つが解消されても、寒さと乾燥によて、「第6波」がきて、これまでの経験からなんの不思議はありません。

昨日、職場で仕事をしていると、〇〇さんに会う。右の手がいやに大きいと思いきや骨折したという。「やっちゃいました。バイクで転んで右手の指を骨折してしまいました」と。まだ、包帯をしていて、一部指が太くなっている。腫れがまだひいていないようだ。五十代後半、とうとうやってしまった事故だった。それにしても元気な様子で、さすがに元気な人でも、無茶な操作ということで事故が起きてしまったようだ。それでも、手の骨折くらいで? よかったと後悔するしかないようだ。
 そんな無駄話しをしていながら、最近、自分の好きなことでケガをする人を見ていなかったように思えた。コロナ禍でもあるためか、外出がコロナ前よりは少なくなったことは確かなことだろう。それでも、その人は「コロナ感染に注意して…」自分の好きなことをして事故を起こしたわけだろう。
 かつて、私も骨折したことがあった。
 いつものように一人で山歩きにでかけた下山途中での山道でのこと。少し硬めの下り坂の小石に足を取られて転んだ拍子に杖を持った手を勢いよく地面のたたきつけられたのだった。はじめは、かすり傷かと思っていたが痛み出した。さらに時間がたつにつれて小指の部分が腫れだした。痛みが腫れと一緒にましてきたようだった。細い小指が2倍ほどにふくれあがった。
 翌日、近所の整形外科に行ってレントゲンを撮ったところ、小指を骨折して、筋も切断されていた写真をみせられた。それから、一カ月ほど小指専用ギブスをつけていた。今でも、小指がうまくまがらない。
 とはいえ、命を落とすほど(脳挫傷や首の骨折など)にならなかったのはよかったと思う。用心に用心をかさねているとはいえ、起こる時に起こるものだ。後悔したところで遅いというわけだろう。
 山歩きは好きだが、そこで命を落としてまでの熱烈ではない。それでも、若い時は、「生きるか死ぬか」などと思って登った山もあった。まるで、青春真っただ中という感じだった。それも若さのいたずらなのかもしれない。
 でも、命を賭けるほどの趣味やら仕事やらこれまで何かあったのだろうか、と思う。
 よく山岳登山家が冬山に行って命をおとしたことや政治家が抗議行動をしている最中に暴漢に襲われて亡くなったことなどをニュースや本などで読んだり聞いたりする。考えてみたら、「命を賭けて」は何事にも一生懸命の結果だったのではないかと思う。それだけ、ほんとうに覚悟をもって臨んだことに遭ったということなのだろう。それが、たまたま失敗、つまりは命を落としたという結果なのだろうと思う。上村直巳が『青春を山に賭けて』でも命を賭けて山登りをしていた。失敗すれば、命をもなくすギリギリの限界に挑戦したものに、人は感激しているではないか。
 その感激の背景にあるのは、全力を尽くしての結果だからだろう。さらにはその背景の苛酷さにひかれているからだろうと思う。

 一生懸命さ→感動→善悪を越えた→エネレギーとしていくのではないのだろうか。それぞれ一人ひとりの物語からたくさんのエネルギーをもらって行動していることには間違いないことだ。どれだけ、後悔したことがどれだけ自分ができて、他人から聞くことができるのかと思う。
 自分の失敗、他人の失敗の話をこれからどれだけ聞けるのだろかと思う。まだつづくだろうコロナ禍の中、そんなことを考えた週だった。


 10月が始まりました。今年もあと3ヵ月ですか。早いものです・・・。
 まさにコロナ禍2年目も終わろうとしていわるわかでしょうか。10月に入ってうやっと「緊急事態宣言」が解除されたわけですが、一方で「本当に大丈夫」と思うわだかまりも残っているのも事実です。
 なぜなら、これまでコロナ対策がいいとは思っていない分不安があるのだろうと思います。コロナ禍で多くの失業者でて、営業も断念した飲食店も多くありました。さらには、これまであまり目立たなかった、女性の自殺者が多いとも報道されています。まともに働こうと思っていても、職場が事業縮小などで解雇・契約切れなどが発生して、家計に負担がかかてきたことについては何の解決のめどが立っていないような気がします。
 これまでのコロナ対策の検証もされてはいない状況だと思います。

 とくにひどいなー思ったことは、こんな時であっても臨時国会をせず、政治が討論できたいなかったということでしょうか。
 10月にはいって「値上げ」が相次ぎました。とくに食糧品の値上げは、家庭に打撃を与えます。それをどうにかするのが政治家が仕事なのですが、説明のないまま値上げはされました。(なんか変だ・・・と思います)
 とくにタバコの値上げには驚きました。実質銘柄によっては40~50円との値上げには驚きました。ただ、タバコは嗜好品のなかでも、「国民の健康のために喫煙者を減らす狙い」という金言があるような中、誰も苦情はいいづずらい中の値上げ。なんとも、人の弱みをねらって、こそく気がする値上げでした。
 ほんとうに、健康を考えるのなら、医療のひっ迫をつくるような政治を改まればいいのではないかとも思います。

 こういうことを政治家が討論しないで何の政治家なのかーと思います。
 読んでくれた人、ありがとうございました。