日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

6月も終わり・・・まだ続くコロナです。

2021年06月27日 | Weblog
 こんにちは。
 天気予報では、「雷・雨」とい天気予報がつづいています。そんな中、少し晴れるとこの時間を待っていたように外へぶらりと出かける休日になってきました。
 最近の天気はこれまでの天気とはちょっとちがっていて、突然黒雲があらわれたり、雷がなったりと一点集中に被害をつくることが多いのも特徴です。
 通勤途中のどしゃ降りでも地元につくと降っていなかっったりと、昔には考えられないような降りかたもみせてくれます。


 とうとう東京五輪まで1ヵ月を切りました。なんだかんだとい言いながら、政治はとうとう、国民の命よりこの世界的ショーに経済優先さにカジをとったようです。これは、政府の方針なので「当たり前」といえば当たり前なのですが、そうは言っても政治は「国民の生命」を守る使命があるはずなのですが。そのことが、日々うすれていくように思えます。気がつけば、毎日利用する駅の窓にも、いつのまにか昨年使うはずだった垂れ幕がとりつけてありました。なんともやることの素早いことといったらおどろくばかりです。

 一方、遅々として進まないのが新型コロナワクチン接種と感染対策のように見えます。国内のプロ巣スポーツはほそぼそとやっています。それも、コロナらい策を万全にしてやっているなかでです。これはまだ国内だからいいのです。
 ウイルスも毎日同じものであれば、少しずつ免疫力もつくものです。でも、オリンピックは別物でしょう。それは、世界中の人が集まるということだけでも感染するリスクが高くなるということでしょう。もうすでに、「第五波」という言葉もうわさされています。その名前を「五輪株」だそうです。

 東京ではたくさんの人が、「緊急事態宣言」も解除されたなかで移動することになっています。それにさらに、世界中の五輪関係者も移動する日々を考えるとちょっと怖いきがします。
 そんななかで、今週23日に東京都庁前で新型コロナウイルス禍での「五輪反対」のデモがありました。初めてでした。こんな光景を目にするのは・・・。「これコロナで苦しむ国民を増やしてはいけない」という主張ももっともなことです。
 感染が増えれば、その周囲も打撃をうけることはこれまでのニュースなどで明らかなことです。感染者以外にもその周囲にも何倍にも打撃になるということです。とくに、倒産や失業者を増やしてしまうということにもなります。これが経済優先ということとは反するように見えますがね。
 日々、都内では画面の向こう側でおきていることではなくなっていくということです。
 今度は、児童にも学校観戦チケットをくばり見せようとしていることに、首都圏3県でおよそ6割が中止を申しいれています。何を考えているのやら・・・。
 これませ菅首相は「安全・安心を最優先にやる」といいうことをいってきたわけですが、何が安全・安心なのか示してくれているようには思えません。むしろ、専門家の尾身会長の「無観客」の方が具体的でわかりやすい。それも採用しないとういうことは「安全・安心」には思えませんが・・・。
 いったい、「五輪後」の風景はどんなものになっているのでしょうか。


 6月から「アルバイト契約」になって1カ月が過ぎようとしています。
「はやい!!。はやすぎる」という思いつつ仕事の日々を送っていました。職場では、普通、アルバイトは何らかの補助のように考えますが、私の場合はまったく独立した「個人商店」のように仕事が流れます。これでも、自分ひとりではどうやっても無理な場合だけ、手助けを借りることになっています。
 「個人商店」といえば「ウーバーイーツ」という仕事も「個人経営」のということで労災が申請できないという記事を思い出しました。仕事中に車に接触されてけがをしても会社が補償しないということだそうです。「個人経営」ですから、その個人がけがや事故を起こした場合はその個人経営内で処理するということなのでしょうか。でも考えてみれば雇用主は、ウーバーイーツなのでしょうから、雇う側が補償するということで問題になっていました。つまりアルバイトは労働者になるということでしょう。これは労働基準法違反にもなるのでは・・・と思えます。

 あい変らず労働者はちゃんと説明をうけず労働に従事していることが多いと思う。私自身もそであるようです。
 最近、アルバイトの有給休暇について取得日数プラス特別休などについて初めてしることが多いようです。「メーデー休暇」というものがあって、アルバイトにはないということを初めて知りました。メーデーは正規でろうとアルバイトであろうと労働者で同じなのだと思うのにアルバイトにないはおかしいと思いました。
 コロナ禍のなかアルバイトは困窮しているということをよく聞く。働きたくとも感染で働けない、ということになる。そして収入がなくなる。そんな身分のなかにいる、ということなのだろう。

 コロナ禍下で中小企業の「家賃支援給付金」をだましとった経済産業省のキャリア官僚がニュースになっていました。なんともあきれた人もいるものだ。きっと能力は高いのだろうがその知恵を人の災難に乗じて利益を得ようとする、まさに「火事場泥棒」である。こういう人たちが日本の中枢にいることはいったどういことなんだろうか。


  東京では25日に東京都議選の告示がありました。普通であれば、告示日後最初の休日には駅前あたりで候補者が、自分の政策を訴えているころでしょう。今年は、コロナ禍ということもあって宣伝カーも見かけることもありませんでした。その分、それぞれのホームページなどをつかっているのでしょうか。前回は、都民ファーストという集団が民主党分裂を利用して増えたように思います。
 今回はどうなるのでしょうか。頼みの小池都知事は体調不良で姿がないようです。何をしているのやらです。水面下で東京五輪の爆発宣言の準備でもしているのでしょうか・・・。

 今年の投票する政策はなんでしょうか。いちばんは世界的にコロナ対策・対応政治でしょう。とくに、今回は東京五輪と銘打っている地元です。「中止」か「強行か」という中で、政府は実施にむいている状況のようです。
 昨日、はやばやと期日前投票に行って来ました。投票理由は簡単です。「東京五輪を中止を訴えているところ」の1点です。きっと、まだいろいろとあるのでしょうが、私にとって、コロナがうまく調整しなければどうにもはじまらないように思います。当面は、感染拡大を防ぐためにはやはり「五輪中止」でしょう。
 そう思っています。

 散歩途中にある蓮池のある公園にカメラを持った人たちがたくさんいると思ったら、ハスがいま満開の状態のようです(写真上)。子どもも親父もみんなハスの花を眺めては感想をいったり、カメラ撮影と忙しそうです。こんな忙しは大歓迎ですね。
 さて、来週はいよいよ第1回目のワクチンを接種します。読者の人も接種した人も多いでしょう。いろいろと言われていますが、とりあえず行って来ます。
 接種したからといって感染しないというわけではないようですが、ちょっと気持ちが楽になるでしょう。
 そして2回目は3週間後だそうです。オリンピックのおかげで休日が移動したりしてアルバイトの一番忙しい週です。そうは言っても、命の方が大事ですから休んで行きますが。そんなときのためにいる人たちです。お互いさまということです。

 さて7月です。こなままだと東京五輪が行なわれて、都内はいつもよりたくさんの人が移動するのでしょう。怖い日が続くようです。7月はなるべく都心を避けて通勤する経路をさがしながら行ってみようと思います。
 何でこんなことまでするのか・・・ね。困ったっものだ。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

とり急ぐ東京五輪・・・何のために・・・

2021年06月20日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日雨がつづいています。長靴をはくほどでもないのですが、雨のなかにでは何かと外にいくのも敬遠がちの日々です。
 休日は、それでも時おり晴れる時間をみつけては散歩にでかける日々です。いまは、緑がうすくきれいに見えます。花も、雨にうたれていっそうきれいに見えるのもこの時期ならでしょう。花も人もこの梅雨をのりきるために一生懸命なのでしょうか。
 近所の軒先に巣づくりをしていたツバメもそれぞれ巣立ちしてどこかの空を飛びまわっているころでしょう。

 

東京五輪が急ピッチで進んでいます・・・が、コロナ対策についてはいまだにうまくいっていない状況のようです。五輪開催には「賛成」「反対」の意見があるのですが、今回ほど「反対」の多い年はないでしょうか。それは、何かといえば「安全・安心」ばかり強調されていて感染対策がいまだにはっきりしていないせいでしょう。

 わたしが子どものころにも東京五輪があしました。田舎ですから、オリンピックと世間が騒いでいてもそれほど夢中になって追いかていた記憶がありませんでした。そんな中でも、記憶にある名前や言葉は、「東洋の魔女」「ショランダー」「黒い弾丸・ヘイズ」「金メダル重量上げの三宅選手」「アベベ」でしょうか。
 時代は高度経済成長へのまっただなかでしょう。NHKの朝ドラ「ひよっこ」でも、茨城県から出稼ぎに父親が工事現場で働いていました。

 そして数十年・・・。いまやオリンピックは商業主義に染まってしまって利益誘導の大会が問題視されるようになってきました。そこにさらに政治がからみあって、いつのまにかスポーツ選手先行ではなくなっているようになってきました。
 今回の東京五輪・パラリンピックも例外ではなく、まさしく象徴的な様子をみることになっていました。さらに、昨年から新型コロナウイルス感染があり、とうとう昨年は開催予定は「延期」ということになりました。
 そして今年です。「中止」か「延期」かという議論はなく、すでに「開催」というなかで進行しているようです。いっぽう感染は減る傾向にありません。それでもやるの? という疑問が多く浮かび上がった年となりました。まさに、政治と企業とが商業主義を前面にだした大会進行だということが白日のもとになったかと思えます。それが事実、政府の新型コロナウイルス感染タ対策分科会の尾身茂会長でさえ、今大会の感染リスクについて無観客として「会場内の感染拡大リスクは最も低いのであれば、望ましい」何度も警告しています。

 素人の私が考えてもわかる感染のいちばんの原因は人の移動と密集。オリンピックでは、これまで以上の人が移動するでしょう。さらには外国からの選手と関係者がきます。ということは、ウイルスが世界中を旅しながら日本に集約される形をつくるということです。すでに、来日した選手のなかから検査の結果、感染者がでているニュースもありました。それが、人口がいちばん集中している東京にくるわけですから心配する以上に恐怖になってしまいます。このことのどこに「安全・安心」があるのかわかりません。人の時に、自分のいいように悪い結果でも記憶しsていまいます。いま、この人間の弱さを都合よくつかわれているようにも思えます。
・・・そんなことを考えながら、一日一日、開催にむかっているということは、時限爆弾の秒読みに入っているようにも思えるのですが・・・。ここにきても私は開催には「はんたーい」ですね。



 今週、マンションの理事会がありました。最近は「経年劣化」という言葉がよく聞くようになりました。
 世の中が便利に反面、それに対するリスクが多くなってきた、といことも現実です。たとえば、不審者をいちはかく確認でき、住んでいる人に安心を待たせるかという機器がインターホンでしょうか。それでも、この辺は東京都下で、23区よりはまだ人の出入りがすくない方です。休日の午後は公園では元気いっぱい遊んでいる子どもたちの姿もあるし、多摩川などでは高齢者もスポーツを楽しんでいます。そうはいっても、実際は知らないだけで、不審者といわる人がけっこういるのかもしれません。

 今回は、「インターホン」の変更がでていました。きっかけは、ある住人のインターホンが壊れて修理に出そうでとしたところ、その会社が解散して作られなくなってしまい、部品もなく修繕できないとのことでした。いまのところ、そのかわりを何らかの方法で? 代替えしているそうです。「大規模修繕」のときもその案件がなくとおり過ぎてきてしまったものです。今回急きょ、2択で会社を選び設置する方法にしました。まずはアンケート。どちらを選ぶかはそれぞれ選んでもらい集約していこうということになりました。

 とはいえ、契約している管理サービス会社もその辺のところは心得たものです。すぐに用意できました。その様子をみていたら、さすがに管理専門のプロです。近い将来に替える予想はしていたようです。考えてみれば、最近の理事会はどこでもそうなのでしょうか管理会社に頼ってばかりいるようです。うらをかえせば、管理会社の「貯金箱」よろしく、いいなりになってしまっているようなところもあるのも事実です。そんな気がした理事会でもありました。
 知人のところでは、自分たちで管理をしているとのこと・・・。大変さがわかります。それでもメリット在ります。管理会社に支払う契約金を自分たちで使うことができることです・・・と。そんあこともあります。

 「経年劣化」は建築物ばかりではなく、そこに住んでいる住人の経済だってすることを忘れていました。そのへんのことも一緒に考えながら進めることも大事だなということを思い出させる理事会でした。
 次回は8月です。


 最近は、ほんとうのところはなかなか見えにくい世の中になったように思います。自然は季節のなかに花を咲かせたり、雨を降らせたりとわかりやすく四季を伝えてきてくれます。町を歩いているれば、それぞれの装いも分かりやすいのです。
 そう思えてしまうのは、最近いちばん分かりにくいのは人の気持だろうなーと思うことが多くなってきました。

 そんな中いりばん分かりにくいのは「東京五輪開催」についてですか。
 あれほど、研究者が感染の警告を訴えている人がいるのに開催をするということはいったいどういうことなのだろう、と思えます。
 これは経済優先か人命優先かの違いなのかもしれません。その主張によって政治が進められていて、そのなかに私たちが生きているということだということなのでしょう。そもそもオリンピックは健康な肉体が条件なのでしょう。コロナ感染が流行しておおそ健康とはいえる状況ではないのでは思えます。
 そう思うと、おそらく、開催する側と中止した側との最終目標が違うとうことなのでしょう。開催したい側は経済(利益)でしょうし、中止したい側は生命だということではないのでしょうか。その二択のなかに私たちがいるということなのでしょう。わかりずらい「本音」がいえないところにオカシイことが起きているということなのかもしれません。これはある意味「恐怖」です。
 ・・・そんなことを考えながら一週間が過ぎてきました。

 人の弱みにつけこんで時代がつくられてはいけないと思います。 
 さて来週はどんな日になるのでしょうか。
 過日、近所の人からとうもろこしをいただきました。季節の食べ物ですね。ありがたいものです。季節を届けてくれる人も大切なことすよね。さらに、知人が二人目を無事出産して「命名」したそうです。「ソウタ君」だそうです。なんとも涼しいなまえだこと、と思えました。
 今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



東京五輪・・・それでも開催か。

2021年06月13日 | Weblog
 こんにちは。
 今週、関東地方は天気にめぐまれ毎日暑い日が続いていました。来週あたりから雨が続くもようで、いよいよ梅雨がくるようです。
 街路地のアジサイも今週もきれいに咲いています。
 近所の商店の軒先に巣作りを始めていたかと思ったツバメの巣だっていきました。時間がたつのが早い・・・早い日々だと痛感しています。

 東京五輪開催は近づいてきました。それでもやっぱり、コロナ感染の不安がぬぐいれきれていません。都内で仕事をしているとなおさら感じます。
 これまで何度もいわれているように、コロナ感染は人の流動がいちばん高いということがわかっています。世界的なスポーツイベントなれば、少なくとも何倍もの人が移動する期間になることにもなります。
 そんな中で、期間中、テレビ観戦だけして外出を自粛できればいいのですが、仕事をしている人にとっては恐怖の期間になります。とくに都心にむかうひとたち(私も)にとっては、命がけとなる状況といっても大げさなではなくなってしまいそうです。さらに、最近は感染も強力なインド株が発生し始めているとのことです。最近、現実に集団感染(クラスター)が大学ラグビー部のニュースがありました。ますます、こんな日々が増えそうに思えますし不安はぬぐいきれません。

 12日朝日新聞「再考2021+1」というコラムに日本ウェルスポーツ大教授の佐伯詩雄氏が「スポーツ選手側から『(東京五輪)やめましょう』」と言い出すことがいま問われている、といくコラムを紹介していました。
 それは、開催されて場合、選手とファンの溝を深めてしまうのではないかという問いかけでもありました。代表選手が特別扱いされて、自粛をよぎなくされる国民。その形はスポーツ本来のあいかではないはずで、今回は、感染者やその医療対応に従事する人たちへ協力する必要もあることが大切ではないかとも言われていると思います。

 スポーツはなにごとにおいても「アンフェア」でなく「フェア」な状態で対戦されるのだと思います。今回のコロナ禍では、練習できる、できない国が多くあるのではないのでしょうか。
 参加するのは代表選手の判断にまかされているのでしょうか。
 そんな思いのなか、開催されても応援する気持ちに力が入らないのではないのでしょうか。
 今やることをスポーツ選手であるまえに、同じ地球に住む人間としての問いかけのコラムだった思います。そんな気がします。
 国内のスポーツイベントでさえ大変なのです。


 先週やっとコロナワクチンの予約が取れました。
 これで一安心というところだと思っていたら、ワクチン接種によって人それぞれの反応がちがうらしく、亡くなった人もいるとのニュースにはちょっと不安を感じています。コロナワクチンはまだまだ未開発の分野でもあるのでしょうからそんなこともあるのかな・・・という不安もあります。それでも、指をくわえて感染リスクを抱えているよりか、ちょっと安心を得ていくしかないのかな、とも思います。
 なかいには一日に二度接種してしまった人もいるようで、けっこう現場は混乱しているのかもしれません。

 最近、保険証の書き換え(更新)の手続きがありました。何でも、退職した場合、保険証も任意になるとのことだといいます。ですから、これまでの企業業種の保険組合から国民健康保険への移行手続きになるとのことです。(そういうこと、なぜ最初に総務などで紹介しないのか?)。これもいまのところ継続で手続きを依頼しています。それにしても、保険証がいつ手もとに来るのやら。
 もし、国民保険になるのであれば、組合の方で紹介してくれるのを待っている状況です。

 一人の会社員が会社をやめるのにたくさんの手続きの書類が必要になります。いま、関連したマニュアルなどを参考にしているところです。
 なにか、以前は自分の仕事に関連したことに精通したした人がいたのですが、最近は、そんな人が少なくなっているようです。さらに、会社のことなど、いろいろと会話の中で勉強したと思います。コロナ禍で話も遠慮がちです。
 人材派遣会社などや契約社員が増えたからでしょうか。それとも、仕事に関連した後継者つくりの教育ができなくなってきれいる状況からでしょうか。わたしは、後者の後継者つくりを熱心に経営者が考えていない結果だと思います。
 読者のみなさんの職場ではいかがでしょうか。
 なんだか、だんだん記事がつまらなくなってきてしまいました。自分でも感じているのですが。最終回も間近なのでしょうかね・・・。
 ああ、来週は、月刊誌でいそがしそうです。忙しさにまけて感染しないように注意しないと。皆さんもくれぐれも無理をなさらず。無理が感染の条件になってしまうような気がします。
 それは今週このへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

ワクチン接種の予約ができました・・・

2021年06月06日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日、傘が手ばなせなくなり、少しずつ関東地方はも梅雨モードになってきました。今週は時おり降る雨が続くようになってきました。
 空でがツバメが雨の中でも気持ちよさそうに飛んでいました。今年はどうしてか少ないように見えます。これまで散歩のとちゅうで見かけたツバメの巣は1個でしたし、うらを返せば少しずつツバメが住めるような環境が消えつつあるのでしょうか。現在、巣作りをしているところでは、すでにヒナになって親ツバメがまいにち餌を運んでいる様子が見えます。

 この辺の環境も日々変わっているということなのでしょうか。ツバメにとっては住みずらい環境になってきたということなのでしょうか。その変化をいちはやく察知していたということでしょうか。
 環境に寄りそって住む形を変えるということは、コロナウイルスにも同じことが言えるのでしょうか。
 昨年、いちばん増えたのは英国型(N501Y)と南アフリカ型(E484K)だった。そして、今年はインド型(L452R)だそうだ。ウイルスを人をかえして移動するとうことだから、この間世界中に移動していたことになる。そしていまは環境が変わってくれれば生き残るためにさらなる変異をくりかえす予想がつく。とくに人口が密集している東京ではないさらだろう。
 生き物はあたりまえのように環境に順応するするようにして生きてきたことを考えれば、五輪には五輪特有のウイルスもあるかもしれないと言われている。
 ツバメもウイルスも生き物。ただその違いは、人間にとっての害になるかならないとう差があるだけで、生きていくことには同じ方向に進んいるのではと思う。ツバメが少なってきたこの辺の環境も少しずつ悪くなっているのだろうということかもしれない。ずっと同じ所に住んでいると気がつかないが、それが敏感に感じて住まなくなったということなのだと思える。

 「東京五輪まで50日を切った・・・」という見出しの新聞を多く見た週であった。コロナ感染で「緊急事態宣言」も延長された中で、何か違和感をもった。
 政府も都知事も、IOCのえらい方がの「中止はない」という発言に背中を押され「開催」にむけた空気は拡大させるよう躍起になっているように見えた週でもあった。
 国民の意識調査ではほとんどが「中止」か「延期」にすべきではないかというなか、政治はその現実を無視するかのように突き進んでいるようにも見える。現実は医療関係は厳しいところは変わりない。さらに、医師会でもこの状況下では「無理」だろうとの意見もいっている。開催はいいが、この状態で最悪、新しい変異株が誕生したりして、誰が最終的には責任をとってくれるのだろうかいう日々である。

 コロナ禍でうっとうしい日々である。さらに、コロナによって失業者も多くでていている現状。そんななかでますます、格差のひずみも広がっていくのだろう。
 そんななか、ふと『ファシズムへの道』(大内力・日本の歴史24)や『それでも、日本人「戦争」を選んだ』(加藤陽子・新潮文庫)を思い出した。経済は逼迫し、民主制は保守派の良心派がことごとく萎縮させられ排除、軍事政治へと突き進んでいく。そして、国民は、軍への忖度から次々に協力させられたいく。協力をしないもは「非国民」とののしられ排除され差別されていく。「問答無用」のテロから、意見もいえなくなっていく暗い、暴力の時代へと進んで行った。そんな中で気がつけば、国民総動員で戦争へと進んで行った時代である。

 なぜそんなことを考えたのかは、今夏五輪の開催中に「無観客」になるだろういうなかで、観戦者に児童を招待(動員?)し見てもらおうという企画の記事を読んだからである。
 実際は、夏の行事さえ「中止」を余儀なくされているなかで無理だろうと思うが、五輪にはやるとの記事があった。子どもたちが応援している様子を世界中に発信しようというのだろう。子どもを持つ親たちは、ことごとく「中止」の意見が多い中で、どおうなるのだろうかと思う。先生たちや校長も悩むことだろう。無垢な子どもを利用しようということが、なんとも戦争時代の歴史を思い出させてしまったのだろう。参加しなければ「非国民」といわれたり、あるいは差別されたりはしなのだろうか、そんな思いがとりこし苦労になればいいが・・・。

 その本当の姿は誰もわからない状態。それでも、コロナ禍の中である。感染は人の移動に比例して増えるのである。このあたりまえのことを、誰もがわかっている声さえも封じられて突き進んだのが戦争時代の政治だと思う。そして、最悪のは、誰もが責任をとれない状態をつくり、収拾できなくなってしってしまったこと。
 いつの時代か、『それでも、日本人は「五輪」を選んだ』という本がでてくるのかもしれない。


 ときどき考えることは、アルバイトなんて何十年ぶりでしょうか。
 学生時代は、毎月友だちをとおしてアルバイトをしていた経験がある。
 ビル取り壊し、守衛、キャデイありと様々な業種でアルバイトをやったことを思い出す。その使い賃金の使い道は、合宿費や参考書の本にすべて消えていった。貧しいながらどうにかやりくりしたのが楽しい思い出があった。
 若いということはことはそれだけですごいことなのだが、何の不安も払しょくするほど勢いみたいなものがあったように感じる。

 そして今、高齢になってやるアルバイトとは、ほとんど生活費のために消えていっているようだ。まあ、健康だけがとりえで、定年退職後もやることもないし・・・、遊んでいるよりはいいだろうという安易さがそうさせているのだろう。このアルバイトですくなくとも出向時代の人とはつながっていて、職場の人よりはずっと楽に話もできるからいいのだろう。
 もう一人、同じ職場に古希になってもアルバイトをしている御仁がいる。理由を聞くと「仕事がすきだから・・・」とうそぶいている。本当に好きなのだろうかと思う。私は嫌いである。なにもすることもないからだろうと思うが「それをいったらおしまいだよ」と思って言わないでいる。
 
 そうこう思ううちに、コロナ禍で酒宴がめっきるできなくなってそんな深い話もできないからだろう、軽いうそっぽい話が多い。「酒の力は偉大」とは思わないが、それでも場を気軽にしてくれるその力は偉大なのだろうと思う。だいたい、この時期、仕事帰りの何人かでの立ち寄り酒宴は、自殺行為に近い。まして、高齢のオジサンである。力ない体にアルコールとくれば、ますます弱体化したなかに、コロナウイルスは突き進むだろう。
 たかがアルバイト、されどアルバイト・・・。

 毎年みている景色も住んでいることだけが精いっぱいだと気がつかないことが多い。それを気がつかせてくれるのは、毎年当たりまえのように飛んでくるツバメであったり花であったりするのだろう。
 コロナ禍でのなかで、感染しないことばかり気がいっていると気がつかないことが多いのだろう。
 そんなこともあってか、このどさくさに紛れて政治が重要法案を二つを与党(自民・公明)の多数で成立させようとしていた。その中の医療制度改革関連法(75歳以上の医療費窓口負担を1割から2割負担)を与党の賛成多数で可決している。なにも、コロナ禍のなかで医療に不安を感じている高齢者をねらい撃ちするような法律を出さなくてもいいものをつめたいものだ。
 そしてもう一つが土地規制法案(政府が指定した土地に強制的に土地利用を制限したりする)が出されている。こちらは、自衛隊の基地をあちこちに作ろうしていることがわかる。できるだけ、疑問を持つ人たちを寄せ付けないような法案だと思う。

 世の中には「ショック・ドクトリン」という言葉がある。人間の非常事態に乗じて利益を得ようとする仕組みことである。簡単にいえば火事場泥棒のようなことだろうか・・・。新型コロナで世の中が非常事態なのにそれに乗じて、助けるべきことより利益をとろうとする。まさに東京五輪もそうではないのだろうかと思う。
 
 それは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。